⑷自衛の術

 スコーピオの街は、絶対的強者による独裁が行われている。力こそ正義という唯一無二のルールの下に、差別や弾圧は無い。


 正体不明の支配者は、地下格闘技場で圧倒的な強さを誇り、挑戦者をことごとく打ち倒す。故に、民衆は彼をチャンピオンと呼んだ。


 そして昴は、それが何者なのか知っている。


 観戦を終えた四人は、黙って席を立った。

 革命軍のリーダーであるシリウスがこの街の頂点ならば、此処は敵地も同然だ。何処で聞き耳を立てられているのか解らない。

 街外れの荒屋あばらやの一角、人気が無いことを確認して、ウルが声を潜めた。




「どうする」




 肯定も否定も呑み込んだ淡白な声だった。

 元々の目的は、地下格闘技場で名を売ることだった。だが、相手が革命軍のなれば、話は違って来る。屈強な男を一瞬で葬った強大な魔法に、対抗する術も無い。


 勇敢と無謀は違う。一時撤退も作戦だ。

 しかし、湊は言った。




「参加しよう」




 ウルは頭を抱えて、溜息を吐いた。




「お前、あの魔法を見たか? 戦える相手じゃない」

「此処で逃げても、いつかは立ち向かわなければならない相手だ」

「でも、それは今じゃない」

「今だからこそ、出来るかも知れない」




 今ならシリウスも油断しているかも知れない。だが、それは希望的観測なのだ。


 この双子を魔法界へ導いたのはシリウスだ。その動向くらい把握しているだろう。それに、油断があっても無くても、戦闘の術が無い此方はなぶり殺されるだけだ。


 昴は嘗て、リンドヴルムという怪物と戦闘になった。対抗の術は無く、殺されぬように逃げるだけで精一杯だった。

 実力の壁というものは存在する。それは知恵や工夫では覆せない絶対的な境界線だ。


 しかし、湊は真顔で言った。




「魔法での殺し合いなら負けるかも知れない。でも、彼処にはルールがある。それに、目的はシリウスを倒すことじゃなくて、俺たちの存在を魔法界へ知らせることだ」




 それまで黙っていた航が鼻で笑った。




「所信演説?」

「そう。どう思う?」

「いいんじゃね。手っ取り早い」




 この双子には、何が見えているのだろう。

 昴もウルにならって頭を抱えたかった。湊が多数決を取ろうと言い出すと、そのまどろっこしさに航が手を上げた。阿吽の呼吸で彼等を押さえ付け、結局、押し切られる形で参加は決まった。


 エントリーしたのは湊と航だった。

 戦力外の昴は兎も角、ウルが辞退したのは意外に思えた。登録確認の為に受付で待っていると、ウルは辟易へきえきしたみたいに言った。




「もしもの時は、こいつ等を連れて逃げなきゃならねえ」




 確かに、そうだ。

 手綱たづなの取れない暴走馬みたいな双子が、何をするのか想定も出来ない。地下格闘技場ではルールもあるだろうが、それをみんなが守るとは限らないのだ。


 登録を済ませた双子は、外見上は仲良さそうに不敵な笑みを浮かべている。

 遊びじゃないんだぞ、と叱ってやりたかったが、湊の屁理屈を論破出来る自信も無い。昴は一抹いちまつの不安を抱えながら、会場を後にした。








 11.くるみ

 ⑷自衛の術









「武器が欲しい」




 会場を出たところで、航が唐突に言った。

 街は相変わらず喧騒に包まれ、何処かで怒号や悲鳴が上がっている。通行人は何事も無かったかのように道を行き、或いは衝動的に手を上げる。


 昴は、人間界で知った動物図鑑を思い出し、柵で囲まれた動物園の方がマシだと思った。


 航は腰に差したナイフを見遣った。




「近接戦闘なら兎も角、遠距離からの飽和攻撃に対抗する術が無ぇ」




 彼等は魔力を持たない子供だ。ロキに言わせれば、無価値な肉の塊なのだろう。

 根拠の無い自信は持たない。航は傍若無人な態度を取るが、根底の部分では冷静だ。


 最早投げやりになって来たウルの提案で、武器屋へ向かうことになった。途中、双子は魔力構造について議論していた。




「魔力が血筋に宿るなら、心臓移植や輸血ではどうなるんだろう」

「才能が身体能力とするのなら、手術では難しいだろ」

「エレメントの存在を考えると、直接的な魔法の行使は無理でも、力を借りることは出来るんじゃないかな」




 彼等の話はよく分からないが、ろくでもないということは分かる。殴り合っていないだけ、僥倖ぎょうこうだ。昴もウルも無視を決め込んでいた。


 着いたぞ。

 崩れ掛けた瓦礫の山を指して、ウルは武器屋だと言った。看板すら無く、とても商売をしているようには見えない。

 ウルが躊躇い無く進むので、昴は後を追った。


 入ってみると、室内は小ざっぱりとしていた。壁には、昴が名前も知らないような武器の数々がずらりと飾られ、カウンターらしきものの奥には、鍛冶場が見える。


 人が生活していると分かる。決して綺麗ではないが、来客を想定して最低限の掃除が成されていた。

 商売をしているということは、経済があるのだ。人間界では紙幣が流通していたが、魔法界ではどうなのだろう。


 双子もそれが気に掛かったようで、背負っていたリュックサックを下ろして中を覗き込んでいた。人間界の通貨が使えるとは思えない。


 ウルがカウンターで声を掛けると、奥から一人の女が現れた。昴は、燃え盛る炎のようなあでやかな赤髪に目を奪われた。


 肩までの赤髪に金色の瞳。白磁のような滑らかな頬は煤で汚れていたが、顳顬こめかみから落ちる汗の雫が宝石のように光っている。


 ボロ切れみたいな衣服を纏いながらも、その容姿は研ぎ澄まされた刃のように、飾り気の無い美しさを保っている。


 女は肩に掛けていたボロ布で、乱暴に汗を拭った。




「久しぶりだね」




 数年来の友人のように、女は砕けた口調で言った。

 カウンター越しに見る彼女は、博物館にでも飾られている一枚の絵画のようだった。


 ウルは彼女の名を呼んだ。




「アレス」




 アレスと呼ばれた女は、カウンターの向こうの瓦礫にどかりと腰を下ろした。片膝を立てた粗雑な態度に、湊が眉を顰める。その足元に覗く白い足首は薄く筋肉に覆われていた。


 アレスは、ウルと昴を見てから、双子へ目を遣った。

 長い睫毛に彩られた瞼をぱちぱちと瞬かせて、アレスは呆れたように言った。




こぶ付きじゃないか。だらしない下半身だね。何処で種を蒔いて来たんだい」

「俺の子じゃない!」




 ウルが叫んだ。アレスは白い歯を見せてけたけたと笑っていた。

 ここの所、切迫した状況が続いていたので、彼等の遣り取りを見ていると何故か穏やかな気持ちになる。

 昴が生暖かい目で見ていたことに気付いたウルが脛を蹴って来た。地味に痛かった。


 ウルは咳払いをした。




「地下格闘技場でエントリーしたんだ」

「臆病者のアンタが?」

「俺じゃねえよ。――このガキ二人だ」




 揶揄からかうように笑っていたアレスは、途端に目を丸め、真面目な顔をした。




「馬鹿なこと言うんじゃないよ。死にたいのかい。子供のお遊びじゃないんだ」

「遊びのつもりは無いよ」




 湊が言うと、アレスは目を釣り上げた。




「観光なら、王都にでも行きな。ふざけるのは、格好だけにするんだね」




 人間界の服装をした二人は、魔法界では際立って不自然だった。アレスに指摘されるのも当然だ。

 湊は肩を竦めた。




「信じてくれなくても良いよ。でも、もうエントリーしちゃったから」

「何でそんな馬鹿なことを!」




 嘆くように、叱り付けるように、アレスが声を荒げた。其処で漸く、昴は事の重大さに気付いた。

 普通は、彼女のように怒鳴ってでも止めるべきだったのだ。


 今からでも遅くは無い。

 昴が口を開いたと同時に、絶対零度の声が突き刺さった。




「闘う理由がある」




 湊と航が、声を揃えた。

 濃褐色の瞳には決意が炎のように灯り、変えることは出来ないのだと思い知る。


 アレスもその覚悟を感じ取ったように、言葉を失っていた。

 嫌な緊張感の中、堪え兼ねたようにウルが言った。




「こいつ等の行動の無謀さは百も承知さ。だから、せめて、命を守る為に力を貸して欲しい」




 傷付ける為では無く、命を守る為に。

 そう言われると、アレスは盛大な溜息を吐いた。


 付いて来な。

 アレスはカウンターの端を顎でしゃくった。双子は顔を見合わせて、警戒するように後を追った。


 カウンターの奥には、武器を製造する鍛冶場があった。咽せ返るような熱気と土の匂いが室内に篭り、昴は蜃気楼に目が霞むような感覚を抱いた。


 鍛冶場にはアレスの他にも職人がいた。彼等は皆屈強な肉体を持ち、一心不乱に炎と向き合っている。


 高温によって液体状に溶けた金属を鋳型に流し込み、打ち鍛えては折り返し、火を入れ、再び打ち鍛える。


 刃物一つを作るにも膨大な手間と時間が必要になる。武器とは、人を傷付ける凶器だ。其処にあるのは凶器と呼ぶよりも芸術品に近い。鉄が鍛えられ刃になる過程を垣間見て、昴は胸が塞がれるような感動を覚えた。


 双子は繁々と辺りを観察していた。

 好奇心に目を輝かせる二人の子供は何処かあどけなく、庇護欲に駆られる。


 アレスは褪せた大槌を軽々と肩に担ぎ、二人へ向き直った。




「どんな武器が欲しいんだい?」




 問われた時、真っ先に答えたのは航だった。




「遠距離からの飽和攻撃に対抗出来る武器が欲しい」

「飛び道具?」

「いや、間合いを一瞬で詰めて、近接でも戦えるような武器だ」

「アンタ、何と戦ってんの」




 呆れたようにアレスが言った。

 航は答えた。




「魔法に対抗出来る武器が欲しいんだ」

「魔法に対抗出来る武器なんて存在しないよ」

「相手が人間である以上、対抗出来ない理由は無ぇ」




 アレスは笑った。




「面白いガキだね。名前は?」

「他人に教える名前は無ぇ」

「航だよ」




 突っ撥ねた航に代わり、湊が告げた。

 航が舌打ちをしたが、湊は気にしていなかった。アレスは湊を値踏みするように見遣った。




「アンタはどんな武器が欲しいんだい?」

「飛び道具」

「例えば?」

「ブーメランか、弓矢が良いな。近接戦になる前に片が付くような。相手が人間で、話が通じるとは限らないから」




 こいつ等は何と戦っているんだ。

 アレスが呆れたように言った。

 ウルは自衛の為の武器を見繕みつくろってくれと言ったが、彼等は積極的に戦おうとしている。


 アレスは片手で大槌を旋回させると、杖のようにして床に叩き付けた。




「あたしは、子供が死ぬのは見たくない。だから、命を守る為に武器を与える。その意味を履き違えちゃ駄目だよ」




 湊も航も、何も言わなかった。

 正論なんて知っているだろうし、説教も聞く気は無いだろう。それでも、アレスは言わなければならなかった。




「肝に銘じるよ」




 湊はへらりと笑った。アレスは大槌を弄びながら、渋々と言った。




「戦いが始まる前には完成させて置くよ。あんた達の心意気に免じて、ただで遣ってやる。その代わり、文句は聞かないからね」




 口も態度も悪いが、彼女は悪い人間ではないようだ。

 二人は二つ返事で了承した。


 湊が思い出したように言った。




「店内を見ていた時に、防具とかアクセサリーがあったんだけど、あれは魔法が使われているの?」

「どうしてそう思う?」

「武器は兎も角、魔法に対抗出来ないのなら、防具なんて作る意味が無い」




 言われてみると、そうだ。

 王の軍勢は、一様に白金の鎧を纏っていた。武器が無意味ならば、防具というものは必要無いのだ。

 アレスは答えた。




「魔法は付与することが出来る」




 湊の横顔に、確信めいた笑みが浮かぶ。

 二人の仮説は正しかった。魔力の無い人間は魔法を使えない。だが、それは媒介さえあれば行使可能なのだ。


 その答えを聞くと、二人は満足そうに笑い、具体的な武器のイメージを話し始めた。


 武器を媒介にすれば、魔法を使える。だが、それはオマケみたいなもので、強力な魔法使いに対抗出来るという意味ではない。


 アレスはそう説明した。

 戦って欲しくないというのが、彼女の本音なのだろう。積極的な戦闘を避けて欲しい。けれど、命の危険に晒された時に自衛の術が無ければ、嬲り殺されるだけだ。


 周囲の心配を何処まで理解しているのか、湊は一頻り話し終えると満足したようだった。昴は生き急ぐ彼等の手綱を握るつもりで、言った。




「命を大切にして欲しい。相手の命も、自分の命も」




 すると、湊は苦く笑った。




「無茶はしない。約束する。俺たちだって、こんなところで死ぬのは本意じゃない」




 そう言って、湊は何かを思い出したようにリュックサックを漁った。その小さな手に握られていたのは、小指程も無い石の欠片だった。

 同じように航も石の欠片を取り出した。不透明な青い石と、透明な深紫色の石だ。それが何なのか昴には分からなかった。




「身に付けられるようなアクセサリーにして欲しい」




 湊が言った。

 アレスは二人から小石を受け取ると、明かりに翳した。




「見たことない鉱石だね」

「俺たちのお守りなんだ」




 中々可愛いところがあるじゃないか。

 そう言って、アレスは嬉しそうに笑った。薄っすらと金色のしま模様が入った青い小石はターコイズ、深紫色の透明な小石はラピスラズリと言うらしい。どちらも聞いたことのない名前だが、綺麗な石だった。




「この石も加工するかい?」

「いや、手は加えないで」




 お守りと言うのは、現実主義な彼等に見合わない。それでも、縋るように懇願する彼等を見ると、その欠片がどれ程に大切なものなのか解る。


 きっと、何か意味があるのだろう。

 いつか聞いてみようと思いながら、昴は小石を握る二人の少年を遠くに見ていた。

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