⑺夜明け前

「百戦百勝は善の善なるものにあらず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり。ーー戦争における最大の勝利っていうのはね、相手を完膚かんぷ無きまでに叩き潰すことではなくて、戦わずして勝利することなんだ」




 つらつらと湊が言った。

 こういうところは本当に変わっていない。多分、もう変わらないのだろう。昴はやれやれという思いで、一応尋ねた。




「それ何?」

「孫子の兵法」




 知らない言葉だ。

 湊は大変な読書家である。だから、こんなに頭でっかちなのかも知れない。




「自陣の被害は最低限に抑える。俺達の最低達成条件は、誰も死なないことだ」




 言葉にすると当たり前のことではあるが、現状を考えると難しいことでもある。王の軍勢も革命軍も、命を懸けて信念を貫こうとしている。その中で、誰も死なないというのは現実的ではない。


 だが、昴は反対しない。

 昔、ヒーローに教えられたことだ。




「俺達の勝利条件は、革命軍を街から退しりぞけること。革命軍が組織である以上、指揮系統を乱せば後は烏合うごうしゅうになる」

「残党は王の軍勢に狩らせるのか?」

「手柄を譲ってやるんだよ」




 物は言いようだ。

 湊は、にしし、と笑った。




「俺達が指揮官を見付け出すまで、王の軍勢には大人しくしていてもらおう。ベガがいれば難しくない」

「人質か?」




 ウルは嫌そうに目を細めた。

 湊は合理主義なのか何なのか、時々、非人道的なことを言う。正義の味方を名乗る以上、人に顔向け出来ない真似はしたくない。


 湊は首を振った。




「本人の協力が得られているのに、人質に使うなんて勿体無い。言ったじゃないか。これはなんだって」




 湊の冷静さは美点であるが、倫理観の欠如が目に余る。いつか指摘して、説教してやろう。

 航とウルは何かを察したようだった。




「王の軍勢は内側から引っ掻き回して、身動きを取れなくする」

「そう。その上で、革命軍の指揮官を誘き出す」

「どうやって?」




 昴が素直な気持ちで訊くと、ウルと航は残念そうな顔をした。湊は意味深に微笑み答えない。

 助けを求めてベガへ目を向けるが、逸らされる。何だこれは。僕が何をしたって言うんだ。


 ウルは俯いて何かを考え込んでいるようだった。

 航が顔を上げて言った。




「作戦は分かった。でも、戦力分散にならないか? リスクが高い」

「腹案もあるけど」

「ああ、もういいや。お前の作戦に乗るよ」




 投げ遣りに航が言った。

 湊は既に、無数の選択肢の中から、反対意見を予測して最善を選んでいるのだ。此方の不安も想定内なのだろう。




「湊がやるって言うなら、やっても良い。俺は手ぇ抜く奴とは協力しない」




 変わらないな。

 昴は状況も忘れて嬉しくなった。人は分かり合えない。けれど、認め合える。彼等はヒーローの言葉を体現している。

 昴は、胸が温かくなるのを感じた。五人しかいないのに、まるで千の兵を率いているかのように頼もしかった。








 14.悔ゆる道を辿る

 ⑺夜明け前









 長い夜だった。太陽は世界の端に消え、空には皿のような月が浮かんでいる。星は物々しい街の雰囲気を恐れたかのように雲の中へ隠れていた。


 街の中には嫌な緊張感が張り詰めている。往来に人通りは無く、住民は固く扉を閉ざしていた。嘗ての活気は消え失せ、今は王の軍勢ばかりが踏ん反り返って闊歩かっぽする。

 篝火かがりびの代わりに金色の光が浮遊し、まるで見張りのように巡回していた。夜明けは遠い。


 昴は、路地裏に身を潜めていた。


 湊の作戦通りなら、今頃、ウルとベガは王の軍勢の駐屯地に潜入している。

 ベガは正真正銘、王の軍勢の一員だ。そして、ウルは元王直属の諜報部隊だという。彼等ならばきっと完遂出来る。


 二人が時間を稼いでいる間に、やらなければならない事がある。この街に蔓延る革命軍の指揮官を探す。

 昴はリゲルを思い出す。もしかすると、彼が指揮官なのかも知れない。




「彼は指揮官には向いてないよ」




 手元の洋弓をいじりながら、つまらなそうに湊が言った。

 ベガとウルが王の軍勢を抑える諜報部隊だ。そして、戦闘能力の無い昴は暴走馬に等しい双子と組まされていた。




「組織のトップにはカリスマ性が必須だ。精神干渉なんて下らない魔法に頼る人には、向いてない」




 普段は航の態度の粗雑さや言葉遣いの乱暴さばかりが目立つけれど、湊も相当だ。いつも二人で喧嘩を繰り返していたのだから、大して変わらないのだろう。取りつくろう技術があるだけ、湊は性質たちが悪い。




「湊って、性格悪いよな」

「それを楽しめるようになったら一人前だ」




 暖簾のれんに腕押ししているようだ。

 昴は溜息を吐いた。




「カリスマ性って何なの」

「他人を魅了して感銘を与えるような、一部の人だけが生まれながらに備えた素質かな」

「僕には無いな」




 弱音のつもりは無いけれど、昴はつい零してしまった。

 自分には、湊のように冷静で明晰な頭脳も、航のように勇敢で頼もしい身体能力も、ウルのような思慮深さも無い。現王であるレグルスや、革命軍を率いるシリウスには、そのカリスマ性というものがあるのだろう。だから、人が付いて行く。それに比べて、自分には何も無い。


 昴が肩を落とそうとすると、湊が子犬のような真ん丸の瞳で見ていた。




「昴って、指導者になりたいの? 王様になりたいの?」

「え?」

「違うでしょ。所信表明で言ってたこと、俺は忘れてないよ」




 純真な笑顔を向けられて、昴は自分の心が見透かされているかのような錯覚を抱いた。




「それに、昴を信じて付いて来てくれた人もいるだろ。信頼を裏切りたくないなら、虚勢でも胸張ってろよ」




 耳が痛くなるような正論だ。説教してやろうと思っていたのにな、と昴は苦笑した。

 路地裏には昴と湊の二人きりだった。そういえば、航は何処へ言ったのだろう。


 その時、遠くの方で声が上がった。昴が身を乗り出すと、火事でも起きたみたいに、王の軍勢が一斉に駆けて行くのが見えた。


 スバルがいたぞ。


 そんな声が引っ切り無しに上がる。自分が見付かったのかと焦ったが、彼等は全く別の方向を指していた。

 白い街路の上、黒子くろこのような服装をした少年がいる。片手には槍を携え、獰猛な肉食獣のような眼差しで辺りを睨んでいた。しかし、その面は自分の知るものとは異なり、栗色の髪と濃褐色の瞳は藍色に染め上げられていた。

 昴だ。鏡で映したように、自分と同じ顔をしている。


 その少年は王の軍勢の包囲を冷ややかに見遣り、中指を立てて「かかって来いよ」と挑発していた。

 昴には、それが誰なのか分かった。




「航」




 見た目は昴だが、中身は航だ。

 ウルの幻の魔法だろうか。変装している癖に、演技しようとはしない。傲岸不遜で勇猛果敢な航が、王の軍勢に大立ち回りを演じている。


 何で、航が。


 湊は激しい戦闘の中にいる弟を見遣り、感情の無い声で言った。




「革命軍の指揮官を誘き出す。昴が街の中にいると知れば、必ず動く」

「それなら、航じゃなくたって良いだろ!」

「昴ってさあ」




 湊が笑った。




「汚れ役出来る?」

「何?」

「俺は出来るよ。きっと、航もウルもベガも、信念を貫く為にその手を汚すことが出来る」




 不可解なことを言って、湊は綺麗に笑った。

 その意味を追及しようとした瞬間、湊が思い切り背中を押した。突き飛ばされた昴は街路に転がった。

 呆然とする昴に、王の軍勢が怒鳴り散らす。


 スバルがいたぞ!


 わあわあと、雑音がうるさい。

 湊は路地裏の影から、にこやかに手を振っている。其処で漸く、昴は作戦の全貌を把握した。


 目的は撹乱なのだ。街の中に昴が二人いると知れば、二手に分かれて追うしかない。夜の闇の中、傍目にはどちらが本物なのか分からないのだ。


 だが、シリウスの率いる革命軍ならば、昴に戦闘能力が無いことを知っている。そして、二人の差異を確かめる為には指揮官が出て、目視で確認しなければならない。


 昴がいる以上、遠距離からの広範囲攻撃は出来ない。湊はそれを知っていて、市街地での近接戦闘を展開させた。


 王の軍勢は、ウルとベガによって情報操作されている。だから、吸い寄せられるようにして航の元へ向かって行く。全て湊の掌の上だ。情報操作すら及ばない王の軍勢の下っ端が集まって、昴を取り囲む。


 どうしたら良いのか分からない。多分、何もしないのが正解なのだろう。湊は昴に期待していないから、何の指示も与えなかった。


 飛んで火に入る夏の虫ーー。

 湊の声が聞こえた気がした。


 湊は月光を遮るように掌を翳していた。その視線を定めると、優雅な動作で洋弓を構えた。


 やけにのろのろしているように見えて、焦れったい。

 自分だけ高みの見物だなんて良い御身分じゃないか。

 悪態吐きながらも、理解していた。


 自分達の最低達成条件は、誰も死なないことだ。

 昴は捕らわれることはあっても、殺されることはない。変装している航も同じだ。そして、ウルもベガと一緒なら安全だろう。


 最も危険なのは、変装もせずに敵の本陣で指揮官を狙う湊だ。獲物を狩る寸前の湊が狙われる。


 湊が矢を番える。それが放たれると同時に、虚空を切り裂く高音が鳴り響いた。

 金色の閃光が、湊へ向かって一直線に走った。


 青い矢は、街の上空に浮かぶ一つの影を見事に撃ち落とした。金色の光が湊へ迫る。昴は手を伸ばした。届かない。背中を焼くような焦燥感に、昴は歯噛みした。


 だが、その時、黒い影が光を弾いた。その凄まじい速度は爆風を巻き起こし、周囲の建物を吹き飛ばして行った。


 航だ。一瞬で間合いを詰めた航の手には、真っ赤に燃えるパルチザンが握られている。

 湊の洋弓と同じように何かの魔法効果があるのだろう。王の軍勢が襲い掛かる。前線に躍り出た航が、不敵に笑う。


 周囲を押し退け、屈強な兵士が進み出る。その他には航と同じく銀色の槍が握られている。男は身体中の筋肉を発条ばねのように躍動させ、投石機のように槍を投げ放った。

 航は猫のように身を低くして構えている。そして、避けることもせずに空中で掴むと、息を巻くような鮮やかなステップを踏んで投げ返した。




「アウリープ」




 湊が言った。航は笑っていた。槍は男の肩を貫いていた。

 ナイスシュート。二人が声を揃えた。


 指揮官を失った革命軍が、右も左も分からず駆け回る。烏合の衆だ。騒ぎを聞き付けた住民が、まるで煙にあぶられたねずみみたいに逃げ出す。ナイフを片手に立ち回っていた湊は、目の端でそれを捉えると声を上げた。




「逃げるな!」




 放たれた矢を叩き斬り、湊が叫ぶ。




「いつまでも被害者でいようとするな! 奪われることに慣れるな! 救ってくれる誰かなんて、何処にもいないんだ!」




 航が湊を庇って立ち塞がる。

 湊は何かを堪えるように拳を握っていた。




「自分の目で確かめろ! この世界で何が起きているのか、誰の為の戦いなのか!」




 それは、まるで血を吐くような悲痛な叫びだった。

 一陣の風が吹き抜けた。淀んだ空気を一掃した風は、凪いでいた水面を波立たせるように、人々の心を激しく打つ。




「アンタ達がいつまでも弱虫だから、ヒーローがいなきゃいけなかったんだ!」




 救済を必要としない世界ーー。

 それは、ヒーローも必要の無い世界なのか。

 昴は、胸を掻き毟りたい程の悲しさを抱いた。ヒーローになりたいと願った和輝は、ヒーローの必要無い世界を望んだのか。酷い矛盾だ。泣きたくなる程に。


 二人の子供が直面した現実を、昴は断片的に理解した。

 ヒーローだったから死んだのか。死んだからヒーローになったのか。きっと答えは無いのだろう。死者は語らない。真実なんてものは無く、あるのは解釈の違いだけだ。


 誰がヒーローを殺したのか。

 答えは、だ。不特定多数の弱者がヒーローを見殺しにした。ヒーローとは、守るべき弱者が存在しなければ、成立しない。

 それでも、彼はきっと理想に殉じたのだろう。

 そう願うことしか出来ない。


 昴は腰に差したナイフを引き抜いた。

 戦わなければならない。生きなければならない。ヒーローが守った二人の子供を生きて返さなければ。昴には、もうそれしか出来ない。


 降り注ぐ矢の雨を、航がパルチザンを旋回させて弾く。

 逃げ惑う愚かな聴衆を、湊が声を枯らして鼓舞する。

 彼等が強く訴え掛ける。


 抗え、諦めるな、信じろ。

 何度でも!


 昴は掴み掛かる兵士を避け、重厚な鎧の継ぎ目に刃を突き立てた。肉を抉る嫌な感触に不快感が込み上げる。立ち止まる間も無い。迫る大男にナイフを向けると、横から航がパルチザンを突き出した。


 血飛沫が舞い、返り血をもろに受けた航が唾を吐き捨てる。既に幻の魔法の効果はけ、其処に立っていたのはヒーロー息子、そのものだった。


 航は、聴衆に向かって叫ぶ湊の首根っこを掴むと、短く「逃げるぞ」と言った。長居する必要は無い。後は烏合の衆と化した革命軍の残党を、王の軍勢が始末する。


 これで一件落着だ。ーー本当に?

 本当に、そう思う?


 昴の中で、疑念が芽を出す。

 それだけで良いのか。もっと先を見据えた答えは無いのか。王の軍勢が革命軍を始末すれば、彼等は街を救った英雄だ。この街の王家信仰は強くなる。

 しかし、この街は一度、縋るべき王家によって滅ぼされた。憎いかたきに膝を折れと?


 それじゃ、駄目だ。

 撤退しようとする航の横で、昴は立ち止まった。




「ーー五年前、この街で何が起きていたのか」




 彼等には、それを知る権利がある。

 民衆は昴の存在を認めると、足を止めた。




「革命軍は、王の軍勢の威光を失墜させる為に非道な作戦を実行した。それは、或る孤児院を革命軍の本拠地だという根も葉も無い嘘の情報だった」




 街中が、しんと静まり返っていた。




「この情報を受けた王の軍勢は孤児院を攻撃し、女子供も関係無く虐殺した。歯向かう住民には血の粛清を行い、大勢の人が亡くなった」




 人々は目を伏せた。

 五年前だ。それが古いのかそうでないのか分からないが、彼等の記憶には鮮明に残っているはずだ。




「街は一度滅んだ。けれど、貴方達は諦めず、復興させた。血の滲むような努力と、雲を掴むような試行錯誤の日々だっただろう」




 昴は大きく息を吸い込んだ。




「それが今、五年前と同じように踏み躙られようとしている。革命軍も王の軍勢も守ってはくれない。それなら、誰が守ってくれるのか。犠牲の魔法に頼るか? この二人の子供か?」




 乱戦の中にいた湊と航は返り血に染まり、傷だらけだった。

 救世主なんていない。自分の命を、矜持を、意志を守りたいと思うのなら、自分自身が傷付く覚悟で戦わなければならない。


 伝わらないかも知れない。笑われるかも知れない。

 沈黙が耳に痛く、諦念が胸の奥から湧き上がる。ーーだが、その時。




「戦おう!」




 声を上げたのは、小太りの髭親父ーーアルゲティだった。街の雑貨屋の店主が、誰より早く訴える。

 それが合図だったみたいに、住民が魔法陣を広げる。


 駄目だ。これじゃ、駄目だ。

 昴は焦った。これでは、革命軍と同じだ。民衆を武装蜂起させてはならない。また罪の無い人が殺される。


 戦うしかないのか。

 殺し合うしかないのか。

 焦る昴に、航が静かに言った。




「争いは起こる。人は死ぬ。戦いを失くす為の戦いだ。誰の策略でもねぇ。こいつ等が、覚悟を決めて選んだ答えだ」

「でも、こんなの!」

「何でもかんでも救える訳じゃねぇんだよ」




 達観したように言う航こそが、辛い顔をしていた。

 革命軍の残党が掃討される。民衆が王の軍勢に立ち向かう。血は流れ、人は死ぬ。王の軍勢も情報を撹乱されて指揮系統はぐちゃぐちゃだ。


 航が武器を取った。




「どっちが正義か分かるか? 俺には分かんねぇ」




 きっと、どちらも正しい。


 民衆が打ち倒されて行く。それでも、彼等は抗うことを止めない。それが愚かだと、笑えるか?


 湊と航が踵を返し、駆けて行く。乱戦の中に飛び込む小さな背中を見詰め、昴は拳を握り、後を追った。

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