036:門倉康介
『一応無断欠勤ってことになるから家の方にも連絡させてもらったんだけど……家にも帰ってないみたいよ』
「そう、ですか」
『稲森君の方でも何も聞いてない?』
「はい、すみません」
『謝ることないって。でも何か連絡があればこっちにももらっていいかな?』
「分かりました」
『うん。じゃあお願い』
俺はバイト先の人との通話を終え、教室に戻る。
梅雨が近づいているせいか、教室の窓には土砂降りの雨が当たっていた。
時刻は十六時近く。
教室内にいる人間もまばらで、ほとんどは部活に行ったり帰宅したりしている。
俺は待たせていた冬季と雅也の下に戻り、結果を報告するために口を開いた。
「バイト先にも家にも戻ってないって」
「……昨日から数えて二日間音信不通ですか。心配ですね」
「ああ。多分そろそろ親も捜索願を出す頃だ」
俺たちの間に、重い空気が流れる。
八雲は昨日学校に来なかった。
それだけなら特に思うところはない。
いくら普段から元気で風邪をひかなさそうな彼女でも、あくまでそんな風に見えるだけで普通の人間なのだ。
体調を崩していたり、家庭の事情があって休むことは不思議なことじゃない。
問題なのは、バイトを無断欠勤し、今日の学校すらも無断欠席したことだ。
少なくとも八雲な何の連絡も入れずに休むようなことはしない。
万が一本人が寝たきりの状況になっていたとしても、家族仲のいい彼女の両親が連絡を入れないわけがなく。
そして俺の中に溢れ出た不安は、バイト先からの連絡で現実の物となった。
「家出――――するようなやつじゃない、よな?」
「ああ。例え家出だったとしても、八雲は腹が減ったら帰ってきてしまうタイプだ」
「あー、何となく分かるな。……ってことは」
そこまで言って、雅也は口を噤んだ。
言いたいことは分かる。
何かしらの事件に巻き込まれたとか、そういう外的要因により連絡が取れない状況にある可能性が高いと言いたいのだ。
「……微力かもしれませんが、お父様の会社の方で手が空いている方に来てもらいましょうか。彼女の通学路を中心に捜索してもらえば、もしかしたら一つくらいは手掛かりが見つかるかもしれません」
「い、いいのか?」
「探偵を連れて来られるわけでもないので、本当に人手だけになると思いますけど……お父様も善良な若者の危機かもしれないと聞けば、できる限りの協力はしてくれるはずですから」
何やら連絡を取り始めた冬季に、八雲の写真がないかと問われ、俺は彼女が無理やり撮った自撮りツーショットの画像を送ることにした。
触れ合いそうなほどに寄せ合った俺と八雲の顔を見て、冬季は一瞬般若のような顔を浮かべる。
「これは、いつ、撮った物ですか?」
「え、えっと……俺のバイト先に八雲が入ってから、二週間くらい経った時のやつ……かな?」
「経緯は?」
「八雲が撮りたいって言ったのを俺が断ったら、無理やり……」
「そうですか――――っと、今はそれどころではありませんね」
詳しい話は彼女が見つかった後に聞かせてもらうとして――――。
冬季はそう言いながら、その画像を保存した。
決して忘れないという怨念にも近い熱の入った声色に、思わず寒気がする。
いや、まあ、うん、今は本当にそれどころじゃないわけで。
俺たちは雅也からの咳払いによって真顔に戻った。
「つってもよ、俺たちにできることって何かあるか? 万が一何かの事件に巻き込まれてたとして、ガキの俺たちじゃどうしようもねぇっていうか」
「それは……そうだな」
雅也の言っていることは至極正論であり、反論の余地もない。
冬季ほどの人手があれば貢献できるだろうけど、俺や雅也が足で探そうとしてもいたずらに体力を消耗するだけだ。
仮に見つけたとしても、もし誘拐事件のような危険な状態だったら、ミイラ取りがミイラになる可能性も大いに高い。
ここは警察に任せ、余計な動きをしないのが最善策。
冷静に考えればそれが当たり前で、そうするべきなのだ。
「今日のところは帰りましょう。手がかりがあるのならともかく、心当たりすらない時点で動くべきじゃないと思いますから」
「同意だな。……信じて待とうぜ、ハル」
情けないことに、俺は頷くことしかできなかった。
◇◆◇
部活がある雅也と別れ、俺と冬季は校門へと向かっていた。
会話は少ない。
決して不機嫌というわけではなく、友人が失踪している最中に明るく普段通りのやり取りができるほど不謹慎ではいられないというだけだ。
「……あの時、私が挑発なんてしなければこんなことにはならなかったでしょうか」
「え?」
お互いに傘をさして歩いていると、突然冬季はそんなことを言い出した。
「ごめんなさい、そんな可能性は限りなく低いことくらいは分かっているのですが……無力さというか、頭がぐるぐるしてしまって」
「……気持ちは分かるよ」
これはただの自惚れに違いない。
しかし、どうしても考えてしまう。
八雲がいなくなったのは、俺が彼女の気持ちに応えられなかったからかもしれないと。
口にはしない。
もし口に出せば、それは冬季に対しても失礼な気がするから。
冬季を選んだことを後悔しているような言い方はしたくないのだ。
「……ん?」
校門を出る直前。
ポケットに入れていた俺のスマホが震える。
どうやら電話がかかってきているようだ。
「電話ですか?」
「ああ、ちょっと待っててもらえるか?」
「ええ、もちろん」
画面には、公衆電話と表示されていた。
八雲かもしれないと思った俺は、そのまま通話に出る。
「……もしもし」
『稲森春幸だな』
「そう、ですけど」
どこかで聞いたような気がする男の声。
俺が記憶の中と結びつける前に、男は有無を言わさない態度で言葉を吐き始めた。
『一人になれる場所に移動しろ。八雲世良について伝えたいことがある』
「は?」
『聞きたくないか?』
「……」
俺は横目で冬季の方を見る。
一人でというのは不安でしかないけれど、八雲の情報が聞けるなら――――。
「ごめん、冬季。ちょっと待っててくれないか?」
「え? はい、もちろん大丈夫ですけど」
「すぐ戻るから」
俺は通話を繋いだまま、校舎の方へと戻る。
雨が降っている今、中庭の方に人影はない。
中庭の軒下に一人で立った俺は、スマホ越しにいる男に話かけた。
「一人になったぞ」
『そうか。――――冬季と、呼んでいるんだね』
「は?」
『失礼、名乗るのが遅れたね。僕の名前は門倉康介。冬季様の元秘書だ』
「ッ⁉」
困惑が脳内に広がっていく。
何故、俺のスマホの番号を知っている?
そもそも何故俺のスマホにかけてくる?
大前提として、何故八雲のことを知っている?
頭の中がぐちゃぐちゃになり、声が枯れた。
『単刀直入に言うよ。八雲世良は僕が預かっている。無傷で返してほしければ、君が一人で駅の近くの廃ビルに来るんだ』
「ど……どうして、八雲を」
『何故? 君は頭が悪いなァ。君を誘き出すためだよ、稲森春幸君。
「俺を……殺す?」
『はっ、つくづく頭が悪いね。世の中そんな奴ばっかり。やっぱり尊敬できるのは冬季様だけだ。彼女の父親ですら、僕からすれば低能極まりない――――っと、話がズレたね。安心しなよ。君のことも八雲世良のことも殺したりはしない。後始末している時間が勿体ないからね。彼女は君を誘き出すための餌、そして君は、冬季様を誘き出すための餌さ。君を直接どうにかしようとしても、厄介な番犬に守られているからね』
なるほど、俺自らの足で自分の下へ来させるわけか。
確かに俺が門倉の立場なら思いつかなかった手だ。
『殺すようなことはしないと言ったばかりだけれど、僕の言う通りにしなければそれなりの代償は支払ってもらうつもりだよ。もちろん君ではなく、ここにいる八雲世良にだけどね』
「お前……!」
『おいおい、凡人君。口の利き方に気を付けなよ? 君が逆らったり指示にない行動をする度に、この子の顔にナイフで傷をつけていく。皮を剥ぐくらいは視野に入れておいてくれたまえ。死なせるようなことはしないけど、死にたくなるようなことはするつもりだから……あ、一応証拠だけ送っておくね』
一方的に通話が切られ、チャットアプリにて一枚の画像が送られてくる。
その画像には、猿ぐつわを噛まされ椅子に縛り付けられた八雲が映っていた。
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