四章
第22話
全校生徒を収容した体育館は興奮と熱気のるつぼだった。
色とりどりのクラスTシャツが虹のように整列している様は圧巻だ。
みな祭りが始まる瞬間を、今か今かと待ちわびている。
僕は舞台袖からちょこっと顔を出して、その様子を見、肌を震わせた。
――ついに文化祭か。
全校生徒の期待をこの身に感じながら手を閉じたり開いたり。
「うん。しっかり緊張してる」
そう呟いたタイミングで、ちょうどインカムから音声が聞こえてきた。
「会長、行けますか?」
「ああ、問題ない」
「了解です。カウントダウン、開始」
10、9、8、7、6、5、4、3、2、1。
音響室から声が届く。
0のタイミングで、僕はゆっくりと舞台袖から出た。
幕はまだ閉じたままだ。
パッ、と照明に照らされ、僕は口を開いた。
「全校生徒の皆さんおはようございます。生徒会長の
開会の言葉を述べる間も、生徒たちはソワソワと落ち着きがない。
そりゃあそうだ。祭りの前の
僕はとりあえず言うべき部分はすべて言い終え、
「とまあ、堅苦しい挨拶はこのくらいにして――」
いったん深呼吸。
そして拳を振り上げ、
「お前ら盛り上がってるかーーーーーー‼‼‼」
「「「うおおおおおおおっっっーーーーーー‼‼‼」」」
彼らはタガが外れたように騒ぎまくり、叫んだり指笛を鳴らす者までいた。
その
「頑張れチビ会長―!」
「小っちゃすぎて見えねーぞー!」
「かいちょー可愛いー!」
「年齢偽ってんじゃねーのかー⁉」
「ミジンコー!」
と、からかい交じりの野次が飛んでくる。
「うるせーーーーーーーーーーー‼‼‼」
負けじと僕も叫んだ。
「チビで悪いかーーーーーーーー‼‼‼」
会場がドッと沸く。
場のテンションは最高潮に達していた。
大盛り上がりのなか、僕はステージの下で控えていた
数秒後、バッ、と僕の背後で幕が開いた。
ステージで控えていたのは、太鼓を携えた和装の集団。
内臓までを震えるような
生徒たちの熱狂と太鼓の音が争うように鳴り響く。
場がホカホカになったところで、僕は舞台袖にはけた。
「大盛り上がりじゃんか」
物陰から現れた
「まあね。会長に就任した時から上手く出来るか不安だったけど、盛り上がってよかったよ」
堅い挨拶からのマイクパフォーマンス。
実はこの流れ、毎年恒例のものなのだ。お約束というやつである。
落としておいて一気に上げることで、生徒たちは興奮の絶頂から文化祭をスタートさせる。
「っぱユウの自虐ネタは切れ味が段違いだな」
「……別に褒められても嬉しくないけど」
「ちなみに年齢誤魔化してるってマジ?」
「マジなわけあるか! 正真正銘17歳だ!」
誠司と
撤収していく彼らに代わり、文化祭実行委員長がステージに立つ。
彼の開幕の言葉によって、
「お待たせしました。それでは皆さん、第21回叡星高校文化祭、スタートです!」
僕らの文化祭が幕を開けた。
*
「うおおスゲー人!」
舞台袖からちらっと館内を覗き感嘆の声を上げるのは――
用意されたパイプ椅子はすでに七割ほど埋まっている。初回公演でこれなら
「
相変わらずクールなイケボで、王子役――
彼女の言う通りだ。
主演二人の写真を使ってポスターを作り、各クラスを回って地道に営業した成果が、この集客につながっている。
「おっしゃ! 気合い入れてくぞ!」
白雪姫役――片桐裕は、子犬のようなあどけない顔に似合わぬ
他の演者たちも、「がんばろー!」「円陣組もうよ! 円陣!」と本番前の緊張感を楽しむようにはしゃいでいた。ガチガチに緊張していないだけ立派なものだ。
舞台袖の薄暗く狭い空間に、人の輪ができ上がる。
「誰が音頭取る?」「ここはこの俺が」「いやそれ絶対ないから」「やっぱ奥平さんじゃね?」
肩を組んだ彼らの視線は、一斉に総監督を務めたこの私――奥平
私は咳払いをしてから、
「みんな、ここまで私のわがままに付き合ってくれてありがとう。悔いが残らないように全力でやりきって、今年の文化祭最優秀賞、2-Bがいただきましょう!」
観客前ということで控えめな掛け声が、舞台袖に響き渡った。
*
開幕寸前で私は観客席に戻った。
椅子を取っておいてもらった演劇部の後輩が、「響子先輩! 始まっちゃいますよ!」と手を振っていた。
私は席に着き、三脚にセットしたビデオカメラを再三チェックする。
「響子先輩の監督作品、楽しみです」
隣で後輩が目を輝かせて言った。
「そんな大したもんじゃないわよ」
自分で演劇の脚本を書いて監督まで務めたのは、実はこれが初めてだ。
正直なところ、部で脚本を書いている先輩や従兄弟が所属している劇団と比べると、そのクオリティは格段に落ちる。
ただ――
「演者のみんなは大したことあるけどね」
私の言葉と同時に、会場全体の照明が落ちた。闇の
間もなくして、クラスメイトのナレーター担当によるアナウンスが始まった。
――『ただいまより、2年B組による演劇、『男女逆転 白雪姫』の上演を始めます』
幕が開くと、ワァーーー! という歓声とともに盛大な拍手が巻き起こる。
パッ、と舞台照明が点いた。
最初にステージに立つのは濃紺のローブを身にまとった横山。
それから鏡に扮した生徒だ。
『鏡よ鏡。この世で最も美しいのはだぁ~れ~』
元役者が見事なオネエ言葉で言う。その
『お妃様、あなたはこの世で最も美しいお方です』
『ンフフフフ。そうでしょう、そうでしょう! ワタシがこの世で最も美しいのよぉ~』
『ですが――』
『ん?』
『白雪姫はあなたよりも100倍美しい』
鏡の言葉に、妃は激怒した。
『ぬわぁーんですって! お・の・れ白雪姫~~~~~! 美しさにおいてこのワタシの右に出るなどなんたる不届き! 絶対に許せないわ!』
地団太を踏み、ハンカチを噛み、これ以上ないといった具合に怒りを
コントのような掛け合いに観客からは終始笑いが絶えなかったが、同時にその見事な演技に感心してもいるようだった。
妃が手下に白雪姫の殺害を命じ、物語は始動する。
舞台が暗転してシーンが切り替わった。
――『一方の白雪姫は、雪のように白い肌、血のように赤い頬、
ナレーターのセリフが終わり、白雪姫は足取り軽くステージを歩きだす。
すると途端に観客が沸いた。
「ガワ゛イ゛イ゛―!」「片桐パンツ見せろー!」「触らせろー!」「せめて太ももだけでもー!」
セクハラまがいの
『ふぁ~あ。今日も良いお天気ね。あら、ごきげんよう猟師さん』
白雪姫が声を発すると、再びざわめきが広がった。
男が演じているとは思えないくらい
アニメチックな少女の声に、会場は一気に引き込まれていた。
「え、あれ本当に男の子なんですよね?」
後輩が横から覗き込むように訊いてくる。
私は腕組しながら頷いた。
「まごうことなき
正直、片桐くんにここまで女役適正があるなんて、私も予想していなかった。
彼とは中学の時から一緒だが、背が低く童顔というだけで見てくれは普通の男子だ。
声変わりもしているし、女っぽい趣味もない。
そんな彼をこれほどまでに完璧な男の娘に仕立て上げているのは、ひとえに、彼の
彼自身は女装するのを嫌がっていたけど、私が「これも仕事の一環だから」と言えば、演技も女声も完璧に仕上げてきたのだ。
どれほど練習したのだろう。
いくら才能があったにしても、相当量の努力が必要だったはずだ。
しかし彼はそれを当然のようにやってのけた。
与えられた仕事は、どんなものでも、徹底的に、完璧にこなす。
それが片桐裕という男子だった。
『わぁ、素敵なお家! 一体どなたが住んでいるのかしら』
その後も、彼の非常に愛くるしい演技は続いた。
妃によって殺されかけて命からがら城を飛び出した白雪姫。
森を
白雪姫の境遇を
ひと時の安息を得て穏やかな日々を過ごす白雪姫。
そんな彼女のもとに、ある日、物売りの
だが、それは老婆に
白雪姫は老婆に渡された毒リンゴをかじってしまい、やがて死んでしまう。
小人たちは嘆き悲しみ、白雪姫を
と、ここでようやく彼女の出番だ。
――『そこへ、棺の中で眠っている姫を一目見ようと、隣の国の王子様がやって来ました』
舞台袖から王子が現れると、
「キャーッ‼」「小峰せんぱーい‼」「好きー‼」「付き合ってくださーい‼」「結婚してーーー‼」
嵐のような黄色い声が体育館を
中には泣き出す女子や、ステージに上がろうとして警備にあたっていた生徒に止められている者までいた。
『ここに姫君がいると聞いて来たんだけど……。おや、これは噂通り美しい姫君だ』
王子が声を発するたびに、観客の女子がバタバタと倒れていく。「鼻血がー!」「高熱がー!」救護する文化祭実行委員は大忙しだ。
「いやああぁぁぁっっっ‼‼ カッコイイぃぃぃーーーーー‼‼」
隣で後輩の女子が騒いでいる。
その様を横目に、私は息を吐く。
――さすがはウチの王子様。片桐くんの人気も十分すごいけど、小峰さんのルックスはもはや凶器ね。
終盤の戦闘パートでも、王子への声援は止まなかった。
白雪姫の
敵の攻撃を
体軸を存分に活用した鋭い突き。
かと思えば剣術だけにとらわれない鮮やかな蹴り。
小峰さんの大立ち回りに、私は震えるような
この
私はただ「向かってくる敵を全員蹴散らす感じで動いてみて」と指示しただけ。
それなのに、彼女はそのまま映画のワンシーンとして起用出来るくらいハイクオリティなものを提供してきた。
彼女は彼女で、とんでもない資質の持ち主だったようだ。
そんな大盛りのアクションシーンを経て物語はラストへ。
王子がキス(当然してるフリ)によって白雪姫を目覚めさせて、二人は結ばれた。
軽快な音楽とともに全キャストがステージに集結し、エンディングと
観客からは
演劇部の後輩も、
「すごかったですよ! 響子先輩!」
興奮状態でそう告げてくる。
「お客さんも満足してるみたいだし、大成功じゃないですか! ね、響子先輩もそう思いますよね⁉」
「……ええ」
私はあまり「自分を褒める」ということをしない。
理想が、見ている先があまりにも高いからだ。
今の自分の立ち位置に満足して喜ぶなんて、ここ数年なかった。
だけど、今日ばっかりは。
「最高じゃない」
私は口の端をひん曲げて、幕が降りてもなお舞台の方を見続けていた。
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