二章 悪役令嬢は沈黙の魔女がお好き ①

 リディル王国では、市井の子どもならだれでも知っている「サムおじさんの豚」という童謡がある。


 サムおじさんは沢山の豚を飼っている

 一年目の冬、一匹売られ

 二年目の冬、一匹売られ

 三年目の冬、二匹売られ

 四年目の冬、三匹売られ

 五年目の冬、五匹売られた

 ガラガラ ガラガラ 車輪の音に

 ブゥブゥ ブゥブゥ 豚が鳴く

 六年目が八匹ならば

 一〇年目の冬、売られた豚は、さて何匹?


 モニカがこれから向かうのは王都にあるルイスの屋敷なのだが、気分はすっかり「サムおじさんの豚」であった。つまりは売られていく豚である。


(この謎かけ歌は前年と前々年の数字の和が答えになるから、一〇年目の場合は五五匹……一一年目は八九匹、一二年目は……)


 モニカは半ば現実逃避のように、頭の中で豚の数を延々と計算する。

 その数が一万とんで九四六匹になったところで、隣に座るルイスがモニカに声をかけた。


「顔色が悪いですな、同期殿?」

「……二八年目は三一万七八一一匹、二九年目は五一万四二二九匹……」

「ど、う、き、ど、の?」


 ルイスに肩をつつかれて、モニカは豚が増殖し続ける養豚場からようやく現実に帰ってきた。


「ご、ごめんなさいっ、ちょっと、考え事をしてて……っ」

「ほぅ、考え事」


 出荷される豚の数を数えてました……とも言えず、モニカは黙りこむ。

 モニカ達は今、ルイスの契約精霊リンの風の魔法で空を飛んで移動している。

 飛行魔術は非常に難易度の高い魔術で、魔力の消費も激しい。故に上級魔術師であっても、三〇分も飛び回れば魔力が底を突く。

 だが精霊であるリンは、ルイスとモニカと、ついでに荷物袋の中に潜り込んでいるネロを、同時に半球体の風の結界で包み、その結界ごと上空を高速移動するという離れ業をやってのけた。

 精霊であるリンは人間よりはるかに魔力量が多いし、魔力の扱いにけているので詠唱もいらない。

 こういう精霊のすごさを目の当たりにするたびに、モニカは自分の無詠唱魔術なんて大したものではないと思い知らされる。モニカの無詠唱魔術が評価されているのは、モニカが人間だからだ。


(リンさんもすごいし、そんなリンさんと契約してるルイスさんも、すごい……)


 それに比べて自分なんて、ちょっと魔術が速く発動できるだけの引きこもり研究者なのだ。

 そんな自分が王族の護衛だなんて……と、モニカはネロの入った荷物袋を抱えて俯く。

 すると前方に立って結界を維持していたリンが、体を前に向けたままグルンと首を回してルイスとモニカを見た。

 首の壊れた人形のような動きにモニカはギョッとしたが、ぼうのメイドは表情一つ変えない。

 その無表情が余計に彼女を人形のように見せていた。


「そろそろ到着いたします。それにあたりまして、非常に画期的な着地方法のご提案が……」

「いえ結構。安全に着地なさい」


 リンは無表情ながら、どこか残念そうに「かしこまりました」と応じ、住宅街に入ったところで、ルイスに命じられた通りに、ゆっくりと着地した。

 ルイスの屋敷は比較的こぢんまりとしたれいな屋敷だ。

 豪勢な屋敷を想像していたモニカは、思いのほか家庭的な雰囲気に少しだけ拍子抜けする。


「ようこそ我が家へ」


 そう言ってルイスが扉を開けると、中から二〇代後半ぐらいの女が姿を見せた。

 途端にルイスがパッと破顔する。


「ロザリー、ただいま戻りました」


 そう告げるルイスの声は分かりやすく弾んでいた。どうやら彼女がルイスの妻のロザリー・ミラー夫人らしい。

 ロザリーは華やかな容姿のルイスに比べると、地味な容姿の女性だ。

 装飾の少ない動きやすそうな服を身につけ、焦茶の髪をまとめ髪にしている。

 ルイスは妻に会いたくて会いたくて仕方がなかったと全身で表現しているが、ロザリーの態度は実に淡々としていた。彼女はニコリともせず、ルイスの背後に隠れているモニカを凝視している。

 もしかして、夫が突然若い娘を連れて帰ったことを不快に思っているのではなかろうか?

 不安になったモニカがロザリーの視線から逃れるように下を向くと、ロザリーはツカツカとモニカに歩み寄り、モニカの頰を両手でつかんで上向かせた。


「ひぃっ!?」

「ちょっと失礼」


 ロザリーは恐怖にこわるモニカの前髪をかき上げ、したまぶたをぐいっと下に引っ張った。


「あ、あ、あのっ……」

「動かないで。次はそのまま、口を大きく開けて」


 言われるままにモニカが口を開けると、ロザリーはモニカのこうこう内を確認した。さらに手や爪にいたるまで、くまなく全身を観察する。


「眼球運動に異常無し、歯肉の出血無し。ただし下瞼の裏側が白く、爪も白っぽい。その他、皮膚の乾燥……栄養失調及び、貧血の症状が見られるわ。貴女あなた、年齢は?」


 真顔で詰め寄られ、モニカは半泣きになりながら震える声で答えた。


「こ、今年で一七、です……」

「年齢の割にせすぎね。普段食事は何を? 一日の平均睡眠時間は?」

「と、特に決まってない、です……」


 モニカが答えれば答えるほど、ロザリーの表情は険しくなっていく。

 そうして幾つかの問答を繰り返していると、ルイスがいかにも構ってほしそうな顔でロザリーを見た。


「ロザリー、帰宅した新婚の夫に『おかえり』の一言と、キスぐらいあっても良いのでは?」

「患者の対応が最優先よ」


 ルイスの言葉をロザリーはバッサリと切り捨てた。

 モニカが消え入りそうな声で「わたし、健康です……」と主張すれば、ロザリーは首を横に振って断言する。


「貴女がどこのどなたかは存じ上げないけど、誰が見ても歩く不健康なのは確かだわ。治療方法は充分な食事と睡眠。それとおに入って、その服も着替えてもらいます」


 夫が夫なら妻も妻である。

 あまり似ていない夫婦だが、歯にきぬ着せぬ物言いだけはそっくりだ。

 口をパクパクと開閉するモニカに、ルイスがあきらめ顔で肩をすくめた。


「ロザリーは医師です。大人しく従った方が身のためですぞ、同期殿」

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