033:格好の良い彼女
怒涛の昼休みが終わり、残す授業もすべて終わった現在。
各々が各々の放課後を過ごす中、俺は帰りの支度を終えて下駄箱の方へと向かおうとしていた。
「ハル、また明日な」
「ああ、また明日」
バスケ部の練習がある雅也とはここで一旦お別れだ。
基本的にこいつの放課後は部活動で潰れている。
それなのに何故俺とゲームセンター等々に遊びに行けたかと言えば、こいつが定期的に部を休んでいるからに他ならない。
休んでいると言うとサボっているような悪い印象を抱いてしまいがちだが、雅也に関して言えばそれは違う。
雅也は週に二日ほど部活を休み、夜二十時以降に開かれる市のバスケットチームの練習に混ざって汗を流しているのだ。
それが中々ハードらしく、学校での練習まで重なると到底耐えられないらしい。
もちろんこのやり方は、この学校のバスケ部のエースとして貢献しているからこそ許されているものである。
雅也と別れ、一人で下駄箱まで歩く。
部活動に勤しむ者、教室に残って勉強を続ける者、ただ残って駄弁っている者。
俺はそんな彼らを穏やかな感情で見ていることに気づいた。
(ああ、そうか)
今までの俺は、彼らのことを認識することすらできていなかった。
認識してしまえば、羨ましく思ってしまう。
そうして話したこともない誰かに負の感情を抱いてしまいたくなかったのだ。
こうして余裕を持って学校に来れることも、すべては東条さんのおかげ。
恩返しするためにも、彼女の求めることは可能な限り叶えていきたいと思う。
――――あまり過激なものは保留にさせてもらうかもしれないけれど。
そしてそんな東条さんが今どうしているのかと言うと、用事があるとか何とかで校舎内のどこかにいる。
先に行って校門前で待っていてほしいと言われているため、とりあえずは言われた通りにするつもりだ。
「……ん?」
下駄箱周辺の廊下を歩いていると、ふと奥まったトイレのある方の通路が目に入る。
一階の奥にあるトイレは、基本人気がない。
選択授業でしか使われないような書道や茶道用の和室があるくらいで、他に使われている教室も部室も存在しないからだ。
しかし今は、その通路から人の声がする。
主に聞こえてくるのは男の声だが、様子がどこかおかしい。
怒りの感情を孕んだ言葉と、声色。
何やらトラブルが起きていることに間違いはなさそうだ。
俺はしばし悩んだ後に、その通路の方へと歩き出す。
トラブルでも何でもなければ、首を突っ込まずに帰ればいいのだ。
だけど、もしかしたら困っている人がいるかもしれない。
そう思ってしまった以上、確認もせずこの場を離れることはできなかった。
「どうしてだよ……! なあ!」
そっと通路を覗き込むと、そこには有名人の顔があった。
サッカー部のエースこと、俺たちの同級生である足立という男だ。
クラスも違うし、たくさんの友達に囲まれて青春を謳歌している彼と俺では住む世界が違う。
故に彼のことはほとんど知らない。
知っていることと言えば、サッカー部の試合があれば多くの女子が応援に集まるくらいには人気があるということくらいだろうか?
ちなみに雅也も初めの頃は足立と同じくらい人気があったが、遠距離恋愛中の彼女がいると広まりあっという間に女子人気がなくなった。
そして一部の男子も奴に対して恨みを持ったと聞く。
今はまったく関係のない話だ。
「お前、同じクラスの男子と付き合い始めたんだって? 確か……
――――ん?
突然自分の名前が出て困惑した俺は、バレるリスクを冒してさらに廊下の様子を覗き込む。
そこにいたのは、分かりやすい愛想笑いを浮かべる東条さんだった。
とりあえず彼女の用事というのが足立と会うことだったのは分かったけれど、一体二人はどういう関係なのだろう?
東条さんが関わっているとなると、途端に気になってしまう。
「ええ、確かに私は稲森春幸君とお付き合いを始めましたが、それが何か?」
「おかしいだろ」
「おかしい?」
「さっき教室まで行って稲森って奴のことを見てきた。あんなパッとしない奴と付き合うくらいなら、どう考えても俺の方がいいだろ?」
まったく話したこともない人間から、突然貶されてしまった。
ショックを受けるほどではないが、絶妙な理不尽さを感じる。
確かに足立は背も高ければ顔もよく整っているし、見た目に気を使ってこなかった俺とは大きな差があることは間違いないのだが。
「俺はお前に、何でこの前の告白を断ったのかを聞きてぇんだよ」
「……」
傍から聞いていて、俺は勝手に納得する。
足立は、自分の告白を断った東条さんが自分よりも劣っているはずの俺と付き合いだしたことが納得できないのだ。
俺たちの関係を知らない彼の立場からすれば、納得できない気持ちはまあ分からないでもない。
「もしかして、遊んでやってんのか? それなら俺も手伝うからさ、やっぱり俺と付き合っておけって。な?」
多くの人間から慕われているという足立だが、それは何故だろうか?
どう見ても嫌な奴にしか見えない。
もしかしたら人前ではその本性を隠しているとか、いわゆる裏のある人間なのだろうか。
「――――ふふっ」
「……あ?」
俺が足立に対して勝手な疑問を抱いていると、廊下に東条さんの噴き出すような笑い声が響く。
まるでどうしても堪えきれなかったかのような、意図していなかった笑い。
足立も俺も、顔には困惑が張り付いていた。
「ああ、すみません。遊んでやってるだなんて面白いことを言うものですから、つい」
彼女はひとしきり笑った後、呼吸を整えるために深く息を吐く。
「むしろいつだって私は必死ですよ。彼に捨てられないように、愛想を尽かされてしまわないように、毎日毎日心のどこかに恐怖を抱えています」
「……恐怖?」
「本当はもっとイチャイチャしたくても、急に迫れば誠実な彼を困惑させてしまうだけですし、本当はもっと周りに自慢したいと思っても、彼の平穏な学校生活を脅かしてしまうかもしれない。自惚れでも何でもなく、私という人間が関わったことでどうなってしまうかなんてことは私が一番理解しているんです」
東条さんが俺のことをすごく考えてくれていたことを嬉しく思うと同時に、あれでまだ抑えているのかと底知れぬ恐怖を覚えてしまった。
それで嫌いになるということはまず間違いなくあり得ないが、むしろ俺の心臓が持たないという線がある。
「……あなたとお付き合いできないのは、素直に好みではないからです。気取った髪型も、それについた妙に甘ったるい整髪料の香りも、多少人より優れているからと周りを下に見る態度も、全部苦手です。もう少し謙虚に生きてみてはどうでしょう? 自信があることは大変良いことだとは思いますが、貴方の場合は少々過剰ですよ。身の程を弁えるというのも、今後社会で生きていくために必要なことです。どうかご検討を」
「あ……ああ」
「ご理解いただけたようで何よりです。ではそろそろ――――春幸君、帰りましょうか」
またもや突然名前を呼ばれ、口から変な声が漏れる。
驚いた様子でこっちを見ている足立。
対する東条さんは、微笑ましい物を見る目を俺へと向けていた。
「そ、その……悪い。のぞき見するつもりはなかったんだけど」
「私のことを心配してくださったんですよね? 春幸君は本当に優しい人。ほら、もうお話は終わりましたので、一緒に帰りましょう?」
「ああ……それじゃ」
呆然とした様子の足立に軽く頭を下げ、こっちに速足で近づいてくる東条さんを待つ。
すると彼女は廊下の中間で一度立ち止まり、彼の方へ振り返った。
「あ、腹いせに私のことを悪く広めるのは大いに結構ですが、私のカーストが高いこともお忘れなく。あなたより皆さんに信じてもらえる自信がありますので」
では――――。
そう言い残し、東条さんは俺の手を引いて足立の前を去る。
正直なところ、めちゃくちゃかっこよかった。
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