⑵キャンサー

 氷の結晶を思わせる室内照明がまばゆく輝いている。蛍のように降り注ぐ光は其処此処を漂っては空気へ溶けて行く。


 赤絨毯の敷かれたホールには、一目で高価な品と解る色鮮やかな花瓶と絵画が行儀良く飾られている。実際に値段を訊けば、目玉が飛び出るような品なのだろう。


 昴は飲めもしないグラスを片手に、ドレスコードを纏った人々が熱帯魚のように回遊する様をぼんやりと見ていた。


 魔法界の北に位置するキャンサーという街は、極寒の地上から逃れる為に地の底に築かれていた。洞穴とは違う。其処は選ばれし者だけが許されるゲームの舞台なのだ。


 ウルの提案で、四人は正装をして訪れた。

 皺一つ無いシャツと天鵞絨のベスト、足元まで伸びるマントには金色の光が瞬く。魔法界に於ける正装だ。

 対してウルは、シンプルだが、瀟洒しょうしゃで品を感じさせる衣服を纏っていた。いつもは逆立てている水色の髪もアシンメトリーにセットされ、小さな額が滑らかな流線をなぞる。


 何処を見ても王族に名を連ねるような貴族や金持ちばかりだ。魔法界の財界を代表する要人が一箇所に集められ、ゲームに興じている。此処が襲撃されたら、魔法界には大きな打撃が走るだろう。会場は武装した魔法使いに寄って警備され、糸が張り詰めるような厳戒態勢である。


 キャンサーは、カプリコーンの自治権獲得を受け、後に続いた街だ。王族の庇護の下、中立を宣言し、街はギャンブルに賑わっている。

 熾烈しれつな覇権争いから離れた街は、何処か浮世離れした世界だった。金持ちから乞食こじきに成り下がる者、大金持ちへの逆転劇を勝ち取った者、此処では一晩で人生を変えるドラマが起こる。


 豪華絢爛なゲーム場。

 昴がルールも知らないようなカードゲームやルーレット、小さな魔獣を戦わせるトーナメントがある。人々は其処に一縷の希望と夢を賭けて勝負する。


 その中で、一際大きな人集りの出来たゲームテーブルがある。昴は其処に誰がいるのか、尋ねなくとも分かった。


 グレーのドレススーツを纏った少年は、普段は重力にされるがままの髪を後ろへ撫で付け、柔和で美しく整った面を惜しげも無く晒している。首元の黒い蝶ネクタイが可愛らしい。

 カードを操る指先は精錬され、あたかも映画のワンシーンのようだ。戦況を窺う野次馬は人垣を作り、其処に座る少年を見ては目を丸める。


 湊の指先が、厳粛げんしゅくな裁判官の如くゲームテーブルを叩いた。




「ヒット」




 ディーラーからカードが送られる。

 湊はそれを手元に伏せたまま、不敵に微笑んでいた。


 隣で従者の如く凛と佇むのは、彼の正真正銘の双子の弟である。

 航は光沢のある黒いスーツに、グレーのシャツの首元を開け、不機嫌そうにゲームテーブルを睨んでいた。濃褐色の瞳には凶暴な光が宿り、白刃のような警戒を張り巡らせている。


 ゲームテーブルに着く湊は兎も角、美麗さと静謐さを兼ね合わせた航の横顔は、十五歳という年齢を忘れさせる程に艶があり、会場中の視線を磁石のように惹き付けた。

 胸元の大きく開いたドレスの若い貴婦人が声を掛ける。しかし、航は目もくれず、兄のゲームを真剣に見守っている。


 火、水、風、土。

 エレメントを模した四種類の模様の描かれたカードには、数字が刻まれている。十五枚ずつの数字カードに、何処にも属さないジョーカーが二枚。ディーラーとプレイヤーは交互にカードを引き、合計で二十五となるように目指す。開示の時に二十五に近い方が勝ちとなる。同点の場合はカードの組み合わせーー役というらしいーーによって勝敗が決まる。

 二十五を越えれば即刻敗北となり、プレイヤーの賭け金はすべて没収される。勝てばオッズに合わせた配当を受けることが出来る。


 盤上は正に、ゲームの佳境である。

 とはいえ、昴はルールもよく分からないので、目を皿のようにして取り囲む観客の反応から察するしかない。


 ディーラーとプレイヤーのカードは二枚ずつ。

 カードの中にはエレメントの刻まれた絵札というものが存在し、これは一枚で十以上の数字である。


 更なるカードを求める湊に対し、他の参加者と同様にディーラーはカードを引かなかった。勝負だ。

 伏せられたカードを返した途端、歓声と嘆息が溢れ出した。


 湊の二十四に対して、ディーラーは二十二。

 湊の勝ちだ。


 決められていた配当を受け取り、いつの間にか湊の横にはチップが山積みにされていた。


 役目を終えたカードは墓場へ送られる。もう一戦。

 湊はその手の動きをじっと見詰めていた。そして、何を思ったのか横に積んでいたチップの山を切り崩し、大勝負に出た。とんでもない金額のチップが提示され、観客はおろか、ディーラーすら目を疑っていた。

 湊は飄々とした態度を崩さない。




「後悔は無いな?」

「もちろん」




 ディーラーと湊はそんな言葉を交わした。

 いかれてる。参加者の男が嘆くように言って、チップを下げた。


 それぞれ二枚ずつのカードが配られると、湊はそのカードに掌を向けて水平に振った。スタンド。これ以上のカードは不要であるという合図だ。


 昴は手に汗を握った。

 これで負けたら大損だ。凄まじいオッズを前に、参加者が次々と辞退する。


 ディーラーが嗤う。




「チップを下げるかい?」




 首を振った湊は不敵に笑って、暴挙に出た。山を成していたチップを片手で集め、ディーラーの前へ押し出す。




「スタンドだ」




 有り金全てを賭けての勝負。自信があるのだろうが、やり過ぎだ。隣で航が苦言を呈する。だが、湊は何処吹く風である。




「本当に良いんだな?」




 念押ししたディーラーが、カードを捲る。其処に現れた数字に、誰もが息を呑んだ。

 湊のカードの合計はぴったり二十五。昴には分からないが、この組み合わせには特別な名前があり、予め決められたオッズの二倍が加算されるらしい。元々の賭け金と合わせると七倍だ。


 一度の勝負で夢のような大金を手にした湊は、挑発的な笑みを浮かべて席を立った。









 15.捻くれ者の美学

 ⑵キャンサー











「統計学だよ」




 大量のチップを抱えた湊が得意げに言った。

 昴には分からない言葉だ。




「あのゲームはブラックジャックに似てる。カジノのルールは、長いスパンで見るとカジノが有利になるように出来てる。でも、ブラックジャックは統計的に最適な行動を選べば、カジノの優位性を縮小出来る。ディーラーの呼吸や視線、場の流れ、カードカウンティングを用いれば勝利は容易い」




 昴はもちろん、ウルにも理解出来なかっただろう。

 航ばかりが苦い顔をしていた。




「スロットやポーカーも得意だよ。ゲームは、統計データと駆け引きで勝率を上げられる。それに、相手が嘘を吐いているかは観察すれば分かる。純粋な運ゲームなら兎も角、俺が負けたことあるのは、親父くらいかな」




 チップを換金する為にカウンターへ向かい、湊が笑っている。悪銭身につかずと言っていた航が何も言えないのでは、昴にだって止めようが無い。

 初めはすずめの涙程の賭け金で始めたのに、今では一気に億万長者だ。カジノ側も泣いているだろう。

 大胆な荒稼ぎをする割に、引き際は心得ているらしい。それが勝者と敗者を分ける。

 頼もしいけれど、それ以上に、怖い。湊の子犬のような瞳には、世界がどのように見えているのだろう。人の命や情緒も数字としか認識されていないのではないか。


 換金という言葉を聞いて、昴は驚いた。

 魔法界には通貨の概念が無く、物々交換が主流である。しかし、このキャンサーの街には通貨が存在した。

 キャンサーの街の自治体が発行する貨幣で、LX『ルクス』という。街の外ではただの紙切れであるが、此処ではその価値が保証され、凡ゆるものの尺度とされる。このシステムが街の発展を促した。その最たるものが、このカジノである。


 生活するには喧しいが、無法地帯だったスコーピオに比べると遥かに安全である。


 経済の中心であるカジノを見渡しながら、昴は、物々交換の延長で命が代替されるよりはマシだと思った。

 ウルもこのシステムには感心していた。貨幣の価値が統一されれば、物を持ち運んだり携帯したりする手間が省けるし、皆が共通の価値を認めているだけでも避けられる争いがある。


 湊と航は小難しい顔をして、資本主義がどうとか、社会主義がどうとか話していたが、昴はよく分からなかった。


 利益を追求すると、命の価値が下がる。


 航が言った。確かに、この街では富裕層と貧困層が明確に分かれ、後者は路上を徘徊していた。ギャンブルの憐れな犠牲者だ。

 湊が言うには、この街には権力者がいて、カジノを中心に経済を牛耳っているらしい。何処に行ってもヒエラルキーは形成され、弱者は虐げられる。


 破産し乞食に身を落とした者を見ると同情してしまうが、これは昴が招いた事態だ。魔法界の完成された管理社会に自由競争の風を巻き起こしたことで、経済による格差社会が形成されたのだ。


 正直、自分の行いがこんなところまで影響するとは思わなかった。


 強者がいれば弱者がいるように、勝者がいれば敗者がいる。仕方が無いことだ。彼等が選んだ答えだ。問題とされるのは、自業自得とも嗤えないような、守られなければ、生きられない弱者がいて、その受け皿が何処にも無いということなのだ。


 権力者は、弱者など捨て置けと嗤うのだろう。弱者に足を取られて歩みを止めることは本末転倒である。しかし、それを切り捨てる社会は果たして正しいのか。

 強者は弱者を守れ、と言うのも理不尽な話だ。両者の線引きは曖昧で、弱者は正しく社会のお荷物になるだろう。結果として生まれるのは差別であり、弾圧であり、ヒエラルキーなのだ。


 今の魔法界に必要なのは、ヒーローだった。

 王家でも革命軍でもない無所属の正義の味方。縋る者を失った民衆は次のわらを探して彷徨っている。

 カプリコーンでは、結果として昴たちが祭り上げられた。しかし、昴の目指す社会とは、その救済すらも不必要な個人の独立だ。




「争いを失くす為の平和的解決策の一つは、平等な教育だろ。次点が個人の隔離。手っ取り早いのは、共通の目的を掲げて、達成を目指す社会」




 航が言った。


 湊に比べると寡黙な少年ではあるが、魔法界へ再来してから何かを考え込んでいるかのように黙っていることが増えた。


 ヒーローの死の真相を、昴はまだ訊けていない。

 彼等が黙っている以上、踏み込めなかった。




「共通の目的って?」

「例えば、革命。王家っていう悪者を作れば、人は嫌でも団結する」

「……」




 それでは、革命軍と同じだ。

 革命後は王家に成り代わろうというのだから、意味が無い。




「俺は、昴が第三勢力になったのは間違ってなかったと思う。少なくとも、今の昴は、王家でも革命軍でも無い、無所属の正義の味方だからな」




 助けて欲しい人が、助けて欲しい時に縋れる。

 航はそんなことを言って、退屈そうに鼻を鳴らした。


 換金の為にカウンターへ行っていた湊が、山のような札束を見上げて唖然としていた。珍しい反応だ。

 流石に札束を持ち歩く訳にもいかず、受付嬢と何かを話し合っていた。


 航はクロークへ向かい、預けていたパルチザンを受け取った。穂先は鈍色に輝き、真っ赤な房飾りがゆらゆらと揺れている。


 湊はまだ手間取っている。ウルが見兼ねて何かの交渉をしていた。彼は賢いが、子供である。内面に見合わない可愛らしさから足元を見られ、嘗められるのだろう。


 昴は、どんなことでも航が話そうとしてくれていることが嬉しかった。

 内心を開示しない彼が自分の意見を口にして、しかもそれが昴を肯定的に捉えているということも喜ばしい。褒められていると受け取っても構わないだろう。




「救済を必要としない世界って、どう思う」

「理想論だと思う。俺は高望みはしねぇ」




 以前、ウルは航を指して堅実と言っていた。

 こういうところが湊と違う。




「何でもかんでも救える訳じゃねぇ。優先順位は明確にしないと、いざという時に間違える」




 それは、経験談だろうか。それとも、ヒーローの死にまつわることか。どちらにせよ、航が言わなければ、昴には訊けない。




「航の優先順位の一位って何?」

「湊かな」




 意外な答えだ。

 本人がいない為か、照れもせずに航は言った。

 きっと、湊ならば航だと笑っただろう。


 お前も。

 航は能面みたいな無表情で言った。




「優先順位は決めて置けよ。何を選んで、何を捨てるのか」




 昴が追求しようと口を開いた時、タイミング良く湊とウルが帰って来た。

 大量の札束は預けることにしたらしい。湊はクロークで愛用の洋弓を受け取って、肩に担いでいた。折角のドレスコードが台無しだ。




「あのお姉さんは嘘吐きだった。二十五歳って言ってたけど、本当はもっと上だ」

「分かった、分かった」




 何の話をしているのか分からないが、ウルが湊の肩に肘を置いて宥めている。

 湊は納得行かないらしく、憤慨して言った。




「化粧は顔を隠せるけど、首のしわは隠せない」

「それ、絶対本人に言うなよ」




 ウルが怖い顔で念押しする。湊は共感能力とか倫理観とかよりも、単純にデリカシーが無いと思う。

 湊は航へ駆け寄ると、掌を見せた。


 顔に見合わず、その掌は肉刺まめ胼胝たこによって歪な形をしていた。洋弓を扱っていることを考えると当然なのかも知れない。

 掌に魔法陣が浮かんでいる。中心には十桁近い数字が出ている。湊は魔法陣を見せびらかして、悪戯っぽく笑った。




「俺達の貯金通帳。すごいだろ」

「それ、ドルだと幾らになるんだろうな」

「ウォンより上だと良いなぁ」




 双子はそんなことを言って笑い合っていた。

 湊は何を思ったのか航の腕を取って、強引に掌を合わせた。その瞬間、魔法陣が緑色に発光した。

 驚いた航が腕を引くと、其処には緑色の鍵が浮かび上がっていた。




「お姉さんが教えてくれたんだ。防犯対策。俺が金庫で、航が鍵」

「頼りねぇ金庫だな」

「鍵がしっかりしていれば問題無いさ」




 二人は悪童のように笑っている。会話から察するに、湊の掌には通貨が封じ込められていて、それを開けるには航の掌の鍵が必要らしい。

 この二人が笑い合っていられるのは、平和な証拠でもある。昴は微笑ましく眺めていた。

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