夜汽車にのって

 年末進行、である。

 たとえ遅くなろうとも出先から直帰できればマシなほう、上司に連絡を入れたら「今日は戻ってこなくていい」と許された。それだけでもう小躍りしそうな気分だ。

 いやまて。ここは駅のホーム、身なりは立派な社会人、周囲にはどんよりとした疲労の気配。ここでスキップでもしようものなら彼らの神経を逆撫ですること間違いなし、というか俺にもそんな体力は残っていない。おとなしく枠線のなかにおさまる。

 と、見たことのない列車がすべりこんできた。

 丸いあたま、上下二列に並んだ窓、肌色にちかいベージュのつるりとした車体。やわらかい光のともる窓辺に人影がのぞき、その多くがビールを手にごろごろしている。

「うわあ……」

 羨ましさが口から漏れた。なんだあれは。天国か。

 見られているほうはこちらのことなど気にする様子もない。もはやそういう映像作品なんじゃないかと錯覚しそうになる。

 天国はしばらく停車したのち、俺を置いてぬるりと去っていった。

 マッチ売りの少女の気持ちがすこしわかった。まぼろしだけ見せられて、欲望を掘り返された俺は一体どうすればいいのだ。若干憤慨しながら、シルバー基調の車体に乗り込む。



「っていうことがあってさあ」

「ああ、それサンライズっすね」

 同居人の反応はあっさりしたものだった。

「サンライズ瀬戸・出雲っていって、四国とか島根とかに行く、寝台列車の生き残りっすよ。いいよなあ、あれ」

 大学時代の後輩、沢村和穂が家に転がり込んでそろそろ三ヶ月になる。他人と暮らすなどはじめはどうなることかと思ったが、相性というのはあるもので、いまのところおたがいの得意不得意を補いあって大きな不満もない。そもそも学生のころ、たがいの課題や卒論の修羅場を見てきているから、人として底がわかっているのは大きい。

 料理はできるが物を広げがちでどんぶり勘定の沢村と、掃除のペースが決まっていてなにごとも効率重視の俺。

 沢村のおかげで、俺は何も考えずに目の前にあるものを片付ければいい。料理は条件がつねに変わるから、俺からすると地味にしんどいのだが、やつはそれを楽しんでいるようだった。タイプが違うってこういうことなんだなと日々実感している。

 今日のメニューは青椒肉絲、夜も遅いので茶碗メシにのせてかきこむが、ちゃんと中華スープが添えてあるあたり俺には到底できない芸当だ。

 沢村はがっつく俺を見て満足気ににやりと笑いかけ、そのまま風呂場へと向かった。



「先輩、二月あたまとかどうすか」

「なにが」

「サンライズっすよ」

 毎度話が唐突なので、俺はしばしばついていけない。

「え? 乗らないんすか」

「いや、乗りたい、乗りたいけど」

「俺は断然、高松行きを推しますよ」

 そう言いながらスマホの画面を差し出す。そこには群島を力強くつらぬく瀬戸大橋があった。

「橋は男のロマンっすよ」

「まあなあ」

 列車は岡山でふたつに分かれ、もう一方は出雲に向かう。出雲といえば、やたら女子旅というキーワード

とともに見かける。そこへ男二人で行くのはさすがにぞっとしない。

「二月あたまの週末、ぜったい空けといてくださいね」

「決まりか」

「決まりです」

 調べてみると、寝台にもいくつか等級があるらしい。

「おっ、これとかもうホテルじゃん」

「いやー、値段見てから言ったほうがいいすよ」

 向けられた画面を見てウッとのけぞる。宿泊だけならそこそこいいホテルに泊まれるんじゃないかこれ。

「俺なんか、学生のときゴロ寝席だったし」

「乗ったことあるのか」

「まあ」

「だから金なかったんだな」

「またそういうこと言う」

 ひととおりさらってから、寝台の等級は「ソロ」に決めた。二段ベッドの入り口を分けて個室にしたようなコンパクトな部屋で、それはそれで面白そうだ。



 きっぷは任せる、と言ったのに、なぜかみどりの窓口まで呼び出された俺は、すぐにその理由を知ることとなった。

「先輩、いっぺん立て替えといてもらえますか」

「やっぱりな」

 これを肯定と受け取ったのか、沢村は順番がくるなり意気揚々と窓口にすすんだ。

「上下ふたつまとめてとれる席で、東側向くほうがいいんですけど……」

 彼の細かい注文に、窓口の係員はすごい速さでタッチパネルを操作する。鍵盤を叩くような独特の動きが面白い。

 やがて画面に支払金額が表示されると、沢村はうやうやしく場所を譲った。

「どうぞ」

「どうぞじゃねえだろ」

 このところあまり大きい買い物をしていないので、実はそれなりにわくわくしていた。俺が買うのはあの画面の向こう、天国を手に入れるきっぷなのだ。



 東京駅、二十二時発。

 比較的まともな時間に退社し、腹ごしらえののち検索しておいた銭湯に立ち寄った。ほかほかのままダウンを着込み、コインロッカーに預けておいたでかいリュックとビジネスバッグを持って目的のホームに向かう。

「風呂入りました?」

「入ってきた」

「ビールは買っときました」

「最高」

 座席は俺が上の段、沢村が下の段。まるで押入れのなかにもぐりこむような絶妙な狭さ。それぞれに荷物を置くと、沢村は俺のほうへ上がってきた。

「うわー、やっぱこっちいいっすね」

 天井に向かってカーブする大きな窓の外に、白く照らされた東京駅構内を見下ろす。缶ビールのプルタブを引き、キャンディチーズを転がして早くも気分が出来上がっている俺たちには、ホームの何気ない様子ですらつまみになる。

「かんぱーい!」

 やがて、発車の合図とともに列車がゆるりと動き出した。

 品川、横浜と通過して、駅をのぞけばあたりはほとんど真っ暗になる。窓にうつるのが自分たちの姿ばかりになると、沢村は起床時間だけ言いおいて下の部屋へと戻っていった。




 アラーム代わりに沢村からの着信が鳴る。

 旅先というのは不思議なもので、眠りが浅いのか少しの物音で目が覚める。明け方、列車が停まってがちゃがちゃやっていると思ったら、そこがどうも岡山だった。列車の連結をはずす音だったのだ。

「おはよす」

「おう」

 元気に寝癖を跳ねさせた沢村が細い階段を上がってくる。勝手にロールスクリーンを上げると、外はうっすらと明けはじめていた。

「今回のクライマックスすよ」

「早くもか」

「早くもっす。俺、超調べましたもん」

 行く手に海、いよいよ瀬戸大橋に差し掛かる。世界はいよいよ明るくなってきた。

「うおお」

 線路は車道の下を通り、眼下にすぐ海が広がる。空を飛んでいるようでそわそわする。

「ちょっと、下ばっかり見ないでくださいよ。前、前」

「あん?」

 沢村の示す先、強い光が目を刺した。

 少し雲の出た空に、滲み出す赤い光。

 日の出だ。

「うおお」

「卵の黄身みたいすよね」

「たとえかた」

「おれ腹減ってきた」

 盛り上がっている間にも日は昇り続け、どんどん明るくなってくる。橋を渡りきれば、まもなく終点だ。沢村は慌てて荷物をまとめに下りていった。



 午前七時すぎ。

 眠いような覚醒しているようなよくわからない心地で列車をあとにし、駅そばのようなうどん屋で朝メシにした。

 これがすでにうまい。さすが四国。さすが高松。

 このあとは、島に渡ってぼーっとして、戻ったら岸から瀬戸大橋を見てぼーっとする予定だ。沢村のスケジュールがあまりに適当なので、俺が宿泊先や交通手段、周辺のみどころをひととおり調べてある。せっかくだから、有名な美術館や食事処にも行ってみるつもりだ。

「しばらくメシのこと考えなくていいのかあ」

「発言が主婦」

「俺、いい旦那になると思うんすよね」

「それは否定しない」

「先輩はいいお父さんってかんじっすね」

「よし、帰るまでメシのことはまかせろ」

「わーい、パパだいすきー!」

 いつにも増して雑な会話は旅のテンションのなせる業か。ナビを任された俺はフル充電のスマホを手に、フェリー乗り場への道を示した。

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