026:四十三万二千倍
「――――で、東条との生活はどうなのよ」
「いきなりだな、ほんとに」
週明けの学校帰り。
約束通り雅也と共に放課後を楽しんでいたところ、休憩がてらに訪れた喫茶店で突然そんなことを聞かれた。
まあ、気になる気持ちは分かるし、噂話が大好きな雅也がよく今まで我慢できたものだとむしろ褒めたくなる。
「どうなのって言われても……ありがたいことに、何の不自由もなく過ごさせてもらってるよ。飯も作ってくれるし、ふかふかのベッドで寝させてもらってるし」
「……お前の場合は前の生活が酷かったもんな」
雅也の言う通り、毎日腹がいっぱいになるほどの飯は食べられなかったし、寝床も薄いペラペラの布団だった。
床が畳だったからまだよかったものの、あれがフローリングだったらと思うとゾッとする。
きっと体を休めるどころか痛めつける羽目になっていたことだろう。
「たった数日かもしれねぇけどよぉ、ずいぶん顔色もよくなったよな」
「そうか?」
「おうよ。前はだいぶ青白かったけど、今じゃそんな感じもねぇし」
おもむろに頬を触る。
確かに洗面台の鏡で自分の顔を見た時に、若干印象が変わったというか、ちょっとした違和感に首を傾げたことを覚えていた。
体調がよくなっていることは分かりやすいんだけれども。
「そんでさ、結局お前は東条のことが好きになったわけ?」
「……好きには、なったと思う」
元々悪い印象はなかったし、これだけ良くしてもらっておいて嫌いになんてなるわけがなかった。
だけどこの好意的な気持ちは、きっと世話を焼いてもらっているからではない。
「結局、俺は東条さんの人間性が好きになったっていうか……多分今みたいに一緒に生活していなくても、彼女の内面を知る機会があったら、同じように好きになっていると思う」
「――――ふーん」
興味深げな様子で、雅也はレモンソーダを飲む。
「安心したわ。お前が東条を都合のいい相手とか思ってなくて」
「そ、そんなこと思ってるわけないだろ⁉」
「わーってるって、お前がそんなやつじゃないってことくらいはさ。だけどさ、今まで散々苦労してきたわけだろ? それがいきなり贅沢な環境に移ったら、さすがに人柄が変わっちまうんじゃないかって心配でさ」
――――悪かったよ。
そう一言、雅也は俺に告げた。
「……何だよ、その謝罪は」
「お前とは長い付き合いのつもりだったのに、いらねぇ心配をしちまったことについてだよ。結局それってお前のことを信頼しきってなかったっつーか、よく分かってなかったってことだろ? そう思うと、なんかお前の友達面してるのが申し訳なくなっちまってさ」
雅也は苦笑いを浮かべ、ストローでレモンソーダの中に浮いている氷を弄る。
いつもの強気な顔はどこへやら。本当に俺に対して罪悪感を抱えているようだった。
「……確かに、雅也は俺のことを分かってないかもしれないな。俺がそんなことを気にするわけがないっていうことも分かってないんだから」
「んあ?」
「俺は雅也じゃないんだし、雅也は俺じゃないんだから、勘繰ったり疑ってしまうのは当たり前だろ? 俺だって、お前に初めて彼女ができたって知った時は心配したし」
「え? 何をだよ……」
「周りに彼女マウント取り始めるんじゃないか、とか。もう俺とか他のやつ含めて男友達とは遊ばなくなるんじゃないか、とかさ。……でも、お前は大して変わらなかったし、むしろ余裕ができたのか、もっといいやつになった」
「や、やめろよ……恥ずかしいだろ」
「あ、でも結局彼女マウントだけは取ってたっけ」
「それはもっとやめろ!」
俺たちは顔を突き合わせてケラケラと笑う。
仲良くなったあの時から、俺たちは変わっていない。
強いて変わったかもしれない部分を挙げるにしても、それはきっと良い方向へと変わっている。
「……なあ、雅也。もし俺が東条さんのことを都合よく利用しているような素振りを見せたら、その時は――――」
「わーってるよ。俺がお前をぶん殴って、目を覚まさせてやる」
「ふっ……ありがとう」
やっぱり、雅也は俺の一番信頼できる友達だ。
そして――――こうして放課後に二人で駄弁ることができるようになったことも、まずは東条さんに感謝しなければならないだろう。
「そんでさ、好きになったってことは、もう東条の婚約は受け入れちまうのか?」
「……うーん」
「うーん……って、お前なぁ。さっきの話じゃないけど、優柔不断なのは気に入らないぜ? 俺」
「それは分かってるけど……まだ一緒に暮らし始めて五日とかその程度だし、さすがに早すぎないかと思って」
「かーっ! 馬鹿野郎だなお前は! 世の中には一目惚れって言葉があるくらいなんだぞ⁉ それくらい一瞬で好きになっちまうやつだっているってことなんだよ! それに比べてお前は何だ! 一目惚れが一秒で好きになるとして、お前は五日だから……えーっと、何倍だ? 分かんねぇけど……えー、千倍くらいか?」
「四十三万二千倍だな……計算上は」
「うるせぇうるせぇ! それくらいの時間があるんだから、惚れたっておかしくねぇってことだよ! 男らしく行こうぜ! 男らしくさぁ!」
何だかごり押しされていることは分かり切っているのに、不思議と納得してしまった。
「一か月のお試し期間だって、満了しなきゃいけないわけでもないんだろ? 早めに結論を出しちまう分には、東条としてもありがたいんじゃないか?」
「そう……かもな」
「……東条に対してはめちゃくちゃ失礼かもしれないけどさ、俺たちまだ十七歳だぜ? 何か失敗したことに気づいたなら、最悪引き返すことだってできると思うわけよ。もちろん婚約を軽く捉えてるわけじゃないけどさ」
雅也の言わんとしていることは理解できる。
相当考えにくい話ではあるが、もし俺と東条さんがお互いに合わないと感じた時は、離れることだってできるわけで。
一生"絶対"に一緒にいなければならないと思い込み過ぎて、考えが凝り固まっている部分はあると思われる。
――――それでも。
「……東条さんの求婚を受け入れるとしたら、やっぱり俺は一生を共にするつもりで向き合いたいって思うんだ。だから、あと一つでいいから、一生彼女を大事にし続けられるだけの自信が欲しい」
そう告げた俺の顔を見た雅也は、諦めたように笑う。
「お前もお前で頑固だもんな」
「そ、そうか?」
「そうだろ。親戚が気に入らなくて一人暮らしするくらいなんだからさ」
言われてみれば、確かに。
「自信が欲しいって気持ちは何となく分かるし、その辺も含めて俺は応援してやるよ。何かありゃ相談くらいには乗れるしさ……恋愛の先輩として、な」
「……早速マウント取ってきたな」
「はははっ! まあまあ、とりあえず今日はパーッと遊ぼうぜ。お前ここ数年ゲーセンすら行ってなかったろ?」
「ゲーセンか、確かに行った覚えないな」
UFOキャッチャーとか、無駄に金が溶けていくイメージしかないし。
そんな偏見から恐ろしさすら感じてしまい、むしろ避けて通っていた。
「久々に行こうぜ! 軽く遊ぶ程度に留めるようにしてさ」
「あ、ああ……それはいいけど、その前にトイレに行ってきてもいいか?」
「ん? おう、いいぜ。ここで待ってるからよ」
雅也に断りを入れた俺は、席から立ち上がって店の中のトイレへと向かった。
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