⑸非道ゲーム

 つたの絡まる煉瓦造れんがづくりの建物は、今にも崩れ落ちそうな廃墟である。此処が何処かと尋ねられたら、湊は犯罪者のねぐらと答えただろう。


 記憶の混濁が激しかった。

 瞬きの後、気付くと其処にいた。後頭部が殴られたように鈍く痛み、それまで何をしていたかを思い出すことすら困難だった。


 雨の湿った音が聞こえる。

 雨は、嫌いだ。


 モザイク硝子のようなぼやけた視界に、奇妙なものが見えた。人がいる。一人、二人、三人、ーー六人。体格から判断する限り、男だ。まるで仮面舞踏会の最中に抜け出して来たかのような仰々しい服装だった。

 蝶を模した仮面を被った男が、湊の覚醒に気付いて近付いて来る。雨音に混じる微かな足音は、水面を滑るアメンボに似ていた。




「目が覚めたかい?」




 湊は答えなかった。

 両手は後ろに拘束され、起き上がることが出来ない。目を細めて辺りを見渡すが、馬鹿げた格好をした男たちと寂れた煉瓦の壁以外のものは見えなかった。


 足首に違和感がある。見えないが、一纏めにして拘束されているらしい。床は冷たいコンクリートで、瓦礫が散乱していた。罅割れた先から雑草が逞しく伸びていた。


 平行脈の葉と細い茎。見たことのある雑草だ。

 此処がジェミニの街と同じ地域にあることを確信する。ということは、拉致されたのか?


 いつ、どうやって?

 湊には分からなかった。

 すっかり明瞭になった視界に、六人の男が見えた。海底に揺れる草のように、笑っている。彼等の目は一様に濁り、狂気的な色を帯びていた。




「一目見た時から、欲しいと思っていたんだよ」




 男の顔に嗜虐的な笑みが浮かぶ。

 抵抗は無意味だな。従順に振る舞った方が賢明だ。


 湊が黙っていると、後ろから声が飛び出した。




「てめぇ等、許さねぇ!」




 何だ、誰だ?

 他にも拘束されている人がいるのか?


 感情的な少年の声だった。多分、自分と同じくらい。

 何処かで聞いた覚えがあるのに、思い出せない。

 男の目が後ろへ向いた。躾のなっていない子犬のように喚く声がする。


 航じゃない。航はこんな風に意味も無く喚かない。

 男たちの挑発的な罵声が聞こえ、脊髄反射みたいに少年が叫ぶ。それが相手の嗜虐欲を煽るのだと、分からないのか?


 湊は舌打ちを零した。




「こっちを見ろよ、クソ野郎」




 自分で思うよりも低く不機嫌な声が出た。

 一斉に視線が集まり、居心地の悪さに汗が滲んだ。取引を持ち掛けたり、言葉で誘導したりするだけの情報と余裕が無かった。足りないものは補うしかない。




「豪胆だねぇ。そういう子は好きだよ」




 粘着質な声が舐めるように降って来る。

 この声も知っているのに、思い出せない。


 蝶の仮面が湊を覗き込み、うっとりと笑った。生理的な嫌悪感を喚起する気持ちの悪い笑顔だった。航なら、今頃、怒鳴り付けていたかも知れない。


 だけど、俺は取り繕うのが得意だ。




「その顔を歪ませてみたいな」




 デネブにも言われたことがある。

 自分は余程の鉄面皮なのかも知れない。鏡が無いので分からないが、子兎のように怯えた振りをするより、余裕ある態度を見せた方が生存率が高いだろう。




「君たちを此処に招いたのはね、一緒にゲームがしたいからなんだよ」




 蝶の仮面が言った。

 光沢のあるどぎついピンクのマスクが、如何にも下衆に見える。拘束されていなければ、殴っていたかも知れない。




「簡単な鬼ごっこだよ」

「鬼ごっこ?」

「僕等が鬼で、君たちは逃げるんだ。夜明けまで逃げ切れば君たちの勝ち」




 嫌な予感がした。

 湊は悟られないように拳を握り、問い掛けた。




「捕まったら?」

「その時は、罰ゲームを受けてもらう」




 夜明けまで逃げ切れば良い。

 簡単だと言うが、ルール次第だ。




「この拘束は外してくれるんだよね?」

「手の拘束は外してあげるよ。でも、若い子の体力は侮れないから、足枷は付けてもらう」




 ふざけんな!

 後ろから声がした。さっきと違う少年の声だ。湊がそれを遮る間も無く、男の掌が翳された。緑色の魔法陣が発光し、何かの破裂する音が響いた。

 背中で液体が飛び散った。それが何か、湊は知っている。


 その時、痛烈なフラッシュバックが起こった。

 心臓が激しく脈を打ち、吐き気が込み上げる。体内から破裂した人間の悲惨な姿がコマ送りに蘇り、湊は今にも叫び出しそうになっていた。


 血の臭いと悲鳴が迸り、周囲はパニックに陥っていた。凄まじい大叫喚が連鎖的に発生し、嵐のような混乱が沸き起こった。


 悪夢を見ているみたいだ。

 湊は目を閉じて耳を澄ませ、声から人数を把握する。一人、二人、三人ーー八人以上。一緒になって悲鳴を上げる訳にはいかない。誰かが冷静でいなければならない。この場でそれが出来るのは、自分だ。

 混乱の渦に飲み込まれそうな思考にブレーキを掛け、湊は目を開けた。




「分かった。やろう」




 湊が言うと、男は微笑んだ。


 ゲームのルールを確認する。

 鬼は六人。自分たちは足枷を付けて、夜明けまで逃げ続ける。捕まれば罰ゲーム。恐らく、命は無いだろう。


 これはゲームと呼ぶよりも、非道な人間狩りだ。


 しかし、断れば、この場で殺される。

 ゲームに参加した方が、まだ希望がある。


 湊の答えに満足したらしく、男たちは拘束を外し始めた。何人捕まっているのか分からないが、無意味な抵抗はしないでくれ。祈るように、湊は拳を握っていた。


 両手が自由になり、身体を起こすことが出来た。

 湊が振り返ると、其処には十代前半から後半に差し掛かる少年少女が、怯えたように身を寄せていた。ルールの通り、足枷が付けられている。


 口元を真一文字に結んだ気の強そうな少年が、男達を睨んでいた。意志の強そうなきりっとした眉が印象的で、湊は漸く、それが誰なのか気付いた。


 ジェミニの街、橋の上で貴族を相手にスリを働いていたストリートチルドレンらしき少年だ。捕まりそうになっていたので、湊は殆ど反射的に庇ったのだ。余計なことをするなと言われてしまったけれど。


 つまり、此処にいるのはストリートチルドレン。

 この男たちは浄化部隊だ。


 湊たちは一列に並ばされ、建物の外に出された。

 外はもう夜だ。最後の記憶では昼だった。どのくらい時間が経ったのだろう。航は無事だろうか、昴は心配していないだろうか。


 ポケットに手を突っ込み、湊は辺りを見回した。

 鬱蒼とした夜の森は、今にも怪物が飛び出して来そうな不穏な雰囲気である。雨の影響で足場が悪いが、気配を隠すには好都合でもある。




「さあ、ゲームスタートだよ」




 男の合図で、子供たちは一斉に走り出した。

 当て所無く逃げ惑う子供たちは顔面蒼白で、冷静な判断が可能とは到底思えない。後ろではあの男たちが児戯のようにカウントダウンしている。


 状況を把握したい。

 此方の手札は何だ。何が出来る。どうしたらいい。

 兎に角、逃げなくては。何処へ。どうやって。


 その時、湊の隣で子供が足をもつれさせて転倒した。抱き起こすと、その体は見掛け以上に軽かった。


 泥だらけで痩せっぽち。見窄らしくて弱々しい。きっと、側から見れば自分も同じように見えるのだろう。


 愉悦混じりのカウントダウンを聞きながら、湊は自分に言い聞かせる。


 落ち着け。考えろ。ーーゲームは、得意だろ?


 湊は転んだ子供の手を引いて走り出した。


 空には鉛色の雲が掛かっている。

 夜明けは、まだ遠い。









 17.青い炎

 ⑸非道ゲーム









 湊がいなくなった。


 残された航は、昴と共に図書館の前で項垂れていた。

 閉館の時間を迎え、街は夜の闇に包まれている。辺りに人気は無く、ひっそりと静まり返っていた。


 湊は意味の無いことはしない。心配を掛けて喜ぶような馬鹿ではない。それなら、何かに巻き込まれたのだろう。


 王の軍勢の一員であるベガは、その組織力を用いて街中を虱潰しに捜索してくれている。航もそのローラー作戦に参加したかったが、昴に止められた。

 何が起きているのか分からない以上、下手に動けない。

 以前、航が拉致された時には、湊が衝動的に行動して事態を悪化させた。同じてつを踏む訳にはいかない。


 情報を得る手段が無いことが悔しい。

 ウルとも連絡が取れないし、現在の状況を知ることも出来ない。それが歯痒い。




「湊なら大丈夫さ」




 青い顔で、昴が言った。

 全く説得力が無い。安い気休めだった。湊が不在で昴に励まされるということ自体が、航にとって緊急事態である。


 ウルは何処に行ったんだ。こんな時に行方不明では、何の意味も無いじゃないか。

 地団駄を踏みたいのを我慢して黙り込んでいると、街の向こうからベガがやって来た。収穫を尋ねる必要も無い程、苦い顔をしていた。

 航が駆け寄ると、ベガは苦渋を鍋で煮詰めたような声を出した。




「王の軍勢は動けないわ」

「どういうことだ」

「王家からの圧力が掛かってる」




 何だ、そりゃ。

 航はあまりの怒りに呆然とした。


 王家から圧力が掛かるということは、犯人は王家の関係者ということではないか。


 航は、あの気色悪い富豪を思い出した。

 湊に執着していた。タイミングを考えると、無関係とは思えない。




「もういい」




 航は傍に置いていたパルチザンを手に取った。

 昴が血相を変えて止めに入るが、構っていられなかった。




「あの富豪は黒だ」

「証拠が無いんだよ!」

「そんなもん、後回しで良い」




 体裁や建前なんて、何の価値も無い。

 乗り込んだ結果、航が指名手配されて世界中から追われる羽目になったとしても、湊さえ無事ならそれで良い。


 嘆くように昴が頭を抱えた。




「似た者同士過ぎるだろ……」

「双子だからな」




 航は威張った。


 王家も王の軍勢も、守ってはくれない。それなら、自分が動くしかない。航は昴の制止を振り払った。

 情報が欲しい。王家の息の掛からない味方が要る。

 立ち止まっていると、脳が腐ってしまいそうだった。静かな街路を縦断していた時、紫色のドブネズミが駆けて行くのが見えた。同時に、航は雷に打たれたかのように一つの方法を閃いた。


 何だ、いるじゃないか。

 自分たちよりも遥かに街に詳しく、王のお膝元を自由に動ける人材が。


 蛇の道は蛇だ。




「昴、付いて来い!」




 航は走り出した。


 ジェミニの街は東西に分かれ、中央には大きな湖がある。街を繋ぐ橋の下には、ストリートチルドレンの根城があった。

 灯り一つ無い横穴は、人間界で言うところの下水道に似ている。その性質故に腐臭が漂い、ドブネズミや不気味な虫が徘徊していた。


 引き摺って来た昴は息切れし、膝に手を突いていた。

 この程度で情けない。魔法ばかり頼るから、この世界の人間は貧弱で、思想が歪んでいるのだ。

 入り口には棒を携えた少年がいた。帽子を目深に被り、壁に凭れて腕を組んでいる。寝ているのかと足を止めれば、帽子の下から青い瞳が見えた。




「よう、航。カストルさんに用か?」

「ああ」




 少年は同伴者も気にせず、航を内部へ促した。

 彼方此方で雫の落ちる音がする。それから、ネズミの鳴き声。足音が反響し、緊張感を煽る。

 入り組んだ通路を辿ると、奥には胡座を掻いたカストルが待ち受けていた。




「お前、兄貴がいたんだってな」




 流石に情報が早い。

 此処に来るまで誰にも出くわさなかったが、何か情報を得る手段があるのかも知れない。




「俺の仲間も行方不明になってる。総動員で探しているが、見付かってねぇ。……浄化部隊に連れ去られて、帰って来た奴はいねぇ」

「湊は帰って来る」

「俺の兄貴は殺されたんだ!」




 カストルは足元の木材を蹴り上げた。

 酷い物音を立てて木材が転がり落ちる。後を追って来た昴がびくりと肩を跳ねさせた。こんな安っぽい八つ当たりで怖気付く程、航は可愛らしい性格はしていない。


 カストルの瞳には、が見える。

 青い炎にも似た憤怒がくすぶっている。


 情報の大切さは、湊が一番理解している。

 自分が側にいられない時のことも想定しているだろう。自分が動けない状況で、助けを求めなければならない時がある。同じ轍を踏むつもりは無い。何か連絡手段を講じているはずだ。

 問題は、それがどのようなサインなのか分からないということだった。何処に現れるかも分からない。それを見付けることは航一人では難しい。




「湊をさらったのも、お前の仲間を連れ去ったのも浄化部隊だ。一緒にいる可能性が高い。湊は易々と殺されはしないし、死なせたりもしない」




 赤い瞳が値踏みするように細められる。

 自分たちの立場はフェアだ。足元を見られる訳にはいかない。




「湊なら諦めない。だから、俺も諦めない。……頼む、力を貸してくれ」




 頼む。

 航は両手を握り締めて、頭を下げた。

 他人に何かを頼んだことなんて、一度も無かった。命乞いするくらいなら、死を選ぶ。けれど、それで湊が助かるのなら、自分のプライドなんてどうだって良い。


 湊さえ、生きているのなら!


 カストルは考え込んでいるようだった。

 此処で守りに入るような臆病者なら、リーダーには成り得なかっただろう。カストルは話の通じない相手じゃない。




「いいぜ、協力してやっても」

「本当か?」

「ああ。こちとら、何をどうしたらいいか分からない状況だったしな」




 カストルは皮肉っぽく笑うと、掌に金色の魔法陣を広げた。恐らく、索敵系の風魔法だ。

 彼の協力があれば、ウルと連絡を取れるかも知れない。しかし、ウルとのやり取りは暗号化されていて、湊にしか分からない。


 せめて、攫われたのが自分だったらと思うと、不甲斐無くて情けなくて消えたくなる。




「街の中に異変があれば、すぐに連絡するように伝えておいた。俺は此処で情報を纏めなきゃいけねぇから、動けねぇ。ーーだから、頼むぜ」




 航はしかと頷いた。

 航にとって湊が家族であるように、カストルにとってストリートチルドレンは家族なのだ。彼の気持ちは痛い程に分かる。


 状況からは完全に置いてけぼりの昴を振り返ると、その藍色の瞳にが浮かんでいるのが見えた。

 昴も人並みに怒ることがあるらしい。


 航は昴の手を引いて歩き出した。

 街はまだ闇の中にあった。


 夜明けは、まだ遠い。

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