第26話

「はぁ……はぁ……。ここまでくれば大丈夫だろ……」

「そうだね……」


 たどり着いたのは校舎の隅っこにある非常階段付近。

 祭の喧噪けんそうも届かぬこの場所で、僕たちは一息ついていた。


「そういや、さっきのとこで景品もらい損ねたな」


 僕は手元に残った得点カードに視線を落とし独りつ。


「ごめんね片桐かたぎりくん……わたしのせいで……」

小峰こみねのせいじゃないだろ。あの1年生たちだって悪気があったわけじゃないんだし。大勢に劇の宣伝ができたって考えれば儲けもんだ」

「うん……ありがと」


 そう言って彼女は小さく頷く。

 息も整ってきたところで、僕は小峰に向き直った。


「そんで、『お願い』ってなんだ?」

「あ……それは……」


 彼女は言葉を濁してはにかむ。


「安心しろ。よほどの無理じゃなきゃ言うこと聞くから。そういう約束だったしな」

「そ、そうだよね……」


 そうして、小峰は意を決したように口を開いた。


「あ、あの……あのね……!」

「おう」

「頭……撫でてほしいの……」

「……え?」


 頭撫でてほしいの?

 なぜに?


「ほら! わたしデカいじゃん⁉ だからもう早い段階で一人前扱いだったというか、お母さんとかも結構かまってくれなくなったりして、だけど子供ながらに甘えたりしたい時があったりなかったりつまりええと――」

「いいよ、わかった」

「べ、別に片桐くんが嫌だったら全然断ってもらっても――って。え……?」


 自分で言っておいて信じられないとでも言うように目を丸くして、


「ほんとにいいの……?」

「ああ。それくらいお安い御用だ」

「でも……こんな歳になってまで甘えたがりとか絶対おかしいし……わたしの事、変なやつって思わない?」

「思わないよ。誰にだってそういう時はあるさ」


 それに、厄介な身内がいるせいで自分より大きな女性を甘やかすのは慣れている。

 アレはもう24歳にもなるのに、未だに「トイレ行きたいけどお化け怖いよぉ……」と、夜中僕を叩き起こすのだ。面倒で断ったら、「じゃあユウくんの部屋でおしっこ漏らすよ⁉ いいの⁉」と最低な脅迫をしてくる。あの時手が出なかった僕を誰か褒めてほしい。


 とまあ、許容範囲の最低ラインを日々更新し続けるあの珍妙奇怪ちんみょうきかい実姉じっしのおかげで、僕は並大抵のことでは揺らがない度量を手にしていた。

 今さら「頭撫でて」なんてお願いで引くわけがない。

 ……まあ、相手が相手だから緊張はするが。

 小峰は僕の言葉に安心したらしく、頬を緩ませて胸に手を当てていた。


「そ、そっか……それならお願いしちゃおうかな……」

「おう」


 そうして僕たちは正対し、


「……」

「……」


 スッ↓

 小峰がその場にしゃがみ込む。

 無言の配慮に心を痛めながらも、僕は正面から彼女を見据えた。


 ――これはまた新鮮な……。


 小峰が上目遣い(!)で僕のことを見てくる。

 その光景に、ドクンと心臓が跳ねるのを感じた。

 僕は緊張しつつも、手のひらをポンと彼女の頭に置く。

 そしてゆっくり撫でてやった。


「にへへ……」


 か、可愛い……。

 目を細め、気持ちよさそうに僕の手を受け入れる小峰。

 その姿にはどことなく犬の面影があった。

 しゃがみ込んでいる感じもさながらお座りしているみたいだ。

 彼女のサラサラの髪の感触を二度と忘れないと誓いながらこの時間を楽しむ。

 しばらくそうしていると、彼女からこんな進言があった。


「片桐くん、優しくしてくれるのは嬉しいんだけど、もっと激しくしちゃってもいいよ?」

「は、激しく⁉」

「うぇ……? わたし変なこと言ったかな?」

「い、いや……そんなことない……」


 その言葉で卑猥ひわいなことを想像してしまったが、これ、別に僕悪くないよな?


「髪乱れちゃってもいいからさ、こう、両手でわしゃわしゃーって」

「わ、わかった」


 言われた通り、僕は両手で小峰の頭をわしゃわしゃと撫でた。


「ん……ふふ…………」


 どうやらお気に召してもらえたらしい。彼女は先ほど以上に顔をほころばせる。

 踊る毛先からは甘やかな香りが振りまかれ、それがまた僕の心をたかぶらせた。


「んっ……!」


 輪郭りんかくをなぞるようにしていたら、不意に僕の手が彼女の耳に触れてしまった。

 小峰はくすぐったそうに身体をよじる。


「あ……ご、ごめん!」


 とっさに謝るが、小峰は不快感を示すどころかむしろ顔を弛緩しかんさせて、「……いいよ?」と視線で促してくる。


 その仕草に、僕は臓腑ぞうふが焼かれるような感覚を覚えた。


 ――なんだこの可愛い生き物は……!


 今すぐ彼女を抱きしめたい衝動に駆られる。

 ほとばしる熱いパトスを必死に抑え込みながら、僕はその情念を彼女の頭を撫でることで還元した。

 もはや耳や頬、額などに触れることすらいとわず、激しく彼女の頭部をわしゃわしゃする。


「んふ、うふふふふ……あっ、そこは……やんっ」


 僕たちはお互い満足するまで、そんな痴態スレスレの行為にふけっているのであった。


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