一章 同期が来たりて無茶を言う ③


       * * *


 魔力を行使して奇跡を起こす魔法。その中でも、詠唱によって魔術式を編み、魔力を行使する術を魔術という。

 魔力の行使にけた精霊などの種族であれば、魔術式も詠唱も必要としないのだが、人間は詠唱をしなくては魔力を扱うことはできない。

 短縮詠唱という技術で詠唱を短縮することはできるが、それでも数秒の詠唱は必要なのだ。

 ところが、その不可能を可能にしてしまった一人の天才少女がいた。

 名をモニカ・エヴァレット。人見知りでまともに人間と話ができず、山小屋に引きこもっているこの少女こそ、リディル王国における魔術師の頂点、七賢人が一人〈沈黙の魔女〉である。

 モニカは現存する魔術式のすべてを無詠唱にできるわけではないが、およそ八割程度の術を無詠唱で行使することができる。

 魔術師の最大の弱点は詠唱中に無防備になること。ともなれば詠唱時間が戦場において、いかに生死を左右するかは言うまでもない。

 上級魔術師の中には、短縮詠唱を使って詠唱時間を半分にする者もいるが、それでも無詠唱ができる者は世界でもモニカ一人しかいない。

 だからこそ、モニカ・エヴァレットは今から二年前、弱冠一五歳にして七賢人に選ばれたのだ。

 そんな天才少女が、無詠唱魔術を習得するに至った経緯は、実に単純明快である。

 超絶人見知りであがり症のモニカは、人前でまともに話すことができなかったのだ。

 アニーを相手にしていた時はまだましな方で、面識がない相手や苦手なタイプを前にすると、けいれんして声を発することすらできなくなる。最悪、吐くか卒倒する。当然、詠唱なんてできるはずがない。

 今から数年前、魔術師養成機関に通っていたモニカは、実技試験で詠唱ができず不合格になり、落第寸前の身であった。そこでモニカは考えた。試験官の前だと緊張して詠唱ができない。ならば、詠唱をせずに魔術を使えば良いのだ、と。

 普通なら人見知りとあがり症を克服する努力をするところだが、モニカの発想は斜め上をかっ飛んでいき、そして恐ろしいことに、そのまま才能を開花させてしまった。

 かくして、これっぽっちも感動的ではない理由でモニカは無詠唱魔術をマスターし、トントン拍子に七賢人になってしまったのである。

 まさに、斜め上の努力の行き着いた果てであった。


       * * *


 モニカが暮らす山小屋には椅子が二つしかない。その内の一つも書類が山積みになっていて、滅多に使われることはなかった。

 モニカは椅子の上に積み上げられた大量の書類を見て、持ち上げることをあきらめると、書類に指先を向ける。

 すると、山のように積み重なっていた書類は、まるで一枚一枚が意思を持っているかのようにパラパラと舞い上がり、椅子から机の上に移動した。

 魔術で風を起こすことは、さほど難しくはない。だが、書類一枚一枚をねらった場所に移動させるには、繊細な魔力操作技術が必要になる。

 それを、まるで当たり前のことのように──しかも無詠唱でこなしたモニカに、ルイスが細いまゆをピクリと震わせた。


「相変わらず才能を無駄遣いしまくっているのですね、同期殿?」


 モニカを同期殿と呼ぶこの男もまた魔術師であり、七賢人の一人でもあった。

 その名も〈結界の魔術師〉ルイス・ミラー。

 年齢はモニカより一〇歳年上で、今年で二七歳だが、モニカと同時期に七賢人になったので、モニカのことをしばしば同期殿と呼ぶ。

 ルイスは黙っていれば繊細そうな美しい男だが、竜の単独討伐数で歴代二位を誇るたたき上げの武闘派魔術師である。

 魔法兵団の団長を務めたこともあり、そのらつわんぶりに魔法兵団の団員達から恐れられているとかなんとか。


(ルイスさん、何の用事だろう……ま、まさか、また、竜討伐に行けとか言うんじゃ……)


 とにかく怒らせると怖いので、モニカはビクビクプルプル震えながら、書類の片付いた椅子をルイスに勧めた。

 ルイスは椅子に足を組んで座ると、背後にたたずむメイド服の女に目を向ける。


「リン、防音結界を」

「かしこまりました」


 リンと呼ばれたメイドがコクリとうなずいた瞬間、小屋の周囲の音がパタリと消えた。

 風の音も、鳥の鳴き声も、ありとあらゆる音が、小屋の中と外とで隔てられたのだ。

 棚の上で寝たふりをしていたネロが気持ち悪そうにヒゲをヒクヒク震わせて、金色の目でメイド服の女を見た。

 すらりと長身の美しい女だ。だが整った顔は無表情で、どこか人形めいている。

 詠唱も無しに結界を張ることができたのは、彼女が人間ではなく上位精霊だからだ。上位精霊を従えている魔術師は、国内でも一〇人程しかいない。


「さて、今日は、貴女あなたに頼みたいことがあって参りました」

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