006:アイスクリームの食べ方

 俺が風呂を上がってしばらく。代わって入浴を済ませた東条さんは、「いい物がある」と言ってキッチンの方へ向かった。

 ちなみに着替えがない俺は、いつの間にか東条さんが用意してくれていたスウェットを借りて着ている。

 こうも至れり尽くせりだと、さすがに申し訳ないというか、なんというか。


「ハーゲン○ッツを用意しておいたんです。何味が好きですか? 一応一通り揃えておいたんですけど」

「あ、ならバニラで」

「ふふっ、奇遇ですね。私もバニラが一番好きなんですよ」


 東条さんはハーゲン○ッツのバニラを冷凍庫から二つ取り出し、俺と自分の前に置く。

 

「何か、ありがとうございます。ここ数年は買うことも叶わなかったので」

「私と結婚すれば毎日だって食べられますよ?」

「……それはちょっと魅力的ですね」

「あれ? もしかして私の体ってアイスに負けてます?」


 唖然とした表情が浮かんだ東条さんの顔が、普段学校で見せている澄ました顔とは印象が全然違って。

 学校のアイドルの知らない一面を見ることができたというだけで、何だか面白くなってしまった。


「あ、初めてちゃんと笑ってくれましたね」

「え……そうでしたか?」

「苦笑いや愛想笑いはありましたけど、今の笑顔はとても自然な感じで、とても素敵でした」


 無意識の部分を突かれたみたいで、改めて指摘されると妙に恥ずかしい。

 また顔が熱くなる感覚を覚えながら、俺はアイスを手に取った。


「稲森君は、こういうカップのアイスってどうやって食べますか? 私は周りが少し溶け始めた頃に、その溶けた部分から削るように食べていくのが好きなんですけど」

「俺は――――」


 特段、考えたことのなかった問答だった。

 アイスは溶けない内に食べるべきだと勝手に思っていたし、あえて溶け始めた頃に食べるという意見をそもそも知らない。


「俺はこのまま食べてたかな。溶け始めで食べると美味しくなるんですか?」

「味自体が変化するわけではないですけど、くちどけが滑らかになってよりミルキーな感じになる気がするんですよね。せっかくですし、試してみませんか?」


 そこまで言われると、気にならざるを得ない。

 

 東条さんはカップを手に取り、手のひらで包むようにして温め始める。


「こうして温めつつ、カップを指で押した時に少しぶにってし始めたら、それが私にとっての食べ頃です」

「なるほど……」


 同じようにカップを握り、手のひらの熱を伝えていく。

 すると数分しないうちに表面が柔らかくなり、彼女の言う食べ頃になった。


「ここまで溶けたら、周囲を削るようにしながら食べてみてください。普通に食べる時とはちょっとだけ違いますよ」


 言われた通りに少し溶け始めている部分を淵に沿って削り、スプーンを口に運ぶ。

 確かに味自体に大きな変化はない。

 ただ、口に入れた時の滑らかさがまったく違うように感じられた。

 たかがアイス。されどアイス。

 不思議なことに、この優しい甘みと滑らかなくちどけが俺を幸せな気分にしてくれる。


「ま、待ってください! そのまま! そのままでっ!」

「へ?」

 

 二口目を口に入れた瞬間待てと言われた俺は、スプーンを咥えたままの姿勢で動きを止めることになった。

 東条さんは素早くスマホを取り出すと、カメラのアプリを起動して俺に向けてシャッターを切る。


「ど……どうしたんですか?」

「ハッ⁉ ご、ごめんなさい……あまりにも稲森君が幸せそうな顔をしていたので、つい写真に保存しておきたくなってしまって……!」


 何だろう。照れ臭すぎてちょっと食べる気が失せた。


「うー! これはレアです! 同じ空間にいないと撮れない限定写真です! 待ち受けにしてもいいですか⁉」

「ひ……他の人に見られると恥ずかしいので、できれば待ち受けにはしないでいただけると……」

「大丈夫です! このスマホは家族と稲森君用なので、他の人に見られる心配はありませんから」


 そう言いながら、彼女は棚の上で充電されている二つのスマホを指差した。


「あそこにあるのが学校用のスマホで、その隣が仕事用のスマホです。学校に持っていったり友人と遊ぶときは学校用のを持って行って、会社に向かう時は仕事用のを持っていくようにしてるんですよ」

「わざわざ分ける意味ってあるんですか……?」

「公私混同はあまり好きではないんですよね。仕事している時は学校のことを忘れたいですし、学校にいる時は仕事のことを忘れたいんです。あ、もちろん稲森君の連絡先はすべてのスマホに入れておきますので、ご心配なく!」


 そういう部分を心配したつもりは一切ないのだけれど————。


 結局のところ、そうすることによって仕事のパフォーマンスを上げて、スマホ三台分の利益を回収しているのだろう。

 勿体ないと思うことなかれ。彼女にはそれが必要なのだ。


「……っと、そろそろ歯を磨いて寝ましょうか」

「先に聞いておきたいんですけど、まさか同じベッドで寝るなんてことはないですよね?」

「ふふっ、生憎ベッドは一つしかないので、一緒に寝ることになりますね」


 何を彼女はあっけらかんと言っているのだろう。

 全員が全員だとは思わないけれど、健全な男子高校生が女子と同じベッドで寝るようなことがあれば、それはもうそういうこと・・・・・・だと思ってしまうのだけど。


「もちろん、私の方からは手を出さないのでご安心を。そこから先はお試しでは済みませんので」

「いや……だからその心配は逆だと思うんですけど」

「稲森君から手を出されることに関しては、全然オーケーです。あなたが責任感の強い男性ということは調査済みですから」


 ――――なるほど。


 確かに、何かの間違いがあった場合、俺はそれの責任を取らざるを得ない。結婚してほしいと言われれば、すんなりと受け入れてしまうくらいには。

 うん、そうなると俺たちの間に間違いが起こるなんてあり得ない。


(だから安心して寝られる……わけがないよなぁ)


 現時点ですでにドキドキしているのに、隣に並んで寝たら絶対に眠れない。


「俺、ソファーで寝てもいいですか?」

「ダメですっ」

「そ、そうですか……」


 家主がダメと言っているのに、無理やり強行するのもいかがなものかと思ってしまう。

 ここは腹を括るしかなさそうだ。


「あ、それと……ずっと稲森君は敬語で話してくれていますけど、同級生なんですし、普通に話していただいていいんですよ? むしろ距離を感じて寂しいです」


 そう指摘されて、今更ながら自分が敬語で喋り続けていたことに気づいた。

 東条さんは凄い人という考えが刷り込まれ過ぎていて、無意識のうちに下手に出てしまっていたらしい。

 はっきり言って、恐れ多かったのだ。


「……でも、東条さんも敬語で喋ってますよね?」

「私はこれが素ですし、誰を相手にしてもこの口調でしゃべってますのでいいのです。むしろアイデンティティーですね」


 こう言われてしまうと、俺の方はもう言い返せない。

 よく考えてみれば、別に抵抗する意味もないわけで――――。


「じゃあ、普通に喋るぞ?」

「はいっ! それでお願いします!」


 クラスメイトなのに敬語というのは、よそよそし過ぎたかもしれない。

 女性とは適切な距離感を保つべきと思っていたのは俺の勝手だし、多少なりとも強引に矯正してもらえたのは、むしろありがたかった。


「では改めて歯を磨きに行きましょうか」


 俺の手を取って立ち上がらせた東条さんは、そのまま洗面所まで俺を連れて行く。

 

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