⑶貧乏籤

「勝ったよ」




 湊が帰って来た時、昴は奈落の底に突き落とされるような絶望感に苛まれた。自分よりも幼い少年の身体は、見るも無残に切り刻まれ、頭から血をかぶったかのように真っ赤に染まっていた。


 白磁のように滑らかな頬には幾多いくつもの擦り傷と裂傷が残り、表情を変える度に可哀想に歪む。湊が平然と立って歩いているのが信じられない程に悲しい姿だった。


 戦うとは、こういうことなのだ。

 傷を負う覚悟で刃を握った彼等の悲壮な決意が、昴には痛かった。死ぬかも知れなかったのだ。対戦相手は、彼等を殺しても構わないと思っていた。

 勝って良かっただなんて思えなかったし、生きていて良かっただなんて笑えなかった。


 自分は、彼等が納得しなくても、羽交い締めにしてでも、止めなければならなかったのだ。弱音も泣き言も零さない彼等の痛みを、誰より側で知っていたはずなのだ。




「……もう、駄目だ」




 現実にはコンティニューもリセットも存在しない。一度死んだら生き返りはしない。ヒーローがそうであったように。


 縋るように、昴は湊の腕を取った。力を込めれば折れてしまいそうに華奢な腕だった。鋭い刃物で切り付けられたかのような裂傷からは血が滲み、足元に染み込んで行く。だが、湊はまるで痛みを知覚していないかのように穏やかに微笑んでいた。




「こんなの、痛くもかゆくも無いんだぜ」




 湊の声は理性的で、感情が付随しない。心が麻痺しているみたいだ。此方の声も思いも届きはしない。




「なんで、そんなこと、言うの」




 昴は絞り出すように訴えた。

 例え彼が痛みを感じなかったとしても、伝えなければならなかった。それは痛いのだと、泣いてもいいのだと、教えなければならなかった。


 人間界にいた頃、昴は人を殺し掛けたことがある。どうして人を殺してはいけないのか分からなかった。ヒーローは理屈で説明し、伝わらなければ、自分が嫌だから駄目だと体当たりで止めてくれた。


 それは駄目なんだ。

 いけないことなんだ。


 今度は、自分がそれを言わなければならなかったのだ。




「死ななければ良いとか、勝てば許されるとか、そういうことじゃないんだ。――湊が傷付くと、僕も痛い」




 涙が溢れそうだった。

 微かに感じる脈拍も体温も、彼が生きていることを知らせている。けれど、そうではなかった未来があった。




「もう止めよう」

「駄目だよ」




 俯いた昴の頭の上で、突き放すような冷静な声がした。ふと目を向けると、濃褐色の瞳には怜悧な光が宿っていた。湊の目は、を見ていた。




「少し、散歩しよう」




 湊はそう言って、昴の手を引いた。

 傷だらけの身体は治療が必要だった。昴には医術の心得こころえが無い。止血すらしてやれず、結局、手を引かれるまま、席を立った。


 湊は殆ど引き摺るようにして、観客席から離れた。何かに急き立てられるような焦りを感じた。

 向けられる小さな背中に掛ける言葉も無く、昴は後を追った。


 観客席を抜けた先は、洞窟のように薄暗く雑多な通路であった。行き交う人々は、トーナメントの勝敗に財産を賭け、興奮している。通貨の概念の無い魔法界では、物々交換が主流である。其処に賭けられているのは優れた魔法道具であったり、命そのものであったりした。


 ボロボロの布で身体を隠す子供が、鎖に繋がれていた。奴隷だ。勝者に譲渡される彼等は死んだ魚の目をしていた。


 湊や航と同じくらいの歳だろうか。

 骨と皮だけの痩せこけた身体は、垢と泥によって汚れていた。血塗れの湊の方が、余程マシだった。


 湊は柱の影で着替えと傷の手当てを始めた。

 医者の息子だからなのか、激しい兄弟喧嘩の賜物たまものなのか、やけに手慣れていた。

 弟とお揃いの黒いパーカーを被り、湊は照れ臭そうに笑った。その時だった。


 人集りの出来た賭場から、大きな声が上がった。

 悲鳴と罵声を綯交ないまぜにした不協和音に釣られて目を向けると、恰幅の良い男が賭け屋に掴み掛かっていた。


 赤紫の頭髪は毒々しく、揃いの眼球には肉食獣のような凶暴な光が宿る。集まる観衆の中、頭一つ突き出た大男だった。

 地を這うような恫喝に、賭け屋は顔色悪く弁解の言葉を吐いている。何のトラブルなのかは分からないが、関わり合いにはなりたくない。


 昴はそそくさと目を逸らそうとしたが、男は何かに気付いたかのように顔を上げた。人集りの中、親の仇でも見るかのような剣幕で此方を睨んでいる。男は賭け屋を投げ捨てた。そして、何を思ったのか身体を左右に揺らしながら、床を踏み鳴らして歩み寄って来た。


 咄嗟に昴は湊を庇うように立ち塞がった。だが、男の目には昴など映っていない。

 一直線に湊の前にやって来ると、絶望的な体格差から蛇蝎だかつの如く睨み下ろした。




「また会ったな、クソガキ」




 再会を喜ぶ男の目には、嗜虐的な色が映っている。

 湊は淡白な顔で、男を見上げていた。




「袖振り合うも他生の縁ですね」

「あ?」




 慣用句なのだろうが、正直、昴にも意味は分からなかった。

 男は紫檀したん色の瞳をぎらぎらと輝かせていた。




「てめぇ、トーナメントに出ていたな」

「はい」

「丁度良い。ぶっ殺してやる」




 どうやら、彼等は知り合いらしい。

 魔法界へ来たばかりの湊が、どうしてこんなに物騒な男に脅されているのか。苛烈な性格の航は兎も角、穏やかな物腰の湊は何故なのかトラブルを招き寄せる。


 男は賭場に掲示されたトーナメント表を指差して、息巻いていた。




「首を洗って待ってろよ、ワタル」




 怒りに顔を歪め、男が吐き捨てた。

 その捨て台詞に昴と湊は揃って首を捻った。だが、男は観衆を押し退けてぐいぐいと歩いて行った。


 憐憫の眼差しを受けながら、昴と湊はトーナメント表を確認した。次の試合は二回戦、第一試合。対戦カードは航とカルブと記されている。

 凄まじい倍率だ。敗戦濃厚と看做されているのか、対戦相手のオッズが高い。最早、賭けとして成立していない。


 湊はぼんやりとトーナメント表を眺めていた。昴は恐る恐る、尋ねた。




「あいつ、湊と航を間違えてない?」

「多分ね」




 湊は紙のように軽薄に笑った。

 昴は、知らぬ間に兄の因縁を背負わされた弟を憐れに思った。しかし、湊は罪悪感など毛程も感じていないらしく、トーナメント表を指差してへらへらと笑っている。




「昴、何か賭けるもの無い?」

「はあ?」

「あったら、航に賭けてよ」




 無慈悲な程のオッズを指して、湊が言う。




「航が勝つよ」

「なんで」

「そんな気がする。俺、こういう賭け事で負けたこと無いんだ」




 白い歯を見せて、湊がにししと笑った。








 12.かたちなき正義

 ⑶貧乏籤びんぼうくじ









「てめぇ、誰だ」




 トーナメント二回戦、第一試合。

 対峙した大男の言葉に、航は顳顬こめかみが脈打つような苛立ちを覚えた。

 赤紫の頭髪は天を突くように逆立ち、紫檀色の瞳には失望が映っている。


 初対面の相手にどうしてそんなことを言われなければならないのか分からないが、取り敢えず、腹が立った。

 男は航の苛立ちなど露知らず、鋭い眼光で睨んで来た。




「俺は、ワタルってガキをぶっ殺してやるつもりだったんだよ!」

「航は俺だ」




 答えると、男は拍子抜けしたかのように目を丸めた。

 其処で航は全てを理解した。この男が言っているのは自分ではなく、兄の湊のことだ。何があったのかは知らないし興味も無いが、殺したい程、憎んでいるらしい。




「お前と同じくらいのガキがトーナメントに出てるだろ」

「あんたが言ってんのは湊のことだろ。俺は弟の航」




 男は口汚く舌打ちした。奇しくも、それは航も同時だった。


 ぶっ殺してやりてぇ。

 男が言った。航も同じ意見だった。




「まあ良い。兄貴の代わりにぶっ殺してやる」

「いや、それは俺がやる。――だから、あんたは大人しく道を開けろ」




 航はパルチザンを旋回させて、構えた。

 兄の因縁なんて知らないし、関係無い。対戦相手は湊ではなく、自分だ。

 気に食わないガキ共だ。男が苦々しく吐き捨てた。


 試合開始の合図と共に、歓声が驟雨しゅううのように降り注いだ。航はパルチザンの切っ先を男――カルブに向けた。


 筋骨隆々たる肉体は浅黒く日焼けし、露出した両腕には細かな古傷が無数に残っている。その拳には白銀のナックルダスターが装着されていた。

 魔法が物を言うこの世界で、此処まであからさまに肉弾戦を主張する相手を見たのは初めてだった。素手なら勝機は薄かっただろうな、と航は手にした武器に感謝した。


 航が考える魔法の最大のメリットは、遠距離から広範囲の攻撃が行えることだ。人間界がそうであるように、人は殺害を目的としながら、報復を恐れ、凶器を簡易的なものにし、遠去ける。拳より剣を、銃より爆弾をと科学は殺害を効率化する。

 魔法というものが魔法陣を必要とするのなら、先手必勝だ。湊のようなちまちました戦略は性に合わないし、戦場でも無ければ不利だ。


 しかし、この男は違うらしい。

 魔法が使えないのか。肉体に自信があるのか。


 航は軸足に力を込め、地面を蹴った。

 パルチザンの切っ先はカルブの胸を捉え、銀色の閃光となって闘技場を駆け抜けた。それが皮膚を食い破る刹那、ナックルダスターが穂先を鋭く弾いた。


 身を翻すようにしてカルブが襲い掛かる。一点突破の槍は、それを外した瞬間が最も危険だった。航は目の前に迫った拳を紙一重で避けると、その勢いのままパルチザンの柄でカルブの顔面を狙った。

 しかし、それはもう一方の拳に阻まれた。咄嗟に距離を取ろうと身を引くが、ぴくりとも動かない。


 カルブはパルチザンを掴み、好戦的に笑っていた。

 航は刹那の判断で押し返し、一瞬の隙を作り、拘束から逃れた。だが、すぐ様、畳み掛けるような猛烈な攻撃が始まった。


 嵐のような波状攻撃は、航が防戦に徹さざるを得ない程だった。鼻先を掠める拳が空気を切り裂き、避けた足元では石の床が砕ける。一撃でも食らえば致命傷となる。


 息吐く間も無い集中攻撃だ。後退しながら避け続けるが、男は攻撃の手を緩めない。逃げ場を失った航はカルブが拳を引いた瞬間にパルチザンを地面に突き立て、上空へ浮き上がった。

 身動きの取れない空中で、カルブの紫檀色の瞳に残酷な光を見た。白銀の武器が振り抜かれる。航は全身を使って宙返りしながら身を捻った。撓る背中を拳が掠める。航はパルチザンを床に叩き付け、再度、距離を取った。


 カルブの間合いから逃れ、航は掌に感じる武器の重さにうんざりする。

 素手なら、もっと身軽に動ける。けれど、武器が無ければ戦えない。子供の航が扱うには、パルチザンが重過ぎるし、長過ぎる。筋力やリーチの差を埋める為の苦肉の策ではあるが、防戦一方の状況では重荷にしかならない。


 魔法効果を付与するのなら、自由に出し入れ出来るようにしても良かった。けれど、一瞬の隙が勝負を分けるのならば、この重い武器を持って立ち回る技術を身に付けるべきだ。


 そして、それは戦いの中で学ぶしかない。航は掌に滲む汗を乱暴に膝で拭った。


 カルブはナックルダスターを構えながら、不敵に言った。




「どうした? 防戦一方じゃねぇか」

「考えてんだよ」

「何を?」




 見上げる程の体格差、太い腕、逞しい脚。

 航は力の差を感じながらも、込み上げる笑いを抑えることが出来なかった。




「あんたを、ぶっ潰す方法」




 逆境に燃えるのは、父譲りだ。

 高い壁程、越えたくなる。その向こうの景色が、見たい。


 航の言葉に、カルブは嬉しそうに笑った。




「面白ぇ」




 その瞬間、カルブが炎のように襲い掛かった。

 一瞬で詰められた間合いに、航は構える間も無かった。白銀の光が目の前に迫り、身体を横に滑らせ回避する。だが、その拳は寸前で止まった。同時に横っ腹へ鈍い痛みが走った。


 カルブの拳は横薙ぎに振り切られ、航の脇腹を容赦無く抉った。骨が軋み、筋繊維の千切れる音がした。

 口内に広がる血の味を噛み締め、航はパルチザンを回転させた。石突いしづきがカルブの瞼を掠める。僅かに血が飛び散り、航は猫のように飛び退いた。


 痛ってぇ。

 血反吐を吐き捨て、航は口元を拭った。脇腹からは血が滲み、呼吸する度に痛みが走る。骨が折れて何処かに刺さっているのかも知れない。


 航は、カルブを見据えた。

 図体だけの相手じゃない。




「やるじゃねぇか、クソガキ。気に入ったぜ」




 愉悦に口元を歪め、カルブは言った。




「ワタルって言ったか。覚えておくぜ」




 カルブは身を低く構えた。

 航は野生動物のように神経を研ぎ澄ませる。耳鳴りがする。周りの景色がゆっくりと流れ出し、自分の呼吸が穏やかになる。痛みは消え、手にしたパルチザンの鼓動が聞こえた。


 カルブの足元が、薄緑に発光した。魔法陣だ。

 航は、その瞬間を待っていた。魔法陣を展開する時、どうしたって隙が出来る。魔法使いと近接戦闘するのなら、其処を狙うのは当然だ。


 航のパルチザンは火を噴くように駆け抜けた。

 その穂先はカルブの胴を捉え、貫いた――はずだった。


 金属特有の高音が鳴り響き、パルチザンの切っ先は弾かれた。一瞬、何が起きたのか分からなかった。まるで、鋼の上を滑ったようだ。

 航は攻撃の勢いのまま体勢を崩した。その刹那、カルブの瞳が光った。


 航がパルチザンを翻したのは、殆ど脊髄反射によるものだった。カルブの拳は目にも留まらぬ速度で振り抜かれた。

 柄で受け止めた筈が、その打撃はパルチザンを貫通し、航の身体に致命的なダメージを与えた。脳幹がぐらぐらと揺れ、視界が一瞬、白く染まった。


 航は木の葉のように吹き飛ばされ、地面へ叩き付けられた。起き上がることが出来なかった。気力や精神ではなく、肉体の生理的な反応だ。


 礫のように降って来た拳が、コマ送りに見えた。


 航は力を振り絞り、間一髪のところでパルチザンを構え、直撃を受け止めた。両手は痺れ、何処の骨が砕けているのか分からないが起き上がれない。

 鍔迫つばぜり合いのような攻防だ。其処に勝機は無かった。航は重力のように伸し掛かる拳に、見る見る気力が削られるのが分かった。


 覆い被さる身体が薄く発光している。魔法効果だ。

 遠距離からの広範囲攻撃こそが魔法の最大のメリットと思っていた。しかし、近接戦闘でこそ真価を発揮する魔法もあるらしい。


 肉体強化。

 それがどんな属性なのかは分からない。だが、先程の弾かれた攻撃を見る限り、それは肉体を鋼の如く強化する防御の魔法だ。

 攻撃こそ最大の防御と言うが、圧倒的な防御の前に攻撃は無力だった。


 カルブの空いた拳が、航の眉間を捉えて振り下ろされる。観客席から上がる悲鳴が、遠くに聞こえた。


 人は死の瞬間に走馬灯を見るらしい。けれど、航の目には、そんなものは見えなかった。

 パルチザンに、ルーン文字が浮かび上がる。それは日没を前にした太陽のように鮮やかな赤色だった。


 小細工は嫌いだ。

 でも、負けるのは、もっと嫌いだ。


 カルブの鋼鉄の拳が叩き付けられる寸前、パルチザンは風車のように回転した。赤く発光するそれは円盤状になり、カルブの拳を身体諸共吹き飛ばしていた。


 航は奥歯を噛み締めて身を起こした。

 攻撃を弾かれたカルブの目に驚愕が映る。航は空中で体勢を立て直し、地面に足が着くと同時に刺突した。


 ――むかつくんだよ。


 航は、臓腑ぞうふが煮えたぎる程の怒りを覚えていた。


 俯瞰した兄も、正論ばかりのウルも、被害者面した昴も、ゴミ箱みたいな世界も、全部むかつく。勝手に決め付けて、諦念して、嘆いて、他人のせいにして。


 俺が決めたことに、何で一々ケチを付けるんだ。

 昴が泣き言を言った時、航は腹が立った。湊が止めなければ、殴っていたと思う。


 他人の評価なんて求めていない。世間が何と言おうとも、自分が認めていなければそれは無意味で、無価値なのだ。


 三又の刃はカルブの腹を捉えていた。

 同じ轍は踏まない。航は渾身の力を込めて一撃を放った。刃はカルブの腹を食い破り、勢いを増して行く。筋繊維を引き千切り、骨を砕く。それはカルブの巨体を場外へ弾き出す程のエネルギーだった。




「良い攻撃だ、ワタル!」




 腹を抱えたカルブが、犬歯を晒し、声を上げて笑った。その度に腹から血液が吹き出し、辺りに血の池を作って行く。


 場外へ飛ばされたカルブが、両目に闘争心に燃やして戻って来る。足を踏み出した先が瓦解し、辺りの空気が陽炎のように歪む。航には、それが化物に見えた。


 ふざけんな。

 なんで立てる。なんで歩ける。

 筋肉は千切れた。骨は砕けた。それでも尚、カルブは本能だけで身体を推し進め、航と戦おうとしている。




「もっと、やろうぜ!」




 殺し合いを渇望する狂気的な声は、審判の宣告と重なった。カルブは急ブレーキを掛けられたようにつんのめり、忌々しげに辺りを睨んだ。




『カルブ場外! 勝者、ワタル!』




 観客席から歓声が上がる。しかし、それで止まるカルブではない。

 構うこと無くカルブは拳を打ち鳴らして歩み寄る。航は身構えたが、それは虚勢と等しかった。延長戦を戦う余裕など無い。


 ――その時、カルブの足元に何かが突き刺さった。


 真っ白な羽根を付けた矢は、青く発光している。

 カルブは釣られるようにして目を向け、口角を釣り上げた。


 視線の先に、湊がいた。

 青い洋弓を構え、その目は冷たく見下ろしている。

 隣では、魔法陣を構えたウルが立っていた。触れなば切れんと刃のような鋭利な眼光は、見たことも無い程に獰猛なものであった。




「航に近付くな」




 湊が言った。カルブは皮肉っぽく笑った。

 係員が駆け付けて、双方を何処かへ連れ出そうとする。カルブは先程の剣幕を消し去って、今度は素直に退場して行った。湊はその姿をずっと睨んでいる。


 引っ込んでろ。

 元々はお前のせいだろ。

 勝手なこと言うな。


 言ってやりたいことは山程あったが、航の気力は限界だった。霞む意識の中、カルブの高笑いを聞いた気がした。




「またやろうぜぇ、ワタル」




 地の底へ響くような声だった。




「もうやらねぇよ」




 航は、崩れ落ちるように膝を突いた。真っ青になった昴が駆け付けて来たような気がしたが、よく分からなかった。

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