18.よだかの星

⑴タウラス

 魔法界にという概念があることは興味深い。

 それはつまり、埋葬方法に差異はあれど、魔法界も人間界と同じように死後の世界を信じ、死者へ敬意を払っているということだ。


 どんな人間も思い出の中に生きる権利がある。

 昴はそう思う。しかし、埋葬されるべき遺体も無く、悼んでくれる肉親も無く、墓石も立てられないあの少年は、誰の思い出の中で生きられるのだろう。


 憐れな少年だった。

 伸ばされる手に気付きもせず、周り全てを敵と思い込み、唯一の理解者すらその手で殺し、最期は魔獣に食い殺された。


 カストルは、邪悪で卑怯な悪者ではなかった。

 貧民に生まれながらも向上心を持ち続け、仲間を思い遣り、兄を信じた。いつか彼の願いは届いたのかも知れない。ーーそして、これは後から聞いた話。ポルックスとカストルは、だったのだという。


 魔法界で双子は忌み子とされ、大抵の場合は後に生まれた方が棄てられるか殺される。昴の側にも双子はいる。湊と航。ポルックスとカストル。彼等の違いは何だったのだろう。


 何処で間違えてしまったのだろう。誰が悪かったのだろう。どうしたら、彼を救えたのだろう。そんな後悔を感じる度に、自分の傲慢さを突き付けられる。


 この世は弱肉強食。

 強ければ生き、弱ければ死ぬ。

 魔法界の広大な魔力の流れの中で、カストルとポルックスは再会出来ただろうか。そんな非生産的なことばかりを夢想する。








 18.よだかの星

 ⑴タウラス








 ジェミニの街で起きていた貴族の非道なゲームは王家の知るところとなり、関与した者は一人残らず断罪の街タウラスへ連れられて行った。

 街を繋ぐ橋は昴の魔法によって壊され、人々は復興に向けて動き始めている。


 ストリートチルドレンの中に生まれた革命の火は日増しに大きくなり、今や街には革命軍への支持派が増えていた。

 武力で敵わないと知れば、貴族を始めとした富裕層が、金と権力に物を言わせて貧民層の人々を従わせようと画策している。だが、リーダー二人を失った彼等が簡単に従うはずも無く、現在は一触即発の膠着こうちゃく状態である。


 暫定リーダーとなったプロプスは、革命軍にも王家にも懐疑的であった。彼等にとっては革命軍も王家も味方とは言い難い。どちらも自分たちを利用した薄汚い権力者である。


 頭を失った民衆は流され易い。その中で、プロプスのように信念を持ったリーダーが台頭したのは魔法界において重要なファクターである。


 街の修理に働き回るプロプスが、何処か吹っ切れた顔付きをしていたことが、唯一の救いだ。彼の元に仲間は集い、ポルックスの願った未来は形になるのだろう。今はそう願うしかない。


 街の復興はプロプスたちに任せ、昴たちにはやるべきことがあった。断罪の街、タウラスへ行く。其処から王都を目指し、王家と対話の席に着く。


 ジェミニの街の東にある関所は、王の軍勢による厳重な警備が敷かれていた。煉瓦造りの大きな門を固める白銀の甲冑と五芒星。王家の通行証が無ければ潜ることは許されない。


 ホログラムのような通行証を翳した昴が通過すると、周囲を固める王の軍勢が好奇の目を向けた。確かに自分たちは珍妙な輩である。


 王の軍勢であるベガを先頭に、魔法界の今後を左右するとされる犠牲の魔法使いの昴、それから子供の湊と航。ウルは街の特性と情報収集の為に地下へ潜っている。


 まるで大道芸人だ。見世物ではないと航が睨みを利かせても、下世話な視線は変わらなかった。


 関所を抜けると大きな桟橋があり、先には天を突く程の大きな外壁が待ち構えていた。断罪の街と呼ばれるタウラスは、魔法界の政治の中枢を担う要石であり、唯一無二の司法機関である。しかし、長く続く王家の独裁は汚職に塗れ、隣接するジェミニの街に蔓延る貴族の非道なゲームを取り締まることも出来ない。


 腐敗し弱体化した司法機関。

 済し崩しに崩壊して行く様が眼に浮かぶようだ。

 桟橋を渡る途中、湊が声を上げた。




「あれは何?」




 湊は鈍色の外壁を指差していた。


 継ぎ目の無いコンクリートの壁は、脅し付けるような威圧感を放ち、行く手を凛然と立ち塞いでいる。そして、その表面には薄く光る幾何学模様がびっしりと刻み込まれていた。


 ベガは指先へ視線を移し、納得したような顔で言った。




「反魔法陣よ」




 湊が復唱すると、ベガは星を辿るように指先を動かした。




「凡ゆる魔法を打ち消す魔法陣、それが反魔法陣。この街の外周は反魔法の結界で守られているの。此処では魔法は使えない。先人の叡智の結晶よ」




 誇らしげなベガを横に、湊は頻りに頷いて感心していた。相変わらず、何を考えているのかはよく分からない。


 

 魔法界に存在する有りと凡ゆる魔法の反魔法陣を刻み込んだ外壁は、侵入者を断固として拒否している。昴は物々しい雰囲気に思わず身震いした。


 湊は眩しそうに目を細めた。




「省略出来そうだね」

「何を?」




 昴が問い掛けても、湊は答えなかった。




「時間に余裕があるなら、俺はもう少し、あの魔法陣を見てみたい。駄目かな」

「駄目だ。一刻も早く王都へ行きたいんだ。分かってるだろ」

「そっか。そうだよね」




 そう言いつつも、湊は名残惜しそうに外壁を見ていた。此処のところ、湊には多大なストレスが掛かっていると思う。何か気晴らしになるものがあれば良いけれど。


 桟橋を渡り切った先、反魔法陣の刻まれた鉄門は武器を携えた王の軍勢によって守られていた。

 ベガが口利きをすると、驚く程にすんなりと通過することが出来て、正直、呆気無く感じた。

 しかし、扉の向こうを見た時、昴は目を疑った。


 区画整理された街並に、定規で測ったような石造りの立方体の建物。街の奥には重厚な雰囲気の屋敷が鎮座している。けれど、昴の眼に映ったのは、中央広場に置かれた血塗れのであった。

 断罪の街に処刑道具があるのは理解出来るが、何故、わざわざ街の中心部に設置する必要性があるのか。


 嫌な記憶が蘇り掛け、昴は首を振った。

 奥の屋敷から漆黒の衣服に身を包んだ司祭らしき人々が鈴を鳴らしてやって来る。その暗く沈んだ雰囲気は、まるで葬列のようだった。


 司祭たちがギロチンを取り囲むと、今度は屋敷の中から縄で打たれた男たちが引き摺り出された。いつの間にか広場には住人が押し寄せ、壁のように取り囲んでいた。


 引き出された男に、見覚えがあった。

 アルゲティだ。カプリコーンの街で起きた虐殺事件の首謀者の一人である。王の軍勢に誤報を送り、権威を失墜させた革命軍の回し者。

 こんなところで会うとは、思いもしなかった。


 司祭が声高に叫んだ。




「この男は革命軍に属し、王の軍勢に罪を着せる為に、罪の無い人々に血を流させた戦犯である!」




 人々の野次や罵声の中で、アルゲティの顔は恐怖に強張っていた。

 血の気の無いその顔色は最早、死人に近い。引き摺り出されたアルゲティはギロチンの台座に頭を乗せ、恐怖によって歯をかちかちと鳴らしている。




「よって、死刑に処する!」




 アルゲティの頭上には、分厚く磨かれた刃があった。その先は一本のロープに繋がれている。司祭の言葉を合図に、ロープは大振りの斧で叩き切られた。


 凄まじい勢いで刃が滑り落ち、アルゲティの首を吹っ飛ばした。鮮血が迸り、人々の間から歓声が上がる。

 切断された首は奇しくも昴たちの方を向いた。恐怖と絶望に引き攣った死に顔だった。眼球は白く濁り、恨めしいと訴え掛けている。


 あまりに突然のことで、理解が追い付かない。

 昴とて、アルゲティを許す気は無い。彼のせいでウルは故郷を焼かれ、家族を亡くし、裏切り者のレッテルを貼られたのだ。同情する余地も無い。だが、こんな残酷な遣り方でーー。


 昴が言葉を失っていると、航が無感情の冷たい声で言った。




「魔法界にも、死刑があるんだな」




 流石に、航も顔色が悪かった。

 首の跳ねた跡が点々と残っている。人々は歓声を上げて喜び合っている。其処にはカプリコーンの街の人々も同席していた。彼等は肩を抱いて涙を零していた。

 見知った顔を見付けた湊が駆け寄って、慰めるように肩を叩いた。航は溜息混じりに側まで行くと、その首根っこを引っ掴んで戻って来た。


 湊は後ろ髪を引かれるように目を向けていた。




「カタルシスの為に人が殺されている」

「カタルシスだけじゃねえ。アルゲティが殺されたのは革命軍に加担したからだ」

「じゃあ、これは異端者審問に近いね」

「そうさ。中世のスペインで行われた異端者審問では、二千人以上の犠牲者が出た」




 異端者審問は、人々の娯楽の一つだった。

 双子の会話を横で聞きながら、昴は嘗て見たシリウスの過去を思い出していた。


 顳顬の辺りが、じくりと痛む。

 思い出そうとしているのがシリウスの過去なのか、自分の過去なのか分からなかった。




「……俺、アルゲティがどういう人間なのか、何も知らなかったな」




 ぽつりと、湊が言った。

 航は片眉を跳ねさせた。




「情状酌量の余地があったって?」

「分からないけど、その人の過去や思想も知らないまま殺されていくのを見るのは、嫌だな」




 嫌だ。

 湊は独白するように言った。

 きっと、ジェミニの街で死んだカストルのことを思い出しているのだろう。


 昴は湊の栗色の髪を撫でた。

 湊はされるがままで、何処か遠くをぼんやりと眺めている。


 昴の知る湊は、他者への共感能力の乏しい理性的な少年だった。けれど、降り注ぐ残酷な理不尽や不条理は、彼の中の何かを変えて来ている。


 時々放心したように遠くを眺めるその瞳に、正体不明の青白い炎が見える。それが怒りなのか、悲しみなのか、後悔なのか、ーー狂気なのか。昴にはまだ分からない。


 広場を抜けると、街の中央部にある司法機関へ到着する。厳しい建物は、丁度左右に腕を開いて広場を抱いたような形である。

 王都へ行く為にはこの場所で手続きが必要だった。ベガが受付を済ませている間、昴は双子と地べたに座り込んで広場を眺めていた。


 魔法の使えない街は、人間界に似ている。生活の凡ゆる雑用を己の手でこなさなければならない。魔法使いにとっては不便なのだろうが、昴には見慣れた光景である。

 汗水垂らして洗濯する女、屋根の修理をする男。魔法があればもっと簡単に効率良く済ませられるのだろうが、生きられない程ではない。


 魔法が必要とされるのは、魔獣に対抗し、身を守るというただ一点のみである。それが今では人と人の争いに使われているのだから、皮肉な話だ。


 湊から兵器の話を聞いたことがある。

 兵器そのものに罪は無い。自衛の為に必要な時もあるが、その引き金を引かせない社会を作っていかなければならない。

 理想の為に奔走し、志半ばで命を落としたヒーローを思う。彼は焼夷弾と呼ばれる非人道兵器によって命を奪われた。


 湊や航は何も言わないけれど、悔しくて、悲しくて、遣る瀬無いだろう。


 隣に座っていた湊が唐突に立ち上がった。




「まだ時間が掛かりそうだから、あの外壁を見て来ても良いかな」




 昴は受付にいるベガを見た。確かに、まだ時間が掛かりそうだ。

 湊一人で放って置くのは不安だったので、昴も付いて行きたかったが、誰かが待っていなければならない。退屈そうに掌を眺める航へ目を遣ると、渋々と立ち上がった。




「見張って置けばいいんだろ」

「ああ」




 湊は不満げに唇を突き出した。




「俺の方が兄貴なのにな」

「日頃の行いだろ」




 軽口を叩き合いながら、二人は広場を抜けて行く。

 小さくなる背中を昴はぼんやりと見ていた。


 タウラスには色々な人がいる。魔法が存在しない為なのか身分の差も少なく、誰も彼もが己の生活に精一杯である。

 街角では女たちが井戸端会議をして、男たちは仲間と笑い合う。子供たちは無邪気に駆け回り、何処かでは食欲唆る香ばしい匂いがする。


 その中で、ギロチンの存在が異様である。物々しい処刑器具は人々の雑踏に紛れているが、昴にはその事実が恐ろしかった。


 魔法が無くても人は生きられる。

 昴はそう思う。けれど、魔法が無ければ魔獣に対抗出来ない。あの双子は魔法無く魔獣を倒したこともあったが、現実としてリンドヴルムのような強力な魔獣も存在するのだ。


 せめて、犠牲の魔法無く生きられる世界であれば良い。昴は掌に魔法陣を浮かべた。

 夥しい数式の組み込まれた魔法陣は白い円盤状に広がった。反魔法陣の為にこの街で魔法は使えないが、昴のように唯一無二の魔法は特例なのだろう。


 その時、足元に影が落ちた。




「久しぶりだね」




 昴は顔を上げた。

 誰かが立っている。逆光のせいで顔が見えない。知っているはずなのに、思い出せない。


 黒髪にサファイヤのような瞳、その顔の半分は火傷によって醜く皮膚が収縮し、釣り上げられた口元が不恰好に歪む。


 昴が答えずにいると、青年はからりと笑って名乗った。




「リゲルだよ」




 その瞬間、昴の頭の中にはレオの村で見た自爆魔法陣と流星群が蘇った。


 リゲルーー革命軍だ。




「忘れるなんて酷いや」




 飄々と笑うリゲルに、昴は咄嗟に身構えた。

 しかし、リゲルは降参するように両手を上げた。




「まあ、待ってくれよ。この街では魔法は使えないんだ。僕だって君と争うつもりは無いんだよ」

「それなら、何の用だ」




 狙いは何だ。湊や航は無事なのか。

 リゲルは穏やかに言った。




「君と話がしたいんだよ」

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