15.捻くれ者の美学
⑴ストッパー
カプリコーンの街の一件は魔法界へ
鎮圧の為に王の軍勢が駆り出されたが、カプリコーンの虐殺の手前、大規模な粛清は起こせず、王家は幾つかの街へ自治権を認めざるを得なかった。
一方で、カプリコーンの虐殺で暗躍していた革命軍の存在が明るみに出た。それまで盲目的な信頼を置いていた各地の団体は反革命を訴えるようになり、双方共に身動きが取れないまま
民意を軽視して来た王家と革命軍は、そのしっぺ返しを食らったと言える。
しかし、カプリコーンの街に自治権を与えた昴は、王族とは言え末席で、指名手配されているお尋ね者だ。それでも、魔法界ではまるで昴は救世主のように崇められているのだから、王家信仰の根深さに感謝するべきなのか呆れるべきなのか分からない。
舞台裏で活躍した湊や航のことも知られるようになった。幼い子供ながらに王の軍勢を相手に勇敢に立ち回り、トーナメントでは革命軍に善戦。昴が救世主ならば、二人の子供はヒーローとして賞賛されるようになった。
その影で、ウルの名は全くと言って良い程、挙げられなかった。カプリコーンの一件は、ウルがいなければ成し得ないことだった。それにも関わらず、ウルは裏切り者のレッテルを貼られ、死人扱いされている。それが歯痒い。魔法界へ向かって、ウルはヒーローなんだと、声を大にして訴えたかった。
それを言うと、ウルは困ったように笑った。
「そういう役回りも必要なんだよ。誰かが泥を被らなきゃならねぇ。そして、それが俺の
昴は、遣り切れない思いになる。
ただ、カプリコーンの住民は、全てを知っている。虐殺の裏で何が起きていたのか、ウルへ与えるべきものが罪や罰ではなく、名誉と賞賛であると分かっている。
口にしない感謝の代わりに、自分達はカプリコーンの街に本拠地を構えることが許された。革命軍のスパイの潜伏先であったアルゲティの雑貨屋だった。
中立を宣言するカプリコーンへは、王家も革命軍も容易く侵攻することは出来ない。魔法界で最も安全な地に本拠地を構えることが出来たのは、ウルのお蔭だった。
夕日のような室内灯に照らされ、昴はカウンター席に座っていた。近隣の住民が何故か差し入れをくれたり、店の前を掃いてくれたりする。王家や革命軍に対抗する第三勢力とは思えない庶民染みた光景だが、悪くはないと思う。
キッチンに立った航が、魔法界ではお目に掛かれないような見事な食事を用意する。当たり前のように配られたのは、染み入るような香ばしい茶だった。どんなに強力な魔法よりも、彼の淹れる一杯の茶の方が偉大だと思う。
その双子の兄は、ウルと頭を付き合わせて地図を眺めて、ああでもないこうでもないと何かを真剣に話し合っている。
人の感じ方とは不思議なもので、同じことを同じように言っていても、印象次第で全く別のものに見える。
例えば、ウルが微笑んでいたとする。
それを見ると、何か良いことがあったのかな、と嬉しくなる。彼の感じる幸福を分けて欲しいとさえ思い、どうしたの、と尋ねるだろう。
例えば、航が落ち込んでいたとする。
それを見ると、湊と喧嘩したのか、父の死に打ちのめされているのか、と心配になる。安易に声を掛けることは出来なくとも、側に寄り添おうとするだろう。
例えば、湊が真顔でいたとする。
それを見ると、底知れない恐ろしさを覚えて、自衛の術と周囲への影響を考えてすぐに避難するだろう。微笑んでいたとしても、それはそれで怖い。何を企んでいるのか分かったものじゃない。
湊と航は双子だ。
双生とは、同じ母親の胎内で同時期に発育して生まれた二人の子供だと言う。人間界では双子の出生率は百分の一らしい。そんな彼等がヒーローの息子として生まれたというのは、奇跡とか運命とか、人知の及ばない何かの存在を感じさせられずにはいられない。
ヒーローの面影を残しながらも、外見も性格も違う彼等は、どうして再び魔法界へ戻って来たのだろう。昴は未だにその答えを訊けずにいた。
「問題は資金だな」
遅い夕食を取りながら、四人でテーブルを囲んでいた。航の作った色鮮やかな中華料理は少し辛口であったが、文句無しに美味い。
ウルは手放しに賞賛しつつ、そんなことを言った。
資金。
昴はその言葉を繰り返した。
カプリコーンへ向かう前から問題としていたことだった。物々交換が主流とは言え、後ろ盾の無い自分達には金が無い。交換し得る物品も無いので、殆どその日暮らしだ。今はカプリコーンの住民があれこれと世話を焼いてくれるが、いつまでも頼る訳にはいかない。
人間界では、労働しなければ資金は得られない。
魔法界だって同様だ。生きる為には働かなくてはならないし、活動資金だって必要だ。
とは言え、お尋ね者の自分達が顔を晒して働くことも出来ないし、正義の味方を名乗る以上は略奪なんて以ての外だ。
どうしたら良いのか。
「お前等って、ギャンブルは好きか?」
ギャンブル?
昴が問い掛けると、ウルは不敵に笑った。双子が揃って目を伏せたので、ろくな案では無いのだろう。
「北のキャンサーって街にさ、大きな賭博場が出来たらしいんだ」
「賭博って、お金や物を賭けて勝負することだろ? トーナメントでも見たよ」
ウルは小気味良く舌を鳴らして笑った。
「もっと大きなものだよ。
面白そうだな、と昴は率直に思った。
これまで
それまで黙っていた航が、苦い顔をして言った。
「俺は反対だな。悪銭身につかずって言うくらいだ。現実的じゃない」
「お前って意外と堅実だよな」
茶化すようにウルが言った。
ギャンブルには元手が必要だ。ゲームの勝利を重ねると元手は倍以上に増えるが、負ければ一文無しになってしまうし、負債を背負う羽目になることもある。
慎重派の昴も、航の話を聞くと尻込みしてしまう。
湊は茶を
「俺、ゲーム好きだよ」
航は睨むように目を細めた。
「魔法界と人間界のゲームが同じと思うなよ」
「そうかなあ。ルールは違うかも知れないけど、本質的なものはあんまり違わないと思うよ。それだけ大きな賭博場なら警備もしっかりしてるはずだし、北なら王家や革命軍も活発じゃない」
湊は既に乗り気で、ウルは嬉しそうに頷いている。
昴は明確な否定が出来なかった。湊なら、大丈夫なのではないか。子供の割に賢く、駆け引きも得意で、勘も良い。何より、彼は他人の嘘を見抜くという特殊能力がある。
いや、でも。
場当たり的に否定するが、湊は遮った。
「俺、二人零和有限確定完全情報ゲームも得意だよ。それにカードカウンティングが上手過ぎて、ストリートの賭博場では出入り禁止になってた」
湊が何を言っているのか一つも分からない。
しかし、航が苦い顔をしているので、嘘は無いのだろう。味方の内は心強いと思うが、敵に回した時を考えると恐ろしい。
ギャンブルにおけるゲーム理論の応用についての講義を始める湊を横に、航が溜息を吐いた。
「こいつ、頭は良いけど馬鹿だから、絶対に手綱は離すなよ」
自信が無い。言い出したら聞かないミサイルみたいな湊を止める方法なんてこの世にあるのだろうか。
旅立ちの予定を話すウルが、久々に楽しそうな顔をしているので止めることも
15.捻くれ者の美学
⑴ストッパー
「湊って、どういう人間に見えるの?」
両手に大荷物を抱えて、航が言った。
キャンサーへの出立を前に、必要な日用品を揃える為に買い物へと繰り出していた。
昴は、買い物というものをしたことが無かった。四人で行く必要も無いし、湊と航を二人きりにするのも不安だったので、社会勉強を兼ねて昴と航が駆り出された。
航は意外と面倒見が良く、買い物一つにしても手際が良い。目利きが良く、無駄遣いもしない。これが湊だったなら、今頃無用なトラブルに巻き込まれていたのではないだろうか。
昴は先程の質問の真意も分からないまま、正直に答えた。
「頭の良いクソガキ」
航は大口を開けて笑った。
弾みで荷物が揺れるが、航は取り落としもしない。体幹が鍛えられているのか、よろけもせず真っ直ぐに進んで行く。
彼等は十五歳になったのだと言う。
魔法界での一ヶ月が、人間界では五年だ。その前の単位では一年の差異であった。魔法界と人間界の時空の歪みは最早計算式では導き出せない。
湊は目が回るような数式から乱数を導き出して、或る程度の予測を立てているらしいが、それが正しいかどうかは正直、微妙なところだろう。
十五歳の航は、以前に比べて穏やかになった。
性格の苛烈さは変わらないようだが、所構わず感情的に怒鳴ったり手を上げたりしない。湊よりはずっと健やかに成長していると思う。
航は荷物を持ち直して言った。
「俺はね、湊は化物だと思ってたんだよ」
「まあ、分かる気もする」
「泣き言なんて言わないし、弱り目も見せないし、倫理観とか共感能力とか無いと思ってた」
「否定は出来ないな」
彼は子供とは思えない程に冷静だ。航が化物と思うのも無理は無い。
航は言った。
「でも、人間界に戻った時。俺が下らねぇって思うことにくよくよ悩んだり、迷ったり、訳分かんねぇことで間違ったりしてるの見て、ああ、こいつ人間だったんだって思った」
人間界で何があったのだろう。
昴が
「親父も、そうだったんだろうな」
ぽつりと、独り言みたいに航が言った。
昴は何故か航を抱き締めてやりたくなった。
彼等にとってのヒーローは、父親だった。手の届かない偶像ではなく、触れることの出来る人間だった。彼等がそれを理解し、受け止めていることが、何より嬉しかった。
大人しく抱き締められるはずも無い航は、猫のような目を伏せていた。
「湊って、誤解され易いけど、悪い奴じゃねぇよ。卑怯で非道に見えるけど」
否定はしない。湊は合理的な判断に基づいて行動を選ぶ。それは彼にとっての正義であるし、理想の高さでもある。
そして、それは航も同じだ。彼の性格の苛烈さは高潔な矜持に由来し、甘さと優しさを履き違えない強さなのだ。
兄を認める航の姿は微笑ましい。
昴は知らず笑っていたらしく、航に眉を寄せられた。
「リミッターとかブレーキとか無ぇんだよ。目的の為に手段選ばない時もあるし。親父もそういうところがあった。だから、俺がいなくても、絶対に目を離すなよ」
それは、どういう意味なのだろう。
追求しようと思ったが、既に目的地に到着していた。本拠地の雑貨屋からは馬鹿みたいな笑い声が聞こえている。扉を開けるとウルが目の端に涙を浮かべながら腹を抱えていて、湊が
どういう状況なのだろう。
荷造りを放り出して騒ぎ倒す二人の前に航が仁王立ちする。以前ならば絶対に見ることの出来なかった光景だ。
昴は手荷物を床に下ろしながら、激しい罵声を浴びせる航の横顔を見ていた。
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