035:明日
「……八雲さん? もっと春幸君から離れてもらってもいいですか?」
「別にくっついてるつもりはないです」
「どう見ても肌を合わせているように見えますけど」
「それは東条先輩の感想ですよね? あたしとしてはもっと近づくこともできるんですけど」
冬季と八雲のファーストコンタクトから、早くも数日経った。
八雲の方がしばらく大人しかったが故に問題は起きなさそうだとたかを括っていた自分がいたが、すでにその考えは見事に打ち破られている。
何故か俺を挟む形で睨み合う彼女たち。
二人の間には眩しいほどの火花が散っており、どうにも居心地が悪い。
そして美少女二人に囲まれた俺には周りの男子たちからの鋭い視線が突き刺さっており、その居心地の悪さを加速させていた。
冬季だけでもかなりのヘイトを買ってしまっていたのに、そこに一年生の中ではかなり恵まれた容姿を持つ八雲までが参加してしまったのだ。
睨みたくなる気持ちも、まだ分かる。
「……雅也」
「俺に話を振るな。俺は無関係だ」
親友だと思っていた男にも裏切られてしまった。
しかしその気持ちも分かる。
多分雅也が俺と同じ状況に置かれていたら、俺も見捨ててる。
というか多分手の施しようがない。
「先輩っ! あたしも卵焼きを作ってみたので食べてください!」
「えぇ……?」
八雲が持っていた鞄から取り出した物は、二段重ねの弁当箱だった。
中に入っていたのは、綺麗に揃えられたおかずたちと、ふりかけのかかったご飯。
おかずを一つ一つ見ていけば、焦げていたり切り方が不格好な物もいくつかあるけれど、それこそが彼女の努力の証とも言えた。
バイトの時に八雲自身から料理をしたことがないという話は聞いていたため、わずかな感動が心に満ちる。
さすがの俺でも、自分のために苦労して作ってくれたことは分かる。
しかし俺にはすでに冬季の作ってくれた弁当があるわけで、ここで八雲の弁当に口をつけるというのは些か不誠実ではなかろうか?
そんな葛藤をしていると、不機嫌そうな"笑顔"を浮かべた冬季に袖を引かれる。
「奇遇ですね。私も今日卵焼きを入れてきたんです。せっかくですから、どっちの卵焼きが美味しかったか、春幸君に決めてもらいましょう」
「じょ、冗談だろ?」
「冗談なんて言いませんよ。大丈夫です、私は春幸君を信じてますから」
具体的な根拠のない信用がこんなに怖いものだとは思わなかった。
まったくもって笑っているように見えない笑顔も相まって、増々恐ろしい。
「上等じゃないですか! 先輩っ! 決めてください!」
「八雲まで……」
二人の美少女から迫られる。
男として恵まれた環境にいることは重々承知だけれど、俺にはあまりにも荷が重すぎる状況だ。
どっちも美味しい――――は通用するだろうか?
二人の目を見る限りでは許してくれなさそうだが、このままではどちらかを確実に傷つけてしまうことになる。
「さあ、春幸君」
「先輩! あーんしてください!」
――――腹を括るしかない。
俺はこれまでの関係値を考え、初めに冬季の卵焼きに口をつけた。
八雲がムッとした表情を浮かべるが、こればかりは仕方ない。
ここで冬季を後に回すことは、俺にはできなかった。
冬季の卵焼きは、もはや言うまでもなく美味い。
味付け自体はきっかけがなければ変えないと本人は言っていたが、何故か慣れるどころか日に日に美味しくなっていっているような気がする。
脈絡がない話かもしれないけれど、俺が彼女に心惹かれるにつれて美味しく感じるようになっている気が――――いや、さすがに気のせいか。
「春幸君、どうでしょうか?」
「美味しいよ。何だか安心する」
「ふふっ、ありがとうございます」
冬季はホッとした様子で胸を撫で下ろす。
彼女と共に暮らし始めて実感したことなのだが、言葉にして伝えるというのは本当に大事なことだ。
言わなくても伝わるとか、阿吽の呼吸だとか、そういうものは俺には向いていない。
それにちゃんと言葉にして感想を伝えた時の方が、冬季は喜んでくれる。
「先輩! あたしのも早く……!」
「あ、ああ……分かってる」
冬季の卵焼きを飲み込み、急かされるがままに八雲の卵焼きにも口をつける。
うん――――想像より美味い。
料理初心者でこれが作れるなら、今後も特に不便なこともないだろう。
ただ、
「……正直なことを言えば、やっぱり冬季の方が美味しい」
「っ……!」
八雲の表情がクシャっと歪む。
対する冬季は、俺以外には見えない角度で小さくガッツポーズを決めていた。
こういうところがまた可愛かったりするのだが、今はとりあえず置いておいて。
「八雲のやつも美味かったよ。けど、俺は甘い卵焼きの方が好きなんだ」
「えっ⁉ そ、そうなんですか⁉」
「ほんのり出汁の風味とかもちゃんと感じられて、味自体は本当に美味かったんだ。きっとお前の家ではずっとしょっぱい卵焼きが食卓に並んでたんだろうな」
「はい……お母さんに作り方を教えてもらったんですけど、うちはずっとしょっぱい卵焼きだったから……」
まあ、大きな差はそこだ。
中には八雲の卵焼きの方が好みっていう人間もいるだろう。
現に何食わぬ顔で飯を食っている雅也は、甘い卵焼きが受け付けない人間だ。
そういう人がいることも理解できる。
目玉焼きに何をかけるか問題と似たようなものだろう、きっと。
「ぐぅ……ずるいです! 東条先輩は知ってたんですよね⁉」
「当たり前ですよ。だって、私は春幸君の彼女ですから」
胸を張ってそう告げる冬季を前にして、八雲はギリギリと歯を食いしばる。
心底悔しそうだ。
「っ……! 今日のところはひとまず先輩からの"美味しい"が聞けただけ満足しました! けど次はちゃんと甘い卵焼きを作ってきます! 東条先輩には負けませんから!」
「あ、八雲さん、待ってください」
「え?」
教室から飛び出ていこうとした八雲を引き留めた冬季は、彼女の口に何かをねじ込む。
不意打ち気味だったせいか、八雲は思わずそれを咀嚼してしまったようだ。
「にゃ、にゃにを――――」
「……それが春幸君がだーいすきな甘い卵焼きの味です。参考程度にどうぞ」
「え……どうして」
「次は正々堂々ということで。ま、私は絶対に負けませんけど」
「っ! 敵に塩を送って……後悔しても知りませんからね! ――――美味しかったですけど」
憎々しげにそう吐き捨て、八雲は教室を飛び出して行った。
ふぅ、とため息をついた冬季を見て、俺はあることに気づく。
「……冬季、もしかして八雲のことを気に入った?」
「――――――――バレました?」
振り返り、冬季は苦笑いを浮かべる。
「人を見る目には自信があるんです」
知っている。
「だから八雲さんがいい子だってことも分かります」
それもまあ、知っている。
「同じ人を好きな者同士、嫌いになれないっていうのが本音ですね。心底邪魔だとは思っていますが。本当に邪魔だとは思っていますが……波長が合うのかもしれませんね」
ちょっと甘いでしょうか?
そう問いかけられて、俺は首を横に振る。
冬季のそういうところも、俺は好きだと思えるから。
――――などと言って彼女に甘えているわけにもいかない。
結局のところ、ケリをつけなければならないのは俺だ。
何とかして八雲に諦めてもらわなければならない。
どういう言葉をかけたとしても、きっと彼女は傷つくだろう。
だけどこのまま引っ張る方が、よっぽど八雲のためにならないということだけは理解していた。
(……明日、八雲と話そう)
ダラダラ引っ張ってもいいことなんて一つもない。
俺はそう心に言い聞かせる。
その、翌日のことだった。
八雲が――――学校に来なくなったのは。
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