⑵過去の影

 宿を取ろうというウルの提案で、昴はカプリコーンの酒場の二階にある小さな宿屋に泊まっていた。

 夜の街は、前回のスコーピオとは異なる穏やかな喧騒に包まれている。部屋に篭っているのも勿体無いと、二人は幻で姿を隠して酒場へ向かった。


 酒場は、仕事終わりの屈強な男達によってお祭り騒ぎだった。一気飲みを煽る声と、顔を真っ赤にした男がジョッキグラスを片手に叫んでいる。昴はそれを遠目に見ながら、比較的静かなカウンター席へ座った。

 すぐ様、壮年の男が柔和な表情でグラスを差し出した。深緑の液体が並々と注がれ、薄く泡立っている。一見すると黒魔術でも始まりそうな不穏な品だったが、ウルがさも当然と口を付けたので、昴も手を伸ばした。




「……」




 何だろう。何と表現したら良いのだろう。

 炭酸の入った温いコーヒーみたいだ。一口飲んでカウンターへ戻した昴とは対照的に、ウルはまるで命の水だと言うように喉を鳴らしている。


 酒精を漂わす客達は、何が楽しいのかずっと笑っている。朗らかな笑い声に何となく自分も楽しくなり、昴はぼんやりと眺めていた。


 人間界でも、ヒーローと透明人間が酒を呑んでいた。

 彼等は我を忘れる程に酔わなかったから、見ていただけの昴には酒がどういうものなのか解らなかった。

 酒場にいる男達は酒を呑むと天国みたいに浮かれている。


 酔って忘れたい現実もあるんだぜ。

 ウルが言った。その姿は小太りの髭親父と化しているので、昴は何故か苛立った。


 ウルは声を潜め、これからの話をした。

 地下格闘技の試合で、所信表明した自分達の存在は一先ず知らせることが出来た。志を共にする者は自然と集まるだろう。


 今の自分達は、それを受け入れる為の土台を作らなければならない。当然、必要となって来るのは安全な本拠地と、資金だ。


 通貨の概念が無い魔法界では、基本的に何かを手に入れる為には物々交換をする。宿屋に泊まるにしても、酒を呑むにしても、交換出来る物が必要だ。


 ウルは何か小さな魔法具や宝石を差し出していたが、それにも限りがある。正義の味方を名乗る以上、コソ泥のウルの収入に頼る訳にはいかない。


 それから、本拠地だ。当面の間は精霊界でも構わないが、行き来が難しいことを考えると、せめて転移魔法の範囲内である魔法界にしたい。


 先行き不安だが、立ち止まってはいられない。

 昴は問い掛けた。




「何か考えはある?」

「うーん……。資金のことはすぐにどうにか出来るとは言えないが、本拠地に関しては、この西か北に据えるべきだろうな」




 安全を確保すると、当然そうなる。

 東は王族、南は革命軍。北が生命の危険に晒される氷の大地ならば、西しか無い。


 ウルは顔が広い。何か伝手つてでも無いものかと期待してしまうが、これまで頼り切りだった後ろめたさから口には出来なかった。


 昴が黙り込んでいると、髭親父が溜息を吐いた。それがウルだと解っていても、腹立たしいから不思議だ。

 自分は人の見てくれには囚われないと思っていたが、外見は大切だ。湊と航も見目麗しい少年だったから助けようと思ったが、不潔感漂う中年の男だったなら、例えヒーローの息子でも手を伸ばせなかったかも知れない。


 酷いことを考えていると、ウルが言った。




「知り合いがいる」




 沈黙に堪え兼ねたようだった。昴としては自分から頼りに出来なかったので有難いのだが、普段快活に話すウルが言い淀むので言えなかった。




「昔の知り合いだから、あんまり当てに出来ないぞ。でも、会うだけならただだからな」




 自分に言い訳してるみたいだ。

 昴はそんな事を思った。








 14.悔ゆる道を辿る

 ⑵過去の影







 ウルの伝手を頼って訪れた先は、一見すると寂れた雑貨屋だった。入口に置かれたプランターには、薄紫に透き通る小さな花が植えられている。一応商売をする気はあるらしく、何を売っているのか解らない看板が申し訳無さそうに立てられていた。

 窓の向こうは薄暗く、覗いて見ても人気が無い。一人だったなら風景の一部として通り過ぎてしまっていただろう。


 ウルが堂々と扉を開け放ち、我が物顔で足を踏み入れる。昴は慌てて後を追った。扉を潜った瞬間、自分達に掛かっていた魔法は砂のように崩れ去った。


 室内は外から見た時とは異なり、小綺麗に纏まっていた。年月の経過を感じさせる深い色合いの床板と、暖色のシーリングファン。漆喰の壁はくすんでいるが、掃除が行き届いている。何処に光源があるのか解らないが、室内は夕日のような色に照らされていた。


 元の姿を取り戻したウルは、カウンターに設置された瀟洒な呼び鈴を躊躇いなく鳴らした。鐘を打つような澄んだ音が響き渡る。店の奥から男の声が聞こえた。


 恐竜が地面を踏み鳴らすような足音が近付いていた。

 室内の内装を観察していた昴は、現れた男を見て驚いた。其処にいたのは、ウルの幻と同じ小太りの髭親父だったのだ。


 モデルがいたのか。

 感心していると、髭親父はウルを見て顔面を喜色に染めた。




「ウル! 生きてたのか!」




 カウンターを蹴破る勢いで飛び出して来た髭親父は、生き別れた家族との再会みたいに声を上げて喜んだ。ウルはぞんざいに扱っているが、其処には親しみを感じさせた。




「勝手に殺すんじゃねぇ」




 髭親父は目尻に涙を浮かべていた。

 これまでウルの幻を腹立たしいとすら思っていたので、本物を前にしてどんな反応をするのが正解なのか解らない。


 内心で謝罪を済ませ、昴は尋ねた。




「貴方は?」




 髭親父は昴を訝しむように見て、すぐに言った。




「あんたがスバルか。噂は聞いてるよ」




 まるで、値踏みするような眼差しだった。

 ウルは何を考えているのか解らない無表情で髭親父を親指で差した。




「こいつはアルゲティ。俺はアルって呼んでる。昔の知り合いで、所謂、情報屋だ」




 情報屋。

 何だか不穏な響きだ。


 昴が黙っていると、アルゲティは朗らかに笑った。




「正義の味方なんだって?」

「ああ。それはまあ、話の流れというか」




 歯切れ悪い昴も気にせず、アルゲティは楽しそうに笑っている。平静のウルとは気も合うだろうが、今のやけに静かな彼には不安しか感じない。




「革命軍の本拠地で、そんな大見得切れるのはあんたくらいさ。感動したよ!」




 手放しで賞賛するアルゲティには悪いが、何と無く、信用出来ない。昴には他人の嘘を見抜く技術は無い。此処に湊がいれば良かったのに、と現実逃避みたいなことを考えてしまう。


 アルゲティは暫く昴を褒め千切っていたが、急に声のトーンを落としてウルへ目を向けた。




「あんたが此処に来るってことは、依頼があるんだろ?」

「ああ」

「話を聞くよ」




 そう言って、アルゲティはカウンター奥の応接室へ促した。

 応接室は清潔感に満ちた小さな個室だった。革張りの触り心地の良いソファへ腰を下ろし、昴は周囲に並べられた家具や調度品の数々へ目を向けていた。

 センスの良い部屋だ。白を基調として纏まっている。壁に据え付けられた明かりが蝋燭の灯のように時折揺れる。何かの魔法効果なのだろう。


 ウルは愛想の良い笑顔で、テーブルに肘を突いた。




「家が欲しいんだ。街中でも郊外でも構わないけど、人目を避けられる安全な家が」

「正義の味方の隠れ家か」




 何かを察したようにアルゲティが笑う。

 自分達の抱える事情は全て看破されている。湊の嘘を見抜く能力とは違う、商売人の第六感だろう。

 このままでは足元を見られるのではないかと懸念したが、ウルは笑顔の仮面を被ったままだった。


 アルゲティは髭を弄りながら言った。




「此処はどうだ?」

「此処?」




 昴は妙に小綺麗な店内を見渡した。窓も閉じているのに、微風でも吹き抜けたかのようにレースのカーテンが揺れる。


 ウルは漸く笑顔の仮面を外し、怪訝そうに眉を寄せた。




「ただより高いものは無ぇ。何が望みだ」

「水臭ぇこと言うな。俺達の仲だろ。友達じゃないか」

「俺に友達はいない」




 取り付く島も無く言い捨てたウルは、窓の外へ目を遣った。追っ手の気配が無いことを確認し、再びカウンターへ向き直る。


 アルゲティは弱り切ったように眉を下げていた。




「俺達はあんたの味方だよ。あれはもう、仕方が無かったんだ。皆、解ってる」

「知ったような口を利くな!」




 許容量を超えた風船が破裂するように、ウルが怒鳴った。昴は自分が怒鳴られた訳でも無いのに肩を跳ねさせた。

 肌を刺すような沈黙が流れた。ウルはばつが悪そうに目を伏せた。




「悪ぃ……」

「いや、こっちも悪かった」




 二人が何に謝罪しているのか解らないが、置いてけ堀の昴は口を挟めなかった。

 ウルはそっと溜息を漏らした。




「ちょっと、頭冷やして来る。ついでに街の様子も見て来るから、此処にいてくれ」




 そう言って、ウルは店を出て行った。

 扉を潜るウルを光の粒子が包み込む。その薄い背中は光の中で、中肉中背の他人へ変わっていた。


 残された昴は、促されるままカウンター席へ座った。

 すると、空気の抜けるような間抜けな音がした。以前も同じような悪戯をされたことがある。どうやら自分は警戒心が足りないのだろう。悪戯を仕掛けた筈のアルゲティが放心状態なので、昴もどんなリアクションをすれば良いのか解らなかった。


 アルゲティは悲壮感に満ちた顔付きで、虚空を見詰めていた。店内は耳が痛くなるような沈黙に包まれ、居た堪れない。

 昴はカウンターに飾られた虹色の小花を眺め、何となく問い掛けた。




「アルゲティは、ウルの友達なの?」

「アルで良いよ」

「ウルとアルじゃあ、紛らわしいんだよ」




 昴は苦笑した。

 アルゲティというのは何となく格好良い響きがある。小太りの髭親父には似合わない。


 アルゲティは徐に棚の掃除を始めた。

 昴に背中を向け、壁にでも話し掛けるみたいに言った。




「友達のつもりだったが、そうじゃなかったらしい」




 寂しそうに、アルゲティが言った。

 友達になる為には何か手続きでもあるのだろうか。昴が人間界にいた頃に出会ったヒーローや透明人間は、友達に分類されると思う。血の繋がらない親しい人間は、大体友達なのではないだろうか。


 アルゲティは棚のほこりを払うと、今度は神経質に雑貨を並べ始めた。




「何か訊きたそうだな」

「此処は何のお店なの?」




 昴が思ったことを率直に訊くと、アルゲティは肩透かしを食らったように目を丸めた。




「此処は雑貨屋だよ。魔法効果のある日用品を売ってる。……てっきり、ウルのことでも訊きたいのかと思ったよ」

「ウルは聞いて欲しいことなら自分で話すよ。詮索はしたくない」




 すねに傷の無い人間なんていない。

 昔、透明人間に言われたことだ。詮索という行為が信頼への裏切りになることもある。それはヒーローから学んだことだ。


 アルゲティは弱々しく笑った。




「あんたの隣は居心地が良いだろうな」




 そうだろうか。自分では解らない。だが、唯一の仲間であるウルにとって、自分が頼れる存在であれば幸いだ。


 他愛の無いことを話していると、数刻としない内にウルが戻って来た。頭は冷えたのだろうか。いつも冷静なウルに余裕が無いと、昴も調子が狂ってしまう。


 悪かったな。

 ウルは独り言みたいに謝罪した。


 本拠地とするかどうかはすぐには決められない。

 ウルはそう言って、踵を返した。扉を潜る寸前、アルゲティが背中に言った。




「良い仲間を持ったな」




 それはウルに言ったのか、昴に言ったのか。

 どちらにせよ、褒められて悪い気はしない。変装の魔法を受けながら、昴は振り向いた。




「良い仲間を持ったよ」




 ふと見ると、窓硝子に自分の姿が映っていた。

 乞食こじきのような老人だ。目眩しとは言え、せめてもう少し、普通の人にして欲しかった。


 昴がそんなことを考えている間に扉は閉じてしまった。アルゲティやウルがどんな顔をしていたのかは、終に解らないままだった。


 結局、二人は元の宿屋へ戻った。

 昼過ぎの酒場はがらんとしていて、夜の活気は何処にも無い。遅い昼食を済ませ、食後のドリンクを飲む。魔法界の飲食物は総じて味が薄く、見た目が悪い。昴は人間界が恋しくなった。


 ウルはアルゲティの店を出てから、何かを考えているようだった。こういう時、相談に乗れない自分が歯痒い。




「アルは情報屋だ。味方に付けて損は無い」




 繕ったような冷たい口調で、ウルが言った。

 昴は不気味に青い飲料を飲みながら頷いた。




「断る理由も無いだろ。ウルの知り合いなんだろ?」

「仕事仲間だ」

「じゃあ、信頼出来る人だ」




 ウルは首を振った。




「絶対に信頼出来る人なんていない。特に商売人なんてのは、金の亡者さ。いつ裏切るか解ったもんじゃない」




 コソ泥のウルがそれを言うのか。

 腑に落ちないが、此処で言っても意味が無い。昴は結露するグラスの縁を撫でた。




「あの人、悪い人には見えないよ」

「お前も他人の嘘が見えるってのかよ」

「嘘自体が悪い訳じゃないだろ。さっきから、何をムキになってるんだ」




 昴が眉を寄せて言うと、ウルはびっくりしたみたいに目を丸めた。




「この街に来てから、変だよ。ああでもないこうでもないって一人で抱え込んで……。僕が頼りないせいかも知れないけど、困ったことがあるなら言ってくれ。仲間だろ」




 昴が言うと、ウルは目を伏せた。

 張り詰めていた緊張感が溶け落ちて、辺りには斜陽が薄っすらと満ち始めた。

 ウルは独白するように「そうだな」と口角を釣り上げた。


 酒場に淡い灯が浮かぶ。魔法効果なのだろう。

 天井から落ちる光の粒子はまるでウルを照らしているように見えた。ウルは、何か暗い影に取り憑かれている。しなし、昴には詮索出来ない。


 仕事終わりの男達が押し寄せて、酒場は昨日と同じ活気に包まれた。けれど、昴とウルの周囲だけが切り取られたみたいに静かだ。


 その時だった。




「スバルじゃないか」




 歌うような軽やかな声が、突然、突き刺さった。

 幻の魔法が掛かっていると思って油断していた。身動きすら出来ない昴の横で、ウルが腰のナイフへ手を伸ばす。


 墨で染めたような真っ黒の頭髪が天井灯を鈍く反射し、サファイヤブルーの瞳が愉悦に歪む。其処に立っていた青年に、昴は見覚えがあった。


 地下格闘技大会の準決勝、航の対戦相手。

 名前は確か。




「リゲル」




 青年は、穏やかに微笑んでいた。

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