⑵エンカウント

「魔法陣は数式なんだよ」




 無限の紙を取り出して、湊が羽根ペンをすらすらと走らせる。黒いインクがじわじわと染み込んで、見覚えのある魔法陣を描いていた。


 航は、タウラスを囲む外壁の前にいた。

 外壁に刻み込まれた幾何学模様は、何処か逃れられない呪詛じゅその類に似ている。しかし、湊は何も感じていないらしく、好奇心のままに手を動かしていた。




「例えば風を起こすなら熱が必要だ。熱とは温度接触のエネルギー伝達の過程だろう。熱平衡状態にある原子や分子などの乱雑な並進運動の運動エネルギーを促進させれば、温度は上昇する。大気と熱エネルギーをルーン文字で代替し、魔力を加えれば風になる。応用させれば暴風にも微風そよかぜにもなるし、鎌鼬かまいたちにもなる」




 出来た、と言って湊は魔法陣を見せた。

 自分たちには魔力が無い為、当然のことながら発動はしない。




「この壁に刻まれているのは、凡ゆる魔法陣を相殺させる為の魔法陣だ。風魔法なら熱が奪われたら発動しないし、転移魔法なら上書きされてしまえば無意味だ」

「効率が悪いな」

「俺もそう思う。これだけの魔法陣を保つには膨大な魔力が必要なはずだ。それを支えているのはきっと、視肉と呼ばれる生贄なんだろう」




 胸糞悪い話だ。

 航は吐き捨てた。湊は完成した魔法陣を提示した。




「このやり方は効率が悪い。対処するべきなのは魔法陣ではなくて魔力そのものだ。魔力の供給源を断つ魔法陣があれば、こんなに大きな壁もいらないんだ」

「どうやって断つんだよ。殺せってか?」

「違うよ。魔力そのものを無効化するんだ」




 湊が活き活きと話しているので悪い気はしないが、何を言っているのかは、正直よく分からない。


 航は溜息を吐いた。




「そもそも魔力って何なの」

「例えるなら、電磁波だよ。物凄く大きな」




 航は耳を疑った。

 電磁波?




「魔法が電磁波なら、魔法使いは電気鰻でんきうなぎか?」

「上手いこと言うね」




 湊が嬉しそうに指を鳴らすので、航は頭が痛くなった。


 湊は偏屈な科学者みたいな顔で数式を書き始めた。魔法を科学的に検証するという馬鹿みたいなことを本気でやろうとしている。




「魔力が血筋に宿るっていうのは、体質のことだ。電磁波を操る細胞を持った人間を暫定的に魔法使いと呼んでいるのさ」

「体質は遺伝する」

「そう。それで、この電磁波を対処するには、元となる細胞を破壊する必要がある。具体的には、だ」




 湊は顳顬を叩いた。

 脳が破壊されたら、どんな生き物も再起不能になる。強引な辻褄合わせであるが、湊にとっては大切なことらしい。理解出来ないことに対して、理屈で納得しようとする。しかし、注意しなければならないのは、その結論がずれてしまうことだ。


 電磁波でも細胞でも何でもいいが、机上の空論では意味が無い。


 航が黙って先を促すと、湊が言った。




「理論上、魔力を打ち消す魔法陣は作れる」




 湊の濃褐色の瞳が、航を見詰めていた。

 仮定ではなく、結論だ。湊はこの外壁の魔法陣から、魔力そのものを相殺する上位互換の反魔法陣を生み出せると言うのだ。




「場当たり的に単発の魔法陣を打ち消すよりずっと効率が良い」

「どうやってやるんだよ」

「俺たちに魔法は使えないから、何か別のものに反魔法陣を刻み込む」

「別のもの?」

「そう、例えばーー」




 その時だった。

 外壁の一部に亀裂が走った。次の瞬間、ダムが決壊するように外壁は爆発と共に砕け、凄まじい爆炎と轟音に包まれた。


 巨大な瓦礫が木の葉のように吹き飛び、整然とした街中に容赦無く降り注ぐ。人々の狂ったような悲鳴が響き渡り、航と湊は粉塵の向こうに蠢く敵意に身構えていた。


 足元から冷気が立ち上り、酷い耳鳴りがする。肌一面に鳥肌が立ち、目を逸らすことが出来ない。

 崩れ落ちた外壁を踏み付け、淡い陽の光を浴びながら、それは惑星のような強烈な引力を持って目の前に現れた。


 心臓が煩い。

 航の口元は、無意識に弧を描いていた。


 藍色の髪、金色の瞳。今にも喉笛を噛み千切って来そうな好戦的な威圧感。航は、この時を待っていた。




「会いたかったぜ。……




 シリウスは、不敵な笑みを浮かべていた。








 18.よだかの星

 ⑵エンカウント










「活躍は聞いているよ。元気そうで何よりだ」




 リゲルは、さも当然のように隣に座って話し始めた。昴は警戒を解けなかった。彼は革命軍。シリウスの手先で、カプリコーンでは王の軍勢を貶める為に街を混乱に陥れ、レオの村では無抵抗の住民を相手に大軍を率いて襲撃した。彼の目的が何かは分からないが、少なくとも味方ではない。


 昴の睨め付ける視線など御構い無しに、リゲルは無防備に両手を投げ出していた。こうして見ると、何処にでもいそうな青年だ。昴と歳もそう変わらないのかも知れない。


 リゲルは疲れたように薄く笑った。




「ジェミニの街でビラを撒いただろ。ーー見事だと思ったよ」




 ジェミニの街では貴族の非道なゲームが行われ、貧民は虐げられていた。魔法界に蔓延る実力至上のヒエラルキーを打ち砕いたのは、魔力の欠片も無いビラだった。




「あんな紙切れが革命を齎すだなんて、思いもしなかった。力による支配を覆すには力にしかないと信じていたから」




 貴族の腐敗を暴露したビラは、抑圧されて来た貧民に勇気を与え、王の軍勢を動かした。それを行ったのは湊だ。人間界で生まれ育ち、魔法使いでなかったからこそ思い付いた作戦だ。

 正直、昴には同じことは出来なかったと思う。




「リゲルはどうして革命軍に?」




 リゲルは放心したように遠くを見詰めていた。




「僕は弱い魔法使いだったからね。水魔法は戦闘に向かない非力な魔法だ」

「でも、王の軍勢にだって水魔法を使う人はいる。戦闘が全てじゃない」

「それをもっと早く知っていれば、別の未来があったのかな」




 別の未来。

 今の昴があるのは、人間界でヒーローと透明人間に出逢ったからだ。けれど、そうではなかったのなら、自分も今頃は革命の徒となって犠牲の魔法を躊躇い無く使っていたのかも知れない。


 カストルも出逢ったのがシリウスではなくヒーローだったのなら、死なずに済んだのかも知れない。そんなことを思う度に、虚しくなる。




「僕と君は何が違ったんだろう」




 リゲルが言った。

 何が違ったのか。昴はその問いを知っている。


 何が違う。生まれか、育ちか。血筋か、環境か。

 生まれ持ったものに文句を言っても仕方が無い。けれど、スタートラインの違いは致命的で、覆すことすら許されない。


 昴は答えられなかった。

 リゲルはそっと微笑んだ。まるで、繊細な硝子細工のようだった。




「タウラスは断罪の街と呼ばれている。王家に弓を引く不穏分子を吊るし上げ、糾弾し、粛清する。この街の住人は処刑を娯楽と捉え、司法の決定に疑問すら抱かない。ーー此処に価値があると思うかい?」




 分からない。

 昴は黙っていた。




「僕はこの街の生まれなんだ。水魔法を使う僕の一族は弱く、いつも強者に媚び諂って、顔色を伺いながら生きて来た。そんな弱くて惨めな家族にも、処刑や拷問を娯楽とする愚かなこの街の住人にも、かび臭い仕来りにも、うんざりしていた」




 家があって、家族がいて、生活するだけの力もある。ーーそれでも、生きる為だけに生きることは出来ない。




「シリウスさんと出会って、僕は救われたんだ。シリウスさんは優れた魔法使いだった。この腐った世界を綺麗にする為に、僕が必要だと言ってくれた」




 リゲルは嬉しそうに微笑んでいた。

 昴はヒーローに出会い、リゲルはシリウスに出会った。ヒーローは誰も死なない世界を選び、シリウスは誰かを殺してでも変えたい世界があった。


 シリウス。

 昴は口の中でその名を呼んだ。リゲルは余裕の態度を崩さない。




「僕は世界を変えたい。でも、その為には力が必要だ」

「だからと言って、罪も無い人々を犠牲にするのか?」

「時代遅れの反魔法陣を絶対視し、魔法界に起こる戦争を対岸の火事と眺めている。醜く、憐れで、卑しい下等種族だ」

「君も同じ魔法使いだ」

「僕は違う。この腐った世界に一石を投じる使者だよ。正義の味方を名乗る君と同じだ」

「僕等は武力制圧を謳ってはいない」

「詭弁だよ」




 仄暗い何かが足元から立ち昇る。

 論破されたのではない。理解し合えないという現実が、断崖絶壁のように目の前に立ち塞がっている。

 生まれも育ちも違う。分かり合えないけれど、認め合える。ヒーローの言葉が蜃気楼のように浮かんで消えて行く。


 争いしかないのか。本当にそれだけか。




「自ら血を流し、犠牲を顧みず信念を貫こうとする人もいるだろう。でも、そうじゃない人もいる。争いを求めない人々の意思をないがしろにしてしまう君たちの革命戦争は、ただの自己満足だ」

「弱者に足並みを揃えろと言うのかい?」

「その境界線は対話の中で見出していかなければならない」

「今の王家が聞き入れるかな?」

「魔法界は変わって来ている。武力以外に革命の手段はあるはずだ」




 湊がそれを証明してくれた。航がそれを裏付けてくれた。此処で昴が折れたら、彼等の苦労は水の泡だ。

 直接的な武力が無くなったとしても、争いは規模を変え、土俵を変え、続いて行くだろう。生まれ持った価値観は違う。だけど、それでも。




「誰も死なない方法があるのなら、僕はそれを択ぶ」




 最小の不幸。

 皆が幸せになることは難しい。なら、せめて、誰も死なない、殺されない社会を。


 昴が言った時、リゲルが掌を向けた。

 水色の魔法陣が朧に浮かび上がり、無数のルーン文字が踊っていた。それでも、昴は対抗しなかった。此処で力に物を言わせたら、意味が無い。


 爆音が轟いたのは、その時だった。

 足元がぐらぐらと揺れ動き、立っていることが出来ない。辺りで悲鳴が響き渡り、非常事態が起こっていることを悟る。空には黒煙が龍の如く昇り、蝙蝠に似た影が一斉に湧き上がる。


 何だ、何が起きてる?

 此処は魔法の使えない司法の街で、王都の御膝元だ。だが、逃げ惑う住民達の前に降って来た脅威は間違いなく悪意に染まっている。


 膝を突いた昴の前で、僅かに浮遊したリゲルが言った。




「犠牲無く成果は得られない。誰も死なない方法なんて砂上の楼閣だ」




 リゲルの後ろでは武装勢力、革命軍が空を埋め尽くしている。非常事態に動き出した王の軍勢と革命軍が衝突し、上空では凄まじい魔法の攻防が始まった。

 その余波は街を破壊し、無抵抗の住民を無慈悲に巻き込んで行く。混乱と焦燥が互い違いに押し寄せて、思考回路が纏まらない。


 リゲルは笑った。




「この世は所詮、弱肉強食。正義も悪も有象無象の言い掛かりだ。何かを成し遂げようとする崇高な意思に、貴賤なんてものは有りはしない」




 きっと、正解なんて無い。切り捨てる覚悟が強さならば、清濁併せ呑む覚悟も強さだ。

 昴は地震のような激しい揺れの中でリゲルを睨んだ。


 例え、正論に意味や綺麗事に無かったとしても。




「それでも、僕は嫌なんだよ」




 リゲルは溜息を吐いた。




「それなら、証明してくれよ。ーー君の命で」




 リゲルの言葉と共に、昴の足元には魔法陣が展開された。水色の淡い光に包まれ、まるで海の底を何処までも落ちて行くような感覚だった。


 咄嗟に伸ばした手は取られず、昴の視界は静かに暗く染まってしまった。

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