⑹明けの明星

 昴は航を先頭に、街中を走っていた。

 街の彼方此方で火の手が上がり、魔法による戦闘が繰り広げられている。倒壊した家屋、圧死した住民、空は鉛色の雲に覆われ、一筋の光さえ差し込まない。


 焦燥感に駆られながら、昴は後を追うのに必死だった。離脱のタイミングを逃したのか、顔色悪そうにベガが付いて来ている。


 路地裏を抜けた時、外壁が倒れて来た。

 先頭にいた航が避けると、せ返る程の砂埃が舞った。


 足が棒のようだ。口の中は血の味がする。

 がくがくと震える膝を叱咤し、昴は顔を上げた。息一つ乱さない航に比べて、自分が情けなかった。

 その航の正面、砂埃の向こうで一つの人影が浮かんでいた。少しずつ鮮明になって行った視界に映ったのは、一人の懐かしい少年の姿だった。




「湊!」




 昴が声を上げると、湊は力無く笑った。

 何が起きたのか、衣服はぼろぼろで、額からは血が滲んでいる。側にウルはいない。はぐれてしまったのだろうか。

 心細かっただろう。怖かっただろう。よく見れば、彼の愛用の弓も無い。




「助けて」




 昴はたまらず駆け寄ろうとした。

 丸腰で逃げるしかなかった湊を思うと、胸が痛くなる。やはり、自分達は彼等を巻き込むべきではなかったのだ。


 昴が自責の念に駆られて足を踏み出した、その瞬間、航のパルチザンが火を噴いた。一瞬で間合いを詰めたその切っ先は、湊の肩を容赦無く貫いていた。




「誰だ、お前」




 誰だと言われても、湊だろう。

 元々激しい兄弟喧嘩ばかりしていたが、終に武器まで持ち出すようになってしまったのか。

 昴が愕然がくぜんとしていると、航は眉をひそめて言った。




「湊は助けてなんて、言わねぇ」




 その瞬間、湊の姿は陽炎かげろうのように歪んだ。

 其処に立っていたのは見たこともない魔法使いだった。思わぬ反撃に言葉を失くし、最後は肩口を抑えながら煙幕を張って消えた。


 昴が呆然としていると、航はパルチザンを傍らに持ち直した。何も無かったかのように先へ行こうとするので、昴はようやく、それが偽物であったことを理解した。


 しかし、偽物とは言え。




「お前等、双子の兄弟なんだろ」




 嘆くように訴えると、航は退屈そうに鼻を鳴らした。




「敵に尻尾巻いて逃げるような兄なら、死んだ方が良い」




 これは信頼なのか?

 昴には分からないが、どっと疲れてしまった。


 もうすぐ着くぞ、と航が言った。その横顔は真剣そのもので、昴は掛ける言葉が見付けられなかった。








 14.悔ゆる道を辿る

 ⑹明けの明星みょうじょう








 リゲルは敵わないと悟ると、あっさりと掌を返して逃げ出した。追い討ちを掛けようとしていた湊だったが、ウルが呼び掛けると、驚く程、すんなりと手を引いた。


 人間界と魔法界は時間の流れが違う。

 光の速さに近付く程、時間の流れは遅くなる。相対性理論と言うらしい。湊の小難しい話は聞き流し、ウルは一月ひとつきの間に立派な成長を果たした少年をまじまじと見ていた。


 しかし、湊はウルの視線に気付くと身を守るように拳を構えた。曰く、人間界で色々あったらしい。相変わらずのトラブルメーカーだ。とはいえ、彼等があの頃と変わりなく純真で優しく、頼もしい成長を果たしていることが嬉しかった。




「航は?」

「此処にいないってことは、昴のところだよ。もうすぐ着くと思う」




 確信を持った強い声だった。

 周囲はリゲルの退場と湊の登場によって、混乱を超え呆気に取られている。左右へ目配せしながら出方を窺っているのだ。その視線は湊は注がれているが、気にならないらしい。


 ウルは額に手を当て、溜息を漏らした。

 驚いてばかりもいられない。例えこの辺りの混乱が収まったとしても、街の何処かでは同じことが繰り返されている。


 二人は先を急いだ。


 広場を横切り、住宅地を迂回うかいし、路地裏を通り抜け、湊とウルは目に付く革命軍らしき魔法使いを片っ端から攻撃して行った。街に潜伏する革命軍の目的は民衆を煽り、武装蜂起させることだった。それが上手くいかないとなれば、一時撤退せざるを得ない。

 王の軍勢との交戦を避けながら、二人は薄暗い路地裏へしゃがみ込んだ。

 ウルは壁越しに様子を窺った。追っ手の気配は無さそうだ。湊は青い洋弓を意味深に見詰めていた。ウルは腰に差していたナイフを収め、向き直る。




「向こうの戦力が分からない以上、下手に動けば街が危険に晒される」

「もう危険だよ」

「もっとだよ。今は俺達邪魔者に矛先が向いているからいいが、痺れを切らせば、街そのものを攻撃するだろう」

「王の軍勢に泥をかぶせて?」




 何かを察したように、湊が言う。

 この子供の目には何が見えているのだろう。




「詳しい状況が知りたい。どうして昴と離れ離れになったの? この街の人は王の軍勢に対して反感を持ってる。それは何故?」

「何故、そう思う?」

「顔を見れば分かるじゃないか。魔法界は王族信仰が染み付いてるのに、革命軍に対してあんなに好意的なのは、王の軍勢への反感だ」




 湊は静かに問い掛けた。




「昔、この街で何があったの?」




 ウルは黙った。

 湊に嘘は通用しない。心の中を見透かされているようで居心地が悪い。


 何処まで行っても、いつまで経っても、過去が追い掛けて来る。もう、清算する日が来たのだろう。己の罪を告白する時が来たのだ。


 ウルが口を開こうとしたその時、湊が顔を上げた。




「湊!」




 誰かが駆けて来る。目鼻立ちのきりっとした少年は、大きく手を振りながら近付いていた。

 航だ。だが、跛行はこうする航の衣服は血塗れで、おもては紙のように真っ白だった。




「助けてくれ!」




 ウルは焦った。

 昴がいない。何処かで逸れたのか。その冷静さや行動力にいつも引き摺られるけれど、彼等はまだ子供だ。守ってやらなければならなかった。

 不甲斐なさに胸が痛くなる。ウルが駆け寄ろうとした時、湊が弓を番えた。




「誰だ、お前」




 心の芯まで凍りそうな冷たい声だった。

 ウルは何が起きているのか分からなかった。殴り合いの兄弟喧嘩は見たことがあるが、武器までは向けなかった。

 兄弟仲は悪化してしまったのだろうか。

 思わずウルが庇おうとすると、湊は言った。




「俺は他人のが分かるんだよ」




 嘘ーー。偽物だとでも、言うのか。

 航の姿をした誰かは、怯えたように肩を竦めた。湊は止まらず、一切の容赦も無く矢を放った。

 右足、左足、右腕、左腕。もう止めてやれと訴えたくなるような冷酷さで、湊は攻撃を止めない。


 ぼろぼろになった何者かは、怯え切った目で湊を見ていた。湊はナイフを取り出していた。


 それにね。




「航は助けてなんて、言わない」




 湊の目には残酷な光が宿っていた。ナイフが振り下ろされる刹那、辺りは真っ白な煙に包まれていた。

 煙幕だ。航は魔法も煙幕も使わない。ウルは其処で、それが偽物だったのだと理解した。


 煙が晴れると、航の姿は何処にも無かった。

 ウルは疲労感と呆気に囚われて、その場に座り込んでしまった。


 偽物だと分かっていたとは言え、躊躇ちゅうちょが無さ過ぎて怖いくらいだった。




「お前等、双子の兄弟なんだろ……」

「自分の行為の責任も負えないような弟なら、いらない」




 平然と言い捨てた湊は、皮肉っぽく笑った。

 人間界で何があったのだろう。


 その時、湊は顔を上げた。路地裏の奥から足音が聞こえる。ウルは更なる追撃かと身構えたが、湊はからりと笑った。




「航だ」




 湊の手には洋弓があった。淡く発光する弦から、蜘蛛の糸のようなものが伸びている。その先を辿ると、パルチザンを携えた航と、何故か顔色の悪い昴、そして、王の軍勢であるはずのベガがいた。




「状況を整理しよう」




 改まった声で湊が言った。

 五人は輪になっていた。ウルはそれぞれの顔を見渡して、おかしな状況に肩を落とした。


 所属も出身も年齢も人種も違う五人が、風の吹き溜まりみたいな薄暗い路地裏で話し合うというのは、何だか滑稽だ。彼等の目は真剣そのもので、軽口を挟む隙も無い。




「昴とウルは、本拠地を求めてこの街に来た。そうしたら、王の軍勢に襲撃されて、昴が連れ去られた」

「ああ」




 昴は短く肯定した。

 出会ったばかりの頃の所在無さげで優柔不断な姿が嘘みたいだった。




「王の軍勢の襲撃は、街までも破壊した。だから、街の人達は反感を持っている。其処に革命軍が現れて、王の軍勢を叱責した。街の人達は義憤に駆られて、武装蜂起しようとしているんだ」

「分かり易過ぎて、つまんねぇ構図だな」




 航が吐き捨てた。

 少し離れていた間に、随分と穏やかになった。触れる者全てを傷付けるばかりだった彼は、鞘を手に入れたのかも知れない。




「裏で糸引いてんのは、革命軍だろ。昴の情報を流して襲撃させて、捕まえさせたら、今度は王家を打ち倒せってさ。汚ぇ」

「どんなものも、後から聞けば簡単に聞こえる。俺は革命軍の手際の良さが気になる。まるで、慣れてるみたいだ」




 航、湊が言った。

 ウルは何も言えなかった。心臓が耳元で拍動しているみたいで、息苦しい。顳顬こめかみの辺りが痛い。自分は何かを、間違って来たんじゃないかーー?




「王の軍勢に、スパイが潜り込んでる。これは魔法の攻防ではなくて、なんだ」




 情報戦なら、得意分野だよ。

 湊が笑った。あの頃に無かった熱と強さを持っている彼は、縋り付きたくなる程に頼もしかった。


 俯いたウルに、航が肩を当てた。




「何を思い詰めたような顔してんだよ。アンタらしくねぇよ」

「航……」

「ウルに冷静でいてくれないと、俺達が困るんだよ」




 航と湊が、励ますように肩を叩く。

 昴が言った。




「僕達、仲間なんだろ。ウルが言ったんじゃないか。仲間とは、志を一つにして互いに助け合う存在だって。だから、僕はウルが困っていれば助ける」




 昴は拳を向けた。




「絶対に裏切らないし、見捨てないよ」




 ウルは、そっと目を閉じた。

 いつも、立ち塞ぐ壁を前に、膝を着いていた。それは途方も無く高く、分厚い壁だった。けれど、何処かで音がする。目の前の壁に亀裂が入り、朝日のような光が零れ落ちる。其処に誰がいたのかなんて、考える必要も無かった。


 言葉では形容出来ない妙にさっぱりとした気持ちが、全身を包み込む。目を開けたウルは、拳をぶつけた。




「俺の話、聞いてくれるか?」




 昴が、湊と航が、目を真ん丸にする。




「当たり前だろ」




 航が言った。昴と湊が顔を見合わせて苦笑する。


 。もう二度と、そんなものは得られないと思っていた。信頼なんてものは砂上の楼閣で、人はいつか必ず裏切る。ーーでも、違うのかも知れない。




「俺は昔、王家の諜報部隊にいたんだ」




 零れ落ちるように、ウルは口にしていた。

 昴も湊も、驚かなかった。ベガは目を伏せた。

 昴は兎も角、湊はある程度のことを察していたのだろう。航ばかりが目を輝かせている。




「暁の蝙蝠って呼ばれる王直属の諜報部隊だ。情報収集を目的に凡ゆる場所へ潜入し、暗殺を含む秘密工作をするのが俺の仕事だった」




 誰も何も言わなかった。

 正義感の強い双子は何かしら口を挟むかと思ったが、静かなものだ。




「俺はこの街の孤児院で生まれ育ったんだ。良いところだったよ。家族を失くした孤児ばっかりだったけど、皆が家族みたいなもんだった。だが、或る時、王家の使者が来て、俺をスカウトした。身寄りが無くて、風魔法の適性があって、手先が器用だったから、諜報部隊には丁度良かったんだ。今のお前等と、同じくらいの頃かな」




 双子が揃って眉を寄せた。

 何処か悲しく、痛々しい表情だった。




「少なくとも、その頃は自分の仕事に誇りを持っていたよ。王家の為に尽くすことが、家族の為になる。そう信じてた。でも、五年前、革命軍が台頭したばかりの頃、嫌な情報が入った」




 ウルは生唾を呑み込んだ。

 思い出さないようにして来た景色が、五年の時を経て鮮明に蘇る。治り掛けていた傷の瘡蓋かさぶたを剥がしているみたいだった。




「このカプリコーンの街に革命軍が潜伏している。その本拠地と思われる場所の座標が送られて来て、俺は王の軍勢を転移させた。ーー俺の育った、孤児院だった」




 あの時、座標を確かめれば良かった。

 革命軍とは何の関係も無いただの孤児院だと、自分は知っているはずだった。けれど、疑わなかった。仲間の情報を信じたのだ。それが信頼だと思っていた。


 ウルは項垂れ、頭を抱えた。

 腹の底から怒りと後悔が込み上げて来て、ぶつける相手も無く、只管ひたすらに虚しい。




「孤児院は火の海になった。誰も助からなかった。友達も、家族も、皆、死んだーー」




 王の軍勢も、送られて来た座標が間違いだとは思わなかったのだろう。魔法は姿形を変えることが出来る。王の軍勢は容赦無く、女子供に至るまで全ての人間を虐殺した。

 後に残ったのは、顔の見分けも付かない黒焦げの死体と、見る影も無く崩壊した孤児院の残骸だった。




「俺が耳にした情報は、革命軍によってもたらされた誤報だったんだ」




 まるで、五年前の再現を見ているようだ。

 ウルは日没を迎えたかのように辺りが暗くなるのを感じた。




「孤児院が焼けて、街の住民は暴動を起こし、王の軍勢に鎮圧された。街は壊滅状態だった。俺は裁判に掛けられて、責任を追求されて、牢獄へ押し込まれて……そして、暁の蝙蝠から逃げ出した。もう、何を信じたら良いのか、何が正しかったのか分からなかったんだ……」




 王家は正しいのか。

 革命軍は許されるのか。

 どうして家族は、死ななければならなかったのか。

 誰を恨む、誰を憎む。祈っても縋っても、人は過去には戻れない。失われた命は蘇らない。ーーヒーローがそうであるように。




「俺は家族を、助けたかった……!」




 耳が痛くなる程の静寂が訪れた。

 誰にも話したことは無かった。古傷を自らえぐる真似なんて出来なかった。怖かった。目を閉じると、消し炭になった家族の顔が浮かんで、恨めしいと、無念だと、助けてくれと訴える。


 その時、昴が言った。




「じゃあ、今度は助けよう」




 まるで、当たり前のことを言うみたいに。




「何が正しくて、何が間違っていたのかなんて分からないよ。でも、自分がどうしたいのかは分かる」




 昴の藍色の瞳に、微かな光が宿っていた。

 星だ。満天の星が、きらめいている。

 ウルは、抗い難い運命の流れを前にしたかのような無力感に襲われていた。だが、その川の向こうから手を伸ばす者がいる。




「悲劇を繰り返してはならない。犠牲者を無意味にしない。それが、俺達に出来る最善だ」




 そうだろ?

 昴が言うと、湊と航が笑った。

 それまで黙っていたベガが一歩進み出る。




「私も手を貸すわ」

「アンタ、敵でしょ」




 航が指摘する。そもそも、何で彼女が此処にいるのか理解出来ない。

 ベガは痛いところを突かれたとばかりに眉を寄せ、どういう風に自分を納得させたのか胸を張った。




「王の軍勢は民を守る。私は子供が傷付くのは、見たくないわ」




 湊と航は顔を見合わせた。

 自分達の中で最も戦闘能力が高く、要領良く立ち回れるのはこの二人だ。彼等よりも非力な昴を守った方が良い。


 湊はベガの碧眼をじっと見詰め、其処に嘘が無いことを理解したのか意味深に笑った。




「じゃあ、一時休戦だね。協力して、悪い奴等をやっつけよう」




 湊が言うと、ベガは溜息を吐いた。

 ウルは、其処に遠い昔に置いて来た過去の記憶を重ね合わせていた。

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