第8話

 その後も「男子に気軽に話しかける作戦」は敢行かんこうされたのだが、イマイチ成果は出なかった。


「やっぱ男子を前にすると緊張しちゃって……」

「うーん。そうか……」


 再び空き教室。

 昼休み、早めにご飯を食べ終えて僕たちは集合していた。

 最初の作戦が失敗に終わり、早くも計画に暗雲が立ち込める。

 これがダメなら次はどうすべきかと首をひねっていたら、小峰が「ハイ」と手を挙げた。


「わたしから提案があるんだけど」

「お、なんだ?」

「みんなの前で女子力を見せつけるのはどうかな?」

「女子力ね……具体的にはどうするんだ?」

「明後日、調理実習があるじゃない? そこで料理ができることをアピールするの」

「なるほど、良い案だな。でも小峰こみね、料理とかできるのか?」

「全然できない」


 僕はズコーッ、と昭和のノリでズッコケてしまう。


「ダメじゃん……」


 上げて落とされたことに僕は失望を強くするが、彼女はなぜか得意げだ。


「ううん。ダメじゃないよ」

 そう言って、僕を指さし、


片桐かたぎりくん、料理得意なんでしょ? みんな言ってたよ。調理実習の時に片桐くんがいる班は当たりだって」

「いや別に得意ってほどでもないぞ。普通に食える飯を普通に作れるだけだ」

「それでも十分凄いよ」

「そ、そうか……?」


 ド直球で褒められて恥ずかしさに頬をく。

 さっきは謙遜けんそんしてああ言ったが、本当は少し自慢に思っているのだ。


「ねえ片桐くん、わたしに料理、教えてくれない?」


 こいねがうように言われ、僕はたじろぐ。


「ま、まあ計画のためってんなら教えるけど……」

「ほんと⁉ やった!」

「んじゃ、今日の放課後に調理室使わせてもらうか」

「うん……って、自分で言っておいてアレなんだけど、調理室って勝手に使っていいのかな……?」

「待ってろ」


 心配そうに見つめる彼女をよそに、僕はスマホを操作する。

 数回メッセージのやり取りを終え、


「使っていいってさ」

「はや!」

「生徒会長の人脈を舐めるな。調理部の部長が後で鍵渡してくれるそうだ」

「おお……」


 小峰は賞賛の目で僕を見る。

 よせやい。照れるじゃあないか。

 ま、この調子で小峰をお料理マスターに仕立て上げてやりますかね。



 ……そうして、僕はこの作戦がいかに難題であるかをよく理解しないまま、のぼせ上った気持ちで昼休みを終えた。



     *


 

 そして迎えた調理実習当日。

 作る品目はクッキーだ。

 五、六人で一括りの班に分かれて、各々好きなようにクッキーを作るだけの簡単な授業。

 時折ときおり家庭科の先生が見回りに来るが、私語は自由なので生徒たちはみななごやかな雰囲気で作業に取り掛かる。

 だがしかし、僕の心は穏やかではなかった。


「どーしたんだよ、ユウ。そんな難しい顔して」


 そう言って、誠司せいじがこちらを覗き込んでくる。

 彼と僕は同じ班だった。他にも班員はいるのだが……。


「ま、俺らは美味いモン食わせてくれりゃーそれでいいけどよ。期待してるぜ、ユウ」

「ふざけんな! お前も一緒に作るんだよ!」

「えー……」

「えー……じゃないっつーの!」


 僕はそうとがめるが、誠司を筆頭ひっとうに他の班員も「え、ボクら(私ら)も作るんですか?」という顔をしている。


 ……こいつら、完全に僕が全部やってくれると思ってやがるな。


 小峰の言っていた、『調理実習で片桐くんと一緒の班になったら当たり』とはこういう理由だったのだ。

 今まで当然のように率先して作っていたから気がつかなかった。

 待ってるだけで料理が出てきて、それを食べて授業が終わるんだったらそりゃあ当たりと言いたくもなるだろう。

 だが今回はそうはいかない。

 僕も調理以外にリソースをかなくてはならないからだ。


「おら、とっとと準備しろ。てかまずエプロン着けろ。立て。働かないやつに食わせるモンはない」


 僕がむちを打つように言うと、誠司たちは「へーい……」とダルそうに椅子から立ち上がった。

 調理器具を準備したり、材料を取りに行くかたわら。

 僕は小峰のいる班に目を向けた。

 調理以外の役目。それはもちろん、作戦の成り行きを見守ることだ。


「よし、小峰さんに美味しいクッキー食べてもらうために頑張ろう!」

「私、材料取ってくるね!」


 小峰のいる班は、全員が女子というハーレム状態だった。

 彼女たちは小峰に喜んでもらうため、張り切って調理を開始している。

 小峰は「わたしもなにか手伝えることがあれば……」と進言するが、周りは「いいよいいよ。小峰さんは待ってて。最高に美味しいクッキー作ってあげるから」と聞かない。

 素晴らしい献身けんしん的姿勢だ。うちの班の連中にも見習わせたい。

 でもこの場合に限っては、小峰は手伝わない方がマシだろう。

 僕は昨日の出来事を思い返しながら、そんな身もふたもないことを考えた。



 昨日の放課後。

 僕は小峰に料理を教えることになった。

 しかし、小峰の手先の不器用さは僕が想像していたはるか上を行く壊滅かいめつっぷりだった。

 卵を割ろうとすれば握りつぶしてしまい。

 小麦粉のパックを開けようとすれば中身をぶちまけ。

 挙句の果てに砂糖と塩を間違えるというベッタベタのミス。

 もはや女子力を見せつけるとかいう次元ではない。

 あのドジっぷりをどう誤魔化ごまかすかにポイントを切り替えるべきだと感じた僕は、即座に路線変更することにした。

 さいわいボウルで材料をかき混ぜる姿は様になっていたから、当日はこれだけに注力ちゅうりょくしろと言って練習は幕を閉じたのだ。


「……混ぜるのだけは慣れてるんだ……お料理手伝いたいって言っても、お母さんにこれしかやらせてもらえなかったから……」


 そう言っていた小峰の表情が忘れられない。諦念ていねんの浮かんだはかなげな顔だった。

 しかし小峰のお母さんも、彼女の不器用さは重々承知していたんだろう。言っちゃ悪いが、あそこまでのドジがいたら逆に仕事が増えてしまう。


 あれでよく今まで「王子様」を保ってきたものだと不思議に思ったのだが、こういうことだったのか。

 小峰の班は、周りの女子が率先して動いているため着々と行程が進んでいた。

 当人とうにんが出る幕もない。

 いな、出させてもらえないのだ。

 彼女たちも、今回の僕たちと同じように、小峰に自分の女子力をアピールしたいのかもしれない。


「かき混ぜるのはわたしがやるよ」


 小峰のりんとした声に振り向く。

 ついに出番が来たか……。

 僕は手元で生地をこねながら、注意深くそちらを観察した。

 小峰はチャッチャッと手際よくボウルを混ぜている。あれだけ見ればパティシエみたいだ。

 班員の女子もその姿に感動したようで、目を輝かせて小峰を見つめていた。


「すごーい! 小峰さんこういうの得意なの⁉」

「うん、慣れてるんだ」


 ……嘘はついてない。嘘は。



「ユウ、砂糖の量これくらいでいいのか?」

「ああ、それくらいでいいよ」

「片桐―この作業やんなきゃダメ?」

「ダメダメ。ちゃんとふるわないと後で食感が悪くなる」

「片桐くーん。私いろんな模様のやつが作りたいんだけどー」

「そんなら生地を二つに分けて片方にココアパウダー入れよう。市松いちまつ模様とか、うずまき模様とか作れる」


 そんな感じで自分の班の調理も進めていく。

 あっちもこっちもとせわしなかったが、なんとかオーブンで焼く行程にまでたどり着いた。


 その時だ。


「あっ――!」


 向こうで悲鳴が聞こえた。

 見れば、小峰の班にいた女子。

 生地の入ったボウルを移動させようとしていたところでつまずいてしまったらしい。


「うわぁ! っとっと、」


 ヨロヨロと足をもつれさせ転びそうになった瞬間――


「危ない!」


 あわや顔面から倒れそうになったところで、間一髪その身体が停止する。

 彼女を受け止めたのは――


「大丈夫? 怪我はない?」


 この学校の「王子様」――小峰だった。


 憂慮ゆうりょ眼差まなざしは濡れたような色気を秘め、その周囲にはキラキラオーラを幻視げんしするほど。

 転んだ女子は小峰の胸元にすっぽりと収まって、幼子おさなごのように抱きついていた。


「あ、ありがとう……小峰さん……でも……」


 女子は震える声で言う。

 その視線の先。

 彼女が持っていたボウルから飛び出た生地が、まるで水死体みたいに床でへばっていた。

 さすがにあれは食べられない。


「ご、ごめんなさい……うぐっ……私のせいで……」


 泣きながら自分の失態を責める。

 そんな彼女の額を、小峰はそっとでて、


「気にしないで。生地なら新しく作り直せばいいから。人間だもの。ちょっとくらい失敗する時だってあるよ」

「うわぁぁーーーん!」


 小峰の優しい抱擁ほうように、当該とうがい女子は号泣してしまう。


 その様子を見ていた他の女子たちからも「イケメンがいる……イケメンがいるわ!」「私も小峰さんと抱き合いたい……」「結婚して……」の声が続出。

 なんだどうしたと駆け寄って来た家庭科の女教師(2×歳独身)も、狙撃そげきされたようにひざからくずれ落ち心臓を押さえて「これって……禁断の恋……⁉」と呟いていた。


 小峰明日香あすか、なんと罪作りな女であろうか。


 ……それはさておき。


 実際問題、今からだと作り直しは難しい。

 転んだ女子が泣き止み、さていちから作るかと意気込んでいた小峰も、時計を見て絶望的な表情を浮かべる。


「あちゃー。お気の毒に」


 僕の隣で、洗い物をしていた誠司が言った。

 まあアクシデントだから授業点が無くなるってこともないだろうが、みんながクッキーを食べているなか彼女たちだけなにも無しじゃ見るにしのびない。

 絶望的な雰囲気がただよう小峰の班を見て、僕はあることを思いついた。


「誠司、まだうちの生地余ってたよな」

「ん? ああ。オーブンが一杯ってんで冷蔵庫に次弾じだんが眠ってるぜ」


 そこまで言って、誠司は僕の考えに気がついたらしくニヤリと口角こうかくを上げた。


「いんじゃねーの。どうせ俺らだけで食うには多すぎる量だったしな」

「……それはお前が調子乗って、『作ったぶんだけ食えるならもっと量増やそうぜ』って言ったせいだろうが」


 格好つける誠司に僕は容赦なく突っ込む。

 だが、今回はそんな彼の悪ノリが役に立った。


「ちょっと行ってくる」

「おう」

 僕は冷蔵庫から取り出したボウルを持って、小峰たちの方へと歩み出した。



     *



 調理実習を終えて放課後。

 小峰が部活に行くまでの時間で、僕たちは空き教室に集まって反省会を開いていた。


「さっきはありがとう。すっごく助かったよ」

「いいって。偶然生地が余ってただけだから」

 

 頭を下げて礼を言う小峰を、僕は手で制する。

 結局、僕たちの班で余った生地を小峰たちの班にあげたのだ。

 一から作ったではないにせよ、実食タイムが手持ち無沙汰にならなかったことでだいぶ気が楽になったらしい。

 トラブルはあったものの、なんとか和やかな雰囲気で締めくくることができた。


「そ、それで作戦の方なんだけど……」


 小峰はおずおずと切り出してくる。


「失敗だったな」

「……だよね」


 僕の言葉に、彼女はしょんぼりと肩を落とした。

 当初の目的は「料理が出来るところを見せつけて女子力をアピールする」というものだった。

 だが、小峰が転んだ女子を助けたことで周囲の反応は真逆に行ってしまったのだ。


「……ごめん。とっさに身体が反応しちゃって」

「あの状況ならああするのが正解だろ。むしろ助けられるのに見捨てたらそっちの方が問題だ」


 僕が言うと、小峰は少し溜飲りゅういんが下がったようだ。ホッと一息ついていた。


「ていうか、できもしないのに料理できますアピールしようとしてた時点で企画倒れもいいとこだったしな」

「はうっ……⁉」


 痛いところを突かれた、とでも言うように胸を押さえる小峰。


「そもそもなんでできないのに料理なんて言い出したんだ?」

「そ、それは……片桐くんに教えてもらえば、わたしもできるようになるかなって……」

「できなかったけどな」

「うぐっ……!」


 ショックを受ける彼女を「まあまあ」となだめて、


「そもそも、料理なんてそんな一朝一夕いっちょういっせきで身につくようなスキルじゃないんだよ。僕だって最初は失敗しまくってたし。むしろ、まともに飯作れるようになったのなんてここ最近の話だ」

「そうなの?」

「ああ。だから小峰も、焦って結果を求めるんじゃなくて――」

「次!」


 僕の言葉をさえぎって、小峰は言った。


「次の作戦、考えよう。もう高校生活の半分は終わってるんだよ。もたもたしてる暇なんてないよ」

「ん~……そうか。まあ小峰がそう言うんだったら付き合うけどさ……」


 そうして僕は後頭部を掻きながら、彼女の意向いこうしたがうのだった。

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