⑻朝

 夜明け前の闇の中、王の軍勢と革命軍、住民を巻き込んだ市街戦は苛烈を極めていた。湊と航は住民を庇うように立ち回るが、圧倒的な戦力差を前に劣勢へ追い込まれている。


 昴は罪悪感に押し潰されそうになっていた。自分が住民をけしかけたも同然だ。

 自分達の最低達成条件は、誰も死なないこと。しかし、この粉塵にまみれた混戦では、最早、誰かを守ることも難しい。


 革命軍の指揮官を誘き出して抑え、撤退。

 烏合の衆となった残党を、王の軍勢に狩らせる。

 それが湊の筋書きだ。彼に落ち度は無かった。昴が住民の義憤を煽ったせいで、巻き込む必要の無かった人々が傷付いている。


 その時、一陣の風が吹いた。

 それは戦塵をさらって、清涼な空気を連れて街中を駆け抜けた。昴の耳に、凛とした女性の声が聞こえた。


 ーー撤退せよ。


 王の軍勢に向けられた指示だ。

 これまでの出鱈目でたらめな情報とは異なる、指揮系統からの正規の命令である。王の軍勢は苦々しく顔を歪め、名残惜しみながらも、一人、また一人と撤退を始めた。


 反射的に後を追おうとする住民に、湊が叫ぶ。




「深追いするな!」




 住民達は急ブレーキでも掛けられたようにつんのめる。航は残された革命軍の残党を縛り上げ、頬を伝う汗を乱暴に拭っていた。


 狂気を鎮めるのは、理性であるという。

 一時撤退の指令は風となって街中を余す所無く駆け巡り、終にカプリコーンから王の軍勢の姿は消えた。自分達の窮地を救ったその魔法が誰のものであるのか、昴には分かった。




「ウルだ」




 湊が道の端にしゃがみ込んで言った。流石に、疲労の色は隠し切れない。誰より動き回っていたはずの航はぴんぴんしているのに、対照的だ。


 戦場となった街中は酷い有様だった。

 彼方此方に血が飛び散り、死体が転がる。街路は獣の爪痕のようにえぐれ、建物は瓦解。失ったものは多く、得るものは何も無い。


 戦いを失くす為の戦い。

 ヒーローを失くす為のヒーロー。

 虚しくて、遣る瀬無い。この矛盾を解消する術があるのだろうか。仕方無かっただなんて割り切れない。犠牲の必要の無い世界を切望することも止められない。




「話し合いが全てを解決するのなら、戦争なんて起こらない。でも、平和を願うことを止めてはいけないと思う。今は届かなくても、いつか、届く」




 湊が言った。

 身を切るような悲痛な声だった。


 王の軍勢が撤退し、革命軍が捕縛された頃、転移魔法を使ってウルが戻って来た。風魔法は探索能力に優れている。戦場で何が起きたのか、分かっているだろう。


 ウルは言葉を失くして、荒れ果てた街中を見渡していた。昴は口を開いた。




「僕のせいだ。僕が皆を嗾けた。湊は街の人を死なせない作戦を立てていたのに……」

「イレギュラーが起こるのは当たり前のことだよ。街の人が巻き込まれたのは、対応出来なかった俺の未熟さだ」




 湊が冷たく言った。

 慰めなのか、庇ってくれたのか、冷静な判断か。昴には分からない。

 革命軍の残党を縛り終えた航が戻って来て、ウルを見付けると少しだけ笑った。




「湊がカッとなって、俺が止め切れなかった。昴もタイミングを見誤った。俺達の責任だ。ウルとベガは、最善を尽くした」




 彼等は言い訳をしない。自分の行為の責任を負う覚悟がある。


 それに比べーー。

 卑屈な考えに取り憑かれ、昴は項垂うなだれた。その時、街路の向こうから乾いた足音が聞こえた。

 月光を反射する白銀の鎧、深緑のマント。腰まで伸びた金色の髪が波を打ち、宝石のような碧眼は静かに前を見据えている。


 ベガだ。

 見るからに位の高そうな品のある正装で、従者の一人も無く闊歩かっぽしている。ベガは人形のような無表情で辺りを見渡してから、昴へ向き直った。




「作戦は成功したのね?」




 何を言われているのか、分からなかった。

 ベガは肩に掛かった髪を払い、冷ややかな視線を送る。




「私達の最低達成条件は、誰も死なないこと。そして、勝利条件は革命軍を退しりぞけることだった」




 昴は頷けなかった。

 これは、勝利と言えるのか?

 守るべき人を守れず、街は破壊され、得たものは何も無い。




「でも、街の人が……」

「仕方が無いのよ。犠牲無く成果は得られない。何の犠牲も払いたくないだなんて考えは、甘いんじゃない?」




 言い返せない。この結果は、昴の言葉が理想論に過ぎなかったということの証明だ。


 それまで黙っていたウルが、前へ進み出た。




「でも、それを譲っちまったら、昴じゃねぇんだよ」




 皮肉っぽく、ウルが笑う。

 ウルは昴の前に膝を突いた。




「お前は間違ったことはしてねぇ。胸張ってろ」

 



 そうなのか。本当に?

 助けられる命があった。守れるはずだった。此処で納得したら、もう進めない気がする。


 その時、一人の男が歩み出た。

 アルゲティだった。顳顬こめかみからは血が滲み、衣服は煤で汚れている。




「事情は聞いたよ。俺達は革命軍に唆されて、大変な過ちを犯すところだった……」




 沈痛な顔で、アルゲティは顔を覆った。

 掛ける言葉も無い。彼等は覚悟を持って戦いに挑み、そして、死んだ。確かに昴は精神干渉の魔法を使っていないが、結果を見れば、やっていることは革命軍と同じだ。

 ウルとベガがいなければ、住民は殲滅されていたのだろう。


 満身創痍の住民達が、五年前の悲劇を思って目を伏せる。死者は蘇らない。例え、革命軍を退け、王の軍勢から逃れても、それは一時的なものなのだ。下手に抵抗した分だけ、虐げられるのかも知れない。

 彼等には支配しようとする王族を、退けるだけの力は無い。魔法界の凶暴な魔獣から身を守ることも出来ない。彼等を丸腰で肉食獣の檻へ放り込んだようなものだった。


 何の意味があったのだ。

 苦い後悔を噛み締めていると、体力の回復したらしい湊が顔を上げた。







 抑揚の無い声だった。

 背筋に冷たいものが走る。湊の視線はアルゲティを捉えて離さない。

 隣で航がパルチザンを構えた。







 意味が分からない。

 アルゲティは驚いたように目を丸め、助けを求めてオロオロと辺りを見渡す。そして、次の瞬間、目にも留まらぬ速さでウルはその喉元へナイフを突き付けていた。




「孤児院の座標を送ったのは、お前だったのか……!」




 孤児院の座標ーー。

 五年前、王直属の諜報部隊は、カプリコーンの街に革命軍の基地があるという情報を掴んだ。報告を受けたウルは、座標へ王の軍勢を送った。しかし、其処は何の関係も無い孤児院で、ウルの故郷だった。

 王の軍勢は孤児院にいた人間を殲滅し、暴動を起こした住民を粛清。カプリコーンは壊滅した。


 これは全て、革命軍による策略だった。

 王の軍勢に潜り込んでいた革命軍のスパイが、権威を失墜させる為に民衆を虐殺させた。


 そして、虐殺を促した革命軍の諜報員、それがアルゲティだと言うーー。




「違う!」




 アルゲティが叫んだ。

 昴には、他人の嘘は分からない。だが、逃げ惑う住民の中、彼が抗戦のきっかけを作った。油を注いだのは湊と昴かも知れないが、火を点けたのは、アルゲティだった。




「その子供が出鱈目を言ってるんだ!」

「湊は、他人の嘘が見抜ける」

「俺を疑うのか? 俺が今まで、お前を騙したことがあったか?!」





 ウルはそっと目配せした。

 その赤い瞳は息を呑む程に冷たく、残酷な光に満ちていた。王直属の諜報部隊、暁の蝙蝠と呼ばれたウルの過去を想起させるには十分過ぎる姿だった。


 流石の湊も、幾らか顔を青くして言った。




「その人は嘘を吐いている。俺には分かる」

「そうか……」




 ウルは残念そうに目を伏せた。




「弁解はいらねぇ。ーー死んでびろ」




 ナイフが首元を滑る、刹那、ベガが言った。




「待って。その男が革命軍の諜報員だと言うのなら、私に任せてくれない?」

「メリットは?」




 血も凍りそうに冷たい声だった。

 ベガは物怖じもせず、答えた。




「この男は情報を持っている。私なら、貴方に出来ない方法でそれを引き出せる。この街で起きた悲劇の真相を解明出来るわ」

「それで俺に何の得がある」

「大局を見なさい。此処でこの男を殺せば貴方の気は晴れるかも知れないけど、街の人は真実を知らないまま、戦乱に巻き込まれてしまうわ」

「……」




 仮面のような冷然とした顔で、ウルはアルゲティを見遣った。ナイフを下ろすこともせず、手負いの獣のように全身で辺りを警戒している。


 航が言った。




「生かしておく道理は無ぇ。そいつが有益な情報を持っているとは思えねぇ。回収する手間すら惜しむ、捨て駒だ」




 航の言っていることも分かる。

 湊が言った。




「殺す価値だって無いさ。ウルが手を汚すくらいなら、取引しよう」

「取引?」




 アルゲティを睨んだまま、ウルが問い返す。

 湊は能面のような無表情で、ベガへ向き直った。




「王の軍勢と取引がしたい。この街に、自治権を与えて欲しい。王の軍勢はこれまで通りに駐屯するが、内政には干渉しない。それが此方の条件」

「都合の良い条件ね。困った時だけ王家を利用しようと言うの?」

「政府とは本来、そういうものだ」




 ベガは何かを悟ったようだった。


 取引に値しないのではないだろうか。

 昴の目には、アルゲティという男がそれ程の重要人物には見えない。湊の条件が通ったとして、現実には然程変化も無いだろう。


 しかし、重要なのは、王の軍勢が自治権を認めると宣言することなのだ。民衆の権利を王家が返還する。その事実が欲しい。


 ベガにも、その選択の重要性が分かるだろう。

 王家が膝を折れば、それは弱体化を意味し、革命軍の追い風になる。




「その条件は呑めないわ。私の権限では、一つの街に自治権を与えることは出来ない。決定権は王家にある」

「俺は、その男の人の重要性が分かるよ」




 湊が乾いた声で言った。




「この街で起きた王の軍勢による民衆の虐殺は、王家の汚点だ。革命軍の関与を証明する為に、貴女達は何としてでもこの男の人を抑えなければならない」

「私を脅そうと言うの? 真実なんてものは幾らでも捏造出来る」

「でも、貴女はやらない。真実に勝る事実なんてものは無い。それはきっと、貴女が誰より知っているはずだ」




 確信を持った強い口調で、湊は断言した。

 それでも頷けないベガに、航が溜息を吐いて駄目押しする。




「王家の承諾が必要なら、此処に一人いるだろ」




 退屈そうに航が言った。

 投げ遣りな視線は、昴を指していた。




「僕?」




 突然、話を振られて驚いた。

 確かに昴は王家の一員だが、末席である。決定権は無いし、そもそも反乱分子として指名手配されているのだ。


 航は言った。




「王の軍勢は王家に従うんだろ? 昴は除籍されている訳じゃねぇ。間違い無く王家の一員だ」

「屁理屈ね」

「何とでも。俺達は、あんたが頷くまで幾らでも抗ってみせる」




 虚を突かれたかのようにベガが息を呑んだ。

 徹底抗戦。彼等のモットーだ。昴は春風が吹き抜けたかのような爽快な心地になっていた。

 小さな二人の少年が、武器も無く、魔法も無く、口先だけで王の軍勢と対等に渡り合っている。


 これは希望だ。

 昴は前へ進み出た。


 民衆が取り囲み、湊と航が見守っている。

 ウルは力を無くしたようにナイフを下ろし、アルゲティを始めとした革命軍は拘束された。ベガが昴の眼前にひざまずく。


 例え形式上の遣り取りであったとしても、きっと此処には意味がある。




「王家の名において、王の軍勢へ命じる。カプリコーンの街へ自治権を認める。何人足りともこれを侵すことは許されない。王の軍勢はその忠義の元に、人民の生命と矜持を守ることを誓え」




 何かが、此処から始まる気がする。

 跪いたベガは、厳かに答えた。




「誓います」




 その瞬間、割れんばかりの拍手が起こった。

 街路を埋め尽くす民衆は互いの肩を抱き、涙を流した。空には魔法陣が幾つも浮かび、色取り取りの花弁と火花が散った。


 湊と航が住民にもみくちゃにされている。照れ臭そうな湊と、心底迷惑そうな航。その姿は年相応に幼く、穏やかだった。


 ベガは踵を返して颯爽と歩き去る。その傍では肩を落としたアルゲティが引き摺られていた。


 昴は微笑ましく眺めながら、他人事のように拍手を送っていた。その喜びの歓声に包まれる街で、ウルがそっとその場を後にするのが見えた。








 14.悔ゆる道を辿る

 ⑻朝








 カプリコーン郊外の共同墓地は、朝靄あさもやの中、壊れそうな弱い日差しを受けて静かに広がっていた。露出した赤土の大地には棘のある白い花が咲き乱れ、死者の冥福を祈って音も無く揺れる。

 墓地の端には丸みを帯びた石の塔があった。五年前の虐殺の被害者の慰霊塔である。住民によって今も丁寧な手入れが施され、溢れんばかりの花が供えられていた。


 悲劇を繰り返してはならない。

 其処には、カプリコーンに住まう人々の切な祈りが込められていた。


 今は喜びに沸く人々も、明日には今回の死者を埋葬する為に訪れるだろう。人気の無い墓地で、水色の髪を風に流しながら、ウルは立ち尽くしていた。


 瞼の裏に蘇る、五年前の悲劇。

 紅蓮の炎が空を舐め、人々の救いを求める悲しい声が木霊した。地を揺する王の軍勢の前で、ウルは何も出来なかった。

 抱き上げた家族の亡骸は、重みを与えることも無く、炭となって崩れ落ちた。

 胸を砕かれ、矜持を踏み躙られ、呼吸すら無くしてしまいそうな絶望と虚無感。あの日から、ウルは幽霊のようなものだった。


 居場所も無く、目的も無く、ただただ息をしていた。

 盗みもやった。殺しもやった。人がさげすむ行為を重ね、いやしく生き続けた。


 それは何故なのだろう。どうして生きて来たのだろう。きっと、生きることを選んだのではなく、死ねなかったのだ。

 誰かに許して欲しかった。認めて欲しかった。こんな自分でも良いのだと、声にして欲しかった。


 人は誰かに認められなければ生きられない。

 航が言っていた。ウルには、その意味が痛い程に分かる。


 ウルは手にしていた花を供えた。夢のように真っ白な花だった。




「ウル」




 呼び掛けられても、ウルは振り向かなかった。

 墓地に入って来た時点で、気配は感じていた。祝福の中にいるべき男が、どうして此処にいるのか。




「昴」




 ウルは振り向いた。

 夜空に似た藍色の瞳は、悲しげに伏せられていた。長い睫毛が頬に影を落とし、その悲哀を深めている。


 昴は言葉も無く慰霊塔の元までやって来ると、何の呪いなのか両手を合わせて祈っていた。暫く目を閉じていたかと思うと、蕾が花開くように目を開けた。




「ーー昔、僕は人を殺したんだ」




 零れ出すそれは、懺悔ざんげだった。




「視肉と呼ばれる女の子の命を使って、王の軍勢を退けた。僕は自分の身を守る為に大勢の命を奪った」

「……人間界でのことか?」




 昴は頷いた。




「沢山の人に危険が迫ってた。他に方法は無かった。何度も自分に言い聞かせたけど、納得出来なかった。今も夢に見る。辛くて苦しくて、まるで出口の無い洞窟で、独りぼっちでいるみたいだった」

「……」

「もう駄目だ。何をしても無駄だ。諦めて目を背ける度に、ヒーローの声がする。希望がある。希望がある。希望があるって……」




 彼等の敬愛するヒーローに、ウルは会ったことが無い。そして、二度と会うことも無い。

 会ってみたかったな。ウルが言うと、昴は悲しげに微笑んだ。




「ヒーローが言ってたよ。死ぬ事に意味があるんじゃない。死んでも意味があるんだって。そして、その意味を見付けて行くのは、生きている僕達にしか出来ないことなんじゃないかなって……」




 真実なんてものは無い。あるのは解釈だけだ。

 死者は永遠に口をつぐむ。




「きっと、正義なんてものは無い。僕の正義は、誰かにとっての悪だ。僕は大勢の命の犠牲の上に立ってる」




 なんて、全部、受け売りなんだけど。

 昴は自嘲して言った。




「犠牲者を無意味にするな。ーー僕が透明人間に言われたこと。いつも自分に戒めてる」




 ヒーローと透明人間の魂が、昴の中に生きている。

 ウルは目を閉じた。彼等の言葉は余りに美しい正論で、直視するには眩し過ぎる。




「生きよう。辛くても、苦しくても、悲しくても。それだけが、僕等に出来る唯一の償いだ」




 立ち上がった昴が、手を差し伸べた。

 ウルは苦く笑い、その手を取った。


 墓地の外、湊と航が待っている。

 遅いよ、なんて声を揃えた二人に、見たこともないヒーローと透明人間を見た気がした。


 夜が明け、朝が来る。

 透明な風が街を吹き抜け、花弁を揺らして行った。

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