037:対面

 直後、再び公衆電話から電話がかかってきた。


『確認してもらえたかな?』

「ああ……俺がその廃ビルに行けば、八雲は解放してもらえるんだな?」

『もちろん。約束は守ろう』


 声色で分かる。

 きっと俺が行けば本当に八雲は解放される。

 そしてその代わりに、俺自身が危険な目に遭うはずだ。

 冬季を求める門倉からすれば、俺はただの敵。

 恨みやストレスを十分に抱えているだろうし、少なくとも門倉が求めることを冬季が実行するまで痛めつけられるのは確定だと思っていた方がいい。

 そうやって俺を怯えさせることこそが、奴の思惑通りかもしれないけれど。


「分かった、今から向かう」


 ここはひとまず向こうの要求を呑むしかない。

 冬季のところへ戻って事情を説明し、どうするべきかを話し合うのが最適解。

 もちろんその間に警察にも連絡する。

 力のない俺が一人で向かっても、それはただの無茶だ。


 そうして心を冷静にして、通話を切ろうとしたその時――――。


『あ、余計なことはされたくないから、この後ビデオ通話に切り替えてもらうよ。片手でスマホを持って、常に周りの景色を撮りながら廃ビルまで来てくれ。もし通話を切ったり景色を隠すようなことをすれば、その時点で八雲世良の顔に一本ずつナイフで切り傷を入れていく』

「……っ」

『じゃ、できるだけ早めに来てね。君の高校は裏口からも出られるはずだから、それなら冬季様に会わないまま外に出られるだろ?』


 冷や汗が噴き出す。

 誰かに相談することも、そもそもスマホを使うこともすべて封じられてしまった。

 通話を繋いだまま画面を操作することはできると思うけど、しっかり周りの風景を映しながら操作する自信がない。

 誰かに声をかけられたり、あえて気づかれるように行動してもアウト。

 冬季が優秀と言った門倉康介が、怪しい動きに気づかないとも思えない。

 唯一期待できることがあるとすれば、俺の帰りが遅いことに気づいた冬季が、何かを察してくれること。

 確率はかなり低いが、もうそれくらいしか縋れるものがない。


『学校からこの廃ビルまでは、どれだけ時間がかかっても十五分程度だろう。それを過ぎてもペナルティだから、気を付けて』

「……分かった」

『聞き分けがよくて結構。それじゃ、ビデオ通話に切り替えて』


 スマホを操作し、外のレンズで映像が映るように切り替える。

 門倉側の画面には何も映らない。

 まあ、当然か。


 小さく息を吸って、裏門へと向かう。

 覚悟を決めただなんて強気なことは言えないけれど、少なくとも、やるべきことは分かった。

 まずは八雲を解放させる。

 そしてその後で、警察か冬季、日野さんの助けを待つ。

 情けなくとも、もうそれくらいしか思いつかない。


 門倉はもう喋るつもりがないようで、特にこれ以上指示されることはなかった。

 道中は恐ろしく順調で、こういう時に限って一度も信号で止まることもなく、俺は廃ビルの前までたどり着く。

 薄暗い路地の中にある廃ビル周辺は日の光が通らず、薄暗い。

 雨雲が空を覆っているし、すでに夕刻という状況も相まって、ゴーストタウンのようになっていた。


「おい、こいつか?」

「んー、そうじゃね? スマホ持ってるし」


 廃ビルの入口には、ガラの悪い男が二人立っていた。

 おそらく見張りだろう。

 門倉とどういう関係かは分からないが、奴も一人というわけではないということがこれで分かった。

 

「ほら、門倉さんが上で待ってるぜ」

「頑張れ頑張れ」


 ニヤニヤと見下すような笑みを浮かべながら、彼らは俺のために道を開ける。

 生唾を飲み込み、俺はビルの中へと足を踏み出した。

 

 電気はとっくに止まっているようで、ビルの中は外に比べてさらに薄暗い。

 踏み外してしまわないように気を付けながら階段を上がり、最上階へ。

 人が住まなくなると家屋の劣化が早くなるみたいな話があるけれど、こういう建物も例に漏れないらしく、薄汚くてボロボロだ。

 加えて一部の窓ガラスは割れてしまっているようで、肌寒い風が吹き込んでいる。

 足元にすら安心感を覚えられないまま、俺は元々はどこかのオフィスだったらしい最上階の部屋に入った。

 扉を抜けた先。

 放置されたデスクや椅子は部屋の隅に追いやられ、開けた空間が出来上がっていた。

 その一番奥、そこにはパイプ椅子と、それに座らされた一人の少女の姿。


「八雲っ!」

「んーっ! んー!」


 動けないよう椅子に縛り付けられた八雲は、猿ぐつわを噛まされた口で何かを叫んでいた。

 門倉の姿はない。


 もしかしたら、このまま八雲を解放することができるかも――――。


 極限状態に突然現れたわずかな希望。

 そんな不確かな物に縋るように、俺の足は自然と彼女の下へ走り出していた。


「んー!」


 八雲が何かを叫ぶ。

 直後、後ろでジャリという靴底の擦れる音がして、とっさに後ろへ振り返った。


「ようこそ、凡人君」

「がっ――――」


 頭に走った、突然の鈍痛。

 ぐらりと視界が揺れて、思わず横に倒れ込んでしまった。

 埃やガラス片だらけの床に、ぽたりと赤い血が落ちる。


「危ない危ない。ありがとうね、とっさに身を捻ってくれて。クリーンヒットしてたら死んじゃってたかもね。僕も反省するよ。感情的になりすぎるのはよくないからさ」

「か……門倉……!」


 彼は持っていたバッドをプラプラと揺らし、俺を見下ろす。


「さてと、ちょっと話をしようか。早く冬季様に会いたいところだけど、君にも言いたいことがあるからね」


 動きやすそうな黒いジャージを身に着けた門倉は、バットで俺を牽制しながら部屋の奥へと追いやっていく。

 そうしてやがて、俺は八雲の隣にまで移動していた。


「その子の猿ぐつわを外してもいいよ。体はそのままでね」


 外していいと言うのならお言葉に甘えよう。

 俺は八雲の頭に手を回し、裏側で結ばれた布の端を解いた。


「せ、先輩……」

「大丈夫か?」

「はい……」


 言葉の通りケガもなさそうだし、体の方は大丈夫なようだ。

 ひとまず安心したものの、まだ気は抜けない。


「先輩、ごめんなさい……連絡先を見せないと直接先輩たちを襲うって言われて……あたし」

「気にするな。お前は何も悪くない」

「うっ……うう」


 安堵からか、八雲は涙を流し始める。

 ともあれ門倉が俺の連絡先を知った理由は分かった。

 まあ、例え八雲から聞き出すことはできずとも、こいつは連絡先を手に入れていた気がするけれど。


「いいよね、君は。これだけ慕ってくれている可愛い後輩がいるんだから。僕から冬季様を奪う必要だってなかっただろうに」

「……冬季は別にあんたのモノだったわけじゃ――――」

「僕の前で軽々しくあの人の名前を呼ぶなよ。ムカつくから」


 門倉は顔をしかめながら、近くにあったデスクに金属バットを叩きつける。

 耳に響く不快な音がして、デスクは殴られた部分を中心に大きく凹んだ。

 バットの方も歪んでいるところを見ると、かなりの衝撃だったことが窺える。

 おそらく俺たちを逆らえなくするためにわざと行ったパフォーマンスだろう。

 実際のところ、八雲は今の衝撃で声を発せなくなっていた。

 門倉が自分で考えてそういう行動ができる人間であるということくらいは、さすがに理解している。


「……僕はね、あの東条冬季に選ばれた人間なんだよ。いずれは日本中、いや、世界中で活躍するであろう人間に、僕は選ばれたんだ。冬季様にとって、僕は必要な存在なんだよ。君もそれは分かるだろ?」


 俺は言葉を返さない。

 確かに、当時の冬季にとって門倉康介という男は必要な存在だったのだろう。

 しかし門倉は自分を偽っていた。

 彼が本性を露わにしていたとしたら、それを彼女が必要としたとは思えない。


 自分を偽ること自体が悪いとは言わない。

 ただ、奴の本性は隠しきるべき物だった。

 本性を現し、冬季を傷つけた時点で、こいつに同情の余地は一つもない。


「僕はこれから冬季様を呼び出して、もう一度僕を専属秘書にしてもらえるよう交渉するつもりだ。……その前に、君には彼女を誑かした罰を受けてもらうよ」


 門倉は再びバットを揺らしながら、ゆっくりと俺の方へと近づいてきた。

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