一章 同期が来たりて無茶を言う ②

 棚の下にだらりと垂れたネロのしつが、ゆらゆらとけいの振り子のように揺れる。


「大型の翼竜がね、群れをなして人里に現れたんだって! その数なんと二〇以上!」


 翼竜は名前の通り、翼を持った竜だ。竜の中でも知性の低い下位種だが、群れになると非常にごわい。ねらわれるのは家畜が多いのだが、飢えた翼竜が人間を襲うことも近年は珍しくなかった。


「そんでね! そんでね! その翼竜達の群を統率していたのが、なんと! 伝説の黒竜だったんだって! その名も悪名高いウォーガンの黒竜!」


 竜の中でも黒竜や赤竜など、色の名前を持つ竜は上位種と呼ばれ、とりわけ危険視されている。

 その中で最も危険と言われているのが黒竜だ。

 黒竜の吐く特殊な炎、黒炎は上級魔術師の防御結界をも無慈悲に焼き尽くす禁忌の炎である。

 ひとたび黒竜が暴れだせば、国が焦土と化してもおかしくはない。まさに伝説級の危険生物。


「それでね! 竜騎士団が黒竜討伐に向かったらしいんだけど、そこに七賢人が一人、同行していたらしいの! あっ、七賢人って分かる? この国の魔術師のトップの七人でね、とにかくすごい魔術師なんだけど」

「へ、へぇ……」

「最年少の七賢人〈沈黙の魔女〉! 彼女がたった一人で黒竜を撃退して、翼竜を全部撃ち落としたんだって!」


 田舎いなか村では、この手のうわさばなしは貴重な娯楽である。

 アニーの目は、それはもうキラキラと輝いていた……が、モニカはそれどころではなかった。


「〈沈黙の魔女〉はね、現存する魔術師の中で唯一の無詠唱魔術の使い手なんだって! 魔術はね、基本的に詠唱が絶対に必要なんだけど、〈沈黙の魔女〉はその詠唱を必要としないの! 詠唱無しで強力な魔術をバンバン使っちゃうんだって!」


 モニカは無言で胃を押さえた。胃が引き絞られるかのように痛い。

 気持ちの良い夏の朝でありながら、モニカは全身をぐっしょりと汗でらしていた。


「そ、そうなんだ……」


 モニカがぎこちなくあいづちを打つと、アニーは両手を頰に添えてうっとりとつぶやく。


「はぁ、あたしも一度でいいから見てみたいなぁ。本物の七賢人」


 こんな田舎では、七賢人はおろか中級以下の魔術師だって滅多にお目にかかれない。だからこそ、アニーは魔術師に対し、あこがれに近いものを抱いているのだろう。

 モニカはキリキリと痛む胃を押さえつつ、戸棚の革袋から銀貨を数枚取り出した。届けてもらった食料の代金とアニーの駄賃だ。


「こ、これ……いつも、ありがとう」


 ボソボソと礼を言って、モニカは銀貨をアニーの手に握らせた。

 アニーは銀貨の枚数を数えて首をひねる。


「いつもながら、こんなにもらっていいの? ここにある食料の二倍近い額だよ、これ」

「と、届けて、もらってる、から……余ったのは、アニーのお小遣いにして、いいよ」


 これが普通の子どもなら、わぁいと喜んで硬貨を懐にしまうところだが、アニーは賢い少女だった。

 分不相応な報酬に、アニーはモニカを探るような目で見る。


「モニカって、お仕事は何してる人なの?」

「え、えっと……計算?」

「数学の博士はかせなの?」

「そんな……感じ……かな。うん……」


 ここに持ち込まれた書類の山は、どれも統一感の無いものばかりだ。

 星の軌道、肥料の配合の他にも、人口統計やら、税収やら、商品の売上の推移やら、とにかくありとあらゆる数字に関する資料が、この山小屋には一見無秩序に、モニカにしか分からない秩序にのつとり、並んでいる。

 アニーは数学の博士という説明に、それなりに納得してくれたらしい。


「ふぅん、じゃあ、昨日きのうからうちの村に来てる人も数学の博士なんだ」

「……え?」

「モニカの同僚って人がね、うちの村に来てたの。モニカの小屋に行きたいって言ってたから、あたしが道を教えたんだ。もうすぐ来ると思うよ」


 同僚。

 その一言に、モニカの顔はみるみる青ざめる。

 モニカはぶかぶかのローブの下で体をガタガタと震わせつつ、歯の根の合わぬ声でアニーにたずねた。


「そ、その人って、どっ、どっ、どんな、人っ……?」

「私です」


 よく通る声は、モニカの背後で響いた。

 モニカののどがヒィッと鳴る。

 ギクシャクと振り向けば、そこには艶やかなくりいろの髪を三つ編みにした美丈夫が扉にもたれて微笑ほほえんでいた。

 そのそばには、メイド服を身につけた金髪の美女が控えている。

 男の方が身につけているのは立派なフロックコートにステッキ、かた眼鏡めがね。どこから見ても、洗練された上品な紳士である。

 なにより、どこか女性的な線の細い顔立ちは、大抵の女性ならうっとりとれそうな程に整っていた。

 だが、モニカは恐怖に目をき、必死で悲鳴をころす。


「ルルルル、ルイ、ルイ……ス、さん……」

「人の名前を、ルルルル・ルイルイスなどと、愉快な名前にしないでいただけますかな?」

「ひぃっ、ごめっ、ごめんなさっ……」


 男は半ベソのモニカには目もくれず、アニーにニッコリ笑いかけた。

 そして少女の手を取り、そこにあめだまを載せる。


「道を教えてくださり助かりました。お嬢さん」

「どういたしまして」


 ぼうの客人にアニーはニッコリと淑女らしい礼を返すと、飴玉をポケットに放り込む。


「それじゃあ、お仕事の話の邪魔をしちゃ悪いから、あたしはこれで失礼するわ。バイバイ、モニカ。また一ヶ月後に!」


 アニーはヒラヒラと手を振ると、いつもよりしとやかな足取りで小屋を出て行った。

 荷車を引くガラゴロという音が遠ざかっていくのを絶望的な気持ちで聞きつつ、モニカは目の前の男を涙目で見上げる。

 フロックコートとステッキで擬態しているが、本来の彼は金糸のしゆうを施したローブを身につけ、立派なつえを握りしめている魔術師である。背後に控えているメイド服の美女は、人間ではなく彼と契約している精霊だ。


「お、お久しぶりです……ルイス、さん」


 震える声であいさつをすれば、男は胸に手を当てて、優雅に一礼をした。


「えぇ、お久しぶりです。七賢人が一人〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレット殿」

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