第4話
トウコさんと出会って半年が経った。
日が沈む頃に貸本屋を訪ねると、見慣れないマスク姿のトウコさんが出迎えた。
「うつる病気ではないけれど、咳が出てしまうので……」
気もそぞろに恥じる姿も新鮮だ。
化粧一つしていないのに美人は目元だけで美人と分かる。
トウコさんは菜の花畑で日を浴びる健康的な可憐さも、薄暗い寝室で咳き込む病的な儚さも似合う人だった。
思えば、彼女がケイジに見せる姿はどれも作り物じみていた。マスクをすればより鮮明にそのことを感じた。
トウコさんが体調を崩して以来、ケイジは身の回りのことを引き受けるようになった。
――トウコさんは最期まで本人の口から病名を教えてくれることはなかったが、大病を患っていた。
病気が進行しても彼女は出かけるときに帽子を被らなかった。
元々持っていないと言うので、ケイジが「買ってこようか?」と提案するも首を横に振る。
庭の近くの菜の花畑にすらめっきり行かなくなっていた。
トウコさんは徐々にベッドから起き上がるようなちょっとした動作にも辛そうに眉を寄せるようになった。
そんな頃の、昼下がり。
「あたしは、結婚詐欺師だったんです」
彼女の告白はケイジにとって唐突だった。
後から振り返れば、彼女なりに彼女の過去を何も尋ねず接するケイジに、肩身の狭さを感じていたのだろうと気づいた。
「実は数か月前にケイジくんにした話は、前世のことではないのです。あたしが最後に騙そうとしたのは、この家の家主でいらっしゃったおじいさまでした。
……あたし、おじいさまが亡くなる直前まで、何か理由をつけておじいさまを施設に追いやってしまおうと考えていたのです。そして、この家そのものも財産も全て奪ってしまおうと。
心変わりをしたのは、おじいさまが書き溜めておられた短歌を見つけた時でした。あたしはそれらに胸を打たれたのです。そして、これほど言葉を操れるならば、どんなにか人生は豊かだろうと思いました。
思わずその胸の内をおじいさまに伝えましたが、おじいさまは苦笑して『おれは寂しい人間だから短歌を詠むんだ』とおっしゃいました。
あたしは理解が出来ませんでした。あたしにとっておじいさまは豊かな人間を象徴するような人だったから。
そのときから人生の目標が『奪い、豊かになること』から『おじいさまのお気持ちと同じ境地を味わうこと』に変わりました。おじいさまに纏わりついて教えを乞いました。
おじいさまに独り身の寂しさがあることは知っておりましたから、容易いことでしたが、生まれて初めて、人の真心につけこむことを恥じました。
間もなくおじいさまがご病気で床に臥せられました。おじいさまを看取ったのはあたし一人でした。
おじいさまは亡くなる前にあたしに金庫の暗証番号を告げたのです。おじいさまは随分前からあたしが詐欺師であるのをご存知だったようです。そのお金はご家族にも明かしていない所謂、隠し財産というものでした。
おじいさまが永眠後お金を金庫ごと盗み、この家が売りに出されたのを見計らってから、盗んだお金で買い戻しました。
あたしは生きている限り、おじいさまが生前過ごされたこの家をそのままに保たなければなりません。この家の何も変えたくはなかったのです。ですから、ケイジくんを引き入れてしまったのは何故か今でも分かりません」
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