雨の日の花嫁

増田朋美

雨の日の花嫁

雨の日の花嫁

雨の季節らしく、どんよりした天気で、雨がいつ降ってもおかしくないと思われるような曇り空だった。天気予報では、数時間後に雨が降るようで、気圧のせいだろうか、頭痛を訴える人が、多い日であった。

そんな中、杉ちゃんがいつも通り、カールさんの店を訪れた時の事。カールさんと二人で着物の事を話していると、店の入り口につけていた、コシチャイムがカランコロンとなった。

「はい、いらっしゃいませ。」

カールさんがそういって出迎えると入ってきたのは、六十代くらいの男性と、五十歳後半と思われる女性だった。でも、何かわけがあるのだろうか。一般的な50歳代の女性とは、何か違う気がする。

「すみません。こちらのお店では、リサイクル着物ということで、一般的な着物と比べたら、お安いのですか?」

男性がそういうことを言った。

「ええ、確かに、一般的な着物屋さんの十分の一くらいの値段で買うことができます。目安としては、小紋で、1000円くらいです。」

と、カールさんが言った。

「それでは、結婚式に着ていけるような着物もお安いのでしょうか?」

と、男性はそう聞いてくる。

「はい、黒留袖であれば、4000円から、色留袖であれば、3000円程度からございます。」

カールさんが答えると、

「いや、こういうと、非常に恥ずかしいというか、申しわけないのですが、実は僕たち、これから結婚式をあげようという者でございます。その時に彼女が着用する、振袖を今日はかいに来させて貰ったわけでして。」

と、男性は言った。

「その年で結婚式?まあ、おかしいとは言わないが、一寸変わっているな。」

杉ちゃんが驚いてそういうと、

「ええ、皆さんにもそういわれます。北條も65年の独身生活にピリオドを打ったのかと、親戚一同からそういわれました。僕は北條優太郎と申します。こちらは妻の、あかりです。」

と、彼は言った、

「妻の方が、学生のころから、40年間、ずっと入院しておりまして。昨年の夏にやっと退院いたしました。それで今年、ようやく結婚ということにいたりまして。」

「はあなるほど、つまり精神科とか、そういうことか。」

と、杉ちゃんが言った。

「そういうところだったら、一年の入院じゃ超短期入院と言われたことがあるな。まあ、四十年と言えば平均的なところだということも聞いたことがある。其れなら、なれそめを聞かせて貰いたいな。なれそめってのは何なの?」

杉ちゃんが聞くと、

「ええ、ピアノサークルで知り合ったんです。僕が、ピアノサークルを主宰しているのですが、彼女が、入会したいと、医療関係者の方と一緒に来てくださったのが、始まりで。それで、一年間交際をしましまして、今月に結婚しようと決めたのです。」

優太郎さんは、照れくさそうに言った。

「そうなんですね。それはそれはおめでとうございます。で、式場とか、披露宴する料亭とか、そういうことはもう決まったのか?」

杉ちゃんが、デカい声でそう聞くと、

「いえ、それがまだなんです。いちおう、着物を来て写真を撮ろうということは決めていますが、結婚式をしようという気にはなりませんので。もしかしたら、あかりさんが疲れてしまうかもしれない。それでは、いけないと思いますので、写真はとっても式はどうかと、、、。」

と、優太郎さんは言った。

「いやあ、其れだったら式をあげた方がいいよ。そうすれば、この人と夫婦になったって、実感が持てるじゃないか。最近簡単に離婚しちまう夫婦が増えていると言うが、ちゃんと式をあげるということで、それが防げるんじゃないかっていうデータもあるんだよ。もし、簡素に式をあげたいっていうんなら、宮島の尼寺に頼んでみな。優しい庵主様が、ちゃんと式をあげてくれるから。」

「もう杉ちゃんね、ウエディングプランナーじゃないんだからさ。そんな他人の話しに口出しなくてもいいじゃない。」

と、カールさんが言うと、

「いやあ、訳あり婚というのは、誰かが手を出して応援したほうが、確かに長続きするもんだ。ましてや、精神障害とか、そういうものを持っているんだったら、なおさらだ。二人だけの問題にするんじゃなくて、誰かが手を出した方が、うまくいくという事もあるの!」

杉ちゃんは、にこやかに言った。丁度その時、失礼いたしますと言って、又コシチャイムがなった。

「あれれ、今日は商売大繁盛ですね。どちら様ですか?」

カールさんが言うと、入ってきたのは、花村義久さんだった。

「あれ、花村さんじゃないか。どうしたの?」

と、杉ちゃんが言うと、

「ええ、単に足袋に穴が開いてしまったので、新しい物を買いに来たんですよ。五枚こはぜで、26センチくらいの白足袋を一足御願いしたいんです。」

と花村さんは答えた。すると、あかりさんと言われた女性が、花村さんを見て、大いに驚いた顔をする。

「花村先生!あの、もしかして、40年近く前の事なのでもうお忘れになってしまったかもしませんが、私、吉永高校で、箏曲部に入っていた、柴田あかりです。」

はあ、そんなつながりがあったのか。杉ちゃんもカールさんも驚いてしまった。でも、流石に40年

も昔の事だ。もう忘れていて当然の事かもしれないが、、、。

「ええ、覚えていますよ。柴田あかりさん。勉強はできないけど、お箏の事はちゃんとやりたいんだって、言っていましたね。」

花村さんはそう答えた。

「あれからどうされましたか。狙っていた大学は、合格できましたか?其れとも、別の大学にいったのでしょうか?」

と、花村さんが聞くと、

「いえ、大学には行きませんでした。結局、大学に落ちてから、覚醒剤で捕まって、そのあとはずっと、精神科にいましたから。」

とあかりさんは明るく言った。それは何処か無理をしているような雰囲気もあったが、でも、静かに話をしているので、自分なりに答えは出ているのだろう。

「そうですか。それは大変でしたね。あかりさん確か、お体も弱かったから。僕も時々見ました。運動会であかりさんが苦しそうに走っているの。」

「そうなんだよな。それにあかりさんが入っていた頃の吉永高校は、お嬢様ばっかりで大変だったでしょう。そんな中、三年間やっていくのって結構大変だよ。」

杉ちゃんが急いでそういうことをいうと、

「今日はどうされたんですか。呉服屋さんにくるなんて、何か記念日でもありましたか?」

と、花村さんが聞いた。

「ええ、とても重大な記念日だ。あかりさんが、ここにいる北條優太郎さんと、結婚するんで、その花嫁衣裳を買いに来たんだ。」

杉ちゃんが即答すると、優太郎さんが一寸頭を下げた。

「そうですか。それはおめでとうございます。あかりさんも、素敵な方を見つけましたね。それでは、もう覚醒剤ともさようならですね。それを頭の中に叩き込んで、幸せな人生を送ってください。」

花村さんがそういうと、カールさんが、

「之なんか、おすすめですよ。打掛ではないんですけど、おめでたい松竹梅が、全体に入っています。最近は、結婚式が終了した後も着たいということで、袖を切って短くして、小紋として着用する方も多くいらっしゃいますが、この着物も、その一つで、袖を切っても小紋として違和感なく着られる振袖です。」

と、一枚の振袖を見せた。赤にろうけつ染めで松竹梅の柄を全体にちりばめた小紋柄の本振袖であった。最近では背の高い人が多いので、リサイクル品では中振袖になってしまう人が多いのであるが、彼女に着せてみると、袖はぴったり、足首まで届いた。

「どうですか。もっとかわいらしい物のほうが、よろしければ、他にも探してきましょうか。振袖はまだまだ沢山ありますし。」

カールさんがあかりさんにそういうと、彼女は、にこやかに笑って、他にも見たいといった。杉ちゃんとカールさんが、何回か振袖を着せたり脱がせたりしている間、花村さんは、北條優太郎さんと一寸外に出ましょうかといった。

「初めまして。僕は、箏曲家の花村義久と申します。実は、彼女、旧姓柴田あかりさん、今はもう別の姓に変わっているのかもしれませんが、あかりさんが、吉永高校に通っていた時に、彼女が箏曲部に入っていて、そこで講師として接した事がありました。」

花村さんは、にこやかに笑ってそういうことをいった。

「ありがとうございます。富士市でピアノ教室をやっています、北條優太郎と申します。しかし、初めて聞きました。あかりさんが、お箏なんて習っていたなんて。」

優太郎さんは、とりあえず自己紹介した。

「直接的に僕のもとに弟子入りしていたわけではありませんが、あかりさんの事はよく覚えております。お箏を運ぶにしても、体力がなさそうで大変そうにしていました。なので十七絃の担当から、彼女を外そうとしましたが、彼女は、それを嫌がりましてね。もしかして、彼女が、違法薬物をやるということになってしまったのは、其れもあったのではないかと、反省していたんです。あの時は、まだ僕も家元を名乗って間もないころで、教えることだって、どういうことなのか、分からないとい理由もありますけど、それに借りて自分を甘やかしてはいけないですよね。」

花村さんは、優太郎に一寸仕方なさそうにいった。

「そうですか。では、先生は、あかりさんが、入院する前の事を少し知っていたわけですね。」

と、優太郎は花村さんに聞く。

「ええ、ほんの少しだけですが。」

花村さんが答えると、

「実は、彼女の事なんですけど、彼女、病院ではもう安全になったと言われていますが、でも、時々、変な奴が追いかけてくるとか、まだ口にする事があるんです。それは、薬物による物なのか、其れとも、彼女が、本気でそういっているのか、分からなくなることがあるんですね。ただ、彼女は、本気で薬物を辞めようということは、ちゃんと心得ているみたいですけど。」

「少々、不安もありますか?」

優太郎さんがそう発言すると、花村さんはそう聞いた。

「ええ、そういう時もたまにあります。お医者さんからは、フラッシュバックというんだそうですが、やっぱり、薬物を辞めたとしても、そういう症状は残ってしまうそうで。」

優太郎さんは小さな声で言った。

「そうですか、完全に直すことは無理かもしれないけど、彼女は彼女なりに一生懸命生きようとしてくれるんだと思います。それを病気のせいではなく、ひとりの人間として、彼女を見てあげられるように成ったら、すごいことだと思いますし、幸せな事でもあると思います。」

花村さんは、にこやかに笑って、優太郎さんを励ますが、優太郎さんは一寸不安があるようだった。

「どうして、彼女と結婚しようと思ったんですか?」

花村さんが聞くと、

「ピアノサークルでは、単に趣味的にピアノをやっている人が多かったのですが、彼女は、一生懸命ピアノを弾いていたからです。」

と、優太郎さんはいった。

「それを知っていれば、あかりさんと十分分かり合えます。」

花村さんは、にこやかに笑った。

「さ、入りましょう。花嫁さんの着物を、決定してくれるのは、ほかにいませんよ。」

花村さんがそういうと、

「はい、分かりました。」

と、優太郎さんは、笑顔を取り戻して、店に戻った。

「ありがとうございます。花村先生のような方が、彼女を見てくれるなんて、それは心強いです。」

二人は、また店の中に入った。店に入ると、玄関ドアにつけたコシチャイムが又なった。

「どうですか。こちらのお着物を、彼女は結構、気に入ってくれたようです。」

と、カールさんがにこやかにいった。彼女、あかりさんは、黒色の松の柄が小紋様に入った、本振袖を着ている。

「これは、昭和の初めころでしたら、立派な花嫁衣裳として通用する本振袖です。よく、昔の事を暑かった、テレビドラマなんかで出てくると思います。女優さんが着ていたのを見たことないでしょうか。最近の朝ドラなんかでも、よく出てくると思うんですが?」

カールさんが説明をするが、優太郎さんは、一寸嫌な顔をした。実は、優太郎さんも、人には話したくない過去がある。昭和の中頃に生まれた優太郎さんの父は、優太郎さんが子供のころ、新しいお母さんを迎えた。それが、結構意地悪な人で、自分になつかない優太郎さんの事を、よくいじめたものだ。とりあえず優太郎さんが、音楽学校を出るまで同居していたけれど、でも、優太郎さんが家を出て行かなければ、いじわるがずっと続いていたかもしれなかった。

そんなことは、優太郎さんも人に話したことはない。そんなこと、今までだれにも話してこなかった。でも、目の前で、黒の本振袖を着ている、あかりさんは、間違いなくその後妻とそっくりなのだった。

「優太郎さんどうしたの?何か悪いことでもあったのか?もし、それがあるんだったら、もう吐き出しちまいな。花嫁さんに、隠し事してたら、後でなにか起こる原因になるからな。」

杉ちゃんは、急いでそういうと、

「いや、これをいったら、せっかくの、花嫁が台無しになってしまう。何も気にしないでいいですよ。」

と、優太郎さんは言う。

「何を隠しているの?隠し事はしないで。私は、薬物問題で、すべての事を、話さなければならないのよ。其れなのに、優太郎さんのほうがかくしておいて、いいわけないでしょ。それは、やっぱり私が、精神疾患で何も無いっていう事につながるのではないかしら。」

小さいけど、でも鋭い声であかりさんはいった。

「そうだよそうだよ。かくして黙っているのは、よくないぜ。秘密を吐き出さないで、黙りこくっているよりも、なんでもさらけ出しちまう方が、幸せってもんだ。」

と、杉ちゃんがそういうと、

「そうか。でも、こんな事言うと、何だか、あかりさんに申しわけないというか、そういう事もあるなと。」

優太郎さんはそういうのであった。

「あかりさんは、今まで辛いことを沢山してきたんだろうし、これ以上、自分の事で、彼女を傷つけてしまう事はしたくないというか、、、。」

「そうかな?」

と、杉ちゃんがいった。

「夫婦ってのは、必ず秘密を持っていたら、失敗するのが当たり前なんだよ。それはどこの家でもそうだろう。それは、やっぱりさ、隠さないで、さらけ出しちまうのが一番なんじゃないか。」

「そうですね、、、でも、僕が辛抱すればいいことですから。」

優太郎さんがそういうと、

「いや、それが、日本人の一番悪いところではないでしょうか。日本人は片方が我慢すればなんと泣かるって考えるけど、それが、結局成功しないって事を知らない人が多すぎますよ。それは、ちゃんとするべきだと思う。」

と、カールさんが外国人らしくそういうことを言った。

「流石はカールさん。日本人の悪いところをちゃんと見てる。そしてそれを口に出していえることが、すごいと思う。」

杉ちゃんが、腕組みをしていった。

「ほら、ちゃんと口に出していった方がいい。なんでも話し合わなきゃいけない時だって、夫婦にはあるんだよ。」

「そうですよ。僕は、結婚していないから、そういうことは分からないですけど、カールさんの話しはなんとなくわかります。ちゃんと、何かあるなら話してください。」

と、花村さんまでそういうので、優太郎さんは、もうした方が良いと覚悟を決めてこう切り出した。

「ええ、昔、父が若い芸妓を妻にしたことが在って、その人が結婚式に着ていた時の着物が、今、あかりさんが着ていたのに、似ているんです。」

優太郎さんは、まるで用意した原稿を読まされているかのように言った。確かに嫌なことを口にするときは、そういう風になってしまうものだ。その時の優太郎さんは、妻になるあかりさんの顔を見ることができなかった。そこが、相当嫌な出来事であった事をしめしているのだろう。

「分かりました。」

と、あかりさんは、申し訳なさそうにいった。

「それでは、これじゃなくて、別の振袖にします。私も、優太郎さんが傷ついたまま、結婚式をするのは嫌ですし。」

「嫌、あかりさんがそれを着たいというのなら、それを着て出ればいいんだよ。」

優太郎さんはそういうが、

「いいえ、あたしだって、大事な結婚式ですもの。妥協してはいけないと思います。そういうことはちゃんと、優太郎さんを思ってやらなきゃいけないと思うし。」

と、あかりさんはいうのだった。

「私ばっかり、綺麗な花嫁衣裳を着て、優太郎さんがそれを辛い感じで見ているのは、いけないと思いますから。あの、おじさん、別の振袖ありますか?あの、一番初めに見せてくれた赤いのが良いな。一寸地味な着物かもしれないですけど、あれが一番いいような気がするの。御願いできませんか。」

あかりさんは、にこやかに笑ってそういうことをいった。

「いや、あかりさんの一番好きな着物にしましょう。」

と、優太郎さんはいった。

「そのまま、その黒い振袖で、こちらの方が紹介してくれたお寺で、結婚式をあげましょう。あかりさんは、あの時の意地悪な芸妓ではありません。あんな冷たい芸妓とは違うんだ。だから、そういう目で見れば、僕も、あかりさんを違うひととして見られる。」

「そういう目で見なければならないんだ!」

と杉ちゃんはデカい声で彼を励ました。

「夫婦になるってことは、そういう事だよ!」

「ええ、分かりました。これからも、あかりさんと幸せな結婚生活を送れますように。」

優太郎さんは、涙をこぼしながらそういうのだった。

「じゃあ、この黒の振袖を着て、結婚式に出たいと思います。よろしく御願いします。」

そういうあかりさんは、だれよりも綺麗な女性になったなという気がした。杉ちゃんから、尼寺の場所を教えてもらったあかりさんは、にこやかに笑って、じゃあ、そこで式をあげようといった。

「やっぱり、人間は節目の時は、式をあげたいよね。」

杉ちゃんがにこやかに笑ってそういうことをいった。

同時に雨が降ってきた。梅雨の季節、雨というのはつきものなのだ。でも、あかりさんたちの心は晴れていた。







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雨の日の花嫁 増田朋美 @masubuchi4996

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