029:過去

 彼女の衝撃的な発言に、俺は思わず言葉を失った。

 

「もう三年ほど前になるでしょうか。もちろんその頃の私は中学二年生で、仕事なんて任せてもらえるような年齢ではありませんでした。見栄を張りたかった私は当時から秘書と呼んでましたが……正確には、専属ボディーガードという言葉が正しいですね」

「そ、そんな人が……どうして俺に?」

「……彼が、いまだに私に対して執着しているから、でしょうね」


 東条さんに対して執着している?

 つまり、彼はまだ東条さんのボディーガードでいるつもりということだろうか。


「私は、当時から自分の目利き力に自信を持っていました。何気なくお父様が話したプロジェクトの企画書を見せてもらって、ヒットする物を当てたり。入社を希望している新卒の方々から目まぐるしい成長を遂げる人間を言い当てたりと……周りからも褒め称えられ、とにかく自分には才能があると思い込んでいました」


 そして――――。


 彼女は目を伏せ、言葉を続ける。


「お父様から誕生日に秘書をつけると言ってもらえて、私は選んだのです。お父様の秘書であった、門倉康介を」

「っ!」

「彼は本当に優秀な男でした。スケジュール管理や連絡等でミスをしたことなど一度もなく、それでいて軍さながらの訓練を受けた護衛のプロでもあったのです。お父様も、相手が娘とは言えさすがに惜しんでいるような様子を見せてました」


 俺の足りない頭でも、先が読めてきた。

 察した様子の俺の顔を見て、東条さんは一つ頷く。


「おそらく、春幸君のお察しの通りです。彼は……変わってしまった。いえ、正確には元々そういう人間だったのを、巧妙に隠していたのでしょう。当時今よりも未熟だった私では、それを見破ることができなかった」


 そこからの話は、こういった内容だった。

 

 東条さんの秘書兼ボディーガードになった門倉は、とにかく彼女の世話を焼いた。

 それこそ、過保護なくらいに。

 東条さんが異常性を感じ始めた頃に日野さんが入社。

 念のため彼女に秘密裏に護衛をしてもらっていたところ、それがバレて門倉は暴走した。

 あろうことか、学校へ行く途中の東条さんを襲おうとしたらしい。


「『君が僕を選んだんだから、君の周りにいるのは僕だけでいいんだ』。門倉は私を地面に押し倒して、そう告げました。あの時朝陽が助けてくれなければ、今頃私は……」

「冬季様……!」


 自分の体を抱きしめるようにして震える東条さんを、日野さんが支える。

 普段のように凛としていて、それでいてたまに子供のように無邪気に笑う彼女は、今はどこにもいない。


 "君が僕を選んだ"――――。


 なんと人を縛る言葉だろうか。

 もはや呪いの言葉と言ってもいい。

 自分は悪くなく、あくまでも悪いのは自分を選んだお前なんだと言い聞かせるような、最低の行為だ。


「日野さん、その男はそれからどうしたんですか?」


 一旦東条さんを休ませるべく、申し訳ないと思いつつも日野さんの方へと質問を投げる。

 彼女もそれを察したのか、言い淀むこともなく言葉を返してくれた。


「門倉は私によって組み伏せられた後、警察によって連行されました。裁判の際に暴行罪が適用され、冬季様への接近禁止令と、罰金が科せられています」


 曰く、相手方の弁護士の手腕によって性的暴行の意志はなかったという判断が下されてしまったらしく、暴行罪よりも多少なりとも刑が重くなる強制わいせつ罪は適応されなかったらしい。

 実際のところ、組み伏せられた際に首に手がかけられていた部分が大きく取り上げられていたとのこと。

 そこまでの内容を、日野さんは悔しげに語ってくれた。


「接近禁止令って、消えるようなものじゃないですよね?」

「はい。故に彼が直接会いに来るようなことがあれば、その時はどういう形であれ警察を呼ぶことができます」


 それを聞いて少しは安心したものの、結局警察が来るまでに危害を加えられたら意味がないということに気づく。

 相手がもし捕まることすら覚悟して近づいてきた場合、対処することは可能なのだろうか――――。


「……すみません、そろそろ落ち着きましたので」


 それまで黙っていた東条さんが、顔を上げる。

 いつも通りの表情に見えるが、内面に抱えたダメージは俺では計り知れない。


「十七年生きてきた中で、間違いなく最悪の出来事でした。……だけど、悪いことばかりではなかったんです」

「そう、なのか?」

「はい。あの失敗があったからこそ、春幸君に会えたのですから」


 彼女はいつも通りの笑顔を浮かべ、そう告げた。

 どういうことだろうか? 俺には何の心当たりもない。


「同級生から"友達料金"を要求されたことはもう話していましたよね?」

「あ、ああ……」

「あれが起きたのは、ちょうど事件の直後だったんです」


 何と闇の詰まった期間だろうか。

 襲われたのに加えて友人からも裏切られるだなんて、多感な中学生の女の子が背負うには重すぎるモノばかりだ。


「その日は本当に無気力になってしまって、外は土砂降りだというのに傘すら差さずに学校から歩いて帰ろうとしていたんです。心の底からどうにでもなれと思っていて、下手をすればあのままどこかへ消えていたかもしれません」

「……今のところ、俺はまったく関係なさそうだけど」

「ふふっ、関係があるのは、このすぐ後のことですよ」

「え?」

「駅前をトボトボ歩いている時、一人の男の子が傘を差し出してくれたんです」

「まさか、それが俺?」

「はいっ。当時中学生だった、稲森春幸君でした」


 ――――まったく覚えがない。


 彼女の銀髪は地毛だと聞いているし、きっとその時も目立つ髪色をしていたはずだ。

 困っている人に傘を貸したことは一度や二度じゃないし、それらを一々覚えていないけれど、東条さんと出会ったことに関しては忘れるはずがないと思う。


「覚えていないのは仕方がないと思います。春幸君のご両親が亡くなったのは、それからそう時間が経たないうちの出来事だったので」

「あ……」


 そうか。確かにあの頃は俺もずっと動転していたし、両親の事故からはずっと忙しくて、中学の頃に起きた出来事など思い出している暇すらなかった。

 まだ半信半疑ではあるけれど、覚えていないこと自体は仕方ないと言えるかもしれない。


「あの時、あなたが差し出してくれた傘をとっさに受け取ってしまった私は、すごく不思議な気持ちを抱えました。自分のことが嫌いになりかけていた私に、見ず知らずの人が優しくしてくれた――――人生悪いことばかりじゃないって思えたあの時から、生きていくことがすごく楽になったんです」


 高校で再会できるとは思っていなかったですけどね。

 そう言って、東条さんは苦笑いを浮かべる。


「ひと時の思い出として胸に秘めておくつもりだったのに、すぐに再会してしまうんですもの。それに……下手したら私よりも苦しい状況に立たされているのに、あなたは傘をくれたあの時から全然変わってなくて……そんなの、好きになるしかないじゃないですか」

「……東条さん」

「春幸君のこと、私は心の底から尊敬しているんです。ずっと私が支えていきたいと思っています。この部分は、あなたのことを好きになったあの時から一切変わっていません」


 顔を上げ、優しい笑みを浮かべる彼女。

 それを見た時、俺の心臓は今までにないくらいに大きく跳ねていた。

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