第28話
体育館には、これまでの公演で一番人が集まっていた。
多くの生徒はこの後すぐに行われる閉会式に出るついでに、せっかくだからと僕たちの演劇を見に来ているのだ。それに加えて父兄や他校生、地域住民まで訪れているのだから、300ほど設けられた席はすでに満杯。立ち見もちらほら見受けられるくらいだった。
そんな大勢の観衆が今か今かと開幕を待つなか――
舞台袖で控える僕たち演者班には、言いようもない懸念が広がっていた。
「
クラスメイトの女子が声をかける。
「うん。全然平気。迷惑にならないよう頑張るよ」
小峰は自分の出番ギリギリまでアイシングで痛みを和らげようとしていた。段差に腰を下ろして、患部に
彼女はこの劇一番の見どころだ。実際小峰を目当てに見物に来ている人も多くいるし、なんならアイドルを応援する時みたいなうちわを自作して持ってきている女子もいた。
そんな劇の中核を担う人材が不調なのだから、当然他の役者たちの
「小峰さんのことはもう心配しても仕方ないわ。あなたたちは自分ができることを全力でやりなさい。いい? わかったら返事!」
「「「は、はいっ!」」」
本人は
それに大きなミスがなくとも、以前の公演で見せたような100%の演技はもう不可能だ。
今までで最も多い観客の前でそれは彼女としても口惜しいはずである。
「2-Bさんそろそろ始まるんで準備お願いしまーす」
そうこうしているうちに、舞台のスケジュール管理を担当する文化祭実行委員からお呼びがかかった。
「じゃあ、みんな頑張って。私は観客席で応援してるわ」
言って、奥平は舞台袖から出ていく。
暗雲立ち込める僕たちとは裏腹に、会場は大歓声で最終公演が始まった。
*
中盤までの展開は
いくら緊張する本番とはいえ、これでもう四回目だ。
セリフも動きも洗練されており、ここまでは間違いなく過去最高の出来栄えと言えるだろう。
観客も思いのほか本格的な演劇に感心しているようだった。
だが、問題はこれからである。
『イーヒッヒッヒッ! これで白雪姫は死んだ! この世で最も美しいのはワタシさ!』
僕が演じる白雪姫が毒リンゴを食べて死に、老婆に
舞台は暗転し、次のシーンへと移った。
――『白雪姫が死んでいることに気づいた小人たちはひどく悲しみ、三日の間泣き続けました。小人たちは白雪姫を土に埋めることはできず、
ナレーターが言い終わり、照明が
森の中。
棺を模した台の上に、僕は寝かされている。
周りを小人と動物たちが囲んでいて、わんわんと泣き声が聞こえてきた。
――『そこへ、棺の中で眠っている姫を一目見ようと、隣の国の王子様がやって来ました』
ようやく小峰の出番だ。
上手の方からカツカツと靴音が響く。
『ここに姫君がいると聞いて来たんだけど……。おや、これは噂通り美しい姫君だ』
僕の顔を覗き込んで(いるであろう)小峰が言う。その声音は凛々しく落ち着いていて、まさにイケボと言うにふさわしいものだった。怪我の影響など微塵も感じさせない。観客の女子たちもキャーキャーと
『小人たち。この棺をボクに譲ってくれないかい? お金ならいくらでもあげるから』
『どんなにお金をもらっても、この棺はあげられない。この子は私たちの大切な娘なのだ』
『……困ったな。ボクはもう、彼女に恋をしてしまったんだ。白雪姫を見ずには生きていられない』
――『すると、王子様が来たとの知らせを聞いたお妃様がやって来ました』
『これはこれは王子様。こんな醜い死体など放っておいて、我が宮殿にいらしてください。ワタシの美しい娘たちをご覧に入れて差し上げます』
誠司の声が聞こえる。
目を閉じていてもゴマをすり
彼の演技が本物であることは、すでに僕たち2-Bの共通認識だった。
『醜い? 彼女はこんなにも美しいじゃないか。たとえ遺体であっても、あなたの100倍は素敵さ』
売り言葉に買い言葉。王子の挑発に、妃は激怒した。
『なぁ~~~にぃ~~~⁉ おのれ白雪姫! 死してなおワタシより美しいとは~~~! お前たち! 奴の死体をズタズタに引き裂いておしまい!』
バタバタと足を踏み鳴らして、妃の手下である男たちがやって来る。
――さあ、ここからだ。
このバトルシーンを上手く切り抜けられるか否かで、この演劇の成敗が変わってくる。
僕は祈りながらゆっくりと目を開けた。
もちろん設定上白雪姫は死んでいるので、バレない程度の
刺すように強烈なステージライトに目を瞬かせながらも、徐々に目を慣らして舞台の様子を確認した。
果たして――そこには、前回公演と全く変わらないキレをもって乱舞する小峰がいた。
素人とは思えない剣
『ぎゃっ!』
『ぐあぁっ!』
そんな王子の猛攻に、手下たちは悲鳴とともに
最初は怪我に配慮して動きがためらいがちだった彼らも、次第に威勢を取り戻して
――良かった。これなら無事に終わりそうだ。
そう安堵の息を漏らした、次の瞬間だった。
ドサッ!
ステージに膝をつく音。
その主は――小峰だった。
僕たち演者全員に動揺が走る。
観客からも、
「あれ、王子様ピンチじゃん」「昨日こんな展開だったっけ?」「……いや、違った気がするけど」
ざわざわとそんな声が漏れ聞こえてくる。
『くっ……! な、なかなかやるな……!』
王子は
完全なアドリブだ。
『ヒッヒッヒ! 王子とは言っても数の力には勝てないものねぇ……。白雪姫に惚れるような愚か者なんざ用なしだわ。お前たち! じっくりいたぶってやりなさい!』
だがそんな不測の事態にも、元子役は完璧な返球をする。
さすがの対応力だ。彼のおかげでなんとか不自然な展開にならずに済んだ。
……と、思ったのもつかの間。
『っ、でやぁっ!』
王子はとっさに立ち上がり、再び手下と剣を交える。
しかしその動きは先ほどと比べてはるかに鈍い。
手下を演じる男子たちも、どうしたらいいかわからず
その場で固まってしまったり、攻撃されてもいないのに『う、うわぁっ!』と倒れる演技をする者まで出てくる。
明らかに演技がグダグダになり始めた。
極めつけは――
『わっ!』
足を
幸い顔を打ったりはしなかったようだが、持っていた剣が遠くに投げ出されてしまう。
これには観客も誤魔化せなかったらしい。
「あれ演技じゃないよな」「痛そー」「小峰先輩どうしたんだろ……」「ちょっと様子おかしくない?」
こちら側のハプニングを悟ったのか、心配する声が上がる。
『……ま、まだだ……』
王子はよろよろと立ち上がって、落とした剣を拾う。
だが状況が好転したとはいえない。
無理に身体を動かしたせいで、彼女の足には相当な負担がかかってしまったようだ。
王子を負けさせるわけにはいかない。
しかし、王子はすでに
観客も固唾を飲んで劇の行く末を見守っていた。
『ヒ、ヒヒヒ……どうやらここまでのようねぇ……』
妃役の誠司も困惑したようにセリフを付け足す。
手下たちが王子の周りを取り囲み、じりじりとにじり寄った。
――なにか……! この状況を打開する策は……!
僕は必死に思考を巡らす。
棺に横たわって、物を言わぬまま。
僕は自分の境遇を呪った。
小峰は王子。僕は姫。
苦痛に顔を歪めながらも戦う彼女を尻目に、棺桶の中でじっと待つことしかできない。
そんな時、頭の中で火花がはじけたような感覚に襲われた。
――いや、本当にそうか?
僕は自分の考えを脳内で精査する。
――これが成功すればこの状況を打開できる。でも、こんなことしたらストーリーの根幹が……。
『そこのお前! 王子の脳天をかち割ってやりなさい!』
これ以上この
その手下――
迷っている暇なんて、ない。
僕は棺から飛び起きて彼の背中に、
――ごめん柴田……!
『うらあああぁぁぁぁ!』
渾身のタックルをかました。
『ちょ、え、おわぁっ⁉』
彼は突然の出来事に素で驚き、
『あーあ! もう見てらんない!』
観客も演者もポカンとするなか、
『アタシの前でそんなみっともない顔しないでくれる⁉』
みな混乱していた。
毒リンゴで死んだはずの白雪姫が、唐突に跳ね起きて乱戦に加わったのだ。
話の流れもへったくれもない。ただの暴挙だ。
それでも僕は止まらなかった。
『でりゃあああぁぁぁ!』
小さな身体を
――ごめん
『次は誰⁉ どっからでもいいわ! かかってきなさい!』
言って、敵陣のど真ん中でファイティングポーズ。
『君は……』
王子が当惑したような目でこちらを見る。
『アンタが不甲斐ないから手伝ってやるわ! こいつら全員倒すんでしょ⁉ アタシはこっち、アンタはそっち!』
『ああ……! わかった!』
僕の言葉に、王子も気勢を取り戻したように敵を見据える。
『……ヒヒヒ……イーヒッヒッヒッ! どうやらまた殺されたいようねぇ白雪姫! いいわ、ワタシがこの手で
先ほどまで尻込みをしていた妃も、調子を取り戻して高らかに言った。
手に持っていた杖を剣のように構え、手下に号令をかけて襲い掛かってくる。
そこから先は完全なる即興劇だ。
王子は負傷している足をかばいながらも剣を振り乱して敵を切り伏せる。
僕は僕で、
素人丸出しのパンチとキックで、それでも果敢に戦う。
途中、スカートが
話はめちゃくちゃでも、王子側のピンチが
「小峰先輩頑張ってぇー!」「いいぞ二人ともー!」「
『くっ……! 今日はここまでにしといてあげる!』
決死の大乱闘の末、妃はそんな捨て台詞を吐いて退散した。
森は再び平穏を取り戻した。
物陰に隠れていた小人や動物たちが出てきて、白雪姫の復活を喜ぶ。
『ありがとう。君のおかげで助かったよ』
『途中はどうなるかと思ったけどね』
本音混じりの僕のセリフに、王子は苦笑した。
『はは、それを言われると弱るなぁ』
『ま、アタシを助けようとしてくれたことは評価してあげる』
『それは良かった。なら、お姫様』
言って、王子はその場に跪き、
『ボクと結婚してくれませんか』
そのセリフに、観客の女性陣がにわかに色めき立つ。
差し伸べられた手を僕は弾くように握り、
『いいわ。アタシに肩を並べられる男になるよう、せいぜい努力することね!』
言うと、会場からは万雷の拍手が送られた。
軽快な音楽とともに全キャストが登場して、大団円のエンディングを迎える。
こうして2-Bの演劇、『男女逆転白雪姫』は、大成功で幕を閉じた。
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