022:可愛い
結局、あれよあれよと言う間に東条さんは手に取った男物の服の会計を済ませてしまった。
値札を見て当然一度は止めに入ったものの、彼女の意志の硬さはすさまじく。
最終的には「自分が買いたいだけですから」という一言で押し切られてしまった。
これは自分の心が弱いせいなのか。そう思うとちょっと情けなくなってしまう。
「早速で申し訳ないのですが、これに着替えていただいてもいいですか?」
「あ、ああ……」
購入した服が詰まった紙袋を俺が受け取ると、東条さんは花が咲いたような笑顔を浮かべる。
飾りっ気のない純粋な表情――――あまりにも偽りがなさすぎて、何だかこっちの方が混乱してきてしまった。
つまるところ、彼女は俺のために服を買えたことを本気で喜んでいるわけで。
自分のどこにそんな価値があるのか分からないせいで、やはり正面からこの厚意を受け止めることができない。
――――とりあえず、お望みの通り新しい服を持って試着室を借りる。
洗剤や柔軟剤の香りのしない服に袖を通すのは、いつぶりか。
カーテンで仕切られた狭い空間の中で、大きな鏡に映った自分を見る。
うん、悪くないかもしれない。
その人その人に合った服を選べるというのも、もしかしたら人を見る目というものが役に立っていたりするんじゃないだろうか。
何にせよ、東条さんの分析力は本物だということが理解できた。
「お待たせ……」
「はわわっ!」
「ん?」
照れ臭さのあまりおずおずと試着室から出ると、外で待っていた東条さんが突然変な声を上げた。
口元を押さえ、何故かキラキラした目で俺を見ている。
しかし俺が困惑していることに気づいたのか、彼女は一つの咳払いと共に平静を取り繕った。
「よくお似合いですよっ。丁寧に選んだ甲斐がありました!」
「そう言ってもらえると嬉しいけど、やっぱりお代の方は――――」
「春幸君はそんなこと考えないでください。私はあなたに服を着せて楽しむ酷い女なんですから」
酷いというか、ずるい人だ。
こんな風に言われてしまえば、俺の陳腐な頭では言い返す言葉が思いつかなくなってしまう。
むしろ彼女の厚意を無下に扱う方が悪者になるんじゃないかと不安になってしまう始末。
最後の抵抗として、東条さんが買ってくれた服はせめて彼女の前でだけ着ることにしよう。
「今日は時間的に仕方ないとして、今度行きつけの美容院を紹介させていただきますね。せっかくですし上から下まで完璧にしちゃいましょうっ」
「……お手柔らかに」
「じゃあ次は私の買い物に付き合っていただいてもいいですか?」
「ああ、元々そのつもりだったし」
「ありがとうございます。じゃあまずはあっちから回りましょう」
東条さんに付き従うような形で、ショッピングモールを歩く。
女の子と一緒に出掛けるなんて経験がほとんどないせいか、俺は自分が思った以上に浮かれていることに気づいた。
他愛もない話をしながら歩いているだけというのも、想像以上に楽しい。
「ここが私の普段着を買うお店です。値段もお手頃で大変助かるんですよ」
東条さんが足を止めた店は、俺でもよく知っているような庶民の味方の洋服屋だった。
Tシャツなら一枚千円から二千円で買えてしまうし、上着類でも五千円程度でまともなものが揃ってしまう。
「安いが故にたくさん買ってしまうんですけど、大丈夫ですか?」
「もちろん。荷物は全部俺が持つよ」
「ありがとうございます。では――――」
そう言いながら、彼女はTシャツの並んでいる棚へと向かった。
そしてそこに並んだ服たちを、一瞥しただけでポイポイとかごの中へと放り込んでいく。
まるでスーパーの特売にやってきた主婦のように。
「制服の下に着るシャツが欲しかったんですよね。これから夏になりますし、普段着としても着替えは多い方がいいかと思いまして」
「そ、そうか……」
「春幸君の分も買っておきますよ。サイズはLでいいですよね?」
確かに俺が普段着る服のサイズはLであるため、そのまま頷く。
すると彼女は男性用のTシャツが並んだ場所に向かい、白と黒を中心に再びかごの中へと放り込み始めた。
有言実行までが速すぎて、止める間すらない。
(まずいな……早くもマヒし始めている)
さっきの買い物が高かったせいで、Tシャツたちがどれも安く見えてしまう。
もちろんそれは東条さんにとってはの話であり、俺にとっての千円は一週間生きていけるだけの大金だ。
できる限りその感覚を忘れずに生きていきたいところだが――――もうすでに若干ブレ始めていることが恐ろしい。
「Tシャツさえ手に入れば、このお店で欲しい物は他にありません。次に行きましょうか」
「ああ……分かった」
「その、大丈夫ですか? 持つのが辛そうなのであればもう少し減らしますけど」
「いや! それに関しては大丈夫だ」
彼女からかごを奪うようにして、レジへと向かう。
服の割には確かに重いけれど、問題はない。
問題なのは、何においても値段なのだから。
最初の店を離れ、次に向かったのはブランド物の服を扱う店だった。
一着一着の値段が途端に跳ね上がり、もはや両親が生きていた頃ですら買えそうにない服がおしゃれに飾ってある。
一番近くに置いてあるこのズボンなんて、三万――――いや、これ以上見るのはよそう。
後から知ったことだが、俺の服を買った店やこの店すら、ファッションの世界ではまだ序の口らしい。
服一着が何十万もする店がこの世には存在していて、金持ちの中にはそういうところでしか服を買わない人すらいるそうだ。
申し訳ないが、一生理解できる気がしない。
「せっかく春幸君の服を新調したのですから、私もそれに合わせてみたいと思いまして」
この店に来た経緯を語った東条さんは、一着一着置かれた服を物色していく。
女性物の服が多いこの店は、正直なところ居心地が悪い。
無意識のうちにソワソワしていた自分が妙に恥ずかしくなり、俺は懸命に表情を取り繕いながら東条さんの後ろをついて行くことにした。
「突然すみません、春幸君。この二つならどっちの方が似合うと思いますか?」
「え?」
何とか心を落ち着けようとしていたところで声をかけられ、顔を上げる。
東条さんは二着の服を持っていた。
片方は薄手のニット素材の白い服に対し、腰よりも上の位置で止まっているピンクの膝下スカート。
そしてもう片方はゆったりと着れる水色の肩だしシャツに、若干くすんだ白色のハーフパンツ。
どちらも毛色が違って、中々に難しい選択肢だった。
「さっきからこの二つで拮抗してしまっていて、せっかくなら春幸君に選んでいただければと思うのですが……」
「あ、あー……」
改めて見てみれば、どちらも間違いなく東条さんに似合うと言える。
彼女自身もそう分かっているからこそ悩んでいるに違いない。
「どちらかと言えば、こっちかな」
悩み抜いた末に俺が指したのは、白いニットの服とピンクのスカートの方だった。
どちらも似合うことが分かっているのなら、そこからはもう俺の好みの問題である。
「春幸君はこっちの方が好みですか?」
「そういう言い方をされるとちょっと恥ずかしいけど……まあ、そういうことになるかな」
「じゃあこっちを買いますね。春幸君の趣味に合わせたいので」
ただ選んだだけなのに、東条さんはかなり嬉しそうな様子でレジへと向かっていく。
そして支払いを終えた彼女は、試着室を借りて買ったばかりの服に着替えた状態で戻ってきた。
「どう、でしょうか?」
「……めちゃくちゃ似合ってると思う。こう何て言うか……可愛い」
「はうっ」
率直な感想を伝えると、東条さんは顔をしかめて胸元を押さえた。
一瞬心配が湧き上がってきたが、彼女が恍惚な笑みを浮かべていることに気づいて困惑する。
「春幸君が……私のことを可愛いって……ふふっ、ふふふふ」
――――しばらくそっとしておこうと思う。
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