013:独占欲

「そうだ、お風呂に入った後に何か映画でも見ませんか? 春幸君」

「映画?」

「まだ寝るには早い時間だと思いますし、二時間くらいの映画を一本見ればちょうど寝やすい時間になるかと」


 現在時刻は二十一時。

 風呂に入って二十二時くらいだとして、そこから映画を見たとしたらちょうど二十四時近くにベッドに入れるだろう。

 久しく映画なんて見ていなかった俺としては、すごく魅力的な提案だった。


「分かった。何を見るんだ?」

「まだ決めてはないですね。動画配信サービスに登録してあるので、二人で選べればと思っています」


 月額制で金を払うアレか。


「さて、じゃあ一緒にお風呂に入りましょうか」

「いや……待ってほしい。なんでナチュラルに一緒に入ることになってるんだ?」

「え? 私がそうしたいからですけど……」


 何とシンプルかつ否定しにくい理由だろうか。

 ただ昨日の風呂であったようなことが今日も続くようなことがあれば、おそらく俺の心臓が持たない。

 

「しかしご安心を! 昨日のような直接的な誘惑はいたしません!」

「直接的な誘惑だった自覚はあったんだ……」

「ともかく! 私なりの配慮ということで、今日は水着を用意してみました!」


 そう言いながら、東条さんは自室から畳まれた黒い布を持ってきた。

 よく見れば、それは学校指定の女性用スクール水着。

 彼女は見事なドヤ顔を決め、まるで見せびらかすかのようにスク水を俺の前で広げる。


「お互いに水着を着た状態で入れば、それはもう学校の水泳の授業と同じです。もしこれを不健全だと訴えるのであれば、学校のやり方に文句を言うのと同じですからね」


 念を押すかのように言ってくる東条さんだが、俺たちの高校が男女で水泳の時間が分かれている時点でその理屈はそもそも通用していない。

 ただ彼女がそれを忘れてしまうような人間ではないことも分かっているため、きっとその部分を指摘しても他校の名前で抵抗してくることだろう。

 段々東条さんの使う理論武装が予測できるようになってきた。


 ――――まあ、裸で突入されるよりはいくらかマシか。


「……分かった。それなら俺も受け入れるよ」

「本当ですか⁉」


 東条さんは顔を綻ばせ、嬉しそうに俺の手を取る。


「そうと決まればすぐにお風呂に行きましょう! 湯船はすでに張ってありますので!」

「……あれ?」


 湯船が張ってあるということは、まさか一緒に湯船に浸かるつもりだろうか?

 俺のこの不穏な予想は、すぐさま現実となる。


◇◆◇

「――――えへへ、二人だと少しだけ狭く感じますね」


 俺は今、自前の学校指定の男性用水着を履いて、湯船に浸かっていた。

 目の前には同じく学校指定の水着を着た東条さんがいる。

 俺と彼女は向かい合うような形で、足同士が重なるほどの近さにいた。


 肌と肌が触れてしまわないように極力足を縮こまらせるが、それでも東条さんは容赦なくすり寄ろうとしてくる。


「前々から思ってはいたんですけど、春幸君って思ったよりも体がしっかりしていますよね」

「……そうか?」


 言われて体を見下ろしてみるが、あまりにも見慣れ過ぎていてよく分からない。


「力仕事もしてたからかな。確かに重い物を持つことに関しては自信があるけど」


 定期的に短期の引っ越しのバイトをしていたし、それ以外でも常に立ちっぱなしのバイトが多かったから、運動不足を感じたことは一度もない。

 東条さんが思ったよりもと言ったのは、おそらく目に見えて分かりやすい筋肉がついていないからだろう。

 これに関しては食生活の不健康さが原因だと思われるが――――。


「ふむふむ。では今後私が食事を管理することで、春幸君の体を作っていくこともできるということですね」

「まあ、食生活が改善されれば相当体の造りも変わると思うけど」


 そうなった時の不安要素として挙げられるのは、バイトを減らしたことによる運動不足から来る脂肪のつき具合だ。

 若さ故の代謝の良さがそれを抑制してくれると思いたいところだが、あれほど美味しい東条さんの料理を毎日食べていたら、太らない自信がない。


「運動不足対策に、何かトレーニング器具でも買いましょうか? それか毎日ランニングするとか……それくらいならお付き合いできると思いますけど」

「どっちも魅力的ではある――――って、」


 俺はさっきから疑問に思っていることが一つあった。


「東条さん、俺の心の中を読んでないか?」

「ふふっ、そんなことができるわけないじゃないですか。春幸君の顔がすごく分かりやすいだけです」

「え……そんなに?」

「はい、とっても。正直なところ、昨日までは表情に険しさと疲れが残っていて分かりにくかったんですけど、ハーゲン○ッツを二人で食べた辺りからコロコロ変化するようになっていて……とっても可愛いです」


 可愛いという言葉を言われ慣れていない俺は、馬鹿正直に照れて頬を熱くなってしまう。

 なるほど、こういうところが分かりやすいと言われる原因か。

 頭はそんな風に冷静に考えられているのに、感情というのはそう簡単に制御できるものではないらしい。


「私としてはぷくぷく太った春幸君も見てみたいところなのですが……まあ到底健康的とは言えないと思いますし、定期的に運動する時間を作りましょうか」

「ああ、そうしてくれると助かる」

「ふふっ、春幸君と一緒に生活の仕方も決められるなんて、やっぱり夢見たいです」


 そうして東条さんは、これまたとびっきり幸せそうな笑顔を浮かべる。

 何度も思ったことだが、この笑顔はずるい。

 すべての毒気が浄化されていくかのような、圧倒的な魅力を感じる。

 もはや女神の笑顔と言い変えてもいい。

 

 ――――なんて、いつの間にか俺も彼女に影響されて言葉が大袈裟になりつつあるようだ。

 

「……春幸君、少し言いたい愚痴があるんですけど、いいですか?」

「愚痴? まあ、吐き出す相手が俺でいいなら」


 東条さんの口から愚痴が漏れるなんて、正直考えられない。

 一体どんな内容だろう?

 完璧超人と名高い彼女の愚痴なんて想像もつかないのだが。


「その……この水着は一年生の時に購入した物なんですけど」

「……ん?」


 雲行きが怪しくなってきたな。


「今日久しぶりに着てみたら、何だか胸の辺りがきつくって……」


 そう言いながら肩の部分の布を引っ張る東条さん。

 胸がきついなんて言いながらそんなことをするもんだから、該当部位がなおさら強調されてしまい、目線の置きどころが分からなくなる。


「ふふっ、春幸君は本当に可愛いですね」

「あ、あんまりからかわないでくれ……」

「すみません、やっぱり春幸君の反応がどうしても見たくなってしまって」

「二人でいる時なら別にいいんだけど……学校とかでは遠慮してくれないか?」

「もちろん。こんなにも可愛らしい春幸君を他の人に見せるだなんてもったいなくてできません」


 俺はただ恥ずかしいからやめてほしいと思っているのだが、東条さんにとってはもう少し複雑な事情があるようだ。

 ともあれ、からかうような真似はしないと確約してもらえた以上は、俺としても安心である。


「そう言えば、俺たちの関係って学校では公にしてもいいのか?」

「私は構いませんよ? 何も困ることはありませんから」


 しれっと言ってのける東条さんだったが、逆に俺の胸の中には抵抗感が芽生えていた。

 彼女は学年を越えて顔を知られている有名人。

 俺みたいに周りの人間と深く絡むことができなかった人間ならともかく、一般的な生徒で東条さんを知らない者はまずいないだろう。

 そして男女問わず人気のある彼女は、単純な言葉を使うならば、とても"モテる"。

 俺が東条さんと同棲を始めたと知られれば、きっと向けられる視線は恨みのこもった恐ろしいものへと変化する。


 余計なトラブルは生むべきではない――――。


 その考えを元に動くなら、下手に拡散しない方がいいということになる。


「……念のため、周りには隠そう。人に教えること自体は構わないけど、すれ違いを生まないために後でその相手を共有するってことで」

「春幸君がそうしたいと言うのであれば従いますけど……隠す必要はあまりないのでは?」

「一応だ、一応」


 首を傾げる東条さんを前にして、俺は風呂のお湯をすくい上げて、自分の顔にかける。

 読みやすいと言われた俺の表情も、こうして顔を見せなければさすがに読まれないはずだ。


(言えるわけ……ないよな)


 あれだけお堅いことを言っておきながら、すでに目の前の彼女に対して独占欲を抱き始めてしまっていることなんて。

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