三章 学園長の高速揉み手 ③

       * * *


 学園長室を後にしたモニカは、ほぅっとあんの息を吐いた。

 屋根裏部屋は学生寮最上階の物置部屋の上にあり、他の生徒達の部屋とは階が違う。

 育ちの良いご令嬢なら泣き崩れそうな処遇であるが、モニカにとって、これほどありがたいことはなかった。


「えっと、あの、イザベル様……あ、ありが……」


 モニカがモニョモニョと礼を言おうとすると、イザベルは突然目を潤ませる。

 ギョッとしたモニカは、あわあわとイザベルを見上げた。


「あ、あの、イザベル、様?」

「あぁ……できることならモニカお姉様とルームメイトになって、こっそり夜中のお茶会をしたり、同じ寝台で内緒話をしたりしたかったですわぁぁぁ! でもでも、お姉様の任務のお邪魔をしてはいけませんものね! わたくし、そこはしっかりわきまえてますのよ!」


 イザベルはハンカチで目元をぬぐうと、オロオロしているモニカの首根っこにかじりついた。


「お姉様! お暇な時は、どうぞどうぞ、わたくしの部屋に遊びに来てくださいませ! 精一杯おもてなしさせていただきますわ~!」

「は、はい……」


 モニカがカクカク頷くと、イザベルはハッと何かに気づいたような顔で姿勢を正した。

 廊下の角から人の声が聞こえる。始業式は明日だが、教師やクラブ活動のある生徒は学園内でチラホラと見かけた。

 だから、人がいるのは不思議ではないのだが、聞こえてくる声がなにやら尋常じゃない。


「くそっ! 放せっ! 放せっ! オレは悪くないっ!」

「やかましいっ! 次はその口を凍らせるぞっ!」

「落ち着きなさい、シリル・アシュリー」

「そうそう、お前の声が一番うるさいぞ、シリル」


 廊下の角から姿を見せたのは男子生徒が三人、壮年の男性教師が一人。

 黒髪の男子生徒が大声で「放せ放せ」とわめき散らし、残りの三人がそれを取り押さえながら、どこかに連れて行こうとしているようだった。

 イザベルがモニカにだけ聞こえるような小声でつぶやく。


「あの黒髪の方……ステイル伯爵家のアーロン・オブライエン様ですわね。社交界で見かけたことがありますわ」


 アーロンはそれなりに上背のある男子生徒なので、暴れる彼を取り押さえるのは三人がかりでも一苦労のようだった。

 イザベルは扇子を取り出して、さっと口元を隠す。


「……焦茶の髪の男子生徒の方は、ダーズヴィー伯爵家のエリオット・ハワード様ですわね。銀髪の方は存じ上げませんが、生徒会の役員章がついているから、恐らく名のある家の方なのでしょう」


 なるほどイザベルの言う通り、男子生徒三人の襟元には小さな役員章がついていた。

 この短時間ですぐに名前を思い出せる記憶力も、襟元の小さな役員章を見抜くけいがんも素晴らしい。モニカはひそかにイザベルを称賛の目で見る。


(わたしより、潜入任務向きなんじゃ……)


 モニカがそんなことを考えていると、大騒ぎをしている四人がこちら側に移動してきたので、イザベルとモニカはサッと壁際に寄って道を譲った。

 焦茶の髪に垂れ目の男子生徒エリオット・ハワードがチラリとこちらを見て「騒がせて悪いね」と軽く片手を振ってみせる。

 その時、三人に取り押さえられていた黒髪のアーロンが、イザベルとモニカを血走った目で見て叫んだ。


「なぁ、なぁ、あんたたちからも言ってくれよ! オレはだまされたんだ! オレは、オレは、覚え、覚えてない、知らない、思い出せない……ああぁぁぁぁ……っ」

「えぇいっ! いいかげん、その口を閉じんか!」


 銀髪の青年がこめかみに青筋を浮かべて怒鳴り、短く何かを呟く。

 その呟きにモニカはハッと顔を上げた。あれは魔術の詠唱だ。


(それも、短縮詠唱……!)


 銀髪の青年は通常の詠唱の半分の時間で魔術を組み上げ、指をパチリと鳴らす。

 すると、暴れているアーロンの両手首がかせのようにつながったまま凍りついた。

 更に銀髪の青年は小さな氷を手のひらに生み出すと、それをアーロンの口にねじ込み、手のひらで口をふさぐ。

 口に氷を放り込まれたアーロンは、声にならない悲鳴をあげて目をいた。


「ふんっ、これで少しは頭を冷やすのだな」


 銀髪の青年が忌々しげに吐き捨て、垂れ目のエリオットがあきがおで銀髪の青年を見る。


「知ってるか、シリル。お前って女子生徒からは氷の貴公子って呼ばれてるんだぜ」

「なんだそれは」

「王都でりの小説に、そういう登場人物がいるんだよ。いつでも冷静沈着なのが素敵らしいぜ。少しは御令嬢方の期待にこたえてみせたらどうだ?」

「何を言う。私はいつも冷静だ」

「………………」


 シリルと呼ばれた銀髪の青年の言い草に、エリオットは無言で肩をすくめた。

 そんな二人を、壮年の男性教師が「行くぞ」と促す。

 エリオットは「はい、ソーンリー先生」と素直に従い、シリルはイザベルとモニカを見て「失礼した」と一言告げた。そうして彼らはアーロンを引きずるようにしてその場を立ち去る。

 四人の姿が完全に見えなくなったところで、イザベルはポツリと呟いた。


「……生徒会の方で、何かあったのでしょうか」


 生徒会と言えば、この学園の生徒会長はモニカの護衛対象の第二王子フェリクス・アーク・リディルである。

 生徒会で何か事件があったなら、護衛のモニカも何が起こったかを把握しておく必要があるだろう。


(うぅ、編入早々、なんだか大変なことになってる気がする……)


 生徒会役員達の不穏な気配に、モニカは胃を押さえて小さくうめいた。

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