囲碁への応援コメント
子供の頃父は僕に、先を読む力を身につけろ、と囲碁を勧めてきました。
競技としては、相手を出し抜く、というある意味戦争みたいなものですが、詰碁なんかしてると、昔の人は、こんな事考えてたのか、という時代を超えたコミュニケーションツールの様なイメージを持っていました。
最初は囲碁⁉︎と奇抜な物を見るように驚いてしまいましたが、母親と娘さんのやりとりに、今は亡き祖父との対局を思い出して、心が暖かくなりました。
作者からの返信
コメント、ありがとうございます!
お父さんのお話素敵ですね。私も祖父とほんの少しだけ囲碁を教わった思い出から、この短編を書きました。
「時代を越えたコミュニケーションツール」という言葉を聞き、囲碁を題材にして良かったと思いました!
囲碁への応援コメント
イマジナリーフレンドと霊の中間みたいなのも良いですね。
成長と共に消えていく。
想像と霊どちらかが欠けても成り立たないというところでお互いへの思いやりが感じられてほっこりしますね。
母が必要な内は声が聞こえるし、死んだことを意識することも無い。
その辺はある種の超能力と似ていますね。作法も何も無く信じて居る内は神がかっているけれど、誰かの指摘で作法が間違っていたと知ってしまうと作法は正しくなっても以前ほど自分を信じられなくなって神がかった力を失うみたいな。
お互いにとって良い形で区切りが付いたことはある種の救いですね。母は自分を捨てたと言う印象を持ったままではアカリが救われないですし。
そういった意味で「よくある話」なのかな。
作者からの返信
コメント、ありがとうございます!
話の中では明確に書いていなかったので、イマジナリーフレンドでもあると捉えていただけたことがとても嬉しいです。そして、ほっこりしてもらえたことも嬉しいです!
「誰かの指摘で作法が間違っていたと知ってしまうと以前ほど自分を信じられなくなって力を失う」という言葉に、なるほどと思いました。この話の主人公はそれまで矛盾を指摘されなかったから、母は当たり前に居る、と感じていたんだなと気付きました。
「よくある話」の文を話の導入とまとめとして読者さまの興味を引けたらいいなという気持ちで使ってしまったのですが、物語的に、誰も傷つかず終われる偶然が起きていたと考えることもできるなと気付かされました。ありがとうございます!
囲碁への応援コメント
心に刺さる作品でした。
囲碁は、もう5年くらい打ってません。