一章 同期が来たりて無茶を言う ⑥

「今の設定で、貴女にはセレンディア学園に潜入してもらいます。編入前にしっかり頭にたたんでおくように」


 おおにとんでもない設定をぶちまけるルイスに、モニカは冷や汗まみれになりながら、か細い声で言った。


「あの……も、盛りすぎて、何が何やら」

「これぐらい厄介な事情なら、だれも深入りはしないでしょう。なお、設定はこちらの本を参考にしました」


 ルイスの背後に控えていたメイド服の上位精霊、リンがスッと一冊の本を取り出した。

 作者の名前はダスティン・ギュンター。ネロが最近お気に入りの小説家である。

 リンは恭しい手つきでモニカに本を差し出しながら言う。


「伯爵令嬢にいじめられているヒロインが王子の目に留まり、やがて王子と禁断の恋に落ちるラブロマンスです。伯爵令嬢の陰湿かつ陰険ないじめの手口が実に凝っていて、大変興味深い一冊かと」


 リンの解説に、棚の上のネロが興味津々の顔でしつをゆらゆらと揺らした。

 この小屋にもダスティン・ギュンターの本は何冊かあるが、どれも古いものばかりである。一方、リンが手にしている本は最新作。ネロが興味を示すのも当然だ。

 まごまごしているモニカに、リンは本をそっと握らせる。


「お貸しいたします。どうぞ参考にしてください」


 何をどう参考にしろと言うのか。

 モニカは申し訳程度に、本のページをパラパラとめくった。

 魔術書の類なら何時間でも読んでいられるのだが、この手の娯楽小説にはみが薄いので、内容がどうにも頭に入ってこない。


「あ、あの……ルイスさんの考えた設定だと、わたしはケルベック伯爵令嬢と一緒に編入することになると、思うのですが……」

「えぇもちろん! ケルベック伯爵には事情を話し、一人娘のイザベル嬢に協力をお願いしております」


 モニカは目をいた。


「あ、あんな無茶な設定なのにっ!? ケルベック伯爵家に、ごっ、ごご、ご迷惑、が……」


 なにせ、ルイスの考えた設定を貫くとしたら、ケルベック伯爵と、その娘のイザベル嬢が悪者になってしまう。

 それはあまりにも申し訳なさすぎると青ざめるモニカに、ルイスは余裕たっぷりの態度で言った。


「ケルベック伯爵の名に、聞き覚えは?」

「え? えっと……」


 数字には強いモニカだが、人名や地名を覚えるのは実はあまり得意ではない。

 それでもケルベック伯爵という単語は、モニカの記憶にほんの少し引っかかった。比較的最近聞いた記憶がある。


「あ……竜退治……」

「いかにも。三ヶ月前、貴女がウォーガンの黒竜を撃退した地域……それこそがケルベック伯爵領なのです。伯爵は貴女に深く感謝しておられる。それこそ〈沈黙の魔女〉殿のためならば、どんな協力もいとわないと」


 ケルベック伯爵はウォーガンの黒竜を撃退したモニカに大層感謝し、竜討伐の礼にとうたげを用意してくれた。

 だがモニカはそれを辞退し、逃げるようにこの小屋に帰ってきたのだ。だからモニカはケルベック伯爵とも、その令嬢とも面識はない。

 宴を辞したことで気を悪くされたのではないかと、モニカは内心ビクビクしていたのだが、ケルベック伯爵はそんなモニカのことを「〈沈黙の魔女〉様は、なんと遠慮深い方なのだ!」と受け取ったらしい。


「ケルベック伯爵と、そのご令嬢には、先程の設定を既にお伝えしておりますよ。ケルベック伯爵は『いやぁ、まるでバラッドのようではありませんか』とノリノリでして」

「の、ノリノリ……」

「イザベル嬢など『これが今りの悪役令嬢ですのね!』と目を輝かせておりました」

「は、流行ってるんですかぁ……?」


 なんでもルイスが参考にした小説は王都で大流行中らしい。

 イザベル嬢は、わざわざ王都から新作を取り寄せているほどの大ファンなのだとか。


「イザベル嬢は、貴女をいじめる悪役令嬢になりきるべく、今から役作りに励んでおられます」

「…………」

「というわけで、貴女は学園に潜入し、イザベル嬢にいじめられつつ、第二王子の護衛に励んでください。なぁに、いじめられっ子の役はお得意でしょう?」

「…………」


 モニカは返事をすることができなかった。

 なら、半ば意識を失っていたからである。

 そもそもケルベック伯爵に協力を取り付けている時点で、ルイスはモニカを逃す気など更々なかったのだ。


       * * *


 ルイスとリンが一度小屋を引き上げた後も、モニカは放心状態で床にへたりこんでいた。

 ルイスは明日同じ時間に迎えに来るから、荷物をまとめておけと言っていたけれど、正直、何から手をつければ良いか分からない。


「おい、モニカ。息してるか? おーい?」


 へたりこんでいるモニカの足を、ネロの前足がテシテシと叩いた。

 いつもなら、そのぷにぷにの肉球の感触にいやされるところだが、今のモニカにはそんな余裕など無い。


「どうしよう……護衛なんて、で、できない……わたしなんて、補欠合格の七賢人なのに……」

「さっきも言ってたけどよぉ、『ほけつごーかく』って、どういうことだ?」


 人間の事情に詳しくないネロが首をひねった。

 モニカはズビズビとはなすすりながら、二年前の七賢人選抜試験のことを思い返す。


「に、二年前に、七賢人の選抜があって……」

「おぅ」

「……わたし、面接で……緊張しすぎて、過呼吸になっちゃって」

「おぅ」

「……あんまり覚えてないけど、白目剝いて泡吹いて倒れたって……」

 ネロは半眼で尻尾を揺らす。

「……なんでそれで七賢人になれたんだ」

「た、たまたま、当時七賢人だった方が急病で七賢人を辞めることになって……合格枠が二つになったの。それで、わたし、お情けで七賢人に選ばれて……」


 誰かに聞かされたわけではないが、本来の合格者はルイス一人だったのだろうとモニカは確信している。

 ルイスは優秀な魔術師だ。魔法兵団の元団長で、実績も実力も申し分ない。一方モニカは年がら年中研究室に引きこもっている、計算だけが取り柄の小娘なのだ。比べるまでもない。


「補欠で七賢人になったわたしなんかに、王子様の護衛なんて……む、無理っ、絶対無理ぃぃぃっ」


 両手で顔を覆ってうなれるモニカを慰めるように、ネロは肉球でモニカの足をぽむぽむ叩く。


「そんなに嫌なら逃げちまえばいいじゃねーか」

「だ、だめ、わたしが逃げたら……ルイスさんは絶対に、地の果てまでも追いかけてくる……っ」


〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーは、貴族的な振る舞いが似合う美しい男だが、国内でも有数の武闘派魔術師だ。

 あの手袋の下には、立派な殴りダコがあることをモニカは知っている。


「おい、あいつは本当に人間か? 七賢人じゃなくてめいの番人の間違いじゃないのか?」

「それぐらい怖い人なの!」


 もはや自分に逃げ道などないということを、モニカは理解していた。それでも怖いものは怖い。

 モニカがズビズビと洟を啜っていると、ネロは尻尾を振りながら提案した。


「よし、それなら前向きに考えようぜ。お前はこれから王子様の護衛をするんだ。王子様ってのは、あれだ。すげーカッコいいんだろ? キラキラしてるんだろ? 人間の雌はみんな王子様が大好きなんだろ?」

「……よく分かんない」

「七賢人って、なんか式典とかに出るんだろ? 王子様の顔を見たことあるんじゃないのか?」


 モニカはゆるゆると首を横に振った。

 あがり症で人の多いところが苦手なモニカは、式典の最中はずっとローブを目深にかぶってうつむき、式典が終わるまで息を潜めてやりすごすのが常である。玉座の国王の顔すら、まともに見たことがない。


「なぁ、モニカ。オレ様思ったんだけどよぉ」

「……うん」

「護衛対象の顔が分からないって、割と致命的じゃね?」

「……どうしよう」


 正直に「第二王子の顔が分かりません」なんてルイスに言えるはずもない。まして、今回の任務は失敗したら……。

 頭の中を飛び交う「処刑」の文字に、モニカは床に突っ伏してホロホロと泣き崩れる。そんなモニカを慰めるように、ネロが前足でモニカの膝をポムポムと叩いた。

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