英雄称号
燃え盛る火が消えた。
咳き込んだ男は血を吐いていた。
雪が積もるような静寂がその場を包む。大聖堂と呼ばれたそこに一人の少女と一人の少年がいた。乱暴に開いた扉が風に揺れきぃきぃと喚いている。その奥に門番が倒れていた。
ステンドグラスが熱で割れ、雫を落とす。少女に降りかかる破片は祝福の雨のように見えた。
祈るように組んだ指を少しづつ離していく。粘り強い音を立て、少年の腹から抜け出した。
夥しい程の赤が少女の祈りを汚していた。
「…何で、王にならなかった…!」
空洞が開こうと剣を振りかざす少年。
「わたしは、ただ、しりたい、だけ」
祈りが脚をもいだ。
「かみのいばしょ、を」
鮮血と共に絶叫が飛び散る。
「王、だったんだろ…。…王であるなら、王だと言うなら…!」
それでも少年は『正しい』王の在り方を説き始める。
「やくわり、がちがう。わたし、のやく、まおう、だから」
腕を引きちぎった。純粋な祈りが少年を殺していた。
「しあわせ、ねがう、のちがうから。わたし、ねがうこと、こんらん、とかいらく、だから」
少年はそれでも進んでいた。魔王と対峙する正義感に駆られ、焦がした感情で這い進む。残った骨と内臓全てが軋んでいた。
魔王の役割についた少女に、憎しみなんてない。ただ魔王であるから殺すのだ。もがれた脚も千切れた腕も、開いた腹もどうでもよかった。身を焼いた『英雄』がすぐそこにある。少女を魔王とするのなら殺せば英雄、死ねば名すら残らない。この命が尽きるその刹那でも善の象徴である英雄に届いたのなら、自分というがらんどうが許される筈だ。人として人に成れず、ただ人の真似を繰り返す出来の悪い人形のたかが知れた願いは、ただ人として死にたい。自らの生存という過ちを犯し続けた時間に少しの意味を与えたい。『英雄』という称号は夢ではない。その称号は人の領域を脱している。万人が望む善の象徴。語り継がれなくとも良い。歩んだ全てが無に帰ろうとも代償としては安いとすら思える。人には成れずとも『英雄』にはなれる筈だ。器はまだ埋まっていない。人形であり続ければ、人を超える称号を得られる。信じていた。神の居場所を探す無知の少女を殺す罪悪も英雄の前では石ころのようなもの。
王であるならば、英雄に立ちはだかる王であるならば
「しんでくれよ」
果実が割れる音が静寂を切り裂いた。
ふぅ、と息が溢れる。沈む予感のなかった夕日が月と交代していた。燃え盛る日は星々の冷たさに凍え消える。
「ひとのみにてかみのいをしる」
組んだ指を離していく。だらんと腕を垂らし、大きく口を開ける。
魔王は今、この世界から消え去った。
バクンッと勢いよく口を閉じ咀嚼する。
「わたしは、かみのいばしょがしりたかった」
望みが脳味噌を溶かしている。
「だからひとのかみになることにした」
望まれていたのはただ一つ。
「わたしはまおう。ゆいいつでむにのおう」
明滅する星々が姿を消した。ステンドグラスも戦火も、ギラギラと煮えていた願いも。
「ねがいも、のぞみもすべてくらってかなえてあげる」
光輪が魔王と接続する。
「かみなるみにて、ただおもう」
いただいた食事には還す言葉があるらしい。何十億にも及ぶ食事に感謝を返そう。
人神は空洞の世界でぽつりとおとす。
「ごちそうさまでした」
英雄失敗 楠木黒猫きな粉 @sepuroeleven
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