⑸予感
「起きろよ」
肩を揺らされて、昴の意識は
どうやら、長い間眠っていたらしい。星は消え失せ、空には太陽が昇っている。
随分と、懐かしい夢を見ていた。
人間界で別れた筈のヒーローが現れて、迷う昴を
お節介だなあ。
そんなことを思いながら、頬は温かく濡れていた。昴は鼻を啜り、立ち上がった。
身体全体が心地良く痺れていた。本当にこんなによく寝たのは久しぶりだ。身体中に活力が
ふと思い出して、自分の身体からバンシーの呪いが消えていることに驚いた。何が起きたのだろう。昴は訳が分からなかった。
ウルは朝食の
小振りの鍋に、小さな
謎の粉を入れ、ウルは味見をしていた。
どうやら調味料の
ウルは鍋を掻き混ぜながら、気分が良さそうに鼻唄すら歌っていた。
もうすぐだから、と子供を
久々に口にした料理に、昴は言い得ない程の感動を覚えた。人間界の料理は文句無しに美味かったけれど、疲れ切っていた昴にとって、ウルの作った簡単なスープはまるで生命の源であるかのようだった。
皮すら剥いていない芋と、千切っただけの干し肉。
相変わらず飲み物は白湯だったが、充分だ。
ウルは、昴が眠っていた間の話をしてくれた。
頂上決戦のような激しい魔法の攻防戦に巻き込まれ、決死の覚悟で転移魔法を使った。すると、どうした訳か、辿り着いた先はウンディーネの棲まう泉の側だったらしい。
昴を担いで泉まで行くと、水底から美しい女が現れて昴に掛かった呪いを解いてくれたのだと言う。
そのままウンディーネは泉の底へ消えてしまったので、ウルは夢を見ていたのではないかと思ったらしい。
ウンディーネに助けられるのは三度目だ。
彼女にはもう頭が上がらないな。
昴はそんなことを思いながら、小さく笑った。
相変わらずロキの姿は見えない。けれど、あの神出鬼没のエレメントならば、またひょっこりと顔を出すのだろう。
食欲が満たされ、昴は落ち着いた腹を撫でながら後片付けをするウルを見ていた。
「なあ、ウル」
「んー?」
背を向けて返事をするウルに、昴は問い掛けた。
「選択肢を増やすっていうのは、どう思う?」
「はあ?」
意味が分からないと言うように、ウルは目を瞬かせる。
昴は
「今の魔法界には選択肢が無い。皆は、王族に縋る以外に身を守る方法を知らないんだ。もしも、そうでない選択肢があったなら、どうする?」
ウルは川で洗った鍋を鞄に押し込んで、何かを考え込むようにして唸った。
「革命軍のことか?」
「革命軍?」
「王族の支配に意を唱え、王家を打ち倒そうとするならず者の集まりだよ」
革命――その言葉に思い当たる魔法使いは、一人しかいない。
夜空みたいな藍色の髪と、猛禽類に似た金色の瞳。シリウス。
昴の思考が過去に回帰し掛けていると、ウルは何処か間延びした口調で言った。
「俺は革命軍に誘われたことがあるんだけど、断ったんだ」
「どうして?」
「リーダーが好きになれなかった」
リーダーは大切だ。
そう呟いて、ウルは野営の片付けを始めた。
「昴は今の魔法界には疑問があるんだろ」
「うん……」
「犠牲を必要としない、支配者のいらない世界か」
ウルは一人でうんうんと
そして、何かを閃いたみたいに手を打った。
「いいぜ、やってやろうじゃないか」
瞠目する昴の手を取って、ウルは目を輝かせていた。
「俺は何かに守られたり、支配されたりするのは嫌いだ。人はもっと自由であるべきだ。それが夢物語でも、俺は応援するぜ!」
興奮したような切口上で、ウルが叫ぶ。
「知っての通り、俺は風の魔法使い。攻撃魔法はあんまり得意じゃないけど、力になるぜ。これから、俺達は仲間だ!」
そう言って、ウルは掌を突き出した。
昴は面食らったが、おすおずと手を伸ばした。
「そうそう。お前、長考入る時が多いけど、一人で悩んでるくらいなら俺に相談しろ。仲間なんだからな!」
きらきらと、何かが光っている。
魔法だろうか。否、これは目の錯覚だ。昴の目には、ウルが光り輝いているように見えた。
「まずは、
「僕にそんなこと、出来るかな」
「ネガティブ思考止めろー! そんなんじゃ、来る者も来なくなるだろ!」
ウルの放ったチョップは、昴の脳天に
痛む頭頂部を撫でていると、ウルは快活に言った。
「少なくとも、俺はお前の考え方に賛同して、仲間になったんだぜ」
自信持てよ。
そう言って、ウルは昴の背を叩いた。
「俺は有能だぜ?
それは誇れることなのか?
昴は疑問に思ったが、黙っていた。その代わり、もっと前に訊きたかったことを問い掛けた。
「仲間って何なの?」
「深い質問だな」
ウルは悪戯っぽく笑う。
腹が満たされて、機嫌が良いのかも知れない。
「仲間とは、
ウルの言葉が、宝石のように輝いている。
長い夜を超えた山間の向こうに、一条の光が差し込んだかのようだった。
「仲間を探しつつ、世界を巡ろう。その中で、王族を頼らない選択肢があるってことを知らせて行く」
「うん」
「当然、今の王族支配に慣れ切った奴等は否定するだろう。追っ手も厳しくなる。ロキはいないから、俺たちは交戦出来ない」
「うん。それでいい」
力による支配は、王族と同じだ。
昴は一人、掌を見詰めて決意をする。
自分はもう二度と、この魔法は使わない。それでは王族と同じだ。
しかし、攻撃に対して無力であるのは、無謀だ。何か無いのだろうか。魔法に対抗出来る別の何かが。
武力では駄目だ。
武器は、魔法の前に無力だ。それなら、何が。
そう考えたところで、昴は視線を感じた。ウルがじっと見ている。
相談しろ。言われたばかりのことを指摘されたような気がして、昴は苦笑した。
「俺は王族の支配を覆そうと思う。でも、強大な魔法を使う王族や魔獣に、どうしたら対抗出来るだろう」
「対抗って、戦うことか?」
ウルは答えを待たず、考え込んだ。
閃いたというように指を鳴らし、ウルは笑った。
「エレメントを味方に付けるとか」
確かに――。
エレメントが味方になると分かれば、民衆は掌を返すかも知れない。
「ロキが、エレメントで話し合うことがあると言っていた。追い付いたら来いとも」
「そうだな。その精霊界まで届く魔法は存在しないから、取り敢えずは、ウンディーネの元まで戻ろうか」
昴は頷いた。
エレメントは四つ。炎のサラマンダー、水のウンディーネ、風のシルフ、土のノーム。
彼等がどのような人物なのかも分からないが、今は少しでも前に進みたいと思った。
「エレメントがどんな結論を出すにしろ、俺たちに出来ることは追っ手から逃げ切ることだけさ」
逃げるのは、得意だぜ。
ウルは白い歯を見せて笑う。その顔を見ていると、自分一人で悩んでいたのが馬鹿みたいに思えて来るから不思議だ。
昴が諦念とも
「これ、やるよ」
そう言って投げ渡すので、昴は慌てた。
手にしてみると、
「俺の使い古しで悪いけど、切れ味は保証するぜ」
こんな小さな刃が、遠距離からの広範囲攻撃を可能とする魔法に太刀打ち出来るとは思えない。けれど、昴はそのナイフを持っていると安心出来た。
少なくとも、犠牲を必要とする魔法に比べると扱いは容易だ。誰かを死なせるリスクは少ない。そして、何より、自衛の術があるということが、大きい。
昴はナイフをベルトに差し込んだ。
据え付けられたみたいにしっくり来る。
「ナイフの使い方を教えてくれよ」
「いいよ。まずは、野菜の皮剥きからだな」
ウルはしたり顔で言った。
昴も断らなかった。全て任せきりだった旅で、自分に出来ることがあるというのは、嬉しかった。
9.閉塞
⑸予感
昴の離脱した後、ロキは頃合いを見計らって消え失せた。後に残されたのは、
レグルスには、犠牲の魔法は使えない。
その力は、何も知らない昴に受け継がれてしまった。それがどういうことなのか、昴はまだ知らなかった。
王家に犠牲の魔法が無くなったと知ると、民衆は恐怖し、襲い来る魔獣や盗賊に備えなければならなくなった。恐怖に支配された民衆はより王家へ縋り、或いは犠牲者を返せと暴動を起こした。
王家は歯向かう者には厳罰を与えた。犠牲の魔法が無くとも、王家は強大な魔力を持った一族に変わりはなかった。
問題なのは、犠牲の魔法を受け継いだ昴が、自衛の術も無く放浪しているということだ。悪用しようとすれば、幾らでも可能になる恐ろしい力だ。王家はそれを知っている。すぐに指名手配を掛け、昴の動向を探ることになった。
昴はお尋ね者になっていた。
そして、同時刻、その一報は地の果てに本拠地を構える革命軍の元へも届いた。
その知らせを見たシリウスは、笑っていた。
革命の時は、近い。純粋な魔力同士のぶつかり合いならば、勝機はある。もしも、昴を味方に付けることが出来たなら、それは夢ではなく、現実に可能なのだ。
この一報は魔法界へ駆け巡り、終には、精霊界に棲まうエレメント達の元まで届いていた。
嵐が来ることを悟った。
魔法は酷使され、多くの血が流れる。
レグルス、シリウス、そして、エレメント。
力を持った魔法使い達が嵐に備えようとする最中、得体の知れない何かが身体中を
そして、それは昴も同じであった。
草原を歩いていた昴の動きがぴたりと止まったので、ウルが心配そうに振り返る。けれど、昴は東の空をじっと見詰めたまま、動かなかった。
「何かが、来る」
魔法界に関わる大きな力を持つ者は、その何かを確かに感じ取っていた。それはまるで、頭の天辺から稲妻に打たれたかのような衝撃と危機感であった。
吹き抜ける風が、草生す大地が、降り注ぐ日差しが、声を揃えて歌い上げる。
「何かが、来る」
「何かが、来る」
「何かが、来る」
この魔法界へ、大きな力を持った何かが、やって来る。特異点、転換点。それは嵐を吹き飛ばす希望となるのか、それとも、更なる地獄を呼ぶ絶望となるのか。
過去の歴史には存在しなかった新たなる存在、イレギュラーがやって来る。
それが、小さな二人の少年であることなど、その時は誰も知る由も無かった。
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