⑶力

 魔法界には四大精霊が存在する。彼等はエレメントと呼ばれ、天空に存在する精霊界から魔法界を見下ろしているという。


 魔法界から精霊界へ干渉することは出来ない。彼等は人格を持った概念そのもので、エレメントと呼ばれる。


 エレメントは神の視点で地上を眺め、時には恩恵としてその強大な力を付与し、大災害によって鉄槌を下す。そして、北はノーム、西はウンディーネ、南はサラマンダー、東はシルフが統治しているという。


 昴は見渡す限りの砂砂漠すなさばくの中にいた。生き物の気配どころか岩影や植物すら無い。命を守りも育てもしない不毛な砂が視界一杯を埋め尽くし、山脈を形成しては崩れ落ちる。日差しは凶悪に照り付け、熱いというよりも痛いくらいだった。


 この地域を統治するサラマンダーの性格が如実にょじつに表れている。


 南の一等星、スコーピオ。

 魔法界の最南に位置するゴロツキの集まる無法地帯。これ以上は無いという程に最悪の治安で、貧困に喘ぐ北のアクエリアスが天国に思える程、人々は刹那的な快楽と堕落を貪る。


 其処は、社会から見捨てられた風の吹き溜まりだ。


 ウルの転移魔法によって、四人はスコーピオの南部の砂漠に移動していた。

 直接の上陸に危機感を覚えたウルの配慮だ。しかし、それも功を為さず、双子は銃弾みたいにぐいぐいと進んで行く。


 踏み出す度に足を取られ、姿勢を維持するにも一苦労だった。照り付ける日差しと不安定な足場によって体力はごっそりと削られ、四人は無言で歩き続けた。


 身体中から水分が失われ、意識が朦朧もうろうとした頃、先頭を行く双子が街の存在を知らせた。

 蜃気楼なのではないかと疑ったが、スコーピオの街は確かに其処にあった。


 街を取り囲む石壁は廃れ、瓦礫がれきと化している。魔獣の襲来から守れるとは思えない。街中から響く喧騒は身震いするように血の気を帯びて、耳を塞ぎたくなる程に醜い罵声が飛び交う。


 街に入った瞬間、昴は激しく後悔した。

 目の前で、人が殺されていた。鈍色の刃は被害者を滅多刺しにして、街路に鮮血と臓物が零れ落ちる。

 ウルは眉をひそめた。




「此処では力こそ正義だ。欲しいものがあれば殺してでも奪う」




 だから、それは驚くようなことではない。

 惨劇を指して、ウルは嫌そうに言った。


 力こそ正義とは、魔法界の摂理だ。強者は弱者から奪い、弱者が守られることは無い。スコーピオの街の有様は、魔法界の縮図に見えた。目の前の地獄絵図に比べれば、王族による統治は弱者にとっての救いに他ならない。


 湊の忠告は、このことだったのだろう。

 王家を倒した時、支配者がいなければ無法地帯になる。だが、暴力による統治は王家と同じだ。現状に問題が無い以上、エレメントは不干渉を守っている。


 首がげ替わったところで、何も変わらない。犠牲になるのは結局、弱者だ。

 これはいたちごっこだ。横槍を入れたところで、悪戯に混乱を招く。


 今の魔法界は、このスコーピオ程に混沌を極めてはいない。とは言え、昴は今の魔法界の在り方に疑問を抱く。


 その思想は、シリウスの率いる革命軍とも違うように思う。昴は支配者になりたい訳ではない。

 王家も革命軍も間違ってはいないけれど、納得出来ない。形容し難い違和感、それを適切に表現出来る言葉が見付からない。


 だからこそ、湊は警鐘を鳴らす。言葉で説明出来るように所信演説を求める。

 そんな少年は今、魔法界の残酷さに直面して、何を思うのだろうか。


 湊は、真っ赤に染まった街路を眺めていた。秀麗な横顔には何の感情も表れてはいない。

 目を背けて悪態吐く航の横で、湊は平坦な声で問い掛けた。




「誰が掃除するのかな」




 素朴な疑問を口にする湊には、目の前で何が起きたのか理解出来ているのだろうか。

 昴は、湊が何かを言う度に遠去かるような不気味さを抱いた。眼前で人が殺されて、まず気にするところは街路の掃除だ。価値観や考え方ではなく、倫理観の欠如としか思えない。


 返答の言葉を失っていると、湊は街を指差した。




「この街の基本構造は分かったよ。でも、暴力が全てを支配するのなら、街中は血に染まっているはずだ」




 おかしいじゃないか。

 子供が駄々を捏ねるように、湊は眉間にしわを寄せて言った。




「殺されるかも知れないのに、どうして同じ街に暮らしてるの」

「他に行き場が無いんだよ」

「それは建前だろ」




 答えたのは、航だった。

 この双子は仲が悪いが、知識を共有している。多分、その知識が彼等を繋ぎ留めている。

 湊と航を繋ぐいかり――その知識を与えたのは、ヒーローだ。


 湊は航の言葉に同意するように頷いた。




「この街は無法地帯じゃない。ルールがある」

「ルールはあるだろうさ。弱肉強食こそが、この街の摂理さ」

「違うよ。俺が言いたいのは、――この街には、絶対的な強者がいるってこと」




 感情の無い声で、湊が言った。

 航は足元の血溜まりを見遣り、うんざりした顔をして続けた。




「それも、王家の庇護から離れて、こんな胸糞悪ィルールで支配する性根の腐った絶対的強者だ」




 そうだね。

 其処で漸く、湊は崖の淵に立たされているような、悲壮な顔をした。まるで自身が切り刻まれたかのように、惨殺された遺体を見ている。


 彼等の言葉を裏付けるように、ぼろ雑巾みたいな住民がやって来て、片付けを始めた。その目は伽藍堂で、千切れた肉片を塵のように扱っている。

 人々が去って行くと、街はそれまでと同じ喧騒に包まれた。


 ウルはやれやれと肩を竦めた。




「この街の有様を見れば、少しは怖気付くかと期待した俺が馬鹿だったよ」




 付いて来い。

 ウルはそう言って、街の中へ足を踏み入れた。








 11.くるみ

 ⑶力









焼夷弾しょういだんって知ってる?」




 湊が言った。

 聞いたことのない単語に首を振ると、湊は透明な眼差しでつらつらと話し始めた。




「攻撃対象を焼き払う為に作られた爆弾だよ。爆弾の中に詰めた焼夷剤が燃焼することで火災が起きる。それから、焼夷剤が燃焼することで人体の広範囲の皮膚や呼吸器に化学的な被害を齎す」




 それは十歳の少年が語っているとは思えない程に血腥く、惨たらしい話だった。


 ウルの案内に従って、昴と双子は街の奥に隠された地下への階段を下っていた。熱波に晒された地表とは異なり、空間は底冷えするような不気味な冷気が染み出している。

 地の底まで続くのではないかと思う程に長く深い階段だった。魔法効果の付与されたカンテラが点々と照らす以外は闇そのもので、偶々蹴り飛ばした小石が遠くに転がり落ち、静かに木霊した。




「焼夷弾は戦時国際法で禁止された非人道的な殺戮兵器だった。でも、その締結を拒否した国が幾つかある。その国の戦争は苛烈を極め、軍人はおろか、民間人まで巻き込んでまで拷問し、大勢の人を死なせた」




 湊が何を言いたいのか、分かる気がした。

 彼が語っているのは、他人から聞き得た事実なのだ。


 ぽつりと、湊が言った。




「親父が空爆されたのは、焼夷弾だった」




 前を行くウルと航は振り向かないが、耳をそばだてているようだった。

 湊は構わず続けた。




「皮肉だよね。人道援助をしていた親父は、非人道兵器で命を奪われたんだ」




 冗談のつもりなど、微塵も無かっただろう。

 湊は笑おうとして失敗した、下手糞な笑みを浮かべていた。その顔を見る度に、昴は胸が痛くなる。


 遺体が炭化し、辺り一帯が消し炭になる程の高温だ。

 穏やかな死ではなかっただろう。火に巻かれて呼吸を失ったり、皮膚や呼吸器が焼かれたりして長く苦しんだのかも知れない。せめて、その苦しみが、一瞬であったことを祈るしかない。


 悲劇だった。許されないことだ。世界中がヒーローの死を悼み、嘆き、涙を零した。

 だが、今の彼等は、泣くこともなく、平静と変わらない。冷静な判断を下し、立ち止まることもなく、前だけを見据えている。――そう、悲しい程に。


 湊は煤けた石壁に手を添えながら、嘆くように言った。




「俺は、暴力なんて嫌いだ。其処にどんな崇高な理念や大義名分があったとしてもね。武器は人を傷付ける為にある。でも、武力でしか変えられないものがある。だから、線を引く。俺は、人は殺さない」




 それは、昴との約束だった。

 あんな口約束を覚えて、ずっと、抱え込んでいたのかも知れない。そう思うと、この小さな少年の持つ歪な正義感も、無謀な行為も、面倒臭さも含めて、抱き締めてやりたいと思う。


 彼は旺盛おうせいな知識欲に引き摺られて、感情は後からやって来る。押し潰されそうな時には、きっとヒーローが守ってくれたのだろう。だが、その父はもうこの世の何処にもいないのだ。


 その時、深い闇の奥に光が見えた。

 光の出口から、微かに歓声が聞こえる。ウルの言う地下格闘技場なのだろう。


 ウルは勝手知ったるとばかりに回廊を抜けて、受付へ進んだ。擦れ違う人々は屈強な肉体を持ち、或いはマナの恩恵を受けた魔法使いばかりだった。


 異世界の出で立ちをした双子を繁々と見遣り、下衆な誘いをする。愚劣で、醜悪で、残酷な魔法使い。航はそれを片手で払い除け、ウルと共に受付へ立った。




「観戦は無料だってさ。どうする?」

「観戦するよ」




 航はそう言って、観戦席まで案内無く向かっていた。

 反対する理由も無いので、昴と湊も従った。


 擂鉢状の会場に、所狭しと観客が押し寄せる。会場は熱気に包まれ、今にも爆発しそうな興奮に満ちていた。

 中央、アナウンスに従って屈強な肉体の男が現れる。




『彼は今回で二十九人抜きの怪力の持ち主! チャンピオンの座に王手を掛けたこの怪物の今回のお相手はーー』




 最高潮に達した歓声が、悲鳴のように轟いた。異様な熱気だ。昴は会場の雰囲気に圧倒されながら、静かに端の席へ座った。




『地下格闘技場チャンピオン! その正体を知る者は無く、歴戦の猛者を全て一撃で打ち倒して来ました。彼は正に、王の中の王!』




 弾けるような拍手が巻き起こる。

 現れたのは、屈強な男に対して、紫色のマントと赤いマスクで正体を隠す、ひょろりと背の高い性別不明の人物だった。――だが、その猛禽類のような金色の瞳は、一度見たら忘れることは出来なかった。




「シリウス」




 昴は呟いた。同時に、双子が顔を歪めた。




「俺たちをこの世界へ連れて来た奴だ」




 シリウス――。

 人間界では昴や和輝を狙い、大勢の民間人を殺戮した正体不明の青年。そして、その正体は革命軍のリーダーで、エレメントとすら渡り合った魔法使いだ。


 どうして、彼が此処にいる?




『ルールは簡単! 相手を場外へ出すか、参ったと言わせる! 例外として、戦闘不能と見なせば、審判の判断に従って勝者を決めます!』




 宜しいですね、皆さん!

 客席を煽るアナウンスに、耳を劈くような歓声が響き渡る。


 隣に座っていた男が、独り言のように囁いた。




「場外やら参ったやら、そんなもんは求めてねえんだよ。俺たちが見たいのは、――殺し合いだ」




 男の目は狂気に濁っている。彼だけではない。会場にいる全ての人間が、熱に浮かされるようにして血を求め、声を上げて凄惨なショーを渇望する。

 異様な光景だ。だが、状況を鑑みると、異質なのは昴たちであった。




『レディ、ゴー!』




 風魔法の一種だろうアナウンスは、会場中を駆け抜けた。空気の振動に昴は耳を塞いだ。――だが、次の瞬間、屈強な男は凄まじい炎の噴出によって場外へ叩き出されていた。

 思わず、湊と航が腰を浮かせた。審判は弾き出された男を見遣り、高らかに宣告した。




『対戦者、戦闘不能! 勝者は、チャンピオン!』




 数瞬遅れて、会場がわっと沸き上がった。

 シリウスの放った火炎は場内を焼き尽くし、離れた場所にいる昴の元まで熱波が届いていた。

 アナウンスが、観客を煽るようにはやし立てる。




『 七度目の防衛に成功! 圧倒的な強さ、躊躇いの無い攻撃、ド派手な魔法! これこそが、究極のエンターテイメントです!』




 割れんばかりの歓声と、賞賛の拍手が送られる。シリウスは応えるようにして軽く手を上げ、笑っていた。


 瞬殺――。

 壁に打ち付けられた男の全身は灼け爛れ、空気の抜けるような微かな呼吸をしている。

 だが、その呼吸も虚しく、微かに痙攣していた腕から、かくりと力が抜け落ちた。すぐ様係員がやって来て、男を担架に乗せると静かに去って行った。


 シリウスを讃える名前の連呼。

 狂気に包まれた会場で、昴は縫い付けられたようにシリウスを凝視していた。

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