039:決別
「冬季様……! 僕がどれだけこの日を待ちわびたことか……!」
門倉はバットを手放し、フラフラと冬季の方へと歩み寄ろうとする。
それを妨げるように、日野さんが奴の前に立ち塞がった。
「……邪魔するなよ、後釜の分際で」
「冬季様をお守りするのが、私の仕事です」
「僕が彼女の危害を加えるとでも?」
「ええ、そのように考えております」
二人が睨み合っているだけで、俺の肝はどんどん冷えていく。
身長はほとんど変わらない。
互いに細身だし、体格の面で明確な差が出ることはなさそうだが――――。
「……朝陽」
「はい、冬季様」
「お願いしますね」
「お任せを」
その言葉を合図に、二人は動き出した。
具体的なことはほとんど分からない。
二人の攻防があまりにも速すぎて、俺の目じゃ追いつけなかった。
しかし、ただ一つ理解できたことがある。
この勝負は、日野さんの圧勝だったということだ。
「かっ……はっ」
「これ以上無理に動こうとすれば、圧迫を強めます。大人しくするべきかと」
「く、クソ……!」
床に組み伏せられ、日野さんに上から圧し掛かられている門倉は、どう足掻いても動くことができないでいた。
体重が胸にかかっているせいで、呼吸すら辛いのかもしれない。
「門倉、あなたのことはこのまま警察に突き出します」
「はっ、ははははっ! 無駄ですよ。僕はあなたに選ばれた男だ。釈放されれば、必ずまたあなたに会いに来ます! 僕とあなたは共にいるべきなんだ!」
「……反省の色は、なさそうですね。まあ、それでこそあなたなのかもしれませんが」
そう告げる冬季の声は、どこまでも冷徹だった。
彼女は日野さんに手を差し出す。
それを受けて一つ頷いた日野さんは、懐からポケットナイフを取り出し、それを冬季へと渡した。
「お、おい……冬季? 何するつもりなんだ……」
「すみません、春幸君。しばらくお見苦しいところを見せてしまいます」
刃を取り出した冬季は、そのまま門倉へと近づいていく。
そして跪いて奴の頭を見下ろすと、ゆっくり耳元に口を寄せた。
「確かに、私はあなたを選びました。門倉康介という存在を優秀な者だと判断し、もっとも近くにいるべき人間だと定めたのは私です」
「は、ははは! そうです! そうですよ! 僕は冬季様のモノです! だから共にいる必要が――――」
「ええ、そうですね。だからこそ、私はけじめをつけなければならなかった」
「え?」
冬季はナイフを逆手に持つと、そのまま大きく振り上げた。
「ふ、冬季様⁉ 何を」
「門倉康介、あなたはもう――――」
――――必要ありません。
そんな言葉と共に、彼女はナイフを振り下ろした。
「ひっ……」
門倉の小さな悲鳴。
そしてガキンという硬い物同士がぶつかり合った音が響く。
「……ふぅ」
結論から言えば、冬季のナイフは門倉を捉えてはいなかった。
奴の視線の先。
ナイフの先端は、丁度その部分にめり込んでいた。
初めから、本人に突き立てるつもりはなかったのだろう。
死の恐怖か、それとも冬季の言葉に強いショックを受けたのか、門倉は引き攣った表情を浮かべその場で気を失っていた。
「すみません、春幸君。怖がらせてしまいましたか?」
「……いや、冬季がそんなことする人じゃないってことは分かってたから。まあ、驚きはしたけど」
冬季は苦笑いを浮かべ、立ち上がる。
そして俺を立ち上がらせるために手を伸ばそうとしてくれた、その時。
彼女と俺の間に割り込むような形で、八雲が泣き喚きながら跳びついてきた。
「先輩先輩先輩っ! 怖かったです! あたし怖かったですっ!」
「お、おう……無事でよかった」
「ううっ……ひぐぅ」
まあ、安心して泣き出してしまうのも無理はないか。
冬季もこればかりは文句を言えないらしく、諦めたように視線を逸らしている。
結局のところ、八雲はただ巻き込まれただけの被害者。
同情の余地しかない。
「門倉はこの後警察に?」
「はい。これでもう二度と、私たちに近づいてくることはないでしょう。この男は、
門倉が執念深く冬季に近づこうとしたのは、自分が彼女にとって必要な存在だと思い込んでいたから。
きっと関係性が曖昧なまま離れてしまった弊害だろう。
冬季は、そんな関係にケリをつけた。
自分にはもう必要のない存在とはっきり告げることで、自分たちがもう他人同士であると定めたのだ。
もちろん、元から他人同士だったという話は言うまでもない。
それでも俺がずっと思っているように、言葉というのは確かな力を持っている。
何気ない一言が他人の人生を狂わせてしまう事例なんて、この世には腐るほどあるのだから。
「……そろそろですね」
門倉を組み伏せていた日野さんがそう呟くと、外からサイレンの音が聞こえてきた。
どうやら警察が来てくれたらしい。
「このまま門倉康介を警察に引き渡します。冬季様は――――」
「立ち合いますよ、最後まで」
「――――かしこまりました」
しばらくして、複数人の屈強な警察が俺たちのいるフロアへとやってきた。
門倉に雇われていたらしい見張り番の男たちもしっかりと捕まったらしく、ビルの外から喚き散らかす彼らの声が聞こえてくる。
警察が来てくれた頃には門倉も意識を取り戻していたが、表情はずいぶんと虚ろで、気力というものを一切感じない。
誰が見ても、奴がすでに"終わってしまった"のだと確信することだろう。
手錠をかけられ、門倉が連行されていく途中。
奴は一瞬だけ目に光を取り戻すと、その視線を俺へと向けてきた。
「稲森、春幸」
「……何だ」
「君、
まるで哀れむような笑みを浮かべた後、奴の顔からは再び表情が抜ける。
"普通じゃない"。
最後に告げられたその言葉が、頭の中で反芻される。
だけど、動揺は少なかった。
「……知ってるよ」
俺は多分、俺自身を大事にすることができない。
それは俺の悪い癖で、危うい部分なんだと思う。
正直なところ、自覚はあった。
だから門倉から哀れまれたところで、動揺するようなことはない。
「春幸君?」
隣に立つ冬季から、心配の声が聞こえてくる。
何故かその声はどこか遠くから響くように聞こえて、隣にいるはずなのにまるで位置が定まらない。
ぐらりぐらりと視界が揺れる。
また周りから声が聞こえた。
だけどもう、それが誰の物なのかすら判断がつかない。
揺れる視界は徐々に狭まり、黒く塗り潰されていく。
そして俺は――――――意識を手放した。
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