第9話

 またある日。


「クラスの目立つ女子と話してみたらどうだ?」

「目立つ女子……ってことは空木うつぎさんあたりだね。うん、やってみる!」


 僕の提案を、小峰こみねは二つ返事で了承した。

 授業合間の休み時間。

 教室の一角で、賑やかに談笑している女子の集団がある。

 クラス内の中心的な人物が集まった、いわゆる陽キャグループというやつだ。

 小峰は、彼女たちの中でも特に人当たりの良い空木という女子にそろそろと近寄って行き、


「う、空木さん、ちょっといいかな……?」

 と、声をかけた。


 名付けて「虎のを借る狐作戦」。

 その名の通りクラスのイケてる女子たちの会話に混ぜてもらい、そこにいる小峰もイケてる感じに見せようというものだ。


「お、小峰さんじゃーん! ねえねえ、小峰さんはどっちが似合うと思う⁉」

「ええと……」


 僕はその様子を傍から見守る。

 見た感じ、小峰は彼女たち陽キャグループともうまく話せているようだった。

 やはり緊張してしまうのは男子だけらしい。

 加えて、彼女たち陽キャは距離を詰めるのが早い人種ということもあって、誰とでもフレンドリーに話せる素養そようがあった。

 相槌あいづちもうまいし、まごつく小峰に話を振ったりもしている。

 この調子で彼女たちと仲良くなれれば……。

 そう思っていたのだが。

 しばらくすると、小峰が彼女たちの集団から離れて教室を出て行った。

 何事かと思い僕もその後を追う。


「小峰」

「あ、片桐かたぎりくん……」

「どうしたんだ? 予定では休み時間いっぱいまで空木たちと話すってことだったろ」

「そ、それがさ……」


 小峰は恐怖に口の端を歪めるようにして言う。


「ジルスチュアートのフォーエヴァージューシーがブルべでイエベでナーズのマルティプルで……」

「お、おう……?」


 ――なに言ってんだこいつ……?


 そう首を傾げるが、小峰も僕と同じ気持ちだったらしい。

 放心状態で虚空こくうを見つめ、頭からはぷすぷすと煙が立ち上るようだった。

 小峰が言った単語をスマホで検索してみると、どうやらグロスに関するワードらしい。


 ――なるほどね。ギャルたちの会話に混ざったら、専門用語のオンパレードで意味わかんなくて逃げてきたってことか。


 まあ、小峰と彼女たちとでは趣味嗜好しこうも全然違うだろうし、話の内容が嚙み合わなくたって不思議はない。


「あの子たちみんな女子高生だよね……? なんであんな物知りなの……? もしかしてわたしの方が女子高生じゃなかったり……」


 声を震わせながら言う小峰。

 最初の方は上手くいっていたと思うのだが……。


「虎の威を借る狐作戦」、成功とは言い難い結果となった。



     *



「次は、教室で少女漫画を読んでみようと思うんだ」


 今度の提案は小峰からだった。

 たしかに、女子の憧れである小峰が少女漫画なんて乙女チックなものを読んでいたら、周りも「小峰さんってひょっとして……」となるかもしれない。


「作戦自体は良いと思う。……でも小峰、少女漫画なんて持ってるのか?」


 僕の問いに、小峰は大きな胸をポンと叩いて言った。


「まかせて。わたし結構そういうの読むから」

「へえ。ちなみにどんなの?」


 興味本位で訊いたのだが、そこから小峰の語りは止まらなかった。


「あのね、わたしは月刊スウィートっていう雑誌を定期購読してるんだけど、そこで連載してるマリブロっていう作品がすっごい良くてね。あ、でもそれだけじゃなくて他にも――」


 早口で喋る小峰に、僕は完全に置き去りにされてしまう。


 ――意外とマニアっぽいところもあるんだな。


 なんにせよ、少女漫画が好きというのはアピールポイントになるだろう。少々急きすぎな気もするが、「王子様キャラ」の脱色には十分役立ってくれるはずだ。



 そして翌日。

 朝のホームルームが始まるまでの時間、小峰は自席で少女漫画雑誌を広げていた。

 学校でかなり厚みのあるそれを読む姿はなかなかに目立つ。

 思惑おもわく通りそれに気づいた女子たちが寄ってきて、


「えっ、小峰さん少女漫画読んでるの?」

「へぇー。なんか意外だね」

「小峰さんってもっとスポーツ雑誌とか読むイメージだったなー」


 そんな感想をちらほらと漏らす。

 小峰は苦笑してそれに応えた。


「うん、結構好きなんだ。こういうの」


 その言葉に、女子たちはまたもや「へえ~」と感嘆の息を漏らす。

 反応は上々。多少強引なやり方だが、効果は覿面てきめんだ。


 ――今度こそうまくいくんじゃないか?


 と、思ったのもつかの間。


「あ、このキャラ小峰さんに似てない?」


 とある女子が、漫画雑誌の表紙を指さして声を上げた。

 すると周りにいた連中も、


「本当だそっくりー!」「特にこの痺れるような目つきが似てるわぁ」

 と賛同する。


 だが、言われた当の本人は顔を引きつらせるばかり。

 なぜって、彼女たちが指さしたのは女性キャラではなく、その隣でキラキラオーラを放つ男性キャラだったからだ。たしかに少女漫画風に描かれた甘いマスクのイケメンは、中性的な小峰とよく似ていた。


「あーん。私もこのヒロインみたいに小峰さんに抱かれたーい!」


 半ば冗談だろうが、その言葉は小峰の心をへし折るのに十分だったらしい。

 それから彼女が教室で漫画雑誌を広げることはなくなった。

 戦意を喪失そうしつしてしまったらしい。

 その後の小峰は、暗澹あんたんたる表情でこんなことを呟いていた。


「わたしだってヒロインになりたいのに……」


 僕もあの女子たちと同じことを考えてたなんて、口が裂けても言えそうにはなかった。



     *



「こうなったら、もう一回『わたし、実は男子とも気軽に話せますよ?』作戦だ!」

「オッケー任せて!」


 僕も小峰も半ばヤケクソ気味に言い、


「ちょ、ちょっといいかな……?」

「え、俺ですか……? って、わぁ⁉」

「あの、明日のロングホームルームなんだけど……」

「しっ、知らない知らない! 俺、小峰さんの女の子に手ぇ出してなんかないです!」


 作戦は、案の定失敗に終わった。



     *



 昼休み。

 僕は話があると言って小峰を食事に誘った。

 場所は例のごとく人気ひとけのない空き教室だ。

 お互い弁当ということで、食堂なんかの人目につくところに行かなくて済んだ。

 これで心置きなく秘密の会話ができる。


「うーん……どうにもうまくいかないなぁ……。ねえ片桐くん、次はどんな作戦で行けばいいと思う?」


 そう言って、なにかを期待するように僕を見つめる小峰。


「その話なんだけどさ」


 僕は咀嚼そしゃくしていた焼きサバを嚥下えんかし、できる限り柔らかいトーンを意識して言った。


「小峰には申し訳ないとは思うんだけど、もうこういうの終わりにしないか?」

「え……」


 小峰は愕然がくぜんとしたように目を見張る。


「自分で提案しててあれなんだけどさ、やっぱり意味ないと思うんだ。男子と無理して話そうとしたり、できもしない料理をできるように見せたり、話の合わない女子の会話に混ざったり」

「……」


 押し黙ってしまう小峰。伏せられた瞳には反抗的な光が宿っている。


「それって、わたしは女の子らしくなれないから諦めろってこと?」

「や、そういうことじゃなくてさ」


 僕はどう言ったものかと、左手で後頭部をく。

 考えている間、ふと気になってこんなことを口にした。


めし、食わないのか? 昼休み終わっちまうぞ」


 小峰はここに来てから、まだ自分の弁当すら出していなかった。

 僕は気をつかって言ったのだが、彼女は「だって……」とねたように口を尖らせる。


「片桐くん、わたしのお弁当見たら絶対引くよ?」

「? なんで弁当見て引くことがあるんだよ」

「……なにがあっても引かないし笑わないって約束できる?」


 言っている意味がわからず、僕はとりあえず首を縦に振る。

 弁当見て引くってなんだ? イナゴと蜂の子がわんさか入ってるとか?

 そんな僕の懐疑かいぎをよそに、小峰は荒々しい手つきで持ってきたリュックサックを漁る。


 そして出てきたのは――


 ドンッ!

 という効果音が似合いそうな、ドデカい弁当箱。

 小峰はその蓋を開け、モリモリと食べ始めた。

 アルミ製のそれには、ぎっちりと詰められた白米が半分。もう半分には唐揚げ、ミートボール、ミニハンバーグ、ウインナーと多種多様な肉類がひしめき合っている。野菜は隅っこに追いやられたブロッコリーとプチトマトくらい。工事現場で働く人たちでも満足させられそうな、圧倒的なボリューム感だ。

 小峰は口一杯に放り込んだ米をゴクリと飲み下してから、


「おかしいでしょ」


 と言った。


「女子なのにこんなドカベン食べるなんてさ。……でも、わたしデカいし運動するから、このくらい食べないと身体が持たないの」


 そう語る瞳はくらく沈んでいる。まるで自分の罪を告白するかのような様相だ。

 だが、僕は逆に拍子抜けしてしまった。


「なにがおかしいんだ?」

「え……?」

「食べる量なんて人それぞれなんだから、いっぱい食べる女子がいたって不思議じゃないさ」

「で、でも……世の中の女の子たちはみんな小っちゃくて可愛いお弁当箱とかだし、お昼食べないって子も多いし。そっちの方が正しいっていうか……男の子も、そういう子の方が好きなんじゃないの?」

「それこそ人によるだろ」


 僕は、彼女の目を真っ直ぐ見据えて断言する。


「少なくとも、僕はいっぱい食べる女の子の方が好きだ」

「すっ――⁉」


 小峰は口をわななかせた。頬は沸騰したように紅潮こうちょうし、わたわたと落ち着きなく視線をさまよわせている。


「ああ。見てて気持ちいいし、よく料理する側からすれば特にな。むしろ、可愛い子ぶってせっかく作った飯残される方が腹立たしいわ」

「そ、そういうものかな……?」


 小峰はつぼみのような口をぽしょぽしょと開いて言う。

 その表情はさっきと打って変わってだいぶ柔らかなものになっていた。

 頬が緩んで、食べるスピードも増している。

 机を埋め尽くすくらいデカい弁当の中身がみるみるうちになくなっていく光景は圧巻だった。

 これを好機とばかりに、僕は続ける。


「さっきの話に戻るけどさ」

「うん?」

「女の子らしさをアピールするような作戦は止めようって話」

「あ……」

「別に無理する必要なんかないんじゃないか? 食事量のこともそうだけど、人が好感を持つポイントって男子と女子で結構違うんだよ。それに個人の好みまで加わるんだから、誰にでも好かれる人なんていないし、逆に誰にも好かれない人だっていない。だから、小峰ももっと自然体でいった方がいいと思うんだ。今は人前で素を出すのが難しくてもさ、ちょっとずつでいいから――」


 言いかけたところで、「でも」と小峰がさえぎる。


「でも……わたし、可愛くないし……男子よりデカいし……工夫しなきゃ……彼氏カレシとか一生できないだろうし…………」

「そんなことない」


 彼女の言葉を、僕は強い口調で否定した。


「この数日間、小峰の素を見てきて思ったんだ。小峰って意外と表情豊かだよな。それにリアクションも結構大きいし、見てて飽きないっていうか、一緒にいて楽しいって僕は思ってる。それにさ、普段はクールにしてるのに本当はめちゃくちゃドジだったり、男子の前だと緊張してうまく話せなくなっちゃうところとか、笑った時目が細くなるところとか、小峰のそういうところ――すごく可愛いと思う」

「かっかかかかか……かわっ――⁉」


 小峰は先ほど以上に顔を赤くした。

 取り乱しているのか、ご飯を口に運ぶスピードが尋常じゃないくらい上がっている。そのうち「ゲホッゲホッ……」とむせて、僕が「これ飲みな」と水筒を渡したら、「い、いやいや、わ、わたしは自分のやつがありますので!」とそれを断って、自身の水筒を一気にあおってまたむせていた。


「大丈夫……?」

「ぜ、ぜぜぜ、全然大丈夫! わたし、片桐くんのことなんてなんとも思ってないから!」

「そ、そうか……」


 どさくさまぎれにひどいことを言われた気がするが、彼女も焦ってるっぽいし気にしないでおこう。

 それから小峰は黙りこくってしまった。

 僕もこれ以上なにか言うのは野暮やぼだと思い、黙々と自分の弁当を食べ進める。

 ……まあ、自分でも恥ずかしいことを言ってしまった自覚はある。

 だが、さっきの言葉はすべて嘘偽りのない本心から出たものだ。

 恋愛対象として云々うんぬん――とかそういうんじゃないにしても、素の小峰は普通に魅力的だと思う。

 自分の気持ちを素直に告げたのだから、堂々としているのがすじというものだろう。

 そしてしばしの沈黙の後。

 小峰はぽつりと話し始めた。


「片桐くんの話は……いろいろ作戦立てるとかそういうのやめようってのは、わかった。というか、わたしもあんま効果ないなって思い始めてきたし」

「無理しても結局後で困るだろうしな」

「だよね」


 彼女は苦笑して、よどんだ瞳で続ける。


「わたしね、今までの高校生活、そんなに楽しくないなって思ってたの。……学校行きたくない、ってほどじゃないんだけど、ちょっと憂鬱ゆううつだなって思う時は多かった」

「そう……なのか……」

「うん。でもね、最近は割と楽しかったんだ。片桐くんと話してる時は学校でも肩の力抜けるし、なにより自分と同じ悩みを抱えてる人がいるんだって、わたしすっごく嬉しかったの。だから、こういう『一緒になにかやろう』みたいなのがなくても話し相手になってほしいというか、その……」


 小峰はもじもじと前髪をいじりながら、



「わたしのこと……見捨てないでほしい……」



 そう言う彼女は、まるでそぼ降る雨に打たれる捨て犬のようで。

 僕は胸が高鳴るのを感じていた。

 庇護欲ひごよくが、愛おしさがこみ上げてくる。

 僕は自分の中で巻き起こっている「なにか」に見て見ぬふりをしながら、


「見捨てるなんてことするはずないだろ。僕たちは『同盟』なんだから」


 平然を装ってそう言った。


「昼休みも、またこうやって適当なとこ集まって一緒に飯食おう。僕も、小峰と一緒にいるのはわりと心地いいし」

「そっか……うん」


 小峰は自分の手を胸の前でぎゅっと握りしめ、頷く。

 そして戯れるように目尻を下げて、


「隙ありっ!」


 素早い箸さばきで僕の弁当箱から玉子焼きを抜き取り、パクッと口に放り込む。


「あっ、この!」

「んふふ油断してるからだよ片桐くん……って、この玉子焼きおいしっ!」

「僕が作ったからな」

「へぇ~片桐くん自分でお弁当作ってるんだ」

「まぁ家の事情でね」


 言いつつ、お返しにと僕は小峰の弁当に箸を伸ばす。

 だが、彼女の特大弁当はいつの間にか胡散霧消うさんむしょうしていた。


「ごちそうさまでした」

「マジか……僕食われ損じゃん……」

「えへへ。ごめんね。また持ってくるから」


 そう言って微笑む小峰。

 そんな彼女に、僕は小さく息を吐いて、


「また今度な」


 と言った。

 

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