三章 学園長の高速揉み手 ④

       * * *


 モニカに与えられた屋根裏部屋はモニカが思っていたより、ずっとれいに掃除されていた。おそらく学園長が手配したのだろう。

 小さいが簡易ベッドも勉強机もある。モニカには充分すぎるぐらい立派な部屋だ。

 モニカは窓を開けて換気をすると、荷物袋の口を開けた。


「ネロ、もう出てきていいよ……ネロ?」


 モニカが荷物袋をベッドの上でひっくり返すと、他の荷物と一緒にネロがコロンと転がり落ちてきた。


「にゃふぁあ……ん? なんだ? もう着いたのか?」

「うん。ずっと寝てたの?」

「おぅ、オレ様寝ようと思えば、いくらでも寝てられるぜ、すげーだろ」


 得意げなネロに「はいはい」と雑なあいづちを返しながら、モニカはベッドの上に転がったコーヒーポットを手に取る。

 部屋に用意された机には小さいが引き出しがいくつかあった。その中の一番下の引き出しがかぎ付きになっていたので、モニカはそこにコーヒーポットをしまう。

 魔術師の頂点に立つ七賢人という立場にありながら、モニカには大事な物が非常に少ない。

 七賢人になった時に与えられた爵位を示す指輪やローブ、黄金のつえよりも、モニカには父の形見のコーヒーポットの方がずっと大切だった。

 他に大切な物が思いつかない、たった一つの宝物だ。

 モニカが引き出しに鍵をかけると、ベッドの上で欠伸あくびをしていたネロがモニカを見上げた。


「で、学園生活はどんな感じなんだ?」

「えっと、明日から授業が始まるんだって……」


 明日からモニカは〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットではなく、モニカ・ノートンとしてセレンディア学園高等部二年生に編入する。

 モニカはかつて自分が通っていた魔術師養成機関ミネルヴァでの日々を思い出し、顔を曇らせた。

 極度の人見知りであるモニカにとって、学園という集団生活の場は苦痛でしかない。ミネルヴァに通っていたころも、後半はほとんど研究室に引きこもっていたぐらいだ。


「……うぅっ、想像するだけで、胃が痛いよぅ……」


 モニカがこの学園にやってきたのは、第二王子を秘密裏に護衛するためだ。

 だが任務以前に、目立たぬよう学園生活を送ることがモニカには難しい。


「まぁ、あまり小難しく考えないで、気楽にやりゃいいだろ。学園生活楽しそうじゃねーか」

「……ネロは、学園生活の怖さを知らないから……」

「もし、ボロが出そうになったら、お前の魔術でチョチョイとなんとかすりゃいいじゃんか。ほら、お前はすげー魔術師だから、こう……正体に気づいたやつの記憶をかいざんしたり、操ったりできんだろ」


 人間の事情に詳しくないネロは気楽なものである。

 モニカは沈痛な顔で首を横に振った。


「あのね、人を操ったり記憶を改竄したり、そういう精神干渉系の魔術は全部準禁術扱いなの……許可なく誰かに使ったら、わたし、魔術師資格はくだつされちゃう……」


 精神干渉系の魔術は重罪人に自白を促す時など、特定の状況下に限り使用を許可されている。

 ただ研究自体は禁じられていないので、精神干渉系の魔術に関する魔術書はモニカも読んだことがあった。

 だからその気になればモニカも使えるのだが、正直使いたいとは思わない。


「精神干渉系の魔術ってね、すごく扱いが難しいの。後遺症で記憶障害になったり、錯乱状態になったり……最悪、二度と意識が戻らなくなることもあるらしくて」

「なんだそれ、こえーな」

「うん、だから、簡単に使っちゃ駄目なの」


 モニカはふと、今日すれ違った男子生徒アーロン・オブライエンを思い出す。

 覚えてない、知らない、と錯乱状態だった彼は、精神干渉魔術を受けた人間の症状によく似ていた。


(…………まさか、ね)


 首を振りながら明日の準備を始めるモニカに、ネロがヒゲをヒクヒクさせながら言う。


「人間って、面倒くせーんだな」

「そうだね、わたしも猫になりたい……」


 モニカが苦笑まじりにぼやくと、ネロは金色の目を細めて、じとりとモニカを見上げた。


「猫の世界は竜以上に弱肉強食だぜ。断言してやる。お前は猫になったら、カラスにつつかれてすぐ死ぬ」

「…………あぅ」


 返す言葉もなかった。

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