第27話

 文化祭も二日目に突入した。

 午前の公演も終えてすべての工程がとどこおりなく進む。

 特に大きなトラブルもなく、今年の文化祭は大満足で終わりを迎えられそうだった。

 惜しむらくは昨日みたいに小峰こみねと一緒にいれなかったことだ。

 だが彼女にも部活仲間との付き合いがあるだろうし、僕も生徒会の面々や仲の良いクラスメイトとの約束があった。

 まあ、そういうのはまた今後機会が訪れることだろう。

 ……告白が成功すればの話だが。


 さて。

 僕たちのクラスの劇は次が最終公演だ。

 奥平おくだいら暗躍あんやくしてくれたおかげで、僕たちの演劇は体育館で行われる最後の演目だった。

 閉会式が体育館で挙行きょこうされる都合、毎年ステージ上演のトリは多いに盛り上がるものとなる。

 そんな千秋楽せんしゅうらくに向け、控室となってる2-Bの教室は今まで以上に騒がしかった。

 教室を開けると、


「やばーい緊張してきたー!」

「なに今さらー? もう三回もおんなじことやったしいけるっしょ」

「あーあーあー。ん゛ん゛っ。あー」

「白雪姫はあなたよりも100倍美しい…………白雪姫はあなたよりも100倍美しい…………白雪姫はあなたよりも100倍美しい…………」

「これで衣装着るの最後だし、写真撮んね?」

「いいね! 撮ろう撮ろう!」


 緊張にせわしなく席を立つ者、喉の調子を整える者、台本を最後の最後まで徹底して読み込んでいる者、陽気にスマホをパシャパシャしている者。

 ここにいる者はみな、この文化祭を最高の形で締めくくろうとしているのだ。

 衣装に着替えてパーティションから出ると、僕の下にはすぐに奥平が駆け寄って来た。


空木うつぎさんいるー⁉ 片桐かたぎりくんにメイクしてあげてー!」

「はいよー!」


 そうして、僕は女子に引っ張られてドレッサー代わりの椅子に座らされる。

 と、ここでふとあることが気になった。


「小峰はまだ帰ってきてないんだな」


 僕の質問に、奥平は嘆息しながら答える。


「ええ。早めに戻ってきてって言ったのに。一体どこで油売ってるのかしら」


 大方部活仲間と校内を歩き回っているのだろうが……。


 ――妙だな。いつもの小峰だったら遅刻なんてするはずないのに。


 僕がそう首を傾げていると、


 ガラッ!


 教室の戸が荒々しく開けられた。

 そこにいたのは――他クラスの女子生徒だ。


「ちょっと、ここは2-Bの生徒以外は立ち入り禁止のはずだけど?」


 闖入者に、奥平が怪訝けげんそうに眉をひそめた。

 しかしその女子生徒は立ち去ることなく息を切らしながら言う。


「ハァ……ハァ……突然すみません。でも、あの……明日香あすかが……!」



     *



 女子生徒からの報告を受けた僕と奥平は、すぐさま保健室へと走った。


「小峰さん!」


 鬼気きき迫る様相で奥平が戸を開ける。

 中にいた養護教諭が驚いて振り返る。

 彼女はシー、と人差し指を口に当てた後、僕たちが小峰の友人だと察したらしく手招きをした。


 小峰は奥にあるベッドのへりに、足を投げ出して座っていた。

 僕たちが近づくと、彼女は所在しょざいなげに視線を彷徨さまよわせてから、観念したように渇いた笑みを浮かべる。


「ごめん。足やっちゃった」

「なにがあったの……?」


 神妙な面持ちで奥平が問いかけ、小峰は罪を自白するみたいに重々しく口を開いた。


「中庭にモニュメントあったじゃない? ほら、トーテムポールみたいなやつ。部活の人たちと中庭歩いてた時、急にそれが倒れてきたんだ。で、木製だったし支えられるかなって思ったら案外重くて踏ん張った時に……」

「足くじいちゃったってわけね」

「……うん。本当にごめん」


 小峰は沈痛な表情でうなだれる。

 そんな彼女の顔を覗き込むようにして、僕は言った。


「小峰が謝るようなことじゃないだろ。見過ごしてたら、もっと重症を負う人がいたかもしれないし」

「片桐くん……」


 中庭のモニュメントは、この文化祭のために美術部が作った物だ。高さはせいぜい2mくらいでそれほど大きな代物でもない。

 しかし、あれが倒れたとなればかなりの危険があったはずだ。むしろたった一人の捻挫ねんざで済んだこと自体が奇跡とも言える。


「足、痛むか?」


 僕はひざまずいて彼女の足を観察する。素足のくるぶし辺りにはテーピングがほどこされていた。


「うん……まだちょっと。でも、これくらいは部活で慣れてるから平気だよ」

「そうか。だけどこの状態で最後のアクションシーンは……」

「無理ね」


 僕の言葉を引き継いで、奥平がぴしゃりと言い放つ。


「そんな……!」

「このままあなたにアクションシーンを演じさせるのなんて、監督として到底許可できないわ」


 奥平は振り返って、


谷口たにぐち先生、今の彼女の足、どういう状態ですか?」


 彼女の問いかけに、後ろにいた養護教諭――谷口が答える。


「それほど重症じゃないし、安静にしていればすぐ治るだろうけど……激しい運動は控えてほしいところね」


 谷口が言うと、奥平は再びこちらを向いた。


「わかりました。……ということで、別の手を打ちましょう」

「別の手って?」


 僕は訊いた。


「最初に立ち戻って、台本を原作準拠にさせるわ。アクションシーンはナシ。削るだけだから新しいセリフもないし、少し調節すれば形は取りつくろえる。これが一番合理的よ」

「でもそれじゃあ……」


 小峰がおずおずと奥平を見る。

 最後のシーンがないと、演劇随一ずいいちの魅力である王子のキャラが立たない。パッと出てきて、白雪姫を蘇らせて、それで終わり。セリフも一言二言しかないし、盛り上がりに欠ける。

 なにより、その場面にだけ登場するキャラもいるのだ。妃の手下役の男子たちは、敵役でやられ役とはいえ舞台に立てることを喜んでいた。

 シーン丸ごと削るということは、彼らの出番も根こそぎカットされるということだ。


「そんなの……絶対にダメ。わたしやるよ。最後まで演じてみせる」


 言って、小峰は瞳の奥に闘志をたぎらせる。

 彼女としてもここで引くわけにはいかないのだろう。

 本人に過失はないとはいえ、自分の怪我で割を食うのは他人なのだから。


「お願い奥平さん。わたしに主役をやらせて」


 切実に訴えかける小峰に、奥平も根負けしたようだ。

 ほう、と息を吐いてから、


「そこまで言うなら……わかったわ。小峰さん、ちょっと立って歩いてみて」


 奥平は腕組をして試すような目つきで顎をしゃくる。

 小峰は上履きに足を入れると、腹をくくったように立ち上がった。

 スタスタと保健室の中を歩いて見せる。


「……っ!」


 途中、痛みをこらえるように目をすがめたが、


「ほらね。問題ないでしょ」


 それでも凛然りんぜんと振り向いて、アルカイックスマイル。

 たしかに傍から見た感じは問題なさそうだ。舞台の上ならなおさら違和感はなくなるだろう。


「ねえあなた、本当に大丈夫なの?」


 養護教諭谷口が、心配そうに小峰を見た。


「はい、もう大丈夫です。あ、氷嚢ひょうのうだけ借りていってもいいですか? 終わったら返すので」

「え、ええ……それはいいけど……」

「ありがとうございます。片桐くん、奥平さん、心配かけてごめんね。早く教室戻ろう。時間なくなっちゃう」


 そう言って、小峰はわざとらしく小走りして保健室を出て行った。

 その背中を見つめながら、僕は奥平に声をかける。


「行かせてよかったのか?」

「本人が平気って言うんだから、信じるしかないでしょ」

「そりゃあまあ……」

「それにね」


 奥平は銀縁眼鏡の奥底になにかを見るようにして言った。


「ああいう手合いは一度やるって決めたらあとはなに言っても聞かないのよ。私もそうだから」

「……そうか」


 そうして、僕たちも小峰の後を追った。


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