017:誇らしさすら

「はぁ~、なるほどね。あの東条さんから婚約を迫られていると」

「まあ……そういうわけなんだけど」


 昼休み。

 教室の隅で周りを気にしながら、俺は雅也に事の顛末を話した。

 すべてを聞き終わった雅也は、女子たちに囲まれて弁当を食べている東条さんと、彼女が作ってくれた弁当を手に持つ俺を見比べる。


「ふーん……ま、いいんじゃねぇの?」

「何がだよ……」

「これくらいの幸せはあっていいんじゃねぇのってことだよ。じゃねぇと……お前の人生、割に合わねぇって」


 雅也からこう言ってもらえることで、俺の心は少しばかり救われたような気がした。

 こんな恵まれた環境に俺のような人間がいていいのかと考えてしまっていた部分も、どこかにあったと思う。


「羨ましいっちゃ羨ましいけどな! だってあの学校のアイドルみたいな人の手料理が毎日食べられて、毎日一緒に過ごせるんだろ? お前マジで他の男子に知られたら殺されるぜ? 俺はもう心に決めた女がいるからいいけどよ」

「それくらいは俺でも理解してる。……そう言えば、お前もお前で畦山あぜやまさんとは会えてるのか?」

「ん? まあ今は厳しいって感じだな。高校は向こうの親の都合で遠くになっちまったけど、大学はこっちの学校を受ける予定らしいから、それまでの辛抱ってところだ」


 畦山さんとは、雅也が中学の頃から付き合っている女の子の名前である。

 大切な彼女の話をする時、雅也の表情はいつも優しい。

 短く切り揃えた短髪は男らしく、顔も整っていることに加えてバスケ部のエースでもある。

 当然何人もの女の子からアプローチを受けているものの、雅也が彼女たちに振り向くことは絶対にない。

 こいつが表情を和らげるのは、その畦山さんの前でだけだからだ。

 

 ————俺の前でも割とコロコロ表情を変えるけれど、それは何だか恥ずかしいので指摘しないでおく。


「んで、皆の憧れの彼女が作る弁当ってのはどんなもんなのか、ちょっと見せてくれよ」


 ニヤニヤと詰め寄ってくる雅也に対して若干の見せたくなさが芽生えたが、どのみち目の前で食べざるを得ないわけで。

 一つのため息とともに弁当箱を開けば、雅也は感嘆の声をもらした。


「おお……イメージに違わずちゃんとすげぇな」

「俺もそう思うよ」


 今日も今日とて、彼女の弁当は素晴らしい出来栄えだった。

 俺が気に入ったと伝えた卵焼きや、アスパラの豚肉巻き、筑前煮。

 そして彩りと野菜要因としてブロッコリーとミニトマト。

 ご飯の上にはカツオのふりかけがかかっており、色合いだけでも食欲をそそる。


「こうなんつーか……飛び抜けて特別感があるわけでもないっていうか……そういうのがいいよな」

「言いたいことは分かる」


 言い方は悪くなるが、東条さんの弁当は程よく庶民的なのだ。

 金があるからと高い食材を使うのではなく、リーズナブルな食材たちに対して手間を惜しまないことで、全体的なクオリティを上げているというか――――俺は専門家じゃないし、詳しいことは分からないけれど、ただそう感じてはいる。


 いただきますと一言告げた後、昨日と同じように卵焼きから手を付けてみた。

 やはりこの優しい甘みがたまらない。

 アスパラの肉巻きにもよく合っており、別々でも一緒に食べても箸が止まらなくなる。


「……嬉しいねぇ。我が友の魅力に気付く女が現れてくれて」

「何だよ、言い方が気持ち悪いぞ?」

「わりぃわりぃ。けど、人一倍優しくて気が利くお前がさ、時間がないからって青春を楽しめないってのは前々から世知辛いなぁって思ってたんだよ」


 余計なお世話————と言いたいところだったが、確かに俺は学生らしい生活ができているとは言えなかった。

 雅也としては、気遣わずにはいられない状況だったんだろう。

 それに関しては申し訳ないとすら思う。


「ともかくよかったじゃねぇか。これで無理にバイトしなくて済むんだし、今までできなかったこととかやってみようぜ」

「今までできなかったことか……例えば何だろうな」

「そりゃぁ俺と遊びに行くとかだろ」

「確かに今までできなかったことだけどさ」

「おいおい、もっと喜べって! 無理と分かっているのに俺が何度お前を誘ったことか! これからはめちゃくちゃ遊べるってことだろ⁉」


 前々から誘いを断っていたのは悪いと思っているし、これからは放課後も雅也と騒げるというのは喜ばしいことであるはずなんだけれど、俺自身はいまいちノリ切れていなかった。

 放課後と言えば東条さんが仕事をする時間なわけで、その間俺が遊び惚けているというのはいかがなものかと思ってしまう。


「でもバイトを全部辞めるわけじゃないんだ。今日もまだコンビニのバイトは入ってるし、明日も別の予定が入ってる」

「じゃあ週明けの月曜日はどうだ? 物は試しにカラオケにでも行こうぜ。フリーで安いところ知ってるんだ――――うおっ⁉」

「ん?」


 突然仰け反るようにして驚いた雅也が、俺の後ろを指差す。

 思わず振り返れば、そこにはニコニコと笑う東条さんが立っていた。

 何だろう、確かに笑顔なはずなのに、妙な威圧感を感じる。


「春幸君、昨日は体調を崩してたみたいだけど、今日は元気そうですね」

「あ、ああ……おかげさまで」

「安心しました。昨日の授業のことで聞きたいことがあれば、いつでも頼ってくださいね?」

「……ありがとう、ございます」


 若干の冷や汗をかきながら、自分の席に戻っていく彼女の背中を見送る。

 どこから聞いていたのだろうか?

 遊びに行くという部分を聞いて、やはり多少なりとも不快に感じたのかもしれない。

 後で謝罪をしなければ――――と考え始めたところで、俺のスマホが何やらラインを受信した。

 相手は、たった今俺たちの前から去っていった東条さん。


『ご友人と遊びに行くこと自体はまったくもって問題ないのですが、二十時までには帰ってきてくださると嬉しいです。あと、できるだけ夕飯は外で食べないでくださいね?』


 横目で東条さんに視線を送れば、彼女は柔らかい笑顔を返してくれた。

 思わずホッと胸を撫で下ろす。

 意外と遊びに行くこと自体は問題ないらしい。

 俺としても東条さんの夕飯が食べられなくなるのは避けたいことだし、この部分に関しても破ることはないだろう。

 

「もしかして……怒られた?」

「い、いや、二十時までに帰ってくるなら問題ないって。それと夕食は家で食べるから、外食はしないって約束をした」

「ま、まあ妥当じゃねぇか? 俺も変なノリで引っ張り回すようなことはしねぇし」


 さすがに恥ずかしくて雅也にも俺と東条さんの関係のすべてを話したわけではないけれど、こいつの言う通り、このラインに書かれていること自体はかなり妥当だ。

 昨日は東条さんも在宅仕事だったが、外に出て働くこともあるらしいし、そういう時に「おかえり」を言うことも俺の役目の内である。


 改めてそう思うと、何だから誇らしさすら感じてしまうから不思議だ。

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