041:俺は君のモノ

「ど、どうして今……言うんですか……」

「冬季が、どこかへ行ってしまいそうだったから」

「でも……っ! 私といたらまた危険な目に――――」


 俺は身を乗り出してきた冬季の頬に手を添え、目を覗き込んだ。

 涙の滲んだ彼女の目はいつも通り透き通っていて、やはり自分はこの人のことが好きなのだと確信する。


「冬季のおかげで、俺の人生は変わった。雅也と出かける時間もできたし、周りを見る余裕もできた。どれもこれも俺が諦めてたものばかりで、それだけでも冬季に頭が上がらない」


 だけど、俺が彼女に対して抱いた気持ちの根源は、もっと深い位置にある。


「俺の中で一番変わったのは……毎日が楽しいって思えるようになったことだ」

「っ!」

「毎日毎日生きることに必死で、趣味や夢を探す時間もなくて。今思えば、ずっと先の見えない人生に絶望してたんだと思う」


 自業自得なことは俺が一番分かっている。

 自分が子供であると言い聞かせ、親戚の世話になっておけば、きっと生活基盤だけはきちんと整った状態で生きていけたはずだ。

 しかしあんな人たちの世話になり続ければ、俺は自分が酷く嫌いになっていたであろうと確信できる。


 この人生を選んだことに後悔はない。

 それに今となっては、この人生を選んでよかったとすら思う。

 冬季と出会ってから共に過ごした時間は、そう思えるほどの影響を与えてくれた。

 この先もずっと、俺は彼女と一緒にいたいと思っている。


「冬季と一緒にいられるなら、どれだけ苦労したっていい。危険な目に遭ったって構わない。だから俺を、どうか君の側にいさせてほしい」


 俺が抱えていた全ての想いを、冬季へと伝えた。

 すると彼女の目頭に浮かんでいた涙はついに溢れ出し、ぽろぽろとこぼれ落ちる。


「い、いいんですか……? 本当に……私の側で」

「冬季の側でいい、じゃなくて、冬季の側がいいんだ」

「また……危ない目に遭うかもしれないんですよ?」

「そうならないように、俺もこれからちゃんと対策するよ」




「私……嫉妬深いですし」


「知ってる」


「門限だって決めてしまうし……」


「知ってる」


「外食してきたら拗ねちゃいますよ?」


「いいよ」


「他の子と二人で歩いてるだけで、浮気だって叫んでしまうかも……」


「いいよ」


「もしそんなことになったら、春幸君を監禁してしまうかもしれません」


「いいよ」


「じゃ、じゃあ……あなたと結婚したいって言ったら……?」


「いいよ」


「本当に?」


「本当にいいよ」


「じゃあっ! は、ハル君って呼ぶのは……」


「いいよ」


 冬季のすべてを受け入れると決めた俺に、一つとして隙はない。

 俺にできないことはもちろん不可能だけど、彼女がそんなことを要求してくる人間ではないということは分かっている。

 そんな彼女だから、好きになったんだ。


「いいんで、しょうか……私がハル君を独占するようなこと」

「独占したかったんじゃないのか?」

「その通りですし、もちろんその気持ちも変わっていませんが……その、今はちょっとだけ、自信がなくて」


 いつも自信満々で、自分でナルシストとまで言ってしまう冬季が、珍しく本気で凹んでいる。

 そのギャップすらも何だか可愛らしくて、思わず口角が上がってしまいそうになった。

 しかし彼女自身は本気で悩んでいるだろうから、茶化すような真似はしないことにする。


 俺はフラつきながらも立ち上がり、冬季の肩に手を添えた。


「自信がないなら、今俺に好きなことしていいよ」

「え……?」

「何の抵抗もしない。君にしたいことがあるなら、何でも叶えたいと思うから」


 これは、どんな彼女でも受け入れるという俺の決意の証明だ。

 例えここで包丁で刺されたとしても、俺は文句ひとつ言うつもりはない。

 

「俺は、東条冬季のモノになりたい」

「――――っ!」


 その言葉を皮切りに、冬季の涙腺が決壊した。

 ぽろぽろとこぼれていた涙が、ついに本流となる。

 美人が台無しになってしまうほどの子供らしい泣き顔を浮かべた彼女は、俺の胸へと優しく飛び込んできた。

 柔らかさや匂いが強い刺激となって伝わってくる中、俺は彼女をそっと抱きしめる。


「嬉しくて……っ、幸せで、たまらないです……! こんな……! こんなのっ! 心臓が持ちません!」

「これで、少しは信じてもらえるか?」

「はい……! こんなの、疑えって言う方が無理ですよ」


 涙を流しながらも笑顔を浮かべている彼女は、これまで見たどんな女性よりも綺麗で、魅力的だった。

 この人のモノになったんだと思うと、俺の胸に感じたことのない幸せな何かが満ちていく。


「あ、あの……もう一つお願いを聞いてもらってもいいですか?」

「いいよ。あ……でも一応病院だから、その辺りは考えてほしいけど」

「ふふっ、大丈夫です。そういうことは帰ってからにしますから」


 それならまあ、大丈夫か。

 想像しただけで顔が熱くなってしまい、俺の心臓の方はまったく大丈夫ではないけれど。


「ちょっと座ってもらってもいいですか?」


 言われた通りに、ベッドに腰掛ける。

 すると彼女は、俺の顔にゆっくりと顔を近づけてきた。


 まさか――――キス?


 俺が目を閉じるべきかどうか考えていると、何故か冬季は俺の顔をスルーして、俺の首元にその綺麗な顔を埋める。

 彼女のサラサラの銀髪が敏感なところに当たって、少しくすぐったかった。


「私のモノになっていただけるということで、せっかくなら証をつけておきたいと思いまして」

「えっ――――――!」


 ちゅ。

 

 それは小さな水音だった。

 彼女の唇が首に当たっていると理解した次の瞬間、背中に駆け抜けるような快楽が襲ってきて、腰から力が抜ける。

 

「敏感なんですね。ビクビクして……可愛いです」


 冬季の吐息混じりの声が耳元で聞こえ、また強い快感が襲い掛かってくる。

 そして彼女は再び首元に唇を押し付けると、そのままちゅうちゅうと強く吸い始めた。

 きっと、その時間はたった数秒だったことだろう。

 しかし俺にとっては、途方もなく長い幸せな時間だった。


「――――はい、これがハル君が私のモノになった証です。まあ、すぐに消えてしまいますけどね」


 冬季はスマホで俺の首元を撮影すると、撮れた写真を俺に見せる。

 そこには、いわゆるキスマークというものがしっかりとついていた。

 

「好きです、ハル君。もう絶対に離しませんから」

「……ああ、もう絶対に離れないよ」


 顔を突き合わせ、俺たちは笑う。

 この先のことは、またゆっくりと進めていこう。

 病み上がりの体では、これ以上のことはもう耐えられそうにないから――――。

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