019:大事な人?
部活のある雅也と別れ、俺は駅に向かって歩き出す。
そのまま電車に乗って住んでいたアパートの最寄り駅にたどり着いた俺は、駅前にあるコンビニへと向かった。
「せんぱーい!」
そんな俺を、後ろから呼ぶ声がする。
「相変わらず元気だな、八雲」
「それが一番の取柄ですから! あ、今日シフト入ってますよね⁉ あたしも一緒に行っていいですか⁉」
「いいよ、行こう」
「はい!」
やたら嬉しそうな表情を浮かべながら、学校兼バイト先の後輩である
セミロングの茶髪を後ろで一つに結び、そのせわしなく動く小柄な体は、ある種マスコット的な可愛らしさを持っていた。
俺が二年生で彼女が一年生という立場の差や、俺の方が先に働いていたという二重の意味で、俺は彼女から先輩と呼ばれている。
「この前は助かりましたよー、あたしまだタバコの銘柄まで覚えられなくて……」
「ああ、あの話か」
前にシフトが重なった時、少し厄介な客が八雲に対して怒鳴っていたところに出くわした。
今言った通りタバコの銘柄を覚えきれていない彼女は、その客が要求したタバコがどれなのか分からず、番号で指示してもらうよう要求したのだが、客は「それくらい覚えておけ、わざわざ俺の探させるな」と理不尽な怒りを吐き捨てていたのである。
俺が八雲よりも一年長く勤務していたのが功を奏し、なんとか客の求めるタバコを取ることができたのだが――――。
「でも、よく覚えてましたね、タバコの銘柄なんて。あたしなんて覚えなきゃなーとは思ってますけど、絶対無理ですもん。興味もないですし」
「はっきり言うなぁ……気持ちは分からないでもないけど」
俺が銘柄を覚えたのは、本当に長く勤務していたからに過ぎない。
品出しの時に何気なく確認したり、それこそ八雲が被害に遭ったような人間に怒鳴られながら覚えたものだ。
「働いている身からすれば覚えている方がいいのかもしれないけど、俺は無理するほどのことじゃないと思うけどな」
「でも……もう怒鳴られたくないし……」
「ああいうのは基本的に怒鳴る方が悪い。誠実ではないけど、表面上はちゃんと聞いて反省しているような態度を見せて、あとは気にしないっていうのが最善だと思う」
まあ俺自身そういう生き方はできないわけで、結局どの口が言っているんだという話になってしまうのだけれど。
「うーん……難しいですね」
「まあな。でも俺から言えることはそれくらいだ」
「はいっ! 胸に刻んでおきます!」
俺は偉そうに何か指導できるような立場でもないのに、八雲は心底尊敬しているような眼差しを向けてくる。
それが妙にむず痒くて、彼女といる時間は申し訳ないことにどことなく居心地が悪い。
悪い人間ではないのは分かっているし、親しみやすさも感じるのだが――――これに関しては俺の人間性のせいだ。
「あたしも早くテキパキ動けるようになって、先輩のお世話にならないようにしないとっ」
「そうだな。今後は助けたくても助けられなくなるかもしれないし……」
「え? ど、どういう意味ですか⁉」
「いや……シフトを減らしてもらおうと思っててさ。今までは入れるだけ入ってたけど、これからは週三とかにしてもらうかもしれない」
「減らしちゃうんですか⁉」
想像以上の声量のリアクションに、思わずギョッとする。
「ど、どうしてですか⁉」
「いや……まあ、ちょっと時間がなくなったというか、そもそも働く必要が薄れたというか」
「時間がなくなったって……ま、まさか! 彼女⁉ 先輩彼女できたんですか⁉」
彼女、彼女かぁ。
詳細に事情を伝えることはできないから、かなりぼかした言い方しかできない。
それでもできる限り近しい言葉で伝えるのであれば――――。
「うん、そんなようなものかな」
「っ⁉」
正確には"まだ"そういう関係ではないが、違うと否定しきってしまうのもおかしいし、俺なりに誠意を見せるとしたこういう言い方しかできない。
「そ、そんな……先輩に……彼女?」
「おい……大丈夫か?」
虚ろな目でフラつく八雲に、思わず手を貸しそうになる。
しかし彼女は逆に俺に詰め寄ってきて、必死な形相で俺の顔を覗き込んできた。
「だっ……!」
「だ?」
「誰ですか! 相手は!」
うーむ、答えてしまっていいものか。
きっと八雲は俺が絶対に周りに言うなと言えば守ってくれるだろう。
だけど雅也ほど親しい相手というわけでもないし、実際俺はバイトしている時の彼女しか知らないわけで。
知らないということは疑念に繋がり、結果として俺の言葉をためらわせる。
「……クラスメイト。それ以上は言わない」
「そんな! 後生ですから!」
中々引き下がってくるが、ここまで来ると俺も増々言い辛い。
「周りにもほとんど伝えてないし、あんまり言いたくないんだよ」
「ど、どうしてですか⁉」
「どうして?」
どうしてと言われたら、そうだな――――。
「大事な人だから? としか言いようがないな」
「大事な……人」
八雲の体が、再びフラつく。
何をそんなにショックを受ける必要があるのだろうか。
「……ませんから」
「え?」
「認めませんから! 実際にその彼女さんがあたしの目の前に来るまで!」
突然そう叫び散らかした八雲は、俺の隣を離れるように先を歩き始めた。
「まだ先輩が見栄を張ってるだけかもしれませんしね! あたしはそう簡単には騙されませんよ! ふーんだ!」
「お、おい……」
八雲は捲し立てるように言い放ち、バイト先のコンビニに向かって駆け出してしまう。
呆然と立ち尽くす羽目になった俺は、結局一人で同じ場所に入って行くのであった。
「私が……春幸君の大事な人……? ふふふ……ふふっ、ふふふふふふふふふ」
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