⑷ふりだし

 暖炉の火に照らされながら、父と湊と航と葵くんの四人で車座になっていた。時刻は午後四時半。キッチンでは母が夕食の支度をしている。


 焼肉だ。

 祝い事がある時、父は手巻き寿司を用意する。しかし、育ち盛りの息子の為に、母はいつも焼肉を用意する。


 食欲を唆る香ばしい匂いに包まれながら、父はさも当然のことみたいにさらりと告げた。




「シリウスの狙いは昴だよ」




 湊と航にしてみれば、呆気無く、肩透かしを食らったような回答だった。




「魔法界では、昴の魔法は兵器なんだろ。人間界と同じことが起こるぜ」

「核戦争のこと?」

「脅威としての兵器利用さ。強大な武力を持った人間は、それを脅しの道具に使う」




 その結果が、核戦争だった。

 命運を握っているのは、湊や航ではなく、やはり昴なのだ。


 意を決して、湊は問い掛けた。




「親父は、シリウスの狙いは何だと思う? 昴を使って何をしようとしているのかな」

「確証の無いことは口にしない主義なんだ」

「悠長にそんなこと言ってられる状況じゃねぇんだよ」




 航が吐き捨てると、父は肩を落とした。




「シリウスが目指しているのは、支配者階級の無い平等な世界だろ。その手段が革命なんだよ」

「平等な世界?」

「ああ。言葉にすると正しく聞こえるけど、やっていることはテロリストそのものだ。ーーそれはね、自分が辛い思いをして来たからだよ」




 復讐か。

 湊が言った。何とも陳腐な革命の動機だ。だが、美辞麗句びじれいくを並べ立てられるよりは人間的でもある。


 父は目を伏せた。

 長い睫毛が暖炉の火に透けて光って見えた。




「シリウスの遣り方に賛成は出来ないけど、考えは間違っていないよ」




 片手を奪われ、息子を巻き込んで死なせ掛けた張本人を相手に、随分とお優しいことだ。

 航は苛立った。父の言葉は同情で、甘えだ。辛い思いをしたからといって、それをやり返して何になる。




「俺とシリウス、何が違うんだろう」




 父はそんなことを言った。

 丁度、夕食の支度が出来たので、作戦会議は一先ずお開きとなった。大皿には牛肉が花開くように盛り付けられていた。具沢山の中華スープからは柔らかな湯気が昇り、室内は焼肉の香ばしい匂いに満ちている。


 空腹を満たされると、途端に睡魔に襲われる。

 食後の気怠さに微睡んでいると、父と葵くんの話し声が聞こえた。




「お前、これからどうするんだ」

「暫くは家でゆっくりするよ。心配も掛けたし、奈々を大切にしたい」

「其処じゃねぇ。お前、表向きには死んだことになってんだろ。後々、面倒なことになるんじゃないか」

「そうだね。今の状態は、問題を先送りにしただけだもんな……」




 穏やかに語り合う二人の声を聞いている内に、湊と航の意識は暖炉の炎の中に消えてしまった。









 19.神様はサイコロを振らない

 ⑷ふりだし









 朝起きると、父はいなかった。

 母は呑気に朝食の用意をしている。泊まって行ったと思っていた葵くんもいなかったので、嫌な予感がした。




「親父は?」




 湊の問いには答えず、母は手元へ視線を落としながら口を開いた。




「アンタたちさぁ」




 湊と航は背筋を伸ばした。

 叱られる。何となく、そんな予感がした。

 だが、母は叱りもせず、淡々と衝撃的なことを口にした。




「あたしたちが離婚するって言ったら、どっちに付いて行く?」




 早朝に見合わない重大な選択だった。

 湊と航は混乱した。昨日の二人のやり取りを見る限り、離婚なんて危機的な単語が出る気配は無かった。

 母は顔にも態度にも出さなかったけれど、本当は離婚を考える程に憔悴し切っていたのだろうか。


 焦った航が追求しようとする。しかし、それを遮って、湊が凛とした声で答えた。




「お母さんに付いて行くよ」




 母は顔すら上げなかった。

 興味も無さそうに相槌を打って、味噌汁を掻き混ぜていた。



「なんで?」




 これは重要だぞ。

 航がアイコンタクトを送って来る。湊は生唾を呑み下した。




「親父がいなくなったら、お母さんを守れるのは、俺たちだけだから」




 焼き鮭を並べていた母は呆れたように溜息を吐いた。

 そして、リビングテーブルに置かれたリモコンを手に取ると、テレビの電源を入れた。画面に映ったのは退屈な顔をしたアナウンサーだった。




『二十年に渡って争って来た両国は、和平交渉を進めています。その裏側には、紛争の第一線で諦めることなく医療を提供し続けた一人の医師が深く関わっています』




 画面に映ったのは、無数のマイクを向けられる父の姿だった。湊と航が見たことの無い糊の効いたスーツを纏い、敏腕営業マンみたいに応対している。




『彼は五年前、紛争に巻き込まれ、死んだものと思われて来ました。しかし、彼は生きて、今も被災地で復興支援を続けていたのです』




 開いた口が塞がらないとは、このことだ。

 食い入るように、二人は父を見ていた。




『彼は英雄です』




 父が死んだと思っていた頃にも聞いた言葉だった。

 あの頃とは状況が違う。父は生きていて、今もなお、ヒーローとして活躍を続けている。


 生きている。

 そして、それを世界が認めている。

 希望に胸が熱くなる。湊と航は画面に釘付けになっていた。


 父が何かを言っている。向けられるマイクと報道陣、涙ぐむ関係者。その中で、実の息子である自分たちばかりが蚊帳の外だった。


 母は絶対零度の声で言った。




「死んだ人間が生き返るなんて奇跡は、起こってはならないのよ。アンタたちのお父さんは生き返ったけど、これはハッピーエンドじゃないの。大変なのはこれからよ」




 世界を牛耳る影の重鎮たちをどのように説き伏せたのだろう。フィクサーの下した結論を覆すだなんて、世界を敵に回すようなものだ。


 父がリスクを考えずに行動を起こしたとは思わないが、一般人とは訳が違う。巻き込まれる騒動の規模が違う。ーーそれこそ、暗殺され兼ねない。


 母が、離婚という言葉を口にした意味を知る。

 方法は違えど、父も母も、湊と航を守りたいのだ。




「ヒーローは死んだらいけないよ」




 母は毅然として言った。

 二人は叱られた時のように背筋を伸ばしていた。




「誰かの為にっていうのは、死んでしまったら、誰かのせいになるから」

「そうだね……」




 今なら、痛いくらいに分かる。

 自分達は、父の遺書を見た時にそう思った。父は自分達の為に生きて死んだ。だから、生きなければならないと誓った。


 それは結局、エゴなのだ。




「それでも、ヒーローになりたいと思う?」




 見透かされている。

 湊はそう思った。母の目には全て見えているし、悟られている。それでも、自分たちの好きなようにさせてくれたのは、信頼なのだろう。




「分かんねぇ」




 航は素直に答えた。




「俺は、親父を超えたいと思ってた。別にヒーローになりたい訳じゃねぇ。ーーでも、親父は格好良いよ」




 画面越しに見る父の姿は、まるで太陽のように眩しくて、惑星のように視線を惹き付ける。生きているだけで人の救いになる。

 何でもかんでも救える訳じゃないけれど、手を伸ばされたら離さない。父はそういうヒーローだった。




「責任とか、エゴとか、相対評価とか。そんなのどうだって良いよ。俺が格好良いと思うことに理由がいるのかよ」




 航は、小さな頃から同じ夢を見続けている。弟らしい返答に、母も湊も笑っていた。

 きっと、こういう人間がヒーローになれるんだろう。




「湊は?」




 母に問い掛けられ、湊は居住まいを正した。




「俺は、親父みたいになりたいと思ってた。でも、ヒーローっていうのは他者評価のことで、なりたくてなれるものじゃない」




 ヒーローとは、守るべき弱者がいて、初めて成り立つのだ。救われる人間にその意思が無ければ、何の意味も無い。それは魔法界で痛感した教訓だった。




「親父から学んだことがある。ーー守るべきものを弱さの理由にしてはならない」




 行動原理を他人に依存して、物事の本質を見失う。冷静な判断が出来なくなり、坂道を転がり落ちるように悪循環にはまる。それは結局、湊自身の弱さだった。


 自己評価は低くても高くても駄目だ。常に自分に問い掛けて、自分が認められるように、揺らがないように。

 これが自分だと誇れるように、失ったものにも認められるくらい強く、堂々と生きて行く。




「俺は自分を好きになりたい」




 母は画面の向こうで凛と佇む親父を見ていた。

 此方の苦労も知らず、好い気なものだ。




「アンタたちって、どうしてそんなに極端なのかしら。足して二で割れば丁度良かったのにね」




 両親が極端なのだから、仕方無い。

 湊が胸の内で零すと、航に小突かれた。伝わっていたのか、顔に出ていたのかは分からない。


 父が帰宅するまでの二日間、湊も航も生きた心地がしなかった。段ボール箱を抱えた父の笑顔を見た時には二人で抱き着いて、暫く離れられなかった。ちなみに、箱の中には母への土産のハーブティーが梱包されていた。


 何処で何をして来たのかは教えてくれなかったが、フィクサーの面々と裏取引が行われたことは想像出来た。そうでなければ、父が生きて帰宅することは出来なかっただろう。


 自分たちが思うよりも父は強かで、柔軟だった。目的達成の為ならば頭も下げるし、汚れ仕事も厭わない。




「正義なんて言葉を使うから、ややこしいんだ。物事は思うよりシンプルだ」




 リビングで土産のハーブティーを淹れながら、父はそんなことを言った。

 自分たちの苦悩も辛苦も、柔らかな湯気の向こうに溶けてしまった。凝り固まっていた思考が解けて、視界が明瞭になる。




「魔法界のこと、どうしたら良いと思う?」

「湊はどうしたいの?」

「俺はどうにかしたい。このままじゃ、俺たちの世界まで巻き込まれる。家族を守りたいんだ」




 でも、どうしたら良いのか分からない。

 湊は項垂れた。弱さを見せまいと気を張り続けていたから、相談の仕方さえ分からない。


 航が言った。




「話し合いで解決したいと思ってる。だけど、相手にその意思が無ければ、蹂躙じゅうりんされるだけだ」

「相手にその意思が無いって、なんで分かるの?」




 父の問いに、二人は答えられなかった。

 シリウスのイデオロギーなんて知ろうともして来なかった。二人にとって、革命軍は敵だったからだ。




「戦わずして勝つことが最大の勝利だろ。それはどんな時も変わらない。シリウスも解ってるはずさ」

「でも、実際に戦いになってる」

「シリウスは戦いとは思ってない。そうだな、多分、シリウスにとっては、それは処刑みたいなものなんだろうな」




 処刑。

 二人は言葉を失くした。




「シリウスがやりたいのは復讐だ。その為の手段が革命なんだよ」




 自分たちは、手段と目的を履き違えていたのだ。シリウスの掌の上で踊らされていたに過ぎない。




「戦況が分からないから難しいけど、ーー民衆に打ち倒されるような王家なら、さっさと降伏してやった方が良い」




 最小限の犠牲で済む。

 父は真顔で言った。




「全面戦争なんて馬鹿のすることだ」

「そんなことをしたら、王家はどうなるんだよ!」

「国とは、人だよ。人々が王家をいらないと言うなら、それが答えだ。そういう政治をして来た以上、責任は取らなければならない」




 どっちの味方なんだ!

 二人が揃って頭を抱えると、父はからからと笑った。




「お前等にとっては、王家は味方なの?」

「少なくとも、聞く耳を持ってる。革命軍よりはマシだ」

「それなら、民衆は王家を守るだろ。古いシステムが壊れるだけさ」




 誰も死なない最小の犠牲だ。

 父の言葉は理解出来るのに、納得出来ない。だって、それじゃあ、シリウスが正しかったみたいじゃないか。

 あれだけ自分たちを苦しめて、大勢を死なせて、何の罰も受けないなんて、おかしい。


 固定観念だ。

 湊は其処で気付いた。自分たちは魔法界の人間じゃない。これは他人の戦争だ。余計な感情が入り混じって、冷静な判断が出来なくなる。


 航は小難しい顔をしていた。




「今の革命軍が覇権を握れば、人間界へ侵攻する。俺達の世界が巻き込まれる。シリウスが復讐したい相手は、王家だけじゃない。昴が言っていたんだけど、シリウスは異端者審問の犠牲者だった」

「待て待て待て。話がめちゃくちゃだ。異端者審問なんて千年も前のことだぞ」

「人間界と魔法界の時間の流れは違う。人間界で異端者審問を受けたシリウスが、今魔法界で革命軍を率いているということはあるんだ」




 父は顎に指を添えて、何かを考え込んでいるようだった。




「ーーじゃあ、シリウスは人間界で育った魔法使いだったの?」




 その言葉を聞いた時、耳鳴りがした。

 高次元の集中状態、ゾーン。親子三人で俯く姿はさぞ異様だっただろう。

 いつの間にか母がいた。ハーブティーはすっかり冷めてしまっていた。




「人間界で育ったシリウスは、異端者審問によって家族を亡くした。その後、転移した先は弱肉強食のヒエラルキーを形成する魔法界だった」

「シリウスが憎んでいるものは、ーー権力?」

「或いは、平穏な暮らしをして来た人々かな。そうなると、話が違って来る。シリウスの復讐の対象は世界だ」




 父は顎に指を添えて何かを考え込んでいるようだった。湊は導き出した可能性に静電気のような違和感を覚えていた。だが、確証の無いことは口にするべきではない。シリウスの出生、イデオロギー。自分たちは彼のことを何も知らない。


 いずれにせよ、シリウスを止めなければならない。

 三人が同じ結論に帰結した時、母が言った。




「ぶん殴っちゃえば?」




 三人は揃って肩を落とした。

 争いを避ける方法を探しているのに、酷い結論だ。




「アンタたちってさ、よく分かんないことに悩むよね」

「酷ぇな」

「だって、そうでしょ。誰かがそのシリウスって奴を殴って、目を覚まさせてやれば良いじゃない」




 湊と航が呆れている横で、父ばかりが考え込んでいる。




「生きていれば納得出来ないことも、腹立つこともあるよ。だからっていつまでも腐っていたって仕方無いでしょ。苦しいのはお前だけじゃないんだぞって、殴ってやんなさいよ」




 母はシャドーボクシングの真似をして、悪戯っぽく笑った。ヒーローの妻は逞しい。

 湊が父を見遣った時、その後頭部が叩かれたので、驚いた。




「あんたの仕事でしょ。ヒーローになってやりなよ。そのシリウスって奴の。ーーそれで、此処に連れて来なさい。そしたら、私が説教してやるから」




 うちの息子を巻き込んだ落とし前を付けさせてやる。

 息巻く母を見て、父は笑っていた。

 どうして両親が結婚したのか、分かったような気がした。




「そうだね」




 父は嬉しそうに微笑んでいた。




「久しぶりに昴にも会いたいしな。息子も世話になったみたいだし」

「お母さんは」




 湊は躊躇いがちに母を見た。




「お母さんは、良いの?」




 迷惑を掛けた。これ以上、心配させたくない。

 湊が探るように問うと、母は深い溜息と共に何かを投げて寄越した。父は空中で受け止めて、驚いたように目を丸めていた。


 其処にあったのは、銀色に輝く結婚指輪だった。

 父が死んだと思われていたあの頃からずっと、肌身離さず持っていたのだろうか。


 父は義手となった左手を見てから、サイドチェストの抽斗を開けた。金色のチェーンを取り出すと指輪を通し、首へ掛ける。奇しくも、それは双子の首に掛かっているネックレスと酷似していた。




「家出は蜂谷家の男の病気でしょ。ーー待ってるから、さっさと帰って来なさいよ」




 湊には他人の嘘が分かるけれど、家族の嘘は分からない。

 それは湊が初めて見破った母の嘘ーー強がりだった。

 父には御見通しだろう。だが、それを指摘することも無く、父は母を抱き締めた。




「必ず帰るから、待っていて」




 母は鼻を鳴らした。

 生まれて初めて、母のことが可愛いと思った。逞しいけれど、健気で、優しい。堪らなくなって、湊は母を抱き締めた。


 母は偉大だ。

 航は居心地悪そうに目を逸らしていたが、結局、流される形でハグをした。




「それじゃあ、五年ぶりになっちまったけど、ゲームセットを迎えに行くか」




 父は笑っていた。

 それは家族の愛したヒーローの頼もしい笑顔だった。

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