021:洋服選び
「だ、大丈夫ですか……?」
「……ああ、全然問題ない」
電車から最寄り駅へと下りることができた俺たちは、そのまま徒歩でマンションへと向かっていた。
きっと今の俺の顔色は相当悪くなっていることだろう。
東条さんはそれを心配してくれているのだろうけど、別に今の俺の状態は体調が悪いというわけではなく、あくまで精神的疲労から来るものだということを分かってもらいたい。
それと同時に、よく理性を持たせたと褒めてももらいたい。
らしくもなくそんな風に望んでしまうくらいには、電車の中は俺にとって相当辛い空間だった。色んな意味で。
「早く家まで戻りましょうか。今日もまた美味しいご飯を作りますからね」
「ああ、それは楽しみ――――ん?」
俺は何となく視線を感じた気がして、その場で振り返る。
しかし、視界の中には誰もいない。
数名の通行人と、度々通る車があるくらいだ。
「……どうかされました?」
「いや……何か視線を感じた気がして……」
「————きっと気のせいですよ。ね?」
「え? あ、ああ、そう……だな」
「ほら、早く行かないとイチャイチャする時間が減ってしまいますからっ」
何かはぐらかされた気がするが、俺も別に誰かに見られていたなんて確証があるわけでもなく、流されるがままにマンションの中へと入って行くことになった。
ただの感覚でしかないが――――あまりよろしいものではなかった気がする。
そんなことを真面目に語れば頭のおかしな人間だと思われてしまいそうだし、今はこれ以上触れずにいようと思うけど……妙な胸騒ぎだけが、俺の心には残っていた。
◇◆◇
翌日のこと。
普段着に着替えた俺は、玄関にて東条さんのことを待っていた。
休日である今日は、彼女と約束した買い物の日でもある。
「お待たせしました。すみません、ちょっと準備に気合が入り過ぎてしまって……」
現れた東条さんの姿を見て、俺は思わず息を呑む。
彼女の私服を見たことがなかったわけではないが、初日のようにそれどころではなかった場合が多く、改めて明るい場所で見てみればその衝撃はひとしおだ。
純白のワンピースに、アクセント程度に収まるネックレス。
ワンピースの方は腰よりも上の位置で簡易的なベルトが巻かれており、彼女の豊満な胸を強調している。
自分自身の魅力を100パーセント把握していないと着こなせないファッションのように見えた。
「どうかしました?」
「あ、いや……すごい似合ってるなって思って」
「ほ、本当ですか⁉ はぁ……よかった。気合を入れ過ぎて引かれてしまわないか少し心配だったんです」
そうして胸を撫で下ろす東条さんの顔つきは普段と少し違っていて、そこでようやく彼女がメイクをしていることに気づいた。
メイクと言ってもいわゆるナチュラルメイクというやつなのか、大きな変化は見られない。
薄い色の口紅や、目元や頬に軽く手が入っているように見受けられた。
元々顔が良すぎるせいか、正直見違えるほどに魅力が倍増しているとまでは言わないけれど、純粋に俺と出かけるためにメイクをしてくれたことがやけに嬉しくて。
まるで自分が特別になったかのような、肯定感が満たされていくような気持ちになった。
「何だか……隣を歩くのが不釣り合いな気がしてきたよ」
「大丈夫ですっ! 春幸君はいつだってカッコいいですし、魅力的ですから!」
そうは言ってくれるものの、改めて俺と東条さんの格好を見比べれば一目瞭然だ。
適当な英語の書かれた安物の白いTシャツに、紺色の長ズボン。
アクセサリー類は一切なし。髪型だってセットしていない。
不格好————というわけではないと思いたいが、バッチリとお洒落に決めた東条さんの隣を歩くには、あまりにも見劣りするだろう。
「それではご不満ですか?」
「不満ってわけじゃ……でも、申し訳ないなとは思ってる」
「……そういうことでしたら、今日は最初に洋服屋さんに寄らせてください」
「構わないけど、どうして?」
「服を買うって話はしてたと思いますが、せっかくなら最初に購入してしまって、その格好のままデートをしましょう」
デートという部分に触れると照れ臭くなってしまうのでスルーしつつ。
東条さんの提案は俺にとってはありがたい。
高い金は出せないが、生活費が浮いている分今よりは上等な服を買うことができるはずだ。
「そしてできることなら、私の選んだ服を買ってください。お代はすべて私が出しますので」
「は⁉」
「こっちからお願いして自分好みの服を買っていただくのですから、当然の話ですっ。春幸君は私が着てほしい服を着るだけなので釣り合う釣り合わないという話は関係なくなりますし、私は春幸君に好きな服を着せることができてとてもハッピーになります。どちらも損をしない"ウィンウィン"の関係ですね!」
確かに俺は一切の損をしないが、東条さんは金を出すことになるのだからかなりの損をするんじゃなかろうか?
しかし彼女はその点を見ないようにしているのか、それとも本当に見えていないのか、一切触れようとしない。
「これが推しに貢ぐという感覚でしょうか……! ああっ、ゾクゾクしますね! 癖になる感覚が分かります!」
本人には決して言うことはできないが、彼女は相当な変人だと思う。
結局のところ、東条さんの口車に乗るがままに俺たちは駅に近い場所にあるショッピングモールを訪れていた。
大変偏見だが、彼女のようないわゆるお金持ちな人間はもっと専門店のようなブランド品を扱う店を贔屓にしているものだと思っていた。
しかし当の本人曰く、そういった物は特別な日のために数着持っていれば十分らしく、基本的な買い物は一度で済ませることができるショッピングモールを利用しているらしい。
彼女にとっての服とは趣味に至るほどのものではなく、あくまで生活必需品の範疇という認識なんだそうだ。
「可愛らしい服とか、そういったものは大好きなんですけど、あくまで着るのが好きという程度で集めるほどではないんですよね。あ、だからコスプレとかもかなり好きですよ?」
そんなことを言いながら、東条さんは男性用の衣服を物色していた。
もちろん自分で着る用ではなく、俺に着せるための服を選んでいるのである。
「春幸君は体つきがしっかりしつつ細身ではあるので、スキニーのズボンとか似合うと思うんです。足をエロ――——じゃなかった、色っぽく見せたいというか。色は変に冒険するより一番似合う紺色がいいですね。上は今の白いTシャツでも十分に似合っているので、新しい良い生地のTシャツと、その上に羽織れる薄い水色のシャツを揃えておきましょう。大人っぽくし過ぎると今度は顔つきと合わなくなってしまうので、これくらい少年らしさがあってもいいですね。あとで靴も白を基調としたスニーカーを買いましょう。せっかくですし。それとシルバー系のネックレスを買えば、ワンセット完成ですね」
どうでしょうか⁉ そう笑顔で問いかけられた俺は、ただ頷くことしかできなかった。
東条さん、きっと俺よりも俺のことに詳しいんだろうなぁ。
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