三章 学園長の高速揉み手 ①
セレンディア学園は精霊王が一人、光の女神セレンディーネの加護を得られるようにと名づけられた学園で、光の女神が手にしている
元々、王族や貴族は学校に通う習慣など無かったのだが、時代の変化と共に貴族の子らが通う教育機関は徐々に増え始めた。このセレンディア学園もその一つだ。
今でこそ富裕層や有権者の子が通う学校、寄宿舎、女学院は複数あるが、その中でもセレンディア学園は初めてリディル王国で王家の人間が通ったという歴史があった。
リディル王国の三大名門校と言えば、王家の人間が通うセレンディア学園、魔術師養成機関ミネルヴァ、神殿傘下の院──この三つが挙げられる。
その中でも法律関係に最も強いのが院。
魔法・魔術に関する分野はミネルヴァ。
そしてそれ以外の教養分野で抜きん出ているのがセレンディア学園だ。
セレンディア学園は一流の講師、圧倒的な蔵書、そして貴族の子女が通うのに
通うためには高額の入学金と寄付金が必要になるが、セレンディア学園を卒業すれば後々王宮に勤める際にも有利に働くことが多い。
貴族にとって、セレンディア学園卒業生という肩書きは一種のステータスでもあった。
そんなセレンディア学園の生徒会経験者ともなれば、周囲から一目置かれているのは言うまでもない。まして第二王子のフェリクス・アーク・リディルが現生徒会長職に就いている今、生徒会のメンバーになることは第二王子の将来の側近候補であるとも言える。
──そう、本来なら生徒会役員になれば、将来は安泰のはずなのだ。
(……それなのに、どうして、こんなことになったんだ!)
セレンディア学園の生徒会室で、生徒会会計アーロン・オブライエンは声にならない声で叫んでいた。
部屋の中央に立たされたアーロンをぐるりと取り囲むのは、セレンディア学園生徒会役員の面々。
張り詰めた空気に満たされたこの生徒会室で、唯一微笑んでいるのは、生徒会長の椅子に座り、
「さて」
フェリクスがその一言を発しただけで、場の空気が変わる。
肩をビクリと震わせるアーロンに、フェリクスは慈悲深い聖人のような笑みを向ける。
「監査の結果、帳簿に
問う声はどこまでも優しく穏やかで、それなのに聞く者の心臓にナイフを突きつけるような冷ややかさが潜んでいる。
アーロンが口ごもると、垂れ目に焦茶の髪の青年、書記のエリオット・ハワードが、鋭い目でアーロンを見据えながら言った。
「使い込んだ回数なんていちいち覚えていないってか? ……俺の方で確認できただけで、三〇回以上だ」
エリオットは口調こそ軽薄だが、その
エリオットに続いて美しい金髪の令嬢、書記のブリジット・グレイアムが扇子で口元を隠しながら発言した。
「昨年度の通常予算だけでこの数。特別予算からも、更に使い込んでいるのではなくて?」
ブリジットの言葉に、明るい茶髪の小柄な少年、庶務のニール・クレイ・メイウッドが
「はい、そちらはまだ見直し中ですけど、改竄の
次々と自分の所業を指摘され、アーロンは胸の内で舌打ちをした。
(使い込んだ回数なんて、わざわざ覚えてられるかよ!)
協力者には「やりすぎるな」と言われていたけれど、それでも絶対にばれないはずだったのに。
アーロンが黙り込んでいると、フェリクスはあくまで優しげな笑顔のまま口を開いた。
「私が君を生徒会役員に選んだのは、お
生徒会役員は生徒会長が任命する。そこでフェリクスに──ひいては、その背後にいる彼の祖父クロックフォード公爵に取り入るべく、金を積む者は何人もいた。その中で最も多く金を積んだのがアーロンの父、ステイル伯爵だ。
だからクロックフォード公爵は、孫であるフェリクスにアーロンを生徒会役員に選出するよう命じた。
このまま無難に会計の仕事をしていれば、アーロンもステイル伯爵家も将来は安泰だっただろう。
だがステイル伯爵家は、クロックフォード公爵に貢ぎすぎたせいで困窮していた。
結果、小遣いを減らされたアーロンは遊ぶ金欲しさに生徒会の予算を使い込んだ。
(くそっ、くそっ、くそっ……!)
まるでアーロンをじわじわと追い詰め、真綿で首を絞めるかのように、断罪する声はどこまでも柔らかく、冷ややかだ。
「私は君に退学以上の罰を与えることはできない。だが、お祖父様はきっとステイル伯爵を見限るだろうね」
フェリクスの言葉に、アーロンの全身から血の気が引いていく。
この学園で学ぶ者なら、
第二王子の背後には、この国で最も権力の強い大貴族クロックフォード公爵がいることを。
そして、クロックフォード公爵が冷酷無慈悲で、容赦のない人物であることも。
「君のお父上は融資を受けるために、クロックフォード公爵家の信用を必要としていたらしいね? あぁ、
アーロンの顔に脂汗が
(大丈夫だ、絶対に大丈夫だ。きっと、あいつがなんとかしてくれる!)
今までだって、協力者が助けてくれていたのだ。きっと今回だって、
(そうだ、あいつが………………あいつ、が……)
協力者の顔を頭に思い描こうとして、アーロンは失敗した。
最初は焦り故に混乱しているのだと思ったのだが、思い出そうとすればするほど記憶が
(なんだ? なんでだ? なんで思い出せない?)
アーロン・オブライエンには協力者がいた。確かにいたのだ。いたはず、なのだ。
協力者は金を山分けする代わりに、アーロンの不正に協力してくれていた。
なのに、その協力者の顔も、声も、名前も、思い出せない。
「あ、あぁ、あああ……」
どういうわけだか、自分の記憶がゴッソリと抜け落ちている。
その感覚は、自分の体にぽっかり空いた穴を目の当たりにする恐怖に似ていた。
アーロンは顔中に脂汗を滲ませ、痛む頭を押さえながらガタガタと身を震わせる。
強い恐怖は恐慌を呼ぶ。あと一息で理性の糸がプツリと切れそうなアーロンに、フェリクスが聖人の笑顔でとどめを刺した。
「……分かるかい? 君の愚かさがステイル伯爵家を滅ぼすんだ」
ぷつり。
理性の糸が切れる音が、頭の奥で聞こえた。
頭の奥が熱い。熱い。
頭の血管が焼き千切れそうな
「黙れ黙れ黙れ! 王族とは名ばかりの……公爵の犬がぁぁぁ!」
理性を失ったアーロンは怒りのまま執務机に飛び乗り、フェリクスに
だが、アーロンがフェリクスに触れるより早く、壁際に控えていた側近の一人、プラチナブロンドの青年、副会長のシリル・アシュリーがアーロンを素早く取り押さえる。
シリルが早口で
氷の魔術でアーロンを拘束したシリルは端整な顔を怒りに
「貴っ様ぁ! 殿下への暴言に
足元を覆う氷は、ピキ、パキ、と硬質な音を立てながらアーロンの足を
だが氷が
「シリル、彼を処分するのは君の役目じゃない」
フェリクスの制止の声に、シリルはすぐさま術の進行を止め、フェリクスに頭を下げる。
「……出過ぎた
「私の身を案じてくれたのだろう? 守ってくれて、ありがとう」
フェリクスはシリルに
水色に緑を一滴混ぜたような
「アーロン・オブライエン。君には正式に退学の通知が下されるまで、寮での謹慎を命じる。公爵の犬風情にしてやられた己の愚かさを、存分に
あぁ、とアーロンは震える唇で息を
どんどん記憶が
……本当に協力者なんていたのだろうか?
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