二章 悪役令嬢は沈黙の魔女がお好き ③

       * * *


「オーッホッホッホ! ご機嫌よう!」


 屋敷のどこにいても聞こえてきそうな高笑いでモニカを出迎えたのは、モニカと同じ年頃の少女だった。

 身につけているのはごうしやしゆうを施した真紅のドレス。オレンジがかった明るい色の髪は立派な巻き髪だ。

 モニカがされて扉の前で立ち尽くしていると、ケルベック伯爵令嬢イザベル・ノートン嬢は口元に扇子を当て、意地悪く目を細めてモニカを見た。


「あーら、ご機嫌よう、モニカ様? 相も変わらず貧相な身なりでいらっしゃいますのね。貴女が我がケルベック伯爵家の末席に名を残しているなんて、わたくし恥ずかしくて仕方ありませんわ!」


 言葉の意味を理解できずとも、その声に込められた明確な敵意がモニカに突き刺さる。

 気の弱いモニカは、他人の悪意に敏感である。ほんの少しでもとげのある言葉を向けられただけでしゆくしてしまう小心者なのだ。

 イザベルの悪意たっぷりの言葉に、早くもモニカの目には涙がにじんだ。

 だがモニカがその場にうずくまるより先に、イザベルは意地悪そうな表情を引っ込め、れんな笑みを浮かべる。


「今のいかがですか? 悪役令嬢っぽくありませんでしたこと? わたくし、今回のお役目をいただいた時から、毎日ずっと欠かさずに発声練習をしてまいりましたの! この高笑いのキレはだれにも負けないと自負しておりますのよ!」


 高笑いのキレとは一体。

 モニカが目を点にしてぼうぜんとしていると、イザベルはハッと何かに気づいたような顔をした。


「あらいけない、わたくしったら自己紹介もせずに、はしたない」


 イザベルはドレスのすそをつまむと、優雅で美しい淑女の礼をした。


「お初にお目にかかりますわ、〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレット様。ケルベック伯爵アズール・ノートンが娘、イザベル・ノートンと申します。黒竜討伐の際には大変お世話になりました。父と領民に代わって、感謝の意を述べさせてくださいまし」


 衝撃のあまり彫刻のようになってしまったモニカに、イザベルはニッコリと微笑ほほえむ。

 それは意地悪さなんて欠片かけらも見当たらない、とびきり可愛かわいらしく、何より親しみに満ちた愛らしい笑みだ。


「あぁ、あの恐ろしいウォーガンの黒竜を退け、翼竜の群れを撃ち落とした七賢人様が、こんなに可愛らしいお方だったなんて! 聞けば、わたくしと一歳しか違わないというではありませんか!」


 一歳違いということは今年で一八歳だろうか、とモニカがした思考の片隅で考えていると、イザベルは頰をいろに染めてモニカの手を取る。


「あぁ、どうか……モニカお姉様とお呼びすることを、お許しくださいますか?」


 まさかの年下だった。


「あ、あの、えっと、その……」


 モニカがうろたえていると、今までソファに座ってこのやりとりをニコニコと眺めていたルイスが口を挟んだ。


「ほらほら同期殿、これから貴女に協力してくださるイザベル様にご挨拶は?」

「よっ……よろ、しく……おねがい……しまふ」


 モニカがのどを引きつらせながら声を絞り出せば、ルイスはやれやれとばかりに肩をすくめる。


「申し訳ありません、イザベル様。〈沈黙の魔女〉殿は少々シャイな方でして」

「いいえ、いいえ、気にしませんわ。モニカお姉様はシャイで……でも誰よりも強くて勇敢なお方であると、わたくし知ってますの!」


 一体それは誰のことだろう、とモニカは思った。少なくとも強くはないし、勇敢でもない。

 だが完全に自分の世界にトリップしているイザベルは、薔薇色の頰に手を添え、うっとりと語り出した。


「ウォーガンの黒竜は、竜騎士団でも退治は難しいと言われていました。黒竜の吐く炎はめいの炎。魔術師の防御結界すらも焼き尽くす、まさに最強最悪の竜! それを、あぁ、たった一人で退治するなんて、誰にでもできることではありませんわ! しかもしかも、黒竜を倒した後は何も言わずにその場を立ち去るなんて……そんなの……そんなの、かっこよすぎますわぁー!」

「あの……えっと……」


 なお、モニカが黒竜退治に参加したのは、ルイスに「たまには運動をされてはいかがですか?」と無理やり山小屋から引きずり出されたからである。

 うたげに参加しなかったのも、謙虚さゆえにではなく、人見知りゆえにだ。

 だが、そんな事情を知らないイザベルの目には、モニカが勇敢で謙虚な大魔術師に映るらしい。

 盛大な誤解であるが、それを説明できるほどモニカは雄弁ではなかった。

 ルイスにいたっては、この誤解を最大限に利用しようとしている。


「お姉様! 今回はフェリクス殿下の護衛のために、セレンディア学園に潜入されるとうかがっております! そのお手伝いができること、大変光栄に思いますわ! お姉様が疑われることがないよう、わたくし、お姉様を徹底的にいびって、いびって、いびり抜きますので! 安心して殿下の護衛に専念してくださいませね!」


 そう言ってイザベルはモニカの手を取り、ブンブンと力強く振る。

 完全にその場の空気に流されているモニカは、されるがままになりながら頷くのが精一杯だった。

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