⑹提起

 頭が痛い。

 まるで、頭蓋の中で凶暴な生き物が暴れているみたいだ。


 航の視界には銀色の砂嵐が見えた。貧血の症状だ。

 肋骨の骨折と内臓の損傷は癒えたらしい。だが、失われた血液は戻らない。人体は全血液量の内、三分の一が急速に失われると生命の危険があり、二分の一に至ると心停止する。果たして、今の自分にはどれくらいの血液が残されているのだろう。

 輸血は必要なのか。安静にしていれば回復するのか。

 こんなことになるのなら、人間界でもっと勉強しておけば良かった。


 航は、額に浮かぶ汗を猫のように腕で拭い、パルチザンを携えた。


 準決勝、第一試合。対戦相手は長身痩躯の青年だった。一目で上流階級の出身と分かる精錬された仕草で、愛想良く観客席へ手を振っている。黄色い歓声が彼の名を呼び、まるでアイドルのようだ。


 爽やかな笑顔は、航へも向けられた。

 からすのような真っ黒の頭髪、青い瞳。薄っすらと日に焼けた肌には傷一つ無く、まるで下々の人間の生活を覗きに来た観光客のようだった。しかし、此処まで勝ち上がって来たということは、それだけの実力があるということだ。

 二回戦で重傷を負った航は、彼の戦いを見ることが出来なかった。彼がどんな魔法を使うのか、どのような人物なのか。判断する材料が何も無い。それが悔やまれる。


 青年は航の前までやって来ると、手を差し出した。




「初めまして、ワタルくん。僕はリゲル。君の活躍は初戦から見ているよ」




 にこにこと笑い掛けるリゲルを、航はじっと見詰めていた。

 航は湊のように他人の嘘が分かる訳ではない。けれど、それが善意か悪意かくらいは判別出来る。




「君の武器はパルチザンだね。その歳で扱えるなんて大したものだよ。余程、腕の良い職人が作ったんだろうね。しかも、ただの槍じゃない。何の魔法効果があるんだい?」




 航は差し出された手を眺め、舌打ちした。

 よく喋る奴は嫌いだ。湊も、この男も。


 航はその手を払い、吐き捨てるように言った。




「うっせぇよ。お喋りしてぇなら、他所よそでやれ」




 俺は此処に、戦いに来たんだ。

 此処は通過点だ。此処を勝てば、次は決勝戦。湊とシリウスのどちらが上がって来るかは分からないが、退屈はしないだろう。


 放送が何かをまくし立てているが、全ては風のように吹き抜けて、航の耳には入らなかった。

 リゲルは笑顔の仮面を張り付けたまま、胸元から一つのネックレスを取り出した。航は咄嗟に自分の胸元を探った。確かな感触に安堵あんどしつつ、提示されたものを見遣った。


  金色の球体が鎖に繋がれている。アクセサリーに興味は無いが、真鍮しんちゅう製の完全な球体は美しく輝いて見えた。


 何か仕掛けでもあるのだろうか?

 魔法効果でも?

 航が警戒していると、リゲルは声をひそめて言った。




「僕はね、革命軍なんだ」




 革命軍――。

 シリウスの率いる、王族へ弓を引く第二勢力。先程、湊が戦った相手は王の軍勢だった。

 どういうことだ。何故、こんなアンダーグラウンドな大会に、王族と革命軍が参戦しているのだろう。偶然とは、思えない。




「これは太陽をモチーフにした革命軍の象徴なんだよ」




 王族のエンブレムは五芒星だった。対する革命軍は太陽か。其処にどんな理念があるのか知らないが、強烈な対抗意識に興醒きょうざめすらしてしまう。


 リゲルばかりが楽しそうな笑顔を浮かべて、歌うように語り掛ける。




「ワタルくん。革命軍は、君をスカウトしたいんだ」




 航は、一瞬、何を言われたのか分からなかった。


 自分を革命軍へスカウト?

 湊ではなく?




「君は、犠牲の魔法を使って叶えたい願いがある。その犠牲を払うすべを探してる。そうだろう?」




 航は答えなかった。

 否定も肯定も示すべきではない。だが、安易に聞き流して良いとも思えない。




「僕等には、その犠牲を払う術がある」




 航は目を眇め、リゲルの提案を脳内で審議する。

 一人の人間を生き返らせる為には、それ以上の代償が必要だ。昴はその魔法を制御出来ていないから、犠牲の対象を選べない。

 だが、練度が上がれば対象を選べるかも知れない。問題なのは、昴の意思だ。犠牲を良しとしない昴が、誰か大勢の命と引き換えに一人を生き返らせることを認めるだろうか。


 恐らく、革命軍にとって、昴の意思なんてものは瑣末さまつな問題なのだ。革命が成し遂げられれば、捕らえた王族を犠牲として魔法を行使出来る。

 魔力は血筋に宿ると言う。ならば、膨大な魔力を有した王族を犠牲とすれば、それは最小限に抑えられるのかも知れない。


 航は、魔法界の覇権争いに興味は無かった。昴の理想論もどうでも良いし、他人が幾ら死んでも構わない。けれど、身内に累が及ぶのならば、意味が無い。


 魅力的な提案だ。断る理由は無い。

 だが、革命軍には何のメリットがある?




「俺をスカウトする理由は何だ」




 航は、子供だ。

 戦闘でどれほど上手く立ち回れたとしても、戦力として数えられる程ではない。航はそれが分からなかった。エレメントは、魔法界に無い思想を持ち込んだ特異点だと言った。それなら、自分たちでなくても良かった筈だ。

 自分を過小評価する気は無いが、理屈として納得出来ない。ぶら下げられた人参にんじんに食い付く馬じゃあるまいし、根拠の無い甘言かんげんに乗る程、御人好しじゃない。


 リゲルは笑っている。




「君は、世界の不条理を知っている。この世界が如何に残酷なものなのか解っている。君はお兄さんとは違うよ。天空を飛べる鳥に、地べたを這う蟻の気持ちは分からない。――僕等は、君の気持ちが分かるよ」




 銀色の砂嵐が、幕のように下りて来る。

 他人の冷たい眼差しと、他人行儀な賞賛。航の世界は冷たく、厳しかった。みんなに愛され望まれる湊とは違う。


 湊はいつも皆の中心にいた。家族も友達も教師も、誰もが湊を愛した。

 航はいつも蚊帳かやの外で、独りだった。本当の自分を理解してくれる人はいなかった。――父を、除いて。


 航には、父しかいなかった。




「君を助けたいんだ。この腐った世界から」




 親父。

 航は、失った父を呼んだ。リゲルの姿が、旅立つ前の父に見えた。何でもない顔をして家を出て行った父が、まさか死ぬだなんて思いもしなかった。

 別れの覚悟なんてしていなかった。全部、悪い夢だったんじゃないかって思いたかった。朝、目が覚める度に絶望する。


 なあ、親父。

 なんで死んだの。なんで俺達を置いて行ったの。他人の為に命を落として、それで何が残ったの。俺たちのことなんて、どうでも良かったの。


 親父は立派だった。ヒーローだった。でも、英雄になって死ぬくらいなら、悪人でも生きていて欲しかったんだよ。




「この狂った世界を引っ繰り返してやろう?」




 リゲルの手が伸ばされる。

 抗い難い欲求が、身体の末端まで支配している。それを押し留めるものは何も無い。 自分に出来ることは全部やる。後悔なんて微塵みじんも残さない。親父がそうだったように。


 王族や昴では選べない選択肢がある。

 俺は、親父を。




「航!」




 声が、夜明けを告げる鐘の音のように響いた。

 航は階段を踏み外したような転落感に、意識を取り戻した。闘技場、観客、対戦相手、――昴。


 昴が、がらにも無く立ち上がって声を上げる。




「しっかりしろ!」




 死ぬことに意味があるのではなく、死んだからこそ意味がある。父の言葉が胸の中に染み渡り、航は泣きたいような、叫び出したいような虚しさに襲われた。


 父は覚悟を決めて道を選び、その結果、死んだ。

 他人も息子の自分たちも、口を出す権利は無い。そんなことは初めから分かってる。何が正しくて間違っているのかなんて言われなくたって知ってる。

 こんな遣り方を父が望まないことも気付いてる。だけど、それでは、――俺たちが救われないじゃないか。


 納得出来ない現実には、徹底抗戦する。

 これは俺たちのレジスタンスだ。他人の戦争なんて関係無い。


 航はパルチザンを握り締めた。

 赤く発光するルーン文字が螺旋状らせんじょうほとばしる。頭が痛い。眩暈めまいがする。だけど、此処では立ち止まれない。


 航が足を踏み出した瞬間、リゲルの青い瞳に驚愕が映った。


 試合が始まっていたことにすら気付かなかった。リゲルの足元には水色の魔法陣が浮かび上がっている。恐らく、精神に干渉する類の魔法だ。


 自分の不甲斐無さに吐き気がした。

 こんな子供騙しに引っ掛かるところだったなんて、人生最大の汚点だ。


 一瞬で間合いを詰めた航は、押し寄せる津波の如くリゲルを侵略した。硬い石の上に倒れたリゲルに馬乗りになって両手を封じ、首筋に切っ先を突き付ける。


 呼吸が荒いのは、貧血の為なのか。

 航は、腹の底から湧き上がる怒りを叩き付けるようにして叫んだ。




「ぐだぐだ、うっせぇんだよ!」




 きっと、観客には何も伝わっていない。

 無関心だった通行人が野次馬になるように、好奇の眼を向けているのが分かる。


 航は怒りで真っ赤に染まる視界の中、地に伏すリゲルを睨んでいた。心の柔らかいところを無遠慮に掻き混ぜられたような、堪え難い不快感が込み上げる。




「俺は俺がやりたいようにやるんだよ! てめぇ等に助けられなくっても、自分の道は自分で決める! だから、邪魔すんじゃねぇ!!」




 頬を伝った汗が、雫となって顎先から落ちる。

 頭に血が上っているのが分かる。冷静じゃない。それが魔法効果なのか、自分の感情によるものなのかも分からない。


 獣のような息遣いで、航はリゲルを睨んでいた。

 リゲルは呆気に取られたように瞠目どうもくしていたが、すぐ様、それまでと同じ笑顔を浮かべた。




「君の気持ちは、分かったよ」




 降参だ。

 リゲルは、事も無げに言った。それを聞き届けた審判が勝者を告げる。

 航は何が起きたのか分からないまま、パルチザンを下ろした。


 敗者となったリゲルは立ち上がり、入場と同じく颯爽さっそうと退場する。航はその背中に、得体の知れない不気味さを感じていた。前の試合で戦ったカルブとは違う。もっと薄暗くて冷たい何かだ。


 リゲルは振り返った。




「さっきの話、嘘じゃないからね」




 仮面のような笑顔を浮かべ、リゲルは立ち去った。








 12.かたちなき正義

 ⑹提起ていき








 準決勝第二試合。

 先程の航の試合が、観客を置き去りにした見栄えのしないものであった為か、会場の興奮は今にも破裂しそうな風船のようだった。

 対戦カードも面白いのだろう。湊は、観客席の外で行われていた賭場とばを思い出した。オッズはどのくらいだろう。自分ならばどちらに賭けただろう。そんなことを考えながら、武器の点検を終えた。


 薄暗い回廊を抜けると、夥しいスポットライトに目が眩む。割れんばかりの歓声が会場を包み込み、開戦の時に期待を寄せている。


 湊は、正面にある入口を見詰めた。

 闇に沈む其処は、まるで怪物の口内のようだ。何が出て来ても不思議ではない。


 その時、観客がどっと湧き上がった。祭囃子のようだ。煽るアナウンスが対戦相手の登場を知らせる。


 現れたのは、紫のマントに身を包んだ青年だった。赤いマスクの下には猛禽類に似た金色の瞳が光る。硬質な足音を鳴らして歩み寄る青年――シリウスは、口元に微かな笑みを浮かべていた。




「久しぶりだね、湊」




 湊は答えなかった。

 友好的に接する理由が無い。シリウスは、湊と航をこの世界へ連れて来た張本人だ。其処にどんな思惑があったのかは分からない。彼は嘘を吐いていなかった。けれど、善人にも見えない。


 釣れないねぇ。

 口笛でも吹きそうな上機嫌で、シリウスが笑う。悪意は感じない。


 湊は背中から一本の矢を取って、番えた。


 前の大会で見た時、シリウスは決勝戦であるにも関わらず、赤子の手をひねるように相手を瞬殺した。魔法による遠距離からの広範囲攻撃だ。

 属性とか適性なんてものではなく、それ以前の問題だった。圧倒的な実力差だ。覆すことの出来ないヒエラルキー。彼は王族支配に異を唱える革命家だが、魔法界に存在する弱肉強食の体現者でもある。


 先手必勝。

 湊はそれだけを考えた。後のことはその時に考える。考え事をしながら戦える相手じゃない。

 開始の合図と同時に、湊は矢を放った。青い閃光が闘技場を一直線に横断する。シリウスは口元に微かな笑みを浮かべ、掌を向けた。


 真紅の魔法陣だった。其処から噴き出す紅蓮の炎は、青い閃光を焼き尽くし、まるで怪物のように湊へ襲い掛かった。

 逃げられない。扇状に広がった炎の勢いは火山の噴火に似ている。湊は猛火を眼前に、次の矢を番えた。


 低姿勢。

 熱によって膨張した空気は浮き上がる。燃焼する為には燃料と酸化剤が必要だ。炎の色から温度が分かる。


 魔法陣に刻まれたルーン文字が代替するのなら、短時間では複雑な魔法の行使は難しい。応戦することが出来れば、次の攻撃はより簡易的なものになる。


 シリウスは、魔法陣を展開したままだった。

 湊が避けることを予期し、次の一手を想定している。爆炎は再び噴出した。今度は逃げ場を潰すように床一面を焼き尽くす。


 湊は笑った。

 青い光が、床を這うように闘技場を横断している。

 シリウスの放った炎は導かれるようにして地面を走った。回り込むようにして避けると、シリウスが楽しそうに笑うのが見えた。


 因果の矢に、燃料の効果を付与したのだ。

 湊の放った矢が導火線になり、炎は意図的に方向が変わる。


 多分、シリウスは自分を殺さない。

 神と同義であるエレメントさえ特異点と呼ぶ自分たちは、取引材料として成立する。そうでなければ、この世界に呼ぶ理由が無い。


 殺意の無い相手になら、勝てる。

 魔力の有無ではないのだ。此処で必要なのは、駆け引きだ。湊がどれだけ自分の命を危険に晒せるかが鍵になる。


 噴き出す炎を紙一重で避けながら、湊はシリウスとの距離を詰める。動き続けなければならない。炎は射手である自分の元へ突き進む。導火線に繋がれながら、起死回生の一手を探す。


 数刻と待たぬ間に闘技場は焦土と化し、可燃物を失った炎が空中へ浮き上がる。後は詰将棋だ。シリウスは次の一手を打たなければならない。その一瞬の隙が、湊に許された唯一の勝機だった。


 頭上を業火が音を立てて吹き荒ぶ。湊が伏せたその時、金色の光が見えた。シリウスの瞳が妖しく光っている。


 背筋を刃が滑るような嫌な予感が身体中を駆け巡り、湊は本能的に飛び退いた。そして、次の瞬間、視界は炎で埋め尽くされた。


 前後左右を炎に包まれ、湊は空を見た。

 天井から下がる褪せたスポットライトの明かりがぐにゃりと歪み、炎の中へ消えて行った。


 逃げ場が無かった。

 炎のドームが取り囲み、酸素を消失させて行く。僅かに吸い込んだ空気は、殆ど灼熱の煙であった。湊は喉の奥が焼け付いて、皮膚の引きおぞましい感覚に支配された。


 焼夷弾しょういだん

 いつか自分が得意げに語った言葉が、非現実的に蘇る。目の奥がちかちかして、意識を保っていられない。湊は喉を掻きむしり、有りもしない酸素を求めて視線を彷徨さまよわせた。


 陽炎の中で、湊は父の最期を見たような気がした。

 苦しかったのかな、なんて言葉にすることも出来ない。苦しかった。信念とか意思とかそんな上部の言葉では抗えぬ程、本能的に自死を選びたくなる程、苦しかったのだ。


 湊の持つ知識と気力を最大限に引き出しても、この状況を打開する起死回生の一手は見付けられなかった。




「ヒーローは死んだよ」




 後頭部を鈍器で殴られたような衝撃が走った。

 自分が立っているのか、寝ているのか。生きているのか、死んでいるのかも分からない。

 湊は薄れ行く意識の中で、場違いなアナウンスを聞いたような気がした。それはアスファルトに浮かぶ蜃気楼しんきろうのようにして、何処か遠くへ溶けて行った。

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