ふたりの休日

「先輩、せーんぱい」

「んああ」

 シャッと音が鳴った拍子に顔があぶられて、俺の喉からはうめき声がもれた。

「いつまで寝てんすか。めっちゃいい天気っすよ」

「ねむい」

「起きろ」

 家主は俺のはずなのに、後輩の沢村はすっかり俺の生活を掌握している。金はないが生活力の高い沢村と、金はあるが家には寝に帰るばかりだった俺。こいつを住まわせるようになってから格段に暮らしが豊かになり、先日の健康診断でもさいごの問診でたいそう褒められたので、まあ感謝するべきなんだろうが、どこか腑に落ちない思いがわだかまるのも事実。

 顔を洗って簡単に身支度を整えると、沢村は玄関のドアを指さした。

「どっか行くの」

「そとっす」

「だからどこに」

「外に行くことが目的なんで、そとっす」

「ええ……」

 なんだろう、この押しの強さは。とはいえ、こういうときは素直にしたがうが吉、とこれまでの経験でわかっているので、俺も重い腰を上げた。

 気温は高いが、そのぶん空気が軽くて風が気持ちいい。思えば、ここのところぐずつきっぱなしだったので陽射しを浴びるのは久しぶりだった。

「あ、そういや洗濯」

「しときましたよ」

「まじで、悪い」

「まあ居候の身ですし」

 ちょうど沢村が越してきてすぐの頃、家賃はそれなりにもらっているし別にいいのに、と言ったら「そういう問題じゃないんすよ」となぜか俺が怒られた。本人は得意だからやっているだけだと言うし、そういうもんだと割り切ったら同居生活は一気に楽に、スムーズになった。

 大通りをそれて、細い川沿いを歩く。親水公園として整備されて、遊歩道に手入れされた緑。じいさんたちががなり合いながら草刈りをする間を身を縮めながらすり抜けて、やがて川の本流に出た。

「先輩、これなんだかわかります?」

はっぱのかたちの見本のような葉をつまんで、沢村が振り返る。

「なにって」

「シソですよ、これ。大葉」

「まじで」

 一体なにがあったのか、野生のシソが道端にこんもりと茂っている。沢村はそれを手際よく摘み取って、ポケットから取り出したレジ袋にほいほい放り込んでいく。

「大丈夫なのか」

「なにがっすか。天ぷらにしたらうまいですよ」

 そういうことじゃないんだが。摘むごとに強くなる爽やかな香りに惹かれて、結局俺も収穫に参加する。

 ノビルにクレソン、橋の下にはドクダミ。ただの原っぱと見えた河川敷は、その実宝の山だった。袋がそれなりにふくらんできたところで、土手をのぼってふたたび街にもどる。

 ぐるっと回って商店街に入った。そういえば何も食べずに出てきてしまったな、と物欲しげにしていたら、何も言わないうちに「ですよねー」と沢村が笑った。

「パン屋寄りましょう」

入り口をくぐると、香ばしいかおりとともに「あらー!」と甲高い声に迎えられた。

「こんちは」

「ちょうどよかった、今日はまだあるよ」

「まじすか」

 なんのことだと俺が目を白黒させていると、一度奥に引っ込んだ女性がぱんぱんに膨らんだ袋を持って戻ってきた。

「おお、すげえ」

「ほんと、いつも最高のタイミングで現れるんだから」

サンドイッチを作って余ったパンの耳である。たまに食卓にのぼるので、一体どこで手に入れているのかと思ったら。

「あ、でも今日はちゃんと買い物もしますよ」

「当たり前だよ!」

 遠慮のないやりとりに、若干所在ない俺はひとまずぺこりと頭を下げる。

「好きなの選んでってね! なんならそこで食べてってもいいから」

 ほんの一、二個のつもりだったが、なんだか申し訳ないのでたくさん選ぶ。余ったぶんは明日の弁当代わりに持っていけばいい。

「先輩、めっちゃ買うじゃないですか。もしかして俺のぶんですか」

「お前、どういう神経してんだ」

 こいつ誰のせいだと思っているのか。トレイに山盛りになったパンに自分のぶんがないと知るや、沢村はすみっこにちゃっかりあんぱんを載せた。

 店を出ると、沢村の足は一直線にどこかへ向かう。

「今日はいるかな〜」

 妙に浮ついた足取りにどこへ連れてかれるのかと危惧したが、着いてみれば何の変哲もない青果店である。

「あら、かずくん」

「ばあちゃん、今日は元気そうだね」

腰の曲がったおばあさんと気安く言葉を交わしながら、沢村は次々と野菜を選んでいく。さらに、おばあさんが「これも持ってけ」といくらか傷んだものを追加するので、かごは一瞬でいっぱいになった。

「はい、おいくら?」

「ななしゃくえんでいいわ」

隣で目を剥く俺をよそに、沢村はにこにこしながら千円札を取り出す。おばあさんは吊り下げたざるからじゃりっと小銭をつかみとって、お釣りを渡すのかと思いきや「そうだ」とそのまま店の奥へ消えていった。

「えー、ばあちゃーん、お釣りはー?」

「忘れとらん」

ガタ、ガタンと音がして正直ハラハラしたが、果たして彼女は無事に再登場した。片手に下げたレジ袋の底が四角く広がっている。

「これ、南蛮漬け」

「うわー、うまそう!」

 袋をのぞきこむなり大喜びする沢村。俺も横から覗き込むと、つんと酢のかおりがした。

「ありがとう、また来るねー」

「すみません、いただきます」

「はいはい、私が生きてるうちにまたおいでー」

小さな姿に見送られながら、商店街を家に向かってくだる。

「お前、すごいな」

「へ?」

 振り返る顔がいつもと違って見える。

「お前がなんで暮らしてけてたのか、やっとわかったわ」

「俺、かわいがられてるんで!」

 臆面もなく言い放つ笑顔はしたたかで眩しい。俺には到底できない芸当だ。生命力のかたまりとはこのこと、今度Tシャツに生命力とプリントしてプレゼントしてやろうと思いつく。

「帰ったら料理手伝ってくださいよ」

「わかったわかった」

 こいつと暮らすとつくづく飽きない。他人って面白いなあと心から思った。

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