第29話

 閉会式が行われた後、教室で軽いホームルームがあった。連絡事項と翌日の片づけの話を担任から聞き、いったんはお開きとなる。

 しかし祭りはこれで終わりではない。


「まっさか本当に文化祭最優秀賞もらっちゃうなんてな!」「それもこれも奥平おくだいらさんのおかげだよ!」「いやいや、もしかしたらこの俺様のおかげかもしんないぜ。プロのアドリブ、お前らも見たろ⁉」「元、な」「あんだよユウ、水差すんじゃねーよなー」「はいはい、喜ぶのも反省するのもこの後の後夜祭こうやさいでね」


 そう、まだ後夜祭があるのだ。

 みんな荷物を教室に置きっぱなしにして、三々五々廊下に出ていく。

 わたしはその人の流れの中から、一人の女子を見つけ出して声をかけた。


空木うつぎさん」

「ほぇ? どったの小峰こみねさん?」


 彼女は、明るい色の髪をなびかせながら振り返った。

 空木英玲奈えれなさん。

 クラスメイトの派手目な女の子。いわゆるギャルというやつだ。着崩した制服にキラキラにデコられたスマホが、カーストトップの威光いこうを放っている。

 今回の文化祭ではメイク班を担当していた。なんでも将来の夢はスタイリストらしい。

 普段は関わることはあまりないのだけど、この案件を頼むには彼女が最適だろうと思って勇気を出したのだ。


「あのね、空木さんにお願いしたいことがあって――」


 そうしてわたしが要件を伝えると、


「え⁉ マジ⁉ 小峰さんが⁉ いがーい!」


 彼女は大きく目を見開いて柏手を打った。


「お、おかしいかな……」

「んーん、全然! 小峰さん顔立ち整ってるし似合うと思うよ!」

「そ、そっか……。ありがと」


 クラスでも1、2を争うくらい可愛い子にそう言われると、なんだか自信が湧いてくる。


「エレナー! なにもたもたしてんのー!」

「ごめーん! ちょい遅れるー! 先行っててー!」

「りょー!」


 前を歩いていた彼女と仲の良いクラスメイトにそう告げて、空木さんはわたしに向き直る。


「さてと。道具が必要だから、一旦教室戻ろ!」

「うん。わかった」


 そうして、わたしは空木さんとともにきびすを返した。

 ふと廊下の窓を見ると、すでに日は沈みかけていた。さっきまであんなに活気があった正門は、今ではすっかり静まり返っている。


 今年の文化祭。

 始まる前から、いろいろなことがあった。


 片桐かたぎりくんと話すようになって。

 片桐くんと一緒に劇で主役をやることになって。

 片桐くんとお出かけして、その上家にまでお邪魔させてもらって。

 片桐くんと文化祭を回って。


 思い返せば、この一か月くらい、ずっと彼といたように思う。

 実際は全然そんなことはなくて、放課後は普通に部活行って汗水垂らしながら練習して、家ではお母さんやお父さんと他愛のない話をして、休みの日には美理みりと長電話をしたりしていた。

 だけど、わたしの記憶にこびりついているのはほとんどが片桐くんに関することで、最近はついに夢の中にまで彼が出てくるようになっていた。


 楽しかった。

 高校に入って一番充実していた時間だったと思う。

 わたしはこの幸せな日々を終わらせたくない。

 今となっては、王子様を辞めたらまた身長のことでいじられるんじゃないかとか、もうそんなことどうでもよくなっていた。

 周りの人にどう思われようとも、片桐くんに一人の女の子として見てもらいたい。

 彼に振り向いて欲しい。

 だからそのために手を尽くす。

 わたしの戦いは、これから始まるのだ。



     *



 グラウンドには大きな炎が立ち上っていた。パチパチとぜた火の粉が、紫紺しこんの空へと舞い上がる。

 その周りを囲むのは我ら叡星えいせい高校の生徒たち。


 毎年恒例、後夜祭のキャンプファイヤーだ。

 生徒や教員が一同に会して祭りの余韻よいんを楽しんでいた。

 僕ら2-Bの生徒たちも、賑やかに今日の文化祭のことを語っている。

 どこどこのお店が良かったとか、先輩のバンドを見に行ったとか、俺たちは有志でコントをやったとか。


 でもやっぱり、自分たちのクラスの出し物についてが一番熱い話題だった。

 なにせ文化祭最優秀賞をもらってしまったのだ。

 とりわけ情熱を注いでいた奥平なんか、


「う゛わああぁぁぁぁ~~~~~! み゛んなザイコーだったわ゛~~~~~!」


 この通り大号泣だ。

 文化祭が終わってすぐはいつものすまし顔だったのに、ここに来て揺らめく炎を見た途端、涙腺るいせんが決壊してしまったらしい。

 鬼監督の威厳はどこへやら。今はクラスのみんなから、暖かい視線を送られていた。


「奥平さんありがとー!」「おかげですっごい楽しい文化祭になったよ~!」「響子きょうこちゃんめちゃくちゃ頑張ってたもんね」


 みんなの言葉に、奥平はまた涙をあふれさせる。

 優秀賞の決め手はとなったのは最終公演のアドリブだった。

 不測の事態に臨機応変りんきおうへんに対応できる柔軟性と、それを可能にした地力じりきの高さが評価されたらしい。閉会式で校長が鼻息荒く語っていた。


 たしかにあの即興劇を敢行かんこうしたのは僕だが、それは奥平による熱烈な指導の賜物たまものだったと思う。彼女のスパルタレッスンが、あの場でのファインプレーを編み出したのだ。

 そんな功労者に、僕もねぎらいの言葉をかける。


「お疲れ、奥平」

「片桐ぐん~~~! あなたも素晴らしかったわ゛~~~! 観客の男どもみーんな興奮してたわよ。あなたのパンツ覗こうと必死だったもの!」

「さ、さいですか……」


 僕は苦笑いする。

 褒められているのはわかるが……正直全然喜べない。


「俺俺、俺はどうだった⁉ この横山よこやま誠司せいじ様の天才的な演技はよ!」


 誠司はいつもの感じで自惚うぬぼれていたが、


「よ゛ごや゛ま゛~~~! あんたほんっと天才だわ! もうそのままプロ名乗っても通用するわよ!」

「おう……? そ、そっかよ……」


 辛辣しんらつな言葉を浴びせられると思っていたのか、調子っぱずれな感じで気恥ずかしそうにしていた。心なしかその横顔も紅潮こうちょうして見える。


「てか、小峰さんはどーしちゃったわけ⁉ 早く来なさいよボコボコに褒めてあげるんだから!」


 顔をぐしゃぐしゃにしながら奥平はグラウンドを見渡す。

 そうなのだ。

 もう後夜祭は始まっているのに、未だに小峰の姿が見えなかった。

 先に帰ってはいないだろうがこのまま現れないとなると僕としても困る。

 きょろきょろと辺りを見渡していると、クラスメイトの女子が「小峰さん遅れて来るってー!」と教えてくれた。


 ――良かった。ちゃんと来てはくれるんだ。


 安堵あんどの息を漏らしつつ、僕はこのひと時を楽しみながら小峰が来るのを待った。

 グラウンドのど真ん中で燃え盛る炎は風に煽られごうごうとその勢いを増す。

 他クラスも教員たちも一緒くたに騒がしい。

 放送部がかけたポップソングに合わせて踊ってる連中。朝礼台に上って漫才をしているやつ。離れたところで密談するカップル。へたり込んでいる文化祭実行委員。

 歌ったり踊ったり笑ったり泣いたり喋ったり。それぞれが思い思いのやり方で祭りの余韻に浸っていた。


 ――今年の文化祭もいろいろあったな……。


 そんな風に、僕もこの一か月の出来事を振り返っていると、


「なあなあなあ!」


 お手洗いに行っていた男子が、信じられないものを見たといった様子で戻って来た。


「な、なんか校門んとこにえれー美人がいたんだけど……」

「なに⁉ そいつぁ放っておけねーな!」


 彼の言葉に、誠司が過敏かびんに反応する。美人という単語に惹かれたのだろう。その目にはギラギラとした炎が宿っているようだった。


「なあ柴田しばた、その人どんな感じだった?」

「それがよ、背ぇめっちゃ高くて、大人っぽい顔立ちで、身体つきもエロくて……」


 その男子――柴田の証言に、僕はなんとなく既視感きしかんを覚える。

 彼はぽわぽわと夢魔むまにでもかれたようにほうけた顔で続けた。


「マジ、ファッション誌のモデルみたいさ。でも俺らと同じ学校の制服着てたんだ……そうそう、ちょうどこんな感じの――」


 そう言って柴田は隣に並び立った女子を指さし、


「どぅわぁっ‼」


 思いっきり飛びのいた。

 柴田の側に立っていたのは、期待を裏切らず小峰だった。


「どうも。遅くなりました」


 小峰はそう言って僕たちに軽く会釈えしゃくをする。

 ただいつもと違うのは――


「え⁉ どうしちゃったの小峰さん!」「すごーい! ちょーキレー!」「てか普段メイクとかしてなかったよね⁉」


 女子たちが言うように、今の小峰はナチュラルなメイクをほどこしていた。

 チークをさし、シャープな瞳にはアイシャドウで大人っぽい印象を与える。桜色のリップはほのかな色気をかもし出して、そのままレッドカーペットを歩いても遜色そんしょくのないような美しさだ。


 唐突なイメチェンにクラスメイトたちは大いに驚いた。

 当然僕もだ。


 ――おお……!


 思わず生唾を飲み込む。

 今まででも十分魅力的だと思っていた女の子が、さらにその数倍くらいの美貌で現れたのだ。これで平気でいられる方がおかしいだろう。

 一方、男子たちも気が気ではないようだった。


「小峰っておっぱいのついたイケメンだと思ってたのに……あんな美人だったのか……」

「今まで王子様キャラだったから眼中になかったけど……アリ寄りのアリだな」

「むしろ土下座して頼むレベル」

「俺、声かけてこようかな」

「お前抜け駆けすんなよな⁉」


 そういった声がそこかしこから聞こえてくる。

 瞬く間に、小峰は話題の中心となった。


「ほんとにモデルみたーい!」「わたし今の小峰さんでも全然いけるわ~」「ねえねえ小峰さん、一緒に写真撮ろーよ!」


 そのかたわらでは、空木というギャルが「どう⁉ ウチの技術すごいっしょ⁉」とピースをしている。どうやら小峰にメイクを施したのは彼女のようだ。

 やんややんやと盛り上がる彼ら彼女らを、僕は少し離れたところで見ている。


「いいのかよユウ。小峰さん大人気だぜ」


 こちらに近寄って来た誠司が言う。


「そうは言ってもなあ……って」


 弾かれたように誠司の方を向いた。

 小峰のことを好きな気持ちは、まだ誰にも話していないはずだ。

 僕は観念してふっと息を吐き、


「やっぱ気づいてたんだな」

「おうよ。なんてったって俺ぁ恋愛マスターだぜ」

「それまだ引っ張るか」


 苦笑しつつ、視線は向こう側に移す。

 小峰の周りには、噂を聞きつけた他クラスの生徒たちも集まっていた。

 時折、男子が小峰に話しかけているのも見かけた。

 彼女は戸惑いながらもそれを拒もうとはせず、たどたどしく会話をつむいでいる。

 以前までなら考えられなかった光景だ。

 イメチェンの真意は定かではないが、小峰の中にも相応の変化があったのだろう。

 彼女の成長を喜ばしく思う反面、焦ってしまう自分がいた。


「うかうかしてっと他の男に取られちまうぜ」


 僕の心を見透かしたように誠司が言う。


「……それもそうだよな」


 僕は重い腰を上げた。

 どのみちやることは決まっているのだ。

 ちょうど人の輪から出てきた小峰に、僕は駆け寄って、


「小峰、少し話したいことがあるんだけど、いいか?」


 そう声をかけた。


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